第三十二夜:焼け付く森と燃ゆる命
私は、空から見下ろした光景に目を疑った。
クラウゼンブルクの前線――森が燃えている。
これは……撤退戦か?
前線の部隊が押し切られ、撤退しながら森に火を放ったのか?
炎は激しく燃え広がり、黒い影――ゾンビの群れを飲み込んでいく。
だが、それをものともせずに動く者たちがいる。
――いや、違う。
奴らは“森の炎を超え”、黒涙湖側へと消えていっている?
「どうなっている……?」
私は目を凝らし、状況を把握しようとする。
外壁側に見える影はそう多くない。
どうやら前線が崩れ、防衛戦のラインが外壁へと下がったのは確かだ。
ならば……この黒い影たちは何だ?
「……!」
――そうか。
森を突破しているのは、
まだ殲滅されていない、奥の大群だ。
もし、あれをこのまま放置すれば……
森が埋め尽くされ、炎がかき消され、さらなる大群が押し寄せてくる。
死人だからこそ為せる所業、屍が屍を超えて進軍する恐ろしさ。
ただでさえ、すでにクラウゼンブルク側は満身創痍なはずだ。
「……数は最初の半分ほど減らしたはず。でも、それじゃ足りない」
私は奥へ向かうことを決める。
ここまで余力を残しておいたのは、このためだ。
燃え盛る森の向こう。
そこに残った群れがいるのなら、止めを刺す。
「……奥は私が止める」
私は魔力を温存しつつ、迅速に塊の中央へと向かった。
その少し前――
森が燃え、空が赤く染まっていた。
クラウゼンブルク本隊の撤退に合わせ、森に火が放たれた。
負傷した兵士たちが仲間に支えられながら走る。
ギルドの戦士たちも重傷者を抱えながら、燃える道を駆け抜けていた。
だが――ゾンビたちは容赦なく追いすがる。
炎に足を取られ、動きが鈍るネクロスたち。
しかし、ナグリスやクリムゾンは違った。
炎を恐れず、燃えながらでも突っ込んでくる。
一人の兵士が負傷者を抱え、転びかける。
その背後にナグリスの牙が迫る――!
――その瞬間だった。
「イグニス」
斬り込むような炎が、ゾンビを焼き尽くした。
足に炎を纏い、疾駆する少年――ジークだった。
“今度の戦場は違う”
ジークの決意
彼は迷わない。
前に出る者は、もう誰もいない。
自分の後ろに、一匹もナグリスやクリムゾンを通さない。
その覚悟が、彼の蹴りに宿る。
ヒットアンドアウェイを繰り返し、時間を稼ぐ。
クリムゾンが猛然と突進してくる。
「ハァッ!!」
ジークの炎を纏った蹴りが鋭く弧を描き、ゾンビの首を刈る。
黒焦げになった死体が弾け飛ぶ。
兵士たちが一人、また一人と撤退する。
だが――
何人逃げ延びただろうか?
ジークの呼吸は、すでに限界に達しつつあった。
周囲の炎で息が詰まる。
酸素が薄く、肺が焦げつくように痛い。
汗が吹き出し、視界がぼやける。
「……っ、クソッ……!」
焦燥と疲労が襲いかかる。
それでも、ジークは足を止めない。
(あと少し……あと少し……!)
だが、その”少し”が永遠のように長い。
“最後の声”
その時―― 誰かが叫んだ。
「少年!!」
ジークはぼんやりと、声のする方を振り向く。
炎の向こうに、鎧を纏った巨躯が見えた。
エルデン軍団長だ。
彼の馬が、炎の揺らめきの中にいた。
「残るは君だけだ! 私の馬に乗れ!」
ジークの目が揺らぐ。
周囲にはまだゾンビがいる。
(……本当に、もう大丈夫なのか?)
そう思ったその時、
背後で何かが燃え落ちる音がした。
振り返ると――
森の樹が、炎の壁が、完全にゾンビたちを遮断していた。
もう、ここに残る意味はない。
「……っ!」
ジークは歯を食いしばり、最後の力を振り絞って走った。
エルデン軍団長が手を差し出す。
ジークはその手を掴み、馬上へと引き上げられた。
「助かった」と思った、その瞬間だった。
エルデン軍団長が、ジークを馬上に引き上げた。
「よくやった、少年!」
「ありがとうございます……!」
ジークは安堵とともに、全身の力が抜けかけた。
が――その一瞬の緩みが、悲劇を招いた。
突如として襲いかかる”影”
「――!!!」
その瞬間、エルデンの左腕に何かが喰らいついた。
ゴシャッ!!
「ぐっ……!!?」
エルデンが肩を大きく引かれた。
ジークが顔を上げる――
ナグリスが”食らいついて”いた。
真紅の眼が、爛々と燃えている。
牙が食い込む。
鎧が軋み、血が噴き出す。
ジークがとっさに蹴りを放とうとする――が、遅い。
エルデン・クラウゼン、最期の”選択”
「――少年、後を頼んだぞ……!」
ジークの目の前で、エルデンは自らナグリスと共に馬から飛び降りた。
(な……!?)
