第三十夜:夢か現か戦場か
戦場の空気は焼けるように熱く、それでいて張り詰めた冷たさが漂っていた。
ルシェルはすぐにカミラの頭部を確認した。
周囲の兵士やギルドメンバーも固唾をのんで見守る。
もしこれが本物なら、絶対的な戦力の一人を失った ということになる。
ただでさえ劣勢な状況が、決定的に崩れる。
しかし――
「違う。」
ルシェルはそう断言した。
一瞬の静寂。
その後、ざわめきが広がる。
「カミラではない。似てはいるが、別の人間だ。」
彼の言葉に、安堵の表情を浮かべる者がいた。
しかし、全員がそうではない。
「本当に?」
「いったい誰がこんなことを……!?」
「だが、ルシェル様がそう言うのなら……」
混乱が収まる前に、ルシェルは落ちていた頭部に布を被せ、
負傷者を並べている場所へと寄せた。
「今は事実だけを受け止めろ」
低く、強く告げる。
「カミラはまだ生きている。だから、今やるべきことをやれ。」
その言葉に、兵士たちは頷いた。
ルシェルの言葉には、戦場の混乱を一瞬で鎮める力があった。
その直後、急報が届いた。
「ギルド長レンハルト、前線からの伝令だ!」
馬を駆る伝令兵が駆け込み、顔に泥と汗を浮かべながら報告する。
「第三陣の半数を前線に派遣、残りは後方撤退の支援に移行!」
「……つまり、後退の準備をしているということか」
ルシェルが静かに言った。
レンハルトは苦い表情を浮かべる。
「戦況が悪い。このまま前線を維持できないと判断した。
外壁の弓兵・魔法兵に支援射撃を任せ、前線を外壁まで下げる。
外壁までたどり着いたゾンビどもは、第三陣と第一陣の動ける者で対処する」
ルシェルはすぐに状況を理解した。
持ちこたえられない。撤退が始まる。
「負傷者だ!担架を持ってこい!」
「弓兵!魔法兵!外壁防衛に急げ!」
「急報!前線を外壁まで下げる!」
怒号と指示が飛び交う。
足音、金属音、血の匂い。
問題は、それをどのようにするか――
「……撤退の際、殿は?」
レンハルトは、一拍置いて答えた。
「森に火を放つ。ここで奴らを完全に足止めする。」
周囲の兵士たちは息をのんだ。
森を焼き払う。
それは、もう後戻りができない覚悟を意味している。
だが、それほどの手段を講じなければ、この死の大行進は止まらない。
「僕がやる」
ルシェルが話を続けようとした、その前に。
ジークが一歩前に出た。
「待て、ジーク」
ルシェルがすぐに声をかける。
「僕が殿をやります。それに、森に火を放つなら僕が最適です。」
「……ジーク」
「最初は森を焼き払う恐れがあったから、火の魔法を使った足技を封じていたけど。
でも、殿を務めるなら問題ない。人がいなくなるなら……遠慮しなくていい」
その言葉に、ルシェルはじっとジークを見た。
彼の目に迷いはない。
決意している。
だが、ジーク自身が気づいていないことがある。
ルシェルは静かに彼に近づき、耳元で囁いた。
「……やっぱり、ですか……」
ジークは一瞬、驚いたように目を見開いた。
――ルシェルは何を囁いた?
だが、ルシェルはそれ以上は何も言わず、ただ静かに言葉を紡ぐ。
「森が火の海になる前に、必ず外へ抜けると約束しろ」
その言葉に、ジークは一度だけ頷いた。
――彼の後ろ姿を見送りながら、ルシェルは目を細める。
「さて……問題は、どこまでが最悪の事態になるか……」
彼の視線の先には、まだ戻らぬカミラの姿があるはずの戦場が広がっていた。
―― ミルベーナ、異変と”剣士”
倒しても、倒しても、終わらない。
ミルベーナは、息を整えながら周囲を見渡した。
千は倒した。
だが――
まだ、足りない。
次から次へと押し寄せてくるネクロスの群れ。
まるで湧き出る泥のように、戦場に黒い影が広がっていく。
(……何かがおかしい)
焦燥が胸を締めつける。
一度、大剣を振り抜き、力を込める。
「千光剣・連舞!!」
周囲のネクロスが幾重もの斬撃とともに吹き飛ぶ。
片付いた――今のうちに、空へ。
飛行魔術を発動しようとした、その時――
ガキィィィン!!
