第三十九夜:あたしは知れなかったこと
あたしとミナはギルド本部に向かっていた。
「……」
「……」
ジークが軍人さんに着いて行ってから、空気が固まっていた。
目が合って、でもどちらからも言葉が出なかった。
三日前、あたしたちは最悪の別れ方をしている。
あたしは怒って泣いて、ミナに「足手まとい」だと決めつけられた気がして、あの場から飛び出した。
でも、そのあと――
「……ねぇ」
ミナが、ぎこちなく口を開く。
いつもの落ち着いた口調じゃない。
少しだけ、困ったように。
「……」
あたしも、何を言えばいいかわからなかった。
謝るべきなのは、あたしの方か、ミナの方か。
どちらにしても、素直になれない気がした。
でも――
ミナが先に、口を開いた。
「あの時……勝手に決めて、ごめんなさい」
その一言に、胸がぎゅっと締めつけられる。
「……わたしも、ごめんなさい。」
「あの時、ミナの気持ちも考えないで、怒ってばっかりで……」
視線を落とす。
言葉が見つからない。
なんて言えば、この空気を解けるのかわからない。
「でも、リージュの気持ちもわかってた」
ミナの声は、優しく響いた。
「守りたいって気持ち、私も同じだから」
「……うん」
素直に頷けた。
「それに……あの時、わたしも怖かったの」
「え……?」
ミナが少しだけ目を伏せる。
「もし、私がいない間にリージュに何かあったらって、考えただけで怖かった」
それを聞いて、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
「……ミナ」
「だから、本当はあの場で、もっとちゃんと話せばよかったのに。
でも……時間がなかった」
あたしは、言葉に詰まった。
「でも、ジークがちゃんと伝えてくれたよ。
ミナの気持ち、ちゃんとわかってるよ、あたし」
そう言うと、ミナは少しだけ目を見開いたあと、優しく笑った。
「……そう」
そうして、お互いに少し照れたように、でも少し安心したように笑い合った。
「あのさ……」
不意にあたしが口を開く。
「ギルドに戻ったら、一緒にお昼ご飯食べよ?」
ミナは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに微笑んだ。
「……そうね。まだ時間もあるし」
そうして、あたしたちは肩を並べて歩き出した。
ぎこちなかった空気は、少しだけ和らいでいく。
きっと全部を許せたわけじゃない。
それでも、今はただ、隣にいるミナのぬくもりが心地よかった。
「うぅぅ〜、お腹すいたぁ……」
あたしはギルド本部の扉を開けた瞬間に力なくつぶやいた。
戦いが終わって三日、昨日の夕方目が覚めたから、食事をちゃんと取る余裕ができたのはいいけど、それでもまだ体の疲れが抜けきってない気がする。
「ねぇリージュ、貴方、戦いの最中もご飯のことばかり考えてたんじゃない?」
後ろからミナが呆れたように笑う。
「そんなことないよ!……たぶん」
「たぶん、か」
ミナはくすっと笑って、カウンター席の奥にいるギルドの人に手を上げる。
「昼食を頼む」と一言。さすがミナ、こういうとこは抜かりないなぁ。
あたしはミナの後ろについて、いつもの席に座った。
しばらくすると、パンとスープ、野菜の煮込みが乗ったお盆が運ばれてくる。
この二日の間は天使化の影響か、ずっとあたしは眠っちゃってたみたい。
やっとこういう普通のご飯が食べれるの、すごく嬉しい。
「はぁぁ……、生き返る〜……」
あたしがスープをすすりながらほっと息をつくと、ミナは苦笑しながらパンをちぎった。
「この三日間、貴方もずっと寝ていたけど、やはり疲れはまだあるの?」
「うーん?どちらかと言うと、寝過ぎて変な感じ?
でもミナの方が大変だったんじゃないの?
一番たくさんゾンビを倒したって聞いたよ?」
「……まあな」
ミナは短く答え、少しだけ目を伏せた。
きっとミナなりに考えることがあるんだろうな。
「でも、ミナが頑張ってくれたおかげで、あたしも助かったよ。ありがとね」
素直にそう言うと、ミナは少しだけ驚いた顔をして、それから小さく笑った。
「貴方にそう言われるなら、悪い気はしないわね」
「でしょ?」
二人で食事を終える頃、ミナが突然「そうだ」と切り出した。
「私はこの後、本部の作戦室で戦闘の報告をしなければならないの」
「え?報告?」
「ええ。戦場の詳細、ゾンビの種類、今後の対策……色々と話し合う必要がある。
多分、夕方頃までかかりそうなの」
「そっかぁ……」
あたしはスプーンを置いて、少しだけ考える。
ミナと一緒に過ごすのが当たり前みたいになってたから、なんだかちょっと寂しい。
でも、ミナはミナのやることがある。
「じゃあ、終わったらギルドの部屋で待ってるね」
そう言うと、ミナは少し意外そうな顔をして、それから頷いた。
「わかったわ。……貴方も、今日くらいは無茶はしないでね?」
「えぇ〜、あたしが無茶なんてするわけないじゃん!」
「それを言える子は、左腕にそんなものを巻いてない」
「うっ……」
ぐうの音も出ない。
リディアさんに噛まれた傷、喪服が長袖だったから隠せてたと思っていたのに。
心配させたくなかったから強がってたのに。
「貴方もいっぱい頑張ったのね、リージュ。そんな傷までつくって……」
言えなかった。
この傷は、自分からわざと噛ませた傷だって。
だって、だって……
「……そろそろ、時間ね」
あたしの顔に出てたのかな?