その瞬間、群れが押し寄せる。
ゾンビどもが、エルデンに群がる。
一気にナグリス、クリムゾン、ネクロスが”覆い被さる”。
「エルデンさんっっ!!」
ジークが飛び降りようとする――しかし。
「行けーー!!!」
馬が大きく跳ねる。
ジークは、無理やり馬の背に押し戻された。
最期の”覚悟”
「街を……頼む!!」
それが、エルデン軍団長の最期の言葉だった。
次の瞬間――
グチャッッ!!
ナグリスが、エルデン軍団長の喉を引き裂いた。
クリムゾンが、腕を引き千切った。
ネクロスが、貪り喰った。
ジークの眼前で、エルデン軍団長は”消えていった”。
(そんなの……そんなのって……!!)
“逃げろ”という命令
だが、ジークは止まらなかった。
「戻れ……戻れよぉぉぉぉッッ!!!!」
馬を降りようとする――が、別の腕がジークを止めた。
「戻るな、少年!!」
それは―― エルデン軍団長の副官だった。
「軍団長の命令だ!! 我々の使命は、街を守ること!!」
ジークは、涙を流しながら副官の言葉に押し流される。
馬が駆ける。
背後では、エルデン軍団長が喰われていく音が響いていた。
(――僕は……また、守れなかった……!)
ジークの目に、悔しさと絶望が滲む。
だが、彼は街へ帰るために”進む”しかなかった。
僕たちは、後ろで焼けつく木々の音を聞きながら、
ただひたすら馬を駆けさせていた。
息が詰まるほどの焦げ臭さ。
吹き荒れる熱風。
身体の奥底にこびりつく血と煤の匂い。
それでも、僕は涙が止まらなかった。
――今度は、うまくやれたと思ったのに。
――守れたはずだったのに。
――また、目の前で……。
視界がぼやける。
馬の振動に揺られながらも、止めようのない涙が溢れ続けた。
「泣くな」
不意に、低く、それでいて優しい声がかけられる。
「今はまだ、泣くことに力を使ってはいけない」
そう言いながらも、その声色は僅かに震えていた。
僕の隣を駆ける騎士――。
先ほどまでエルデンさんの副官だった人。
……いや、今はもう、軍団長代理なのか。
「まだ名乗ってなかったね」
彼女は前を見据えたまま、僕に話しかける。
「私はアイシス、エルデン団長の副官……いや、今は軍団長代理だ」
アイシスさん。
その名前を脳裏に刻んだ瞬間、胸が締め付けられた。
だって、彼女はきっと、僕よりも何倍も苦しいはずなのに。
団長を、エルデンさんを、僕の目の前で……!
「泣くな」なんて無理だよ。
だって――僕のせいで……。
「団長は君の戦いぶりを見て賞賛されていた」
アイシスさんの言葉に、僕は目を見開いた。
「若くして、多くの命を守ろうとする姿勢に――」
「……守れてないです」
僕は、言葉を遮るように呟いた。
「たくさん……たくさん目の前で……」
彼女は、僕の言葉を最後まで聞かなかった。
いや、遮ったのは彼女のほうだった。
「悲しいのはわかる」
アイシスさんは、強い瞳で僕を見つめる。
「だが、この戦が終わるまで耐えてくれ」
――耐える?
「君は、本当に多くの人を守ってくれた」
「……」
僕は、ただ唇を噛み締める。
守った? 何を? 誰を?
僕は、守れなかった。
エルデンさんも、あの人たちも、みんな……!
ぐちゃぐちゃに貪られる姿が、脳裏に焼き付いている。
あの声、叫び、手を伸ばすその先で消えていく命――。
「もうすぐ森を抜ける」
アイシスさんが、前方を指す。
「外壁近くまで出れば、数は多くない。私たちに任せてくれてもいい」
炎に照らされた街のシルエットが、徐々に見えてきた。
「だから、今は気をしっかり保つんだ」
アイシスさんは、一切僕を責めない。
怒りもしない。
ただ、まっすぐに前を向き、エルデンさんの意志を継ごうとしている。
それが、僕には――わからなかった。
どうして、こんなにも強くいられるんですか?
どうして、責めないんですか?
どうして、僕は――。
拳を握りしめる。
……まだ、終わりじゃないんだ。
全てが終わるその時まで、僕は――。
馬の速度がさらに上がる。
森の影が後方に流れていく。
戦場の最前線へ、僕たちは向かう――!
しばらく走ると、木々の間から光が差し込んだ。
森を抜けた。
その瞬間、アイシスさんが上空に爆炎魔法を放つ。
眩い閃光が空を裂き、轟音とともに炸裂した。
目の前には外壁が広がっていた。
だが、そこは既に戦場だった。
「アイシスさん、今のは爆発魔法は!?」
息を整える間もなく問いかける。
「合図だ!これで外壁の弓兵や魔法兵の攻撃が、一時的に私たちから逸れる!」
馬を止めながら、アイシスさんは短く説明した。
ゾンビどもが外壁に群がり、まるでその向こうにいる人間を感じ取っているかのように、必死に壁を引っ掻いている。
高すぎる壁を登ることはできないはずなのに、
それでも何かに惹かれるように手を伸ばし、爪を立てている。
獲物を求めるように、無意識のまま、壁にへばりつく異形の群れ。
それを振り払うように、外壁の上から矢が降り注いでいた。
だが、ゾンビの数はあまりにも多い。
門の前にはゾンビの群れがひしめき、街へ踏み込もうとしているのがわかった。
「でも、外壁のゾンビたちは……!? あのままだと……!」
「あの程度で外壁が破られることはない! 先に門前の群れを一掃する!戦えるか!?」
喉が乾く。まだ体力は残っているのか?
