第三十一夜:よくやった
「よくやった」
その声が、意識が遠のくフォスターの耳に届いた。
倒れ込んだ彼を、誰かが抱きとめたのがわかる。
……知らない相手だ。
誰だ――
その腕は、驚くほど力強く、それでいて温かい。
焦点の合わない視界の中、ぼやけた輪郭がゆらりと揺れる。
銀色の髪。
柔らかなウェーブがかったロングヘアーに、前髪の一部だけが漆黒の色を帯びている。
そして――背には、四枚の美しい羽が広がっていた。
フォスターは口を開こうとした。だが、既に意識を失っていた。
疲労と出血で、すでに体は限界。
「ガキのくせに、こんな無茶しやがって……ここまでしろとは言ってないよ」
低く、それでいてどこか優しさを含んだ声。
この女性は……フォスターを知っているのか?
いや、それよりも――。
ゾンビの群れが、すぐそこまで迫っていた。
倒れ込むフォスターに群がろうとする無数の死者たち。
腐敗した手が、爪が、じわじわと伸びる。
歯がカチカチと鳴り、口腔からは悪臭が立ち込めていた。
だが、女性はそれらを一顧だにせず、
フォスターを片手で抱えながらもう片方の手を天に掲げた。
「……ここを中心にするしかないか」
呟いた直後――
眩いばかりの青白い光が、一瞬で世界を塗り替えた。
地面を這うように広がる浄化の波動。
その光に触れたゾンビたちは、声を上げる暇もなく灰となって消えていく。
まるで、影が陽の光に焼かれるように――。
光はどんどん広がり続け、やがて視界の端も超えたところで 半円状に留まった。
まるで、巨大な結界のように。
「ふぅ……十二年ぶりにこの大きさは、ちとツラいね」
彼女は額に手を当て、軽く息をつく。
その時、後方から十数人の兵士たちが駆け寄ってきた。
「コーネリア様! ご無事ですか!?」
そう――この女性はワルツハイムの常駐天使、コーネリアだった。
六十代には全く見えない。
彼女の天使化の力だろうか?
とても若くてたくましい、凛とした女性だ。
「誰に向かって言ってんだい?」
コーネリアはクスリと笑う。
「それより、ほら」
腕の中のフォスターに視線を落とす。
「この子、手当てしてやんな。
天使だからそう簡単に死にゃあしないだろうが、万が一ってこともある」
そう言いながら、フォスターを兵士の一人に預けた。
兵士はすぐに応急処置に取りかかる。
コーネリアは、一度フォスターの顔をじっと見つめた。
「……よくやったよ、ほんとにね」
誰に向けたのかわからない、静かな呟き。
次の瞬間――
コーネリアの足がふわりと地面を離れた。
ゆっくりと、天へと昇っていく。
その姿は、フォスターたちが知る「天使」とは全く違うものだった。
――四枚の羽が広がる、幻想的な姿。
神秘的で、厳かで、それでいてどこか人間らしい温かさを感じさせる。
「コ、コーネリア様! 私たちは!?」
焦る兵士の声に、彼女は振り向かず答えた。
「最低限の数でいいから、ついてきな」
彼女の声には、どこか楽しげな響きがあった。
――未来ある若者を救えたことが、ただ嬉しかったのだ。
少し前――
ワルツハイムには、まだ死の大行進は来ていなかった。
静寂が支配する街の門前。
クラウゼンブルク側の門には、すでに多くの兵たちが集まっている。
その脇には、外壁へと通じる大きな階段があり、
その上はわずかに開けた場所になっていた。
そこに立っているのは、ギルド長のセワス、
そして――天使コーネリア。
「今回はいつもよりも遅いねぇ」
コーネリアが、微かに眉を寄せながら呟く。
「こりゃ今回は、様子を見に行った方がいいね」
そう言って、門の外へと視線を向ける。
「動けるやつはどれくらいいる?」
彼女が問いかけると、セワスは即答する。
「中隊が二つ、小隊が六つになります」
「やれやれ、こっちは向こうと違って人が少ないねぇ」
肩をすくめながら、コーネリアがぼやく。
「はい……出稼ぎで来ている者は皆、クラウゼンブルクに行きますので」
セワスが苦笑交じりに答える。
――戦える人員が少ない。
それは、ワルツハイムの宿命とも言えた。
この町のコーネリアの実績は誰もが知っている。
ここのギルドより、平時も被害の多いクラウゼンブルクに人が集中する。
「……ガキどもが無茶してるね、多分」
遠くを見つめながら、コーネリアが呟く。
まるで、クラウゼンブルクで戦っているフォスターたちの無茶を見透かしているかのように。
「小隊を半分貸しな。今回は打って出るよ」
セワスは一瞬、驚いたような顔をした。
だが、すぐに納得し、深く頷く。
「かしこまりました。三つの小隊には、天使様を追いかけるよう指示しておきます」
そう言い残し、彼は足早に階段を降りていく。
コーネリアはひとり、静かに空を仰いだ。
「さて、久々にやるかね」
彼女の身体が、柔らかな輝きに包まれる。
光の粒が宙を舞い、彼女の背に四枚の羽が生えていく。
それは、フォスターたちとは異なる、神聖で幻想的な光景だった。
ゆっくりと足を浮かせながら、コーネリアは静かに空へと舞い上がる。
しかしその姿は、先ほどの老婦人では無かった。
――ワルツハイムの守護者が、動き出していた。
クラウゼンブルク
クラウゼンブルクの戦いは、どんどん悪化していた。
私は避難誘導の手伝いをしながら、焦燥を募らせていた。
ジークが戦っている。
フォスターもミナも――。
でも、私はここにいる。
……本当に、それでいいの?
