第十夜:廃壊の信徒
エルヴィルダの門をくぐり、ミルベーナはギルドへ向かって歩を進めた。
リージュは彼女の隣を黙って歩いていたが、時折、不安そうに町の風景を見回している。
「……ここがエルヴィルダ?」
「そうよ」
エルヴィルダは、そこまで大きな村ではないが、それなりに活気がある。
人々が行き交い、商人が店先で声を張り上げ、鍛冶屋の槌の音が響く。
リージュは少し驚いたように辺りを見渡した。
「なんか……普通のとこだね」
「何か期待してたの?」
「うーん……分からない。でも、もっと違う感じなのかなって……」
ミルベーナはくすっと笑った。
「まあ、戦場じゃないんだから当然よ」
そう言いながらギルドの扉を押し開ける。
ギルドでの報告
ギルドの中は、それなりに賑わっていた。
受付カウンターに立つ女性を見た。
気の強そうなフェリシアンテの女性。以前来た時にギルド登録をしてくれた人だ。
向こうもこちらに気づき、鋭い目つきが少し和らいだ。
「おや、こりゃまたお疲れのご様子じゃないかい。随分と派手にやったみたいだね?」
「まあね」
ミルベーナは無言で巡回報告書を取り出し、カウンターの上に置いた。
受付の女性はそれを受け取り、手慣れた様子で確認していく。
「ふーん……へえ……なるほど。まさかアンタが天使様だったなんてね。いやあ、光栄だよ」
皮肉めいた笑みを浮かべながら、受付の女性はカウンターの奥からタグを取り出した。
普段のものとは違い、白銀に輝く金属製のタグだった。
「これは天使用の特別タグさ。どうだい、この村専属の天使様にならないかい?」
「悪いけど、遠慮しとくわ」
ミルベーナは即座に断った。
「まあ、そう言うと思ったけどね」
受付の女性は肩をすくめ、タグをミルベーナに手渡す。
「で、次の目的地は?」
「南。ファルムス帝国の方に向かうわ」
そう告げると、受付の女性はふっと顔をしかめた。
「南か……そういや最近、そっちの方で白いコートの怪しい連中をよく見かけるらしいよ」
「白いコート?」
ミルベーナは目を細めた。
「廃壊の信徒なの?」
「そっちの方に詳しくないから分からないね。ただ、やけに数が増えてるって話は聞くよ」
ミルベーナは思案する。
サリエルから廃壊の信徒の話は聞いていた。
ただ、単純な狂信者の集まりというには、彼らはあまりにも統率が取れているとのこと。
「……どうせ通り道だし、様子を見て何かあれば対処するわ」
そう言って、ふとリージュに視線を向ける。
(……彼女はどうする?ここで保護してもらうか?)
記憶を失った少女。
普通なら、ギルドで保護してもらうのが最善策だ。
(だけど、瘴気の中でゾンビ化しなかったこと……ロクスの件もある……)
ミルベーナは短く息を吐く。
「リージュ」
「?」
「あなたはどうする?ここで保護してもらえるわよ」
リージュは少し目を泳がせた。
「……わからない」
当然の答えだった。
記憶をなくしているのに、行くべき場所なんて分かるはずがない。
彼女の様子は、まるで親離れさせられた子猫のようだった。
ミルベーナはため息を混じりに言う。
「ついて来る?」
リージュの目が大きく開いた。
「……命の保証はできないけれど」
一瞬の沈黙の後、リージュの表情がぱっと明るくなった。
「うんっ!」
即答だった。
ミルベーナは小さく苦笑する。
(やっぱり、子猫みたい)
同行させるのは、彼女の正体が気になるのもある。
もしロクスのように悪魔に魅入られたら厄介だ。
ならば、手元に置いておくのが一番だろう――そう判断し、声をかけただけだった。
ミルベーナは受付の女性に目を向ける。
「この町に武器屋はある?」
「ちょうど南側にあるよ」
「了解」
そう言って、ミルベーナとリージュはギルドを後にした。
武器屋にて
村の南側にある武器屋は、こぢんまりとした店だったが、
手入れの行き届いた武器が並んでいた。
ミルベーナは入り口で足を止め、リージュを振り返る。
「選びなさい。自分の身を守れるものを」
「え……?」
リージュは戸惑いながらも、ゆっくりと店内を歩き回る。
剣、槍、短剣、斧……どれも初めて見るような目で、慎重に選んでいた。
やがて、ふと目を止めたものがあった。
「……これは?」
彼女が手に取ったのは二対の短剣だった。
「ミセリコルデ。良いチョイスじゃない?」