それとも、気力だけで身体を動かしているのか?
頭の中に浮かんだ疑問は、一瞬の迷いとともに、口から出る言葉で吹き飛んだ。
「……やります! 一人でも多く、守ります!」
声が震えていないか、気にする暇もなかった。
「ありがとう! 私たちの天使よ!」
アイシスさんの声が響いた。
その瞬間、僕は馬から飛び降り、門へと駆け出した。
――軽やかな足捌き。
――敵の包囲網の中を、すり抜けるように跳ぶ。
――羽がなくても、僕には足がある。
ナグリスが優先だ。
感染するやつらを放置すれば、ここで戦う仲間の命が奪われる。
真っ赤な瞳のゾンビを見極めながら、狙いを定めて蹴りを放つ。
「燃えろ!」
足に炎を纏わせた蹴りが、ナグリスの頭を砕き、そのまま燃え上がる。
だが、間髪入れず別のやつが飛びかかってきた。
横へ飛んでかわし、低い体勢のまま地を蹴る。
地面を滑るように移動しながら、次の獲物に炎の蹴りを叩き込む。
外壁の上では弓兵や魔法兵が応戦しているが、
門の前の群れを止めるにはまだ手が足りない。
「まだ足りない……!」
アイシスさんたちも必死に戦っていた?
それでも、ゾンビどもは後ろから後ろから湧いてくる。
その時だった。
西の空が、一瞬、青白く輝いた。
「――!?」
目を奪われる。浄化の光だ。
まるで夜を照らす星のように、一点から広がる純白の輝き。
誰かが叫んだ。
「カミラ様だ――!!」
ありえない……。
僕の頭の中で、その言葉が否定される。
だって……カミラさんは……。
眩い光が、ゾンビの群れを飲み込んでいく。
まるで――天から降り注ぐ、救済の光みたいに。
……違う。
そんなはずない
ルシェルさんがあの時僕に囁いた一言。
「落ち着いて聞いてくれ、嘘をついた。あれは本物の彼女だ。
このことが知れ渡ると全体の指揮に関わる……、だが君には伝えておく。
彼女の力を当てにされては困るから」
カミラさんは、もういないんだから。
でも――心の奥底で、何かが叫んでいた。
じゃあ、あの光は、何なんだ?
「ジーク少年、こちらへ!!」
アイシスさんの呼ぶ声で、現実に引き戻された。
振り返ると、彼女が僕を呼んでいた。
……考えてる場合じゃない。
僕はもう一度足に力を込めた。
「ジーク少年、先程の光は何かわかるか!?」
アイシスさんの問いかけに、僕は視線を西の空へ向けた。
まだ薄っすらと、あの青白い輝きの余韻が残っている。
浄化の光……そう思うし、天使の波動を感じる。
「浄化の光……だと思います」
それだけはわかった。けど、それが誰の力なのか、
何を意味しているのかは全く見当がつかない。
僕の答えを聞いて、アイシスさんは少しだけ間を置き、静かに僕の横へ並ぶ。
まるで戦場の喧騒が遠のいたかのように、彼女の声だけがすぐ傍で聞こえた。
「ルシェル殿から聞いてはいるね?」
……聞いていた。
思わず体が震えたのを感じた。
それを察したのか、アイシスさんの言葉は静かに、けれど強く続いた。
「だが、あれが誰かはどうでもいい。
あそこで戦ってくれている方がいるということが、今の事実だ」
僕は彼女の言葉の意味を完全には理解できなかった。
けれど、あの光の向こうで戦う誰かがいて、今も前線が崩れていないということ。
それが唯一、確かなことだった。
「後ろからの敵増援は減るはずだ。ここを死守すれば我々の勝利が近づく」
そうか、あの後ろにはまだ敵がいる。
僕は……いや、『僕たち』がここを守らなきゃいけないんだ。
「僕たちがここを守りましょう。アイシスさん」
そう言うと、アイシスさんが微笑んだ。
戦場の緊張感の中で、一瞬だけ、そこだけが穏やかに感じた。
「やろう、もう一踏ん張りだ」
そう言って、アイシスさんは僕の頭を軽く撫でた。
僕より背が低いアイシスさんに撫でられていることに、今さらながら気づく。
心が温かくなる。
まだ、戦える。
……けれど。
この静けさは、ほんの束の間のものだった。
今後は日、火、木曜日の11時更新となります。
「日曜日は二話更新」となります。
【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿】リライト企画進行中(牛歩)
現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。
以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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