ミナは何にも聞かなかった。
「……うん、いってらっしゃい、ミナ!」
ミナはギルド本部の奥へと向かった。
あたしは思うところがあり、バルコニーへ向かった。
バルコニーに出ると、壊れた壁が視界に飛び込んできた。
土嚢で覆われているけど、元の高さまではとても届かない。
隙間からは、遠くの森が見えた。
黒く焼け焦げた、痛々しい光景。
仕方ないよね、応急処置なんだから。
そんなことを考えながら、あたしはバルコニーの手すりに寄りかかった。
風が吹くたび、焼けた木の匂いが鼻をかすめる。
左腕が痛む。
ズキズキと、鈍く。
でも、この痛みは消したくなかった。
――忘れたくなかった。
リディアさんが、あたしの腕を噛んだ時の感触。
痛かった。
怖かった。
でも、あの人は――あたしとは違った。
あたしは痛みを笑わない。
人の苦しみを喜ばない。
……だから、せめてこの痛みは覚えておきたかった。
忘れたくなかった。
「……」
無意識に左腕を手で押さえる。
じわりと痛みが広がるたび、胸が締め付けられるようだった。
その時、ふと、誰かが隣に立つ気配がした。
「左腕、おろせよ」
振り返ると、ガルドアさんがいた。
いつもより無口で、静かな顔だった。
「ほれ見ろ、血が滲んできてんじゃねぇか」
そう言いながら、ガルドアさんはあたしの袖を捲った。
包帯に、じんわりと赤い染みが浮かんでいた。
「これは……元々付いてたんだよ」
なんでだろう。
とっさに、そんなウソが口から出た。
ガルドアさんは、じっとあたしを見つめた。
無言のまま、少し眉をひそめる。
「お前、嘘下手だな」
苦笑いすらできなかった。
心臓がギュッと痛む。
ウソなんて、すぐにバレるに決まってる。
あたしの腕は、あんなにも大きな傷で、あんなにも痛むのに。
「……」
あたしは背筋を伸ばして、右手をバルコニーの手すりに添えた。
それでも、ガルドアさんは何も言わなかった。
ただ、同じ方向を見つめている。
バルコニーから見える、壊れた壁。
その手前に、リディアさんの最後の場所がある。
風が、あたしの髪をなでた。
「……」
言葉は、どこにもなかった。
何を言っていいかも、わからなかった。
ただ、隣にいるガルドアさんが、あたしを責めないことだけはわかった。
だから、せめて、この沈黙だけは受け止めたくて。
痛みと、重さと、全部、受け止めたくて。
あたしは、まだ痛む左腕の傷を、何故か噛み締めたくて。
「ありがとうな」
ぽつりと、ガルドアさんが言った。
その声が、やけに遠く聞こえた。
「オレは、刺せなかった」
その言葉に、胸の奥がずきりと痛んだ。
横顔が、すごく辛そうで、痛々しくて。
「あの後……どうなったのか、聞いても……いい?」
口に出した瞬間、後悔した。
なんで、そんな酷いこと聞くんだろう。
ガルドアさんにとって、どれだけ辛いことか……
それは、あたしが一番わかってるはずなのに。
ガルドアさんはしばらく黙ったままだった。
でも、ふっと息を吐いて、ぽつりと答えてくれた。
「……あいつ、自分から飛び降りたんだ。
震えて槍を構えてるオレに、『意気地なし』っつって」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
そうか。
だから、リディアさんはあんなにも、体中の骨が折れていたんだ。
――自分で、終わりを選んだんだ。
「……デカい借りが出来ちまったな」
「えっ?」
思わず、聞き返してしまった。
あたしには、どういう意味かわからなかった。
「オレは、あん時助けに走ったけどよ……
お前がトドメを刺してくれて……少しホッとした」
「……」
ガルドアさんの言葉が、重くのしかかる。
「オレは、たとえゾンビになったとしても、アイツを刺せなかったと思う」
その手が、ほんの僅かに震えていた。
あたしは、言葉を失った。
「……あたし……間違ってなかった?」
震える声で問いかけた。
怖くて、仕方なかった。
あたしは、本当に、あれで良かったんだろうか?