「あたし、なんか……何もできてない気がする」
ボソッと漏らした言葉に、隣でプルワが肩をすくめる。
「おねーちゃんはここでできることをやればいいのさ」
「……でも……」
納得はできない。
フォスターやミナは、強い。
ジークは――弱い人を見捨てられない。
でも私は?
戦えるの? 戦って、みんなを守れるの?
ギュッと拳を握る。
その時だった――
――ズシン。
建物が、微かに揺れた。
何かが崩れたような、重い音。
私だけじゃない。
避難民たちが、顔を上げる。
「……何?」
私は外へ走った。
ギルドのバルコニーに飛び出し、視界に映った光景。
外壁の向こうから、黒い波がうねるように迫ってきていた。
それだけじゃない。
門の近くにいた騎馬隊の一部が撤退してきている。
前線が――
外壁まで下がってきてる!?
「……うそ」
思わず呟く。
背筋が冷たくなった。
こんなに早く!?
クラウゼンブルクの外壁は、確かに分厚い。
でも……絶対に破られないわけじゃない。
ギュッと歯を食いしばる。
戦場が、近づいている。
その時だった。
「ふふ……いよいよ、ね」
後ろから、リディアの声が聞こえた。
「……リディアさん?」
「炎の準備をする前に、ちょっとだけ様子を見にきたの」
彼女はいつものように、にこにこと微笑んでいる。
けれど、何かがおかしい。
あたしの胸の奥が、冷たくなる。
「ねぇ、リージュちゃん」
リディアは、わざとらしく目を細めて言う。
「怖い?」
「……何が?」
「ゾンビに食い殺されること?」
「っ……!」
突然の言葉に、息が詰まる。
なんで?
なんで、今そんなこと言えるの?
「……何言ってんの?」
「だってさぁ」
リディアは、壁の向こうを見ながら、楽しげに笑う。
「あれ、もうすぐこっちに来るんでしょ?」
「っ……!」
「リージュちゃんは戦うの? それとも……逃げる?」
からかうような口調。
でも、それはただの冗談じゃない。
「……あたしは……」
言葉が出てこない。
「まぁ、いいけど」
リディアは肩をすくめ、踵を返す。
「オイラは避難の手伝いを続けるよ」
プルワがそう言いながら、あたしの肩を軽く叩く。
「おねーちゃんも、よく考えるといいさ」
そう言い残し、彼はギルドへ戻っていった。
リディアさんも、もうそこにはいない。
でも、彼女の言葉だけが、あたしの胸に残る。
……あたしは、どうする?
戦うの? 逃げるの?
――決まってるじゃん。
あたしは……
「……やるしか、ないよね」
私は深く息を吸い込み、ギルドの方へと振り返った。
この街を、守るんだ。
街道中央、奥――
ガキィィィン!!
甲高い金属音が響き渡る。
交差する刃と刃。
千の斬撃を繰り出す白銀の大剣と、流れるような動きで振るわれる黒鋼の刀。
「くっ……!!」
ミルベーナは大剣を振るいながら、思わず後退した。
一撃の威力は、間違いなくこちらのほうが上。
それでも――
押されている。
「……速い……!!」
相手の動きが異常だった。
音もなく踏み込んでくる。
鋭い居合いの一閃が走るたび、ミルベーナは紙一重でかわし、
反撃に出ても千光剣が止められる。
その度に生じる衝撃が、腕にずっしりと響く。
ゾンビの群れがすぐ近くにいるはずなのに―― なぜか彼女には襲いかからない。
まるで「彼女を敵と認識していない」かのように。
女剣士は静かに、低く呟く。
「……なるほど。少なくとも“見せかけ”の剣技ではないようですね」
ミルベーナは息を整えながら、冷静に考えた。
このままでは速さで負ける。
ならば――
「……悪いが遊びは終わりにしようか」
そう言いながら、ミルベーナは大剣を一度地面に突き立てた。
「スラッシュガスト!」
詠唱と同時に、突風が巻き起こる。
鋭い風の刃が地面を抉り、女剣士へと奔る。
「ッ――」
女剣士は一瞬の踏み込みを止め、横へ跳躍する。
ズバッ!!