ミルベーナは腕を組んで答える。
「刺すことに特化した武器よ」
リージュはじっと短剣を握りしめる。
何かしっくりとする。知っている?彼女も答えはわからない。
「……これにする。なんか、手に馴染む感じがある」
「……もしかしら、体が覚えてるのかもね」
ミルベーナは代金を払い、リージュに短剣を渡した。
「これで、少しは自分の身を守れるわね」
「……うん」
武器を手にしたリージュの表情には、少しだけ自信が宿っていた。
エルヴィルダの町を抜け、ミルベーナとリージュは南へと歩き出した。
道はなだらかで、丘の上にぽつぽつと風車が見える。
町の喧騒から離れると、風の音と鳥のさえずりだけが響く静かな時間だった。
リージュは新しく手に入れた短剣――ミセリコルデを大事そうに握りしめながら、
時折それを見つめては、不思議そうに首をかしげていた。
「気に入った?」
ミルベーナが何気なく問いかけると、リージュは「うん」と頷いた。
「でも……」
「でも?」
「なんでだろう、すごく馴染む感じがするのに……使い方が全然分からない」
リージュは短剣を軽く持ち替えながら、不思議そうに呟く。
「こう……振ってみようとしても、なんか違う気がするし、握り方もこれでいいのかなって……」
彼女は戸惑ったように短剣を回してみせたが、どこかぎこちない。
まるで『使い方を知っているはずなのに、それを思い出せない』ような仕草だった。
ミルベーナは少しだけ考え、静かに言った。
「記憶がないから、体だけが覚えてるのかもね」
「体が?」
「そう。たとえば、文字を忘れても、ペンを持つと手が勝手に動くことがあるでしょう?それと同じよ」
ミルベーナも記憶喪失に詳しい訳ではないが、一般論を話してみた。
リージュは目を瞬かせ、もう一度短剣を握り直してみる。
「……そうなのかな。でも、なんか変な感じ」
「どういう風に?」
「……分かんない」
リージュは困ったように笑う。
「思い出せそうな気がするのに、何も出てこないの」
「無理に思い出そうとしなくてもいいわ。思い出したくないことかもしれないし」
ミルベーナは淡々と言いながら、前を向いた。
リージュの記憶喪失には何か理由がある。
それを探るのも大事かもしれないが、本人が無理に思い出そうとするのはよくない。
「……うん」
リージュはミルベーナの言葉に少し考えたあと、静かに短剣を腰に収めた。
しばらく歩きながら、リージュはふと口を開いた。
「ねえ、ミルベーナはどんな人なの?」
「どういう意味?」
意図がわからなかった。
「私は……自分のこと何も分からないけど、ミルベーナのこともよく知らないなって思って」
ミルベーナは少しだけ考える。
天使と知られてはいるが、全てを話すわけにはいかない。
「……別に、特別な人間じゃないわよ」
「でも、天使なんでしょう?すごいじゃない」
「すごくなんてないわ。私はただ、やるべきことをやってるだけ」
「ふーん……」
リージュはどこか納得いかないような顔をした。
「それに……私は天使って呼ばれるのに、魔剣を持ってるわ」
ミルベーナは背中の大剣を軽く指で叩く。
「へえ、この大きな剣、魔剣なんだ」
「最高位のドラゴンの皮で作られたマントもね」
少し自慢するように持って見せる。
「すごい……」
リージュは感心したようにミルベーナを見上げる。
「じゃあ、ミルベーナって、本当は天使じゃなくて悪魔だったりするの?」
ミルベーナはその言葉に思わず吹き出しそうになった。
何か知りたいのか、単純にリージュの性格がでているのか。
「それなら面白いわね。でも、残念ながら私は天使よ」
「そっかぁ……なんかミルベーナって、天使っていうより……」
リージュはしばらく考えてから、ポツリと言った。
「お姉ちゃんみたい」
「……は?」
ミルベーナは一瞬、足を止めた。
「お姉ちゃん?」
「うん。なんかそんな感じがする」
「……そんな柄じゃないはずよ?」
「そうかな?」
リージュはくすっと笑いながら、ミルベーナの隣に寄り添うように歩いた。
ミルベーナは少し呆れながらも、そのまま歩き続けた。
この感覚はなんだろう、自分より弱く小さなものがついてくる感じ。
ミルベーナとリージュがヴァルストークの近くまで来たとき、町の様子が明らかにおかしいことに気づいた。
風車が回る丘の上にある町。
砦を改造して作られたため、石造りの建物が並び、普通なら活気があるはずだった。
だが、今のヴァルストークは静まり返っていた。
「……なんか、変じゃない?」
リージュがミルベーナの袖を軽く引きながら呟く。
彼女の目には、確かな警戒の色があった。
「そうね」
ミルベーナは立ち止まり、町の入り口を見つめた。
門は開いているが、そこに見張りの姿はない。
普通、町の防衛のために門番が立っているはずなのに、それがいない。
「……嫌な予感がするわね」
ミルベーナは慎重に歩を進める。
――異変の町
町に入ると、さらに異様な光景が広がっていた。
通りにはほとんど人影がない。
露店は開いたままだが、売り子の姿は見えず、まるで時間が止まったように静まり返っている。
「これ……人が隠れてるの?」
リージュが不安げに呟く。
「そうみたいね。でも、それだけじゃない……何かに怯えている気配がする」
ミルベーナは町の中を進みながら、周囲の気配を探った。
確かに、建物の中には気配がある。
人々はそこにいるのに、誰も出てこようとしない。
まるで、「何か」が彼らを脅かしているように。
「……これは罠かもしれない」
そう思った瞬間だった。
「ようこそ」
声が響いた。
気がつけば、周囲には白いコートを纏った者たちが立っていた。
路地の影、建物の屋根の上、さらには家の扉の奥からも。
「廃壊の信徒……」
ミルベーナは目を細めた。
気を抜きすぎていた、一人ならともかく今はリージュも共に行動していることを。
「まさか、町ごと乗っ取られているとはね」
「フフ、“乗っ取る”なんて言い方は心外だな」
白コートの一人が前へと進み出る。
「これは”聖なる儀式”のための準備さ。君たちには、少しだけ”協力”してもらう」
その瞬間、リージュの体が引き寄せられた。
「……っ!?」
ミルベーナが振り向くと、白コートの数人がリージュを押さえ込んでいた。
「離しなさい!」
「すぐに終わるさ。彼女には、我らの”儀式”に加わってもらう」
「ふざけるな……!」
ミルベーナはすぐに剣を抜こうとする――が、そのとき。
「ひぃぃ!た、頼む……!殺さないでくれ……!」
白コートの中に混ざる、怯えた住民の姿が目に入った。
彼らは白いコートを着せられ、まるで信徒のように見えるが、表情には明らかに恐怖が滲んでいる。
「……ちっ、そういうこと」
ミルベーナは瞬時に状況を理解した。
この町の住民たちは、白コートに従わされている。
「くそ……っ」
ミルベーナは剣を握りしめるが、住民を傷つけるわけにはいかない。
「……あなたたち、どこまで愚かな行動をすれば気が済むの?」
そう呟くと、ミルベーナは剣の刃を横に返した。
みね打ち。
殺さない攻撃。だが、それでこの状況を打開できるのか――。
「フフ……君が天使ならば、なおさら我らの”主”に捧げる価値がある」
白コートの男が微笑む。
「では、またお会いしよう」
次の瞬間。
リージュの姿が、闇の中へと消えた。
「……っ!?」
ミルベーナは即座に駆け出すが、白コートの妨害に阻まれる。
「リージュ!」
彼女の叫びは、誰にも届かなかった。
「……チッ」
ミルベーナは剣を横薙ぎに振るい、襲いかかる白コートの信徒を弾き飛ばした。
しかし、彼らは”敵”ではなく、この町の住民も混じっている――それも、
白コートの狂信者たちに無理矢理従わされている者たちとの見分けがつかない。
「お願い……!殺さないで……!」
地面に倒れ込んだ女性が、怯えた目で彼女を見上げる。
(くそ……リージュを追わなきゃいけないのに、こいつらまで相手にしてる余裕はない)
ミルベーナは剣を握りしめたまま、冷静に思考を巡らせた。
このまま戦い続ければ、リージュの救出が遅れる
だが、目の前の人間を殺せば、私はアイツらと同じになる……
「……クソ供ね」
自分の腕に絡みつく信徒の腕を蹴り払い、ミルベーナは戦況を見渡す。
このままでは埒が明かない――ならば、一度体勢を立て直すしかない。
(白コートの連中は、この町で何か企んでる……
リージュもその一環でさらわれた可能性が高い)
一度引いて、作戦を練る。
そのためには、目の前の敵を”倒す”のではなく、“抑え込む”必要があった。
「多少の怪我は我慢しなさい!」
ミルベーナは静かに息を吸うと、魔力が集まる!
「炎よ、イグニス・エルプティオ・エクスパンデ!」
大地に手をつき魔力が溢れ出す
「爆ぜろ、ブレイズ・インパクト!!」
次の瞬間、彼女の周囲から爆炎が吹き上がった。
「なっ――!?」
「うわああっ!?」
信徒たちが爆炎に巻き込まれ、吹き飛ぶ者もいる。
燃え盛る炎が視界を遮り、熱気が辺りを包む。
(目眩しには十分ね)
「Veltr fljúga (ヴェルトル・フリューガ)!」
ミルベーナは、すかさず飛翔の魔術を展開し、上空へと舞い上がる。
「待て……!」
白コートの信徒たちが慌てて手を伸ばすが、彼女の動きを止めることはできない。
炎の中から飛び出したミルベーナは、ヴァルストークの全景を一望する高さまで上昇した。
下では信徒たちが混乱しながらも、次の動きを模索している。
「……やっぱり、この町全体が支配されてるわね」
町の広場の方に、異様な光が灯っているのが見えた。
(奴らが言っていた言葉……儀式ってやつかしら)
ミルベーナは視線を鋭くし、白コートの連中がリージュを連れていった方向を目で追った。
「……おとなしくしてなさいよ、すぐに迎えに行くから」
そこには既に助ける、という感情を抱いた彼女がいた。
彼女は剣を握りしめ、冷たい風の中に身を投じた。
ヴァルストークの町を見下ろしながら、ミルベーナはひとまず距離を取ることを選んだ。
眼下には混乱する白コートの連中と、怯えた住民たちの姿。
彼女は静かに息を整え、次の手を考える。
(……リージュは確実に捕らえられた)
町のどこかに連れていかれたのは間違いない。
しかし、今は情報が圧倒的に足りない。
焦って突っ込めば、無駄に体力を消耗し、最悪の場合、二度と助けられない。
(まずは状況を整理する必要がある)
そう思い、上空を旋回しながら町の周囲を見渡す。
その時だった。
「キラッ、キラッ」
視界の端で、小さく光が瞬いた。
(……これは……信号?)
町から少し離れた森の中。
規則的に反射する光が、まるで誰かがこちらに合図を送っているかのように揺れている。
(罠かもしれない……でも、何かの手がかりかもしれない)
慎重に町の様子を確認し、白コートの連中がこちらを追ってこないことを確かめると、ミルベーナはその光の方向へと向かった。
森の中にて
森の中に降り立つと、辺りは静寂に包まれていた。
風が木々を揺らし、かすかに草が擦れる音が響く。
ミルベーナは視線を巡らせながら、ゆっくりと歩を進めた。
すると――
「ガサッ」
音がした。
瞬間、彼女は迷いなく剣を抜き、音のした方向へと刃を向けた。
寸止め――刃の先、そこにいたのは
「……あ……」
驚いたように固まる少年。
ミルベーナはその顔を見て、ふと気づいた。
先ほど、ヴァルストークへ向かう途中にすれ違った男――彼だった。
フォスターとの再会。
ここで、彼らの道が交錯する。
ヴァルストークでの戦いの末、リージュを奪われたミルベーナ。
彼女は一時撤退を決断し、新たな手がかりを求めて森へと向かう。
そして、そこで待ち受けていたのは――ヴァルストークへ向かったはずのフォスター。
二人はすれ違い、そして今、思いがけず交差する。
果たして、彼らはこの偶然の出会いの中で何を見つけるのか?
リージュ救出、そしてヴァルストークの秘密が、少しずつ明らかになっていく――。
続けて残り一話投稿します。(約一時間後)
また、2/23(日)より試験的に毎日投稿いたします。
その後はどうするか、またご連絡いたします。