鋭い衝撃が走った。
「……何!?」
何かが弾ける音。
咄嗟に防御していた。
空へ跳び上がろうとしたミルベーナの身体が、突如として地へと叩き落とされた。
(攻撃……!?)
ネクロスじゃない。
これは、人の手によるもの――
「誰……だ!?」
ミルベーナは即座に構え、視線を向けた。
そこにいたのは、一人の女性。
独特な織物を纏い、立ち尽くす影。
長い黒髪。
腰には、二振りの”剣”。
(あれは……)
カタナ――そう呼ばれる特殊な剣だった。
「……何者だ!?」
ミルベーナが問う。
だが、相手は何も答えない。
ただ、じっとこちらを見つめている。
(……話す気がない?)
一刻の猶予もない。
この状況で戦う理由などない――だが、応じる気もないのなら、倒すしかない。
「千光剣――“赫閃”!!」
刃が輝く。
薄紅の光が、刃の軌跡となって飛ぶ。
だが――
一閃。
紅の刃は、一撃でかき消された。
いや、違う。
赫閃の”複数の斬撃”を、たったの一撃で切り裂いた。
ミルベーナは息をのんだ。
――ただの人間の技ではない。
ようやく、相手が口を開く。
「手合わせ願います」
静かに、しかし、確かに響く声。
ミルベーナは、状況がまるで理解できなかった。
「……手合わせ、だと?」
静かに響いた声。
だが、その言葉が意味するものは、まるで理解できなかった。
「……この状況がわからないのか?」
ミルベーナは低く呟く。
答えはない。
剣士はただ、カタナの柄に手をかけ、ミルベーナを見据えていた。
戦場の喧騒が遠のく。
ネクロスの呻き声も、血に濡れた大地の臭いも、一瞬だけ意識の外に消える。
ミルベーナは、ゆっくりと構えた。
彼女もまた、これが”ただの戦闘”ではないと悟っていた。
対する剣士も、静かにカタナを抜く。
刹那――
鋼と鋼がぶつかり合う音が響く。
―― フォスター、悪魔との戯れ
「ねぇねぇ、まだ遊び始めたところだよ〜♪」
キィィン!!
金属音とともに、フォスターの剣が弾かれた。
「っのヤロ……!」
振り下ろしたはずの刃が、狙いどおりに当たらない。
いや、避けられたのではない。
フォスターの剣が届く前に、黒い翼が変形し、硬質な盾を作って防いだのだ。
「はぁ? なんなんだコイツは……?」
いきなり現れ、いきなり攻撃してきやがった。
何者なのか、何が目的なのか、そんな説明は一切なし。
ただ、戦場を楽しんでいるかのように、クスクスと笑いながら襲いかかってくる。
「ほーらほーら、避けないと刺さっちゃうよ〜♪」
その言葉と同時に、コウモリのような黒い翼が変形する。
影がうねり、小さな槍のような鋭い突起が生まれたかと思えば――
ズバァン!!
飛翔する刃がフォスターを狙って一直線に飛ぶ。
「ちっ……!!」
紙一重で横に転がり、刃を避ける。
――次の瞬間、地面が爆ぜた。
「……ッ!!?」
着地と同時に、地面が抉れ、土と血の臭いが舞い上がる。
アルチルの翼が鞭のようにしなり、大地そのものを切り裂いたのだ。
どこまでも自由に変形し、攻防一体の武器として振るわれる黒翼。
まるで生き物のように動くそれは、アルチルの思考に完全に同期しているかのようだった。
「ちっちゃえ身体してんのに、重い攻撃してきやがる……!」
奴はひょろりとした少女のように見える。
だが、その見た目に反して、一撃一撃の威力が異常に高い。
並の人間なら、一発でも食らえば吹き飛ばされるだろう。
しかも……こいつ、ただの小娘じゃない。
「なんなんだコイツは? あのツノ……悪魔か?」
フォスターの脳裏に、知っている限りの悪魔が浮かぶ。
――だが、一致する存在がいない。
「いい加減に、しやがれ!!」
フォスターは膝を沈め、一気に跳躍する。
青白く輝く剣に力を込め、
聖なる剣の浄化の一閃――
「それは、当たりませ〜ん♪」
シュウゥゥ……!