ミコトがいた場所の地面が、 鋭くえぐれた。
その隙を逃さず、 次の魔法 が放たれる。
「アイスピラー!」
地面から氷柱 が生える。
着地地点を狙った攻撃。
女剣士は刀を逆手に持ち、一閃。
ガキンッ!!
氷柱は粉々に砕かれるが、足元が滑った。
「……!」
僅かにバランスを崩した相手に、最後の一撃が迫る。
「バーニングソウル!!」
ミルベーナの掌から、猛々しい火焔が放たれる。
風の刃で牽制し、氷で足場を崩し、最後に火で焼き払う。
完璧な流れ――だった。
「……詰めが甘い」
女剣士は一瞬、刀を鞘に収めた。
次の瞬間――
「霞斬り」
閃光のような斬撃。
ミルベーナが放った炎が斜めに断ち切られた。
ズバァァッ!!
まるで刀で火を斬ったかのように、炎は左右に散り、相手には届かない。
ミルベーナは目を見開いた。
「なっ……!」
女剣士は刃をすっと構え直し、冷静にミルベーナを捉えている。
「……手数で来るなら」
そして――
「これでいく」
彼女の両腕が、一気に刀を抜いた。
――二刀流。
手数が増える。
ミルベーナの顔が険しくなる。
二刀は、殺傷力こそ落ちるが、剣撃の速度と連携が飛躍的に上がる。
一刀での戦闘では、鋭い居合いの一撃が命を削る。
双剣が舞う。
二刀での斬撃が全方位から飛んでくる。
ミルベーナの刃とぶつかり、次の瞬間には別の方向から打ち込まれる。
「チッ……!」
防ぐだけで精一杯だ。
受け流し、受け流し、時折カウンターを狙うが、
圧倒的な剣捌きがそれすらも封じていく。
だが――
「……悪いが今のは時間稼ぎだ」
ミルベーナは剣を収めた。
女剣士が目を細める。
「やめるの?」
「いや――」
ミルベーナの手が魔剣に添えられる。
「今度は、こっちの番だよ」
刹那、刃が輝いた。
「千光剣――“突閃”!!」
光の斬撃が、奔る。
女剣士は二刀を交差させる。
が――
「ッ……!!」
全てを防ぎ切れない。
身体を後方へと跳ねさせ、僅かに刃を避ける。
その時――
ズドンッ!!
空から何かが落ちてきた。
それは――
「アルチル……!?」
全身血塗れの少女だった。
黒紫の翼はボロボロに裂け、肩腕を無くし血を流している。
「そんなっ、アルチルッ……!!」
女剣士は咄嗟に彼女を抱き起こした。
その瞬間、ミルベーナは一気に間合いを詰める。
勝機――ここだ!!
落ちて来たのは悪魔、角に羽、間違いない。
ならば迷う必要はない!
「まとめて斬り刻む!!」
しかし――
「ダメぇぇぇぇぇぇ!!!」
アルチルと呼ばれた少女が叫び、空間に黒紫のゲートが開く。
女剣士は迷わずその中へ飛び込んだ。
「待て――!!」
ミルベーナは赫閃を放つ。
だが――
ゲートは、刃が届く直前に閉じられた。
静寂が落ちる。
残ったのは、荒れた戦場とミルベーナの息遣いだけだった。
「……逃げられた、か」
彼女は悔しそうに剣を納めた。
あいつはいったい何者だったんだ……?
彼女たちが姿を消した後も、疑問が拭えない。
ただの剣士じゃない。あの速さ、あの斬撃の精度、
そして――ゾンビが奴を襲わなかったという事実。
考え込む暇はなかった。私は剣を握り直し、すぐに次の殲滅に移ろうとした。
その時――
「――!?」
突然、青いエネルギーが視界を覆った。
空気が震え、波紋のように広がっていく。
何だ?この力は……!?
――ゾンビが、消えていく。
私の周囲にいたはずのゾンビたちが、
一瞬にして光に飲まれ、跡形もなく浄化されていく。
「ッ……なに、が……」
あまりに突然のことに、思考が追いつかない。
新たな敵か?それとも――
私は周囲を警戒しながら、じっと気配を探る。
その時だった。
「おーい、ミルベーナの嬢ちゃーん」
遠くから穏やかな声が聞こえた。
振り向くと、こちらに向かってひとりの女性が降りてくる。
白銀の髪が太陽を反射し、四枚の羽がゆっくりと舞う。
天使……?
