7話 叶えない夢
その日の夜も同じくいつものように名前も知らない男との剣術の鍛錬に勤しんだ。彼らは自分たち同士でも殆ど名前で呼ばない、おい、とか、お前、とかで、別の人を言う時もあいつとか、奴とか言ってるし。それでも幾人かの名前は聞いてるけど、いつも私に剣を教えてくれる人の彼の名前は知らないまま。
彼らの事情には踏み込まない、彼らに質問はしない。聞き出すという事は、聞いて何かをする、せめて判断をすることでもあるから。彼らのためにできることなんて何一つない無力なただの小娘で、判断をするにも私は世間を知らなさすぎる。本の挿絵でしか見たことのない大きな町の景色やお城、様々な魔物の姿や偉人の人物画。そう言うのを知っているだけで知ったかぶりをするわけにもいかない。
最近の剣の訓練は激しさを増しており、体を腰を軸に半回転しながら、しっかりと踏ん張り相手の隙をつく動作を繰り返して学んでいる。剣術の面白いところは、互いの姿勢からどのような攻撃が来るのかを予想したところで、相手はその予想を丸っと無視することにあると思う。例えば私が一番好む姿勢、彼が言っていた基本ではない、剣の柄を顎のところに水平に構えて、両方の肘を下げ力を抜いた姿勢を取っていると、相手は素早い突きだけでではなく、腰を半回転しながらの強力な斬撃を警戒しないといけないのに、彼は私の剣が最速に達する前に片手で私の剣を、木剣ではあるけど軽々く握っては足払いをしてから腰のところを掴んで床に叩きつけた。当然それなりに痛みはある。けど、もう慣れた。痛みに慣れるためには体に魔力を巡らせた方がいいって言われて、そうしている間に今では衝撃をそれほど感じなくなっている。
「剣術を読み合いだと言っている奴もいるが、教本のように動いてくれるとは限らないわけだ。そりゃ人間だからな。飛び道具を持ち込む奴もいれば、魔法で目つぶしをする奴もいる。もちろん、こうやって体術をしかけてくる奴もいる。しかしだ、体術をしかけてくる奴には共通点がある。それが何かわかるか?」
私が首を振ると彼は続けて語った。
「体術はな、体の中心を後ろに倒している時に使うものじゃない。相手の体重をこっちで利用するためには、少しでも前のめりになって崩しに行くしかないのだよ。だから相手が前のめりになったら、体術を警戒することだ。」
やはり彼の言葉はためになる。しっかりとかみ砕いてどういう理でやり取りが行われるのかをちゃんと教えてくれる。まるで神父さんから聞いた授業みたいだ。真冬なため、汗をたっぷり流した体から白い湯気が昇っていた。息を整って、また木剣を握って相対する。向かい合って、また同じ顎のところに剣の柄を水平に構える姿勢を取る。しかし今度は少し低くして、踏み込むのではなく機会を待つ。
「確かに姿勢を低くすると体術を仕掛けるのが難しい。名案ではある。だがな。」
彼はまた前のめりの状態。何が来るんだろうかと、身構えると、両腕を伸ばす素早い突きが来て、それを肘を動かし弧を描いて弾く。すると弾いた瞬間前蹴りが飛んできて、私の太ももに当たった。衝撃を耐えきれず床に転がる。
「相手が手だけ使うという保証はない。」
その日はずっと体術に対しての戦法、そして私から体術を仕掛ける方法を教えてもらった。相手を投げるためのコツを教えてもらう時にずっと近かったので、少しドギマギしたけど、男は気にする素振りもなかった。いくら若い娘であろうと、こんな顔立ちで彼の興味を引くわけないか。自覚している。こんな状況で、親身になって教えてくれている相手。私の顔なんて気にもせず、私に生きる渇望を与えてくれている。そんな相手に惚れないわけがない。年齢差があっても、逃亡奴隷でも、私の村をめちゃくちゃにして、私をさらった一員の仲間であっても、今までこうやって私一人に対して親身になってくれた人なんていなかったから。
果たしてこういう思いを抱いたところで叶えられるだろうか。この世界は私に酷い現実しか与えてくれなかった、なんて言えない。悪いこともあればいいこともある。生きるってそう言うもので、悪いことにだけ目を向けてしまえばいいことは見えなくなってしまう。だからといいことにだけ目を向けるには、私は自分が惨めでちっぽけな人間であることを良く知っていた。
だからこの思いは、名前も知らない彼への思いを胸に秘めておかないといけない。少し切なくて、心地よくて、自分という人間が持つ条件と、現状に目を向けざるを得なくて。それが嫌なのにそうしないといけなくて。そこから離れることができずにそのまま眠りにつくと、私は彼と結婚して一緒に暮らす夢を見た。彼は引退した傭兵で、私は彼に憧れる村娘。私に剣の才を見出して、教え導いて、いつの間にか仲が深まり、二人はめでたく結婚。家族と神父さんの祝福を受け、二人でそのまま旅に出る。
そして旅の途中で私たちは子供を授かって、大きな町で小さな家を買い、そこで家族幸せに暮らす。なぜか夢を見る時、私はそうやって幸せな夢を見ることが多い。現実が厳しいとそうなるのかも。それともそう言う体質なんだろうか。起きた時はなぜか顔に涙の痕があった。