59話 共感の条件
そのまま深まる夜に溶け込んでも特に何かが変わることはなく、静かに時間だけが進んだ。ルイーザは私の代わりに割れた木彫りの仮面とレイピアと盾を回収して、それに何らかの魔法を施すと勝手にどこかへ飛んで行ってしまった。家に送ったらしい。夜空の向こうに消えてゆく物品たちを腕を組んで見送る。手でも振れば良かったのかな。
バーに戻って席に座り食べ物をいくつもまた注文して、彼女が食べるのを散々眺めさせられた。悪くない経験ではあったけど、私以外の、普通の食欲を持つ誰かの前でそんな風に多くの量を一人で食べるときっといたたまれない気持ちになるに違いない。食べる側からしても、見る側からしても。そんなくだらない理由も相まってルイーザに友人として選ばれている気もしなくもない。
夜明け近くの時間になって帰路につこうとしたら、ルイーザから自分の家に泊まるように言われた。
「君の居場所は割れている可能性が高い。どうしても回収したい持ち物があると言うのなら、私から人を送って回収させよう。盗まれることはないと思うが、念のためにな。」
そう言われて断る理由が特に思いつかなかったのもあって、ルイーザの家とやらに向かうことに。彼女の家は都市の中心部とはかなりの距離を置いて離れていて、屋敷というよりマンションに近い、面積も広く五階もする建物だった。建物の内側に庭園がある創りをしていて、外側は道と面している、薄緑色の壁と赤茶色の屋根とテラスがあった。入り口は前と後ろに一つずつ。正面の入り口を入ったらすぐに階段ホールで、一階は殆ど倉庫や住むには適していないものの詰まった部屋が殆ど。二階への階段へ登ると入り組んだ廊下が出て来て、そこを通らないとどの部屋にもたどり着けないという不思議な構造をしていた。各部屋から三階と四階への続く階段があって、四階は広間と五階のテラスに続く階段がある。
どうしてこのような創りになっているのかを聞いてみると、そもそもこの建物は前の騎士団本部だったという。新しい騎士団本部はこの建物よりずっと大きくて、ここにはない駐車場が広いという。接近性を上げたくて道のすぐ隣に立てたまでは良かったのだが、駐車場を作ることを忘れて、結局二十年も経たないうちに移転してしまったという。
「この町の騎士団は予算が少ない方だったようで。町もそこまで大きくはない。基本的に徒歩でも一時間半はあれば町の東から西へと突っ切れるほどの長さしかないからな。私がこの町に着いてから、騎士爵を持つものに流れるお金の流れに問題があることを指摘したことで、その辺の不正がなくなり連中も車を使うようになって、別の建物へと移転を決めたのだ。中心街に比較的に近く、駐車場もちゃんとあるところへとな。」
よそからの力に頼ることでしか自分たちの立ち位置を向上させられなかったなんて、割と切実な事情を抱えていたようである。
「具体的にどのような不正を?」
テラスのフカフカな黒い長椅子に並んで座り朝日を眺めながら聞くと、コーヒーにクリームをたくさん入れてスプーンで混ぜながらルイーザは答えた。
「さてな。別に話したくないわけじゃないが、話せば長くなる。いつかまた話す機会が来るだろう。それより、君に聞いておきたいことがある。」
ハーブティーを飲みながら首を傾げると続けて話すルイーザ。
「君自身に関するものじゃないのでそう身構えることは⋯⋯、いや、別に身構えてなどはいないか。話したいと言うのは、ファミリーについてだ。現ファミリの長であるオリヴィア嬢は苛烈で残忍な人物であることは知っているな。最初からそうであったわけではないが、自らの兄を殺害してその座に居座るようになっている。ひと時は修道院に隠れているつもりかと思いきや、爪を研いでいたとはな。」
「修道院に隠れていたの?どの修道院に?」
オリヴィアの過去については彼女の口から一通り聞いているが、もちろん、自分で言ったことが全てではないだろう、人の過去というのはいくら語ったところで語りつくせるものじゃない。
「もちろん、君が殺した吸血鬼が餌として修道士たちを飼育していた修道院のことだ。グレハムから話は聞いている。危うく相打ちになりかけたところを見事に打ち取って見せたようじゃないか。」
予想外の繋がりがあったことに面食らう。じゃあグレハムが言っていた、一時期滞在していたお嬢様と言うのはオリヴィアのことだったのか。
「じゃあ、グレハムとオリヴィアは面識がある?」
「それどころか、グレハムに余計なことを吹き込んで、オリヴィアこそが彼を狡猾な男の子に仕立て上げた立役者だったと聞いている。彼女は人を言葉巧みに操ることが得意でな。そう言うのに免疫がある人間か彼女より狡猾な人間でない限り、あっさりと彼女の意図に乗せられてしまう。」
そう言う印象は受けなかったんだけど。
「特にそう言ったことをされた覚えもないし、そう言う人間という印象も受けなかったんだけど、私の勘違い?」
「すまない。今のは語弊があった。操るというより、場の雰囲気を作り出して自分が望む結果を演じることによって得ると言った方が正しいだろう。そう言う風に生まれる人間もいれば、そう言う風になってしまう人間もいる。オリヴィアは後者の方だ。数多くの困難を経験し、人に利用され続け、自然とそれを逆手に取る方法を身に着けてしまったというわけだ。貴族の女として生まれ、散々利用され、失い続けた結果、歪みに歪んで、いつの間にか吹っ切れて、利用する側に回ってしまう。はたから見たら随分と切ない話ではある。だからと同情する気にはなれんがな。最初から反抗する手もあったというのに、彼女はそうしなかったからな。」
私からしたらルイーザは何もかも吹っ切れている気がしてならない。人の情がわからないというべきか、人が普通に持ってしまう感情の重さを軽視しすぎているべきか。だからと反論はしない。ルイーザは竜人の血が半分も混ざっている人外で、人外には人外でしかわからない感覚がある。人外歴の短い私ですら、ついつい人を捕食対象として見てしまいそうになることを、共感性を先立たせて抑制しているのに、生まれながら人とは違ったルイーザはどれほど違う感覚を持ってしまっているのか、想像に難くない。だけど、言いたいことは言っておかないと。
「私はオリヴィアのこと、結構好きだよ。人柄とか、考え方とか、そう言うのはさておき、同じ人間だった女として共感できたから。私もね、最初から反抗することだってできる、命がけじゃなくてもできなくはない、そう言う状況に置かれたことがあるの。」
逃亡奴隷の皆に、幻覚作用のあるキノコを食べさせてから馬を盗んで逃げるとか、できなくもなかった。そうしなかったのはなぜか。私を