しかし、普通の天使じゃない。
力の質が違う。
この圧倒的な存在感――まるで、力の差を目の当たりにしたような気配だった。
「無事かい?」
彼女は微笑みながら声をかけてくる。
私はとっさに姿勢を正し、深く頭を下げた。
「ご助力ありがとうございます。私はミルベーナ、
現在この付近でネクロスの掃討をしている天使です」
名乗ると、女性はきょとんとした顔をした。
……何か、変なことでも言っただろうか?
「……ははっ!」
突如、彼女は大きく笑い出した。
「そりゃわかるわけないさね」
今度は私がきょとんとなる番だった。
彼女は楽しそうに笑いながら言った。
「あたしだよ、コーネリア、あのババアだよ」
「――え?」
私は言葉を失った。
コーネリア……?
ワルツハイムの常駐天使の?
「だいぶ変わっちまっただろ? これがあたしの”天使化”さね」
コーネリアはくるりと回って見せる。
四枚の羽がゆっくりと光を帯び、まるで大天使サリエルのような神々しさを纏っていた。
「あたしの天使化はねぇ、若返るんだよ。現役の姿に戻るってやつさ」
まるで、“神代の戦士”が蘇ったような威圧感。
いや、これが天使の本来の力 なのか……?
「それと―― ほれ、この結界。これもあたしの力さ」
コーネリアが天を指差す。
見上げると、そこには半球状に広がる青白い光の壁。
……これは、彼女が張ったものなのか?
この広範囲に?たったひとりで?
私は背筋が粟立つのを感じた。
――格が違う。
この人は、やはりただの天使じゃない。
「今どんな状況だい?」
コーネリア殿の問いかけに、私はすぐに状況を報告した。
先程まで謎の剣士と戦っていたこと。
あの女剣士は、傷ついた悪魔の少女とともに姿を消したこと。
それから、この周辺の戦況の推移。
報告を終えると、コーネリア殿は少し考え込むように目を閉じた。
やがてゆっくりと口を開く。
「わかった。この辺りはあたしに任せて、あんたは街の方へ行きな」
「……しかし」
私は思わず口を開きかけた。
彼女の力は確かに圧倒的だが、ここに留まるのは危険すぎる。
フォスターの件も聞いた。
傷を負った状態で戦い続けているのだとすれば、彼の安否も気にかかる。
もしや、さっきの傷ついた悪魔と交戦していたのか?
だが――
今優先すべきものは違う。
「……承知しました」
私は強く頷く。
コーネリア殿も私の考えを見抜いていたのかもしれない。
彼女は静かに結界の中心の方向を向き、周囲を見渡した。
「――あたしの力は強い分、その中心点から動かせないんだよ」
「……!」
なるほど、だからコーネリア殿はここを動かずにいるのか。
彼女がこの場を動けば、張られた浄化の結界が崩れる。
その中心点から動けない以上、
クラウゼンブルクへ同行するのは難しい――そういうことか。
「フォスターのことも、気になるんだろ?」
コーネリア殿が、見透かすように言った。
私は息をのむ。
彼女は、すべてを見通しているのか……。
しかし、私はただ静かに頷いた。
「無事ならば、今優先するのは街の防衛です」
「そうさね。フォスターもあんたに構ってる暇はないだろうさ」
コーネリア殿は、ニヤリと笑う。
「……では、行きます」
私は踵を返し、クラウゼンブルクへ急ぐ。
飛行魔術で飛ぼうとした、その時だった。
「――ミルベーナ」
コーネリア殿の声が、背後から響く。
「よくやった」
私は思わず振り向く。
そこには、堂々とした笑みを浮かべるコーネリア殿の姿があった。
「……ただ、まだ余力を残してるだろ? 倒れない程度に、やってきな」
私はその言葉の意味を噛みしめる。
そうだ、私はまだ倒れるわけにはいかない。
「……心得ました」
私は力強く頷き、コーネリア殿に一礼する。
そして――飛翔した。
目指すは、クラウゼンブルク。
戦いは、まだ終わっていない。
今後は日、火、木曜日の11時更新となります。
「日曜日は二話更新」となります。
【2025年3月31日、第一夜〜第三夜 改稿】リライト企画進行中(牛歩)
現在第一夜〜第三夜の文章と構成を全面的にリライトしました。
以前のバージョンを読んでくださった方も、改めて楽しんでいただけたら嬉しいです。
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