アルチルの体が黒い霧のように消えた。
次の瞬間、背後から声がする。
「……あれ〜? こっちだったりし・て?」
――速い。
気づいた時には、アルチルの小さな手がフォスターの背後に迫っていた。
「クソが……!」
体勢を立て直そうとするが、アルチルの手がフォスターの肩に触れると同時に、影が纏わりつくように翼が伸びる。
「んふふ……捕まえた♪」
闇が絡みつく感触。
次の瞬間、フォスターの身体が凄まじい勢いで振り回された。
「ぐぉっ……!」
地面に叩きつけられる。
背骨が軋み、肺から空気が強制的に吐き出される。
「うーん、思ったよりタフだねぇ? でも、そろそろ限界じゃない?」
アルチルが、軽く首を傾げながらクスクスと笑う。
フォスターは剣を支えにしながら、ゆっくりと立ち上がった。
――状況は、かなり悪い。
フォスターは剣を肩に担ぎながら、息を整えた。
どこかに突破口はあるはずだ。
このまま遊ばれてるわけにはいかねぇ……!!
――そう思った時、ふと異変に気づく。
ゾンビどもが、増えている?
いや、違う。
増えているんじゃない。奥にいた連中が、前に押し出されてきている。
まるで誰かが、後ろからゾンビたちを煽るように。
「……ッ!」
あの女がゾンビの群れに、“何か” が投げ込んだ。
それは、何かの肉片のようだった。
嫌な予感がする。
フォスターは目を凝らす。
ぼやけた視界の中で、赤黒いそれが泥にまみれて転がっていく。
――風が吹いた。
砂埃が晴れ、視界がクリアになった瞬間。
フォスターの顔が、凍りついた。
「……は?」
目の前に転がっていたのは――
見覚えのある装備。
カミラさんの腕だった。
「……マジかよ……」
心臓が、嫌な音を立てる。
ゾクッと背筋が凍る感覚が襲う。
どこかで「違う」と否定したかった。
けれど、この特徴的な防具、筋肉のつき方……間違いない。
「っははぁ、やっと気づいた? 鈍いなぁ〜♪」
アルチルが、楽しそうに笑った。
「ねぇねぇ、どうするの?」
彼女は翼をひらりと揺らしながら言った。
「“続き”、まだ見たい?」
フォスターの拳が震えた。
――この女が、カミラを殺ったのか。
血の気が引く。
ゾンビどもが、カミラの腕を踏みながら前進してくる。
フォスターは、奥歯を噛みしめた。
「……殺す」
低く、短く呟いた。
その瞬間、体の奥底から、込み上げるものがある。
怒り、憎しみ、殺意――。
違う。
そんなもんじゃねえ。
オレが持つのは、「決意」だ。
――その瞬間、フォスターの周囲の空気が変わった。
青白い聖なる炎が、彼の身体を包み込む。
アルチルは、そんな彼の変化を見てもなお、ニコニコと笑ったままだった。
――オレは、何を躊躇っていた?
敵は悪魔、カミラを殺った。
理屈はいらねぇ。
ぶっ倒す。そんだけだ。
「ぶっ飛ばすぞ、クソアマ……!!!」
フォスターの咆哮が響く。
アルチルの笑い声が、それを楽しげに迎えた。
「んふふ、いいねぇ! そうでなくちゃ!」
ズッ!!
地面が割れる。
フォスターが踏み込んだ場所から衝撃波が広がり、足元のゾンビを吹き飛ばす。
次の瞬間――
消えた。
否、視界から消えたのは、フォスターの方だった。
―― アルチル
「……ん?」
アルチルは軽く目を細める。
確かにさっきまで目の前にいたはずの男が――
いない?
「ちっ……!」
本能的に横へ跳ぶ。
瞬間、フォスターの剣が地面を抉った。
「おぉ〜、さっきより速くなってる!」
軽く笑いながら後退する。
だけど――
(なんか、まずい気がする)
最初は余裕で捌けていた攻撃。
でも今は……
ギリギリまで迫ってる?
「ま、まぁ、遊び相手が本気出してくれるのは嬉しいけどさぁ……」
翼をしならせて距離を取ろうとする。
その時だった。
「もう逃げんじゃねぇよ、クソアマ!!」
ズッ――!!
アルチルの目が大きく見開かれた。
――速い。
ウソでしょ!?
反応が間に合わない。
思わず腕を交差させる。
衝撃が走る。
「ッ……ぁ!?」
視界がぶれる。
鋭い痛みとともに、左腕が宙を舞った。
―― フォスター
「……ッシャア!!」
オレは確かな感触とともに、一気に間合いを詰めた。
これで終わりだ。
アルチルは防御もままならない状態。
剣を振り上げ――
「……いったいなぁ〜♪」
笑い声が聞こえた。
一瞬、嫌な予感がした。
シュウゥゥ……!