ガルドアさんは、不思議そうに、でも優しい目であたしを見つめた。
「あたしは……あなたの……大切な、人を……」
言い切る前に、涙が溢れてきた。
何も言葉にならなかった。
ただ、ただ涙だけが流れた。
でも、ガルドアさんは、静かに言ってくれた。
「……あれで良かった。あと、勘違いするなよ。
リディアとは、単なる幼馴染なだけだ。……まぁ、大切なやつだったけどな」
その言葉に、胸がさらに締め付けられた。
優しさが痛かった。
励ましてくれてるのに、あたしは何も返せなかった。
「参ったな……ハンカチなんてオレは持ってねぇぞ……」
不器用な言葉に、泣きながら少しだけ笑った。
ガルドアさんは、こんな時でも気遣ってくれる。
そんな優しさに、また涙が止まらなくなった
喪服の袖で、涙を拭った。
だけど、涙は止まらない。
「うん、うん……」
あたしは何度も、何度もそう呟いた。
諦めたように、ガルドアさんは何も言わず、ただ黙って隣にいてくれた。
手を貸すわけでもなく、慰めの言葉をかけるでもなく。
でも、それがすごく、嬉しかった。
苦しくて、悲しくて、泣きじゃくるあたしを、
そっと受け止めてくれた。
涙が止まるまで。
ガルドアさんは、ただ静かに、あたしの隣に立っていてくれた。
しばらくして、ようやく落ち着いたあたしは、
少し鼻をすするようにしてから言葉を絞り出した。
「ごめんなさい、んっ、落ち着いた……」
ガルドアさんは、そんなあたしには目を向けず、ただ遠くのあの場所――リディアさんが最後に消えた場所を、じっと見つめていた。その顔が、どこか寂しそうに見えて、胸がまた痛くなる。
「なぁ、嬢ちゃん」
ぽつりと、ガルドアさんが口を開いた。
「アイツは、なんであんな風になっちまったんだろうな」
その言葉に、胸がずきりと痛んだ。
ガルドアさんも、わからなかったんだ。
「……今思えば、変なとこはあったかも」
あたしは少しだけ目を伏せた。
「おっとりしてるのに、あの日は……すごく怖いこと言われたし……」
ゾンビに食われる人の悲鳴を、まるで楽しむみたいに――
あの時の光景が、また頭の中でよみがえってくる。
今でも、あの笑い声が耳から離れない。
「オレは……気付けなかったよ、アイツが火の球を撃つところを見るまでは」
ガルドアさんの声には、強い後悔が滲んでいた。
「オレは、あいつの何を見てたんだろうな……」
あたしは何も返せなかった。
怖かったのか、悲しかったのか、それとも、ただ信じたかったのか――。
リディアさんがどうしてあんなことになったのか、今もわからない。
でも――。
「……あたしも、気付けなかった。止められなかった……」
そう呟くように口にすると、胸がぎゅっと締め付けられた。
だけど、それがきっと事実なんだと思った。
しばらく沈黙が続いた。
だけど、どうしても聞きたくて、あたしは小さく口を開いた。
「ねぇ、ガルドアさん……リディアさんって、どんな人だったの?」
彼は少しだけ目を伏せて、何かを思い出すように息を吐いた。
「昔はさ、ちょっとお姉さんぶってるところがあったんだ。
オレより年上だったし、いつも偉そうにしててさ。
子供の頃はよく怒られてた」
ガルドアさんは少しだけ、懐かしそうに笑った。
「だけど……オレたちの村が群れに襲われてからだな。アイツ、急に変わったんだ。
あの日を境に、言葉もおっとりとするようになった。
……今考えると、まるで無理に何かを押し殺してるみたいに」
その言葉に、あたしの胸がズキンと痛んだ。
「それでも、アイツはいつも通りでいようとしてたんだろうな。……でも、本当は……」
言葉が途切れる。
だけど、それ以上は聞けなかった。
あたしは何も言えずに、ただガルドアさんの顔を見つめていた。
「……なぁ、リージュ。アイツ、本当は、何を思ってたんだろうな」
その問いは、まるで自分に投げかけているみたいだった。
わからない。けど、知りたい。
あの人は、どうして……。
――リディアさん、どうして……。
二人の心にあの時言われた言葉が響く。
『それにね?わたしは悲鳴が聴きたいの。
もっと、もっと!あの心に響く綺麗な声が、いっ〜ぱい聴きたいの!!』
『ガルドアはさ、なんで違うの?』
――リディアの狂気、彼女の狂気はいつから始まったのか?
「教えてあげる」
今後は日、火、木曜日の11時更新となります。
「日曜日は二話更新」となります。
【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿】リライト企画進行中(牛歩)
現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。
以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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