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泡沫相思

作者: 猫宮三毛



「東堂さん」



 長身の男の背後から自信なさげに声をかけたのは笹岡 愛莉(ささおか あいり)、黒髪のぱっつんのショートボブに黒縁眼鏡の今時には珍しい地味目の女の子。


 真ん中分けのウェーブのかかった長めの髪をふわりとなびかせて振り返ったのは東堂 颯(とうどう はやと)、細いフレームの丸眼鏡が似合う知的で物静かな男性だ。



「笹岡さん」



 東堂は笹岡の姿を認めると、優しく彼女に微笑みかける。



「えっと……ごめんなさい、何かある訳じゃなくてですね……」


「お茶」


「えっ?」


「お茶を買いに行こうと思ってね、笹岡さんも一緒に行きますか? 〝いつものところ〟です」



 東堂の言う〝いつものところ〟とは二人が初めて出会った場所、社内でも人気の少ない小さなカフェスペースだ。


 勢いで声をかけてしまい、気まずそうにしていた笹岡の顔に笑みが広がる。



「行きます! 私もちょうど飲み物を買いに行こうと思っていたんです!」


「それは良かった」



 そんな笹岡の姿を見て、口許に拳を当てて東堂が小さく笑いながら答える。


 そんな東堂を知ってか知らずか、笹岡は小走りで東堂の横に並ぶと、カフェスペースに向かって二人は歩き出した。



* * *



 笹岡は自動販売機の脇に置かれたハイテーブルにコーンスープの入った紙コップ置き、東堂の横顔を眺めていた。


 不意に東堂が笹岡の方を向いて話しかけてきた。



「笹岡さんはコーンスープでしたっけ?」


「あ、はい。そうです」


「僕も笹岡さんのと同じのにしようかな」



 東堂はそう呟くと自動販売機のボタンを押す、低い唸りをあげて自動販売機が動き出す。



「もう仕事にはだいぶ慣れた?」



 東堂が自動販売機の方を向いたままで、笹岡に話しかける。



「はい、東堂さんのおかげでなんとか」


「大げさだよ。僕はただ声をかけただけじゃないか」



 東堂が自動販売機からカップを取り出しながら答え、取り出したカップを笹岡と同じテーブルに置く。



「でも……でも、それからだって色々と気にかけてくれて、部署だって違うのに色々と教えてくれたり」


「そうだとしても頑張ったのは君だよ、笹岡さん。僕は頑張っている笹岡さん見ていたからね」



* * *



 半年前ーー



 派遣されて三ヶ月、笹岡は廊下の突き当たりにあるカフェスペースのハイテーブルに置いたカップのコーヒーに視線落としていた。


 日々の仕事はなんとかこなしているが、人間関係はあまり良くない。


 どこに行っても派遣はあまり良い扱いをされないうえ、この職場は誰も目が回るほど忙しく、いついなくなるか分からない派遣の笹岡への当たりは強く、満足に仕事も教えて貰えていなかった。


 笹岡は嫌な顔をされながらも何とかやり方を覚えて懸命に日々を過ごしていたが、いつも一人で奮闘していた。


 誰と言葉を交わすこともなく一日を終える、ただ会社と家を往復する日々だった。



「もう……無理なのかな……」



 派遣先を変えて貰おう、誰にも相談できず笹岡がそう考えているときだった。



「珍しいな。他にもここを使う人が居るなんて」



 笹岡は声のする方向に目を向けた。


 そこに優しい笑みを称えた綺麗な男性が立っていた。



「あ……ごめんなさい。 私、知らなくって」



 笹岡がテーブルを空けようとすると男性が手で制した。



「ごめんね、そういう意味じゃないよ。君は新人さんかな?」


「笹岡……と言います。三ヶ月前に派遣でこちらに来ました」


「僕は東堂と言うんだ、よろしくね笹岡さん」



 自動販売機のボタンを押しながら、男性は笹岡の方に顔を向けて続ける。



「だいぶ疲れた顔をしているね。辞めてしまうのかい?」


「あ、いえ! そういう……わけじゃ……」



 男性の唐突な質問に『そういうわけじゃない』と笹岡は言い返せなかった。


 孤独に押し潰されそうになっている心が拒否をした。


 東堂はテーブルを挟んだ笹岡の向かい側に立つと、お汁粉の缶をテーブルに置いて窓の外へ目を向ける。



「僕はこの場所が好きでね。静かだし、ここからの景色が好きなんだ」


「お汁粉も……好きなんですか?」



 窓の外を向いていた東堂が驚いたような顔をして、笹岡の顔と缶を交互に見る。



「押し間違えたかな。コーヒーのつもりだったんだけど……」



 東堂は少し困った顔をして首を傾げながら笹岡に微笑みかけた。



「ふふふ、東堂さんって面白い方ですね」



 そう言って笑う笹岡の頬を一筋の涙が伝い落ちた。



「あれ……なんで、私……ごめんなさい、私……」



 笹岡は自分でもわけが分からなかった。


 急に涙が止まらなくなった。


 今日初めて会った人の前なのに止めどなく涙が溢れた。



「大丈夫。気にせず泣けばいいよ」



 東堂はそう言うと間違えて買ったお汁粉の缶を開け、窓の外へ顔を向けると缶を口元へ運んだ。



「意外と美味しいな……」



 東堂が外を眺めながら真剣な顔でボソリと呟いた。

 

 顔を押さえて泣いていた笹岡の耳に東堂の言葉がやけにはっきりと聞こえてきて、笹岡は途端に可笑しくなってしまった。

 


「ふふふ……やだ、なんで……あはは、涙止まらないのに」



 東堂は少し驚い顔で笹岡を見ると自分もクスクスと笑い出した。



* * *



 笹岡の涙は止まっていたが、目は赤く腫れていて泣いたのは明らかだった。



「落ち着いた?」



 東堂が笹岡の顔をのぞき込みながら問いかける。



「はい……でもあまり見ないで下さい、恥ずかしいです」


「泣いたり笑ったり、忙しかったからね」



 東堂がくすりと笑う。


 その姿を見て、笹岡は頬を赤く染めてうつむいた。



「東堂さんが急におかしなことを言うから」


「ごめんね。思ったことがつい口に出てしまう性分なんだ」


「それはそうと笹岡さん。僕は大抵ここに居るから、何かあったときは君もここに来ると良い。気分転換は大切だよ、どんなに忙しくてもね」


「そう……ですよね。必死過ぎて自分が疲れていることも忘れていたのかもしれません……」



 そう言うと笹岡はカップに残っていたコーヒーを飲み干した。



「なんだか少し元気がでました! だいぶ休憩してしまいましたし、もう行きますね。東堂さん、ありがとうございました!」



 東堂は返事をする変わりに笑顔で頷く。


 その姿を確認すると、笹岡は空のカップをゴミ箱に捨てて職場へと戻って行った。


 東堂は元気になった笹岡の背中を見送ると再び視線を窓の外に戻し、お汁粉を一口含んだ。




「甘いな……」



* * *



「あれから、もう半年も経つんですね」


「そうだね。笹岡さん、今はずいぶんと回りから頼りにされているみたいだね」


「そんな……東堂さんが部署も違うのに色々と教えてくれたから」



 あの出会いから東堂は何かと笹岡を気にかけて助けてくれていた。


 笹岡が何か困ると東堂は決まってこの場所にいた。



「最近はめっきりここに来ることも減ったね。とても忙しそうだ」


「そうですね。本当は東堂さんともっとお話したいこともあるんですけど……」



 笹岡は少し俯き加減で、照れくさそうな顔をして東堂に言う。



「相談があるならいつでもおいで、時間はつくるから」


「あ、えっと……相談とかじゃなくて。何て言うか……」



 笹岡の困った様子を見て、東堂は拳を口元に当てるいつもの姿で小さく笑った。



「笹岡さんのためなら、〝どんな相談〟でも時間をつくるよ」



 東堂はそう言い直すと、少し首をかしげて優しい笑みを笹岡に向ける。


 笹岡の困った顔が太陽のように明るくなった。



「はい! ぜひお願いします!」


「さてと……笹岡さん、時間は大丈夫?」



 笹岡は腕時計に目をやると、『あっ!』としたような顔をして顔を上げた。





「もうこんな時間……打ち合わせに行かないと。東堂さんとお話していると時間が経つのが早いですね」


「そうだね、僕もそう思うよ。早く行った方がいい、気をつけてね」



 笹岡はペコリと東堂に頭を下げると、その場から足早に去って行った。



* * *



 それから一ヶ月ほど、笹岡は目の回るような忙しさに忙殺されていた。


 東堂のことは気になっていたが、〝あの場所〟に行く暇すらなかった。


 東堂も忙しいのか近くを通ったときに気にはしていたが、その姿を見ることはなかった。



「はぁ……疲れた」



 笹岡はオフィスにある自席で大きく伸びをすると、壁の時計に目をやる。


 時計の短針は午後九時を過ぎていた。



「十時までには終わるかな……」


「笹岡さん?」



 誰もいないはずのオフィスで背後から声をかけられた笹岡は驚いてひっくり返りそうになりながら振り返った。



「とっ……東堂さん!」



 そこには少しだけ険しい顔をした東堂が立っていた。



「こんな遅くまで頑張っているんだね」


「え……ああ、はい。明日の朝一で使う資料ができていなくて……」



 いつものにこやかな東堂ではないことに少し困惑しながら答える。



「今日はもう帰った方がいい。資料は大丈夫だから」


「でも……」


「笹岡さん、今日は帰った方がいい」



 なにも知らないはずの東堂がなぜ大丈夫だと言えるのか分からなかった。

 

 でも、それ以上にいつもとは様子の違う東堂に笹岡は尋常ではないものを感じた。



「あの……分かりました……」



 そんな真剣な顔の東堂に笹岡は『まだ残る』とは言えなかった。



「そう、それは良かった。外は寒いから、これ」



 そこにはいつものように優しく微笑む東堂がいた。


 そして、クスクスと笑いながら手渡されたのは、お汁粉の缶ジュースだった。



「これ……また間違えたんですか?」


「失敬だな、間違えて買った物を人にあげたりしないよ。これは疲れている笹岡さんの〝ため〟にわざわざ買ったんだよ」



 いくぶん『ため』を強調する東堂に自然と笑いが込み上げる。



「大丈夫ですよ。東堂さんはそんなことしませんもんね、分かっています」


「もうだいぶ遅いから気を付けて帰るんだよ」



 笹岡は机の上の物をバッグに急いで放り込むと東堂の方へ向き直る。



「私の心配ばかりしますけど、東堂さんも無理しないで帰らないとダメですよ!」



 大人しく帰ると思っていたのか、まさかの反撃に東堂は目を丸くして驚いた表情を見せた。


 そんな東堂の顔に満足そうな笑みを浮かべると、笹岡は東堂に向かってペコリとお辞儀をした。



「東堂さん、お疲れさまでした!」


「笹岡さんもお疲れさま。気を付けて」



 オフィスから小走りに去っていく笹岡の背中に東堂は手を振った。



* * *



「いけないっ! 今、何時!?」



 笹岡はベッドから飛び起きると、かたわらに置いていた携帯を手にとって時間を見る。


 時刻は午前六時半。


 七時過ぎには家を出なければいけない笹岡にとっては大寝坊だった。



「遅刻しちゃう、早く出なきゃ……あれ?」



 笹岡は携帯の通知ランプが点滅していることに気がついた。



「なんだろう……」



 電話の着信だった。


 履歴を確認すると、上司から怒涛の連絡が入っていた。


 最初の着信は午前三時。



「何でこんな時間に? やっちゃった……マナーモードにしたままだったみたい」



 昨晩、疲れていた笹岡はシャワーを浴びると夕食も摂らずにそのまま眠りについたのだ。


 慌てて上司へ電話をかけ直す。


 数回のコールの後、慌てた様子で上司が電話口に出た。



「笹岡か?」


「ええ……はい。私、何かしてしまいましたか?」


「いや、君が無事で良かった」


「なんのことでしょうか?」



 『ふぅ』っと上司が電話口で安堵の息を吐く音が聞こえた。



「昨晩、会社近くの駅でトラブルがあってな。終電に乗った人たちに死傷者が出る事件があったんだ」


「そんなことが……私は一本前の電車だったので」


「そうか、本当に良かった。私が無理な仕事を頼んでしまったから、もしかしたらと思ってね」



 笹岡は思わず『あっ』と声をあげた。


 資料ができてないうえに、寝坊までしてしまっていたのだ。




「なんだ! どうした?」


「あの……その資料ですが。えっと、まだ完成していなくて……」


「そんなことか。 実はうちの社員も一人事件に巻き込まれてね、会議どころではないんだ」


「そう……ですか」


「それでな。駅もまだ混乱しているようだし、今日は休んでもらって構わない」


「分かりました……」

 


 笹岡は急な知らせに唖然とし、ベッドの上で携帯を持ったままでしばらくボッーっとしていた。


 そのとき、ふと上司が電話口で言った言葉が脳裏をよぎった。



『うちの社員も一人巻き込まれてーー』


「あんな時間まで他にも残ってる人がいたんだ……」



 あの時間まで残っていた人間は数えるほどのはずだ。


 他のフロアのことはわからないが、自分のいたフロアはおそらく東堂と自分だけだった。



「東堂さん!? 嘘……どうしよう……」



 東堂が電車を利用していたのか笹岡は知らない。

 

 しかし、あの時間に残っていて電車を使っていたなら巻き込まれた可能性は高い。


 勢いよくベッドから勢いよく降りると急いで身支度をして家を飛び出した。



* * *



 電車が会社の最寄駅に到着する。


 駅は一部規制され、数名の警察官などが出入りしておりいつも以上に混雑していた。



「良かった……思ったより早く会社に着けそう」



 幸い笹岡はスムーズに駅から出ることができた。

 

 駅を出れば会社は目と鼻の先、普通に歩いても十分もかからない。


 笹岡は駅を出ると急いだ。

 

 久々に走ったからなのか、東堂の身を案じてなのか分からないが会社に近づくにつれて張り裂けそうなほど激しく心臓が鼓動していた。



「神様、お願いします。東堂さん……」



 会社の門にたどり着くと東堂と良く休憩していたスペースの大きな窓が見えた。


 東堂の姿は無い。


 笹岡は守衛に社員証を見せると足早に門を通り抜け、自分の勤めるフロアへ急いだ。



 エレベーターを待つ時間すらもどかしかった。


 笹岡は階段を駆け上がり自分のフロアに到着すると立ち止まって息を整えた。



「はぁはぁ……はぁ……」



 辺りを見回す。


 社内に混乱した様子はなく、東堂の姿も見当たらなかった。



「なにもなかったんだよね……酷いことが起きてたら、こんなに普通じゃ無いもんね」



 自分を落ち着かせるように呟く。



「笹岡?」



 突然声をかけられて笹岡は顔を上げる。



保田(やすだ)課長……」



「おいおい、ずいぶんガッカリした顔をしてくれるな。誰だと思ったんだ?」


「あ……いえ、そいうわけでは……」


「ははは、まあ良い。それより、今日は休んで良いと言ったはずだけどな? どうかしたか?」



 笹岡は『東堂』と言いかけたが何とか言葉を飲み込んだ。


 いきなり『東堂さんは無事なんですか?』とは聞けない。


 そもそも良く考えてみれば、東堂がどの部署にいるのか、年齢や役職も知らないことだらけだった。



「お礼を……どうしてもお礼を言いたくて」


「お礼? 誰に、何の?」


「昨晩、本当は終電まで仕事をしようと思っていて……でも、その人に早く帰った方が良いって言われて終電の乗らなくて済んだんです」



 保田は『うーん』と少し考えるような素振りで虚空を見上げてから、笹岡の方へ向き直る。



「そうか。うちの課の人間かな?」 


「えっと……どちらの部署の方かは存じ上げないのですが、東堂さんという方なんですけど」



 保田はそれを聞くと首を捻りながら再び唸った。



「東堂か……聞かない名前だな。君に声をかけたならこのフロアの人間のはずだけれど。東堂なんて名前は聞いたことがないよ」



 そのとき二人の横に若いが堂々とした佇まいの男性が立ち止まった。



「保田君。東堂と聞こえたが」


「これは山縣(やまがた)部長、お疲れさまです」




 保田は背筋を正すと、山縣と呼ばれた男に丁寧にお辞儀をした。


 笹岡も慌ててお辞儀をした。




 「昨晩のことなのですが、彼女が東堂という方に帰宅を促されて事件に巻き込まれずに済んだようです。そのときに声をかけたのが東堂という方らしく、部長はご存じですか?」



 山縣は三十代で部長に抜擢された切れ者で、入社当時からこの支社に在籍していた。


 人を寄せ付けない雰囲気を纏ってはいるが、話せば人当たりも良く周囲からの信頼は厚かった。



「君は?」



 山縣は笹岡に鋭い視線を向けると尋ねた。



「あ……笹岡、といいます」



 山縣の雰囲気に少し気圧され、どぎまぎした様子で再びペコリと頭を下げる。


 そんな姿を見た山縣が少し申し訳なさそうな顔をして言う。



「すまないね……元からこうなんだよ私は。悪気はないんだ」



 少し困ったような申し訳なさそうな表情が東堂に似ているなと笹岡は思った。



「あの、東堂さんをご存じなんですか?」



 山縣は少しだけ悲しい瞳を笹岡に向けると、保田の方に顔を向けた。



「保田くん、少しだけ彼女を借りても良いかな?」


「ええ構いません。私は打ち合わせがありますので失礼いたしますが。笹岡、失礼のないようにな」


「はい。保田課長」



 保田は山縣に向かって再び丁寧にお辞儀をすると去って行った。



「笹岡くんと言ったかな? もう少し静かな場所で話しをしようか」



 山縣はそう言うと、笹岡の返事を待たずに歩きだした。


 笹岡は早足で山縣の後を追った。



* * *



「東堂と良く会っていたのはここだろう?」



 山縣の行き先は〝あの〟カフェスペースだった。



「ご存知だったんですか?」


「もちろん知っているよ、彼は私よりひとつ後輩だが同期みたいなものだったからね」



 山縣は自動販売機で購入した缶コーヒーを笹岡と自分の前に置いた。



「勝手にコーヒーにしてしまったが良かったかな?」


「はい、大丈夫です。ありがとうございます」



 山縣は缶コーヒーを開けると窓の外へ目を向けたまま話しだした。



「ここは良い場所だ。誰かと話しをしたいとき、静かに考え事をしたいときはいつもここに来ていた」


「いつも、ですか?」


「ああ。昔の話しだよ」



 山縣は手に持った缶コーヒーをテーブルに置くと笹岡の方に目を向けた。



「東堂のことだったね」


「はい」



* * *



「そんな話し信じられないです!」



 笹岡は悲しみとも怒りとも言えない複雑な表情で声を荒げた。



「私だってそう思いたかったよ。彼は私にとっても特別な友人だった」


「だって……私。私は半年以上もずっと、ずっと助けて貰ったんです。東堂さんに」



 山縣は静かに頷いた。



「笹岡くん。君を疑ってはいないよ、ただ私の話しも嘘ではないんだ」



* * *



 山縣の話しは笹岡には到底受け入れ難いものだった。


 東堂は確かにこの会社に在席していた、十年前までは。


 十年前、東堂と山縣はそれぞれ別の課をまとめる課長だった。


 二人とも二十台だったがやり手で上からの期待は大きく、東堂には部長昇進の話しすら出ているほどであった。


 山縣も東堂の能力を認めていた。


 そんなある日、雪のちらつく夜だった。


 山縣が終電間際まで仕事をして帰ろうとしたときに、あのカフェスペースにいた東堂に気が付き声をかけた。



 「おい東堂。もう終電の時間だぞ、会社に泊まって行くのか?」


 「ははは。やめてくれよ、僕はタクシーで帰ることにするよ」



 微笑みながら顔の前で『ナイナイ』といった感じで手を振りながら東堂が答えた。



「お前、普段は残業なんてしないだろ。一緒に終電で帰ろうぜ」


「ありがたいお誘いだけど、今日は無理かな。代わりにお汁粉を奢ってくれよ」


「なんでそうなるんだよ……」



 結局、山縣はお汁粉を奢らされた。


 山縣と東堂が話しをしたのはそれが最後だった。


 山縣がエレベーターに乗ろうとしたとき、薄暗い廊下の先で穏やかに雪のちらつく窓の外を眺める東堂の姿が印象的だった。


 山縣は深夜にけたたましい電話の音で目を覚ました。

 

 時計の針は午前三時を示していた。



「こんな時間に一体なんだ。相変わらず非常識な会社だな」



 山縣はぼやきながら電話を取った。


 上司からの電話だった。



「山縣です。どうされましたか、こんな時間に」


「お前、昨晩の帰りは東堂に会ったか?」



 上司が慌てた様子でまくしたててきた。



「会いましが。東堂がどうかしたんですか?」



 思わず強い口調で言い返したからか、上司のトーンは下がりゆっくりと話しだした。



「すまんな急に。お前は東堂と仲が良かったからな、落ち着いて聞いてくれ。」


「……」



 山縣はゴクリと唾を飲み込んだ。


 上司の様子から感じがして全身からどっと汗が噴き出すのが分かった。



「山縣。実はな……少し前に会社で倒れている東堂が見つかった。見回りの守衛が見つけたらしい」


「そんな……それで! あいつは無事なんですか?」


「いや。病院に運ばれたが……ダメだったみたいだ」



 山縣は何も言わずに電話を切った、手から携帯が床に滑り落ちた。


 唖然としながら窓の外に目をやると、未だに雪がちらついていた。


 帰りに見た東堂の穏やかで優しい顔が目に浮かび、山縣は一人声をあげて泣いた。



* * *



「私は彼の葬儀にも出た。嘘ではないんだ」


「なんで、なんで亡くなったんですか? 東堂さんは……」


「事件性は無かったらしい。急性の心臓発作だと聞いた」



 二人の間に沈黙が流れた。



「あのとき、私が無理にでも一緒に帰っていれば助けられていたのかもしれない。今でもずっと後悔している」


「そんなこと……」



 山縣の沈痛な面持ちに笹岡は言葉に詰まった。

 

 再び山縣が口を開いた。



「あいつは本当にお節介なやつだよ。亡くなってからも若手の世話を焼いているんだからな。君のこともどうしても放っておけなかったんだろう」


「私、本当に悩んでいて。もうダメかなって思ったときに東堂さんが声をかけてくれたんです



 山縣が唐突に自動販売機でもう一本缶ジュースを購入する。



「すまないね、私もこれから打合せだ」


「ありがとうございました……課長に失礼の無いようにって言われたのに」


「いいさ。お互い東堂に助けられた仲だ」



 山縣はそう言うとクスクスと笑ながら購入した缶ジュースを笹岡に手渡した。



「私たちから東堂への感謝の気持ちだ。君から彼に渡しておいてくれ」



「お汁粉……」


「それではな。何かあれば今度は私を頼ってくれ、あいつに頼まれた気がするからな」



 そう言って山縣は去って行った。



* * *



「東堂さん。騙していたなんて酷いです」



 テーブルを挟んで東堂が居た場所を見つめながら笹岡が呟く。



「助けられっぱなしで、ちゃんとしたお礼もさせてくれないなんてズルいですよ」



 笹岡は少し乱暴に自分の向かいに山縣から預かったお汁粉を置いた。



「山縣さんと私からのお礼だからって。私は一円も払っていませんけど……」


「東堂さん。私、本当に助けられていたんです貴方に。会えなくて話しができなくても、あなたの存在が私を支えてくれていたんです」


「私は東堂さんのこと大好きだったみたいです……ずっと自分でも気が付いていなかった」



 俯いた笹岡の頬をポロポロと涙が伝った。


 テーブルの上で組んでいた拳を温かいものに包まれた気がして、笹岡は顔を上げた。



 そこには誰もいなかった。


 それでも笹岡には優しく微笑む東堂が手を重ねてくれている気がした。



「東堂さん、ありがとうございました。私はずっと忘れませんから、貴方がいてくれたことを……」

私の稚拙な分を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


なにか人に読んでもらえるものを書いてみたくて、右も左もわからないまま短編を書いてみました。


昔から色々と物語を頭の中で考えるのは好きなのですが、実際に文章にするということはとても難しく、何度も人様の目に晒すのはやめた方が……と悩みましたが、とにかく最初の一歩をと思って出すことを決めました。


これからも時間をかけて少しずつ勉強をしながら小説を書いていきたいと思います。

よろしくお願いいたします。

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