アルチルの黒い影が伸びる。
しまった――
「ちょっとアガッちゃう! でも……まだ、遊び足りないなぁ?」
黒い影が脇腹に食い込む。
「がッ……!」
体が浮く。
瞬間、斜めに吹き飛ばされた。
背中から地面に叩きつけられる。
衝撃で意識が飛びかけたが、すぐに立ち上がる。
脇腹を押さえながら、息を整える。
「はは……クソが……」
視線を戻すと、アルチルが片腕を失ったまま、汗を垂らしニヤリと笑っていた。
「アハハ、おあいこってことで……いいかな?」
ゾクッとするほど、楽しそうな声。
血の匂いが混じる戦場に、二人の荒い息遣いが響いた。
アルチルは片腕を失いながらも、ニヤリと笑っていた。
……が、その笑みが次の瞬間、歪む。
ジジジジ……ッ!
斬り落とされた腕の根元が、青白く発光し始めた。
「ん……? なに、これ――」
アルチルが不思議そうに残った右手を傷口へとやる。
だが、その手が触れるよりも早く――
ボッ!!
焼けつくような光が弾け、
アルチルの左肩に、青白い炎が広がった。
「ぎゃああああああああっ!!??」
まるで塩をまかれたナメクジのように、彼女の身体がのたうつ。
「な、に、コレ!? 熱いッ!! なんで、こんな……!!」
自分の腕を抑えようとするが、炎は広がるばかり。
影のような黒翼がばたつき、地面を叩き、ゾンビたちをも巻き込む。
「あうっ、くっそ!! 消えろぉおおお!!!」
荒れ狂ったアルチルの翼がゾンビを弾き飛ばし、引き裂き、無差別に薙ぎ払う。
「こんなのおかしいでしょぉおおお!!!」
悲鳴が響く。
フォスターは息を切らしながら、その光景を眺めた。
――アイツ、思いっきり狼狽えてやがる……。
天使の聖なる力が悪魔にとって有効なのは知っている。
でも、ここまでの反応を見せるのは……
「まさか、ここまでとはな……?」
聖剣の刃に目を落とす。
普通、悪魔は多少の損傷なら回復する。
だが、アルチルの腕は……燃えたままだった。
青白い炎は消えない。
このままいけば、再生どころか、焼け焦げるだけ――。
「いたいいたいいたいいたいいたぁぁぁぁい!!!」
アルチルが発狂したように叫び、黒い翼を大きく広げる。
血の滴る口を開き、フォスターを睨みつけた。
「次は……絶対、絶対殺すからねぇぇぇええ!!!」
怒りと痛みが混ざった、叫びとも泣き声ともつかない声。
次の瞬間――
シュウゥゥ……!
黒い影が収縮し、彼女の姿が闇へと溶け込むように消えた。
フォスターは肩で息をしながら、その場に立ち尽くした。
「……クソアマが……」
剣を握る手に力を込めながら、静かに呟いた。
アルチルを退けることは出来た。
だが、これで終わりじゃない。
――次に会う時は、アイツを殺りきる。
そう誓いながら、フォスターは血まみれの脇腹を押さえ、戦場の喧騒を見渡した。
戦いは、まだ続いている――。
ダメだ……。
力が入んねぇ……。
まだ……まだやんなきゃいけねぇのに……。
血が止まらねぇ。
腹の傷口から、どくどくと流れ出る温かい液体が、服を染めていくのがわかる。
既に、オレの天使化は解けていた。
「クソッ……!!」
拳を握ろうとするが、指が震えて力が入らない。
目の前のゾンビどもが、ゆっくりと迫ってくる。
足を動かそうとする。
踏ん張ろうとする。
……無理だった。
「っ……ぐ……!」
膝が砕けるように落ち、ズシリと地面に倒れ込む。
呼吸が荒い。
心臓が、嫌なリズムで脈打っている。
寒い。
オレは――死ぬのか?
あぁ、オレ、死ぬのかな?
視界がぼやける。
血の臭いが、鼻を焼く。
オレの意識が沈む中、遠くで何かが聞こえた。
――「よくやった」。
誰だ?
誰の声だ?
朦朧とした意識の中、優しい声がオレを包む。
くそ……。
情けねぇな、オレ。
ここまでか……。
夢か、現か――
オレの意識は、そこで途切れた。
今後は日、火、木曜日の11時更新となります。
「日曜日は二話更新」となります。
こちらも新たな試験投稿になりますので、宜しくお願いします。
(3/23〜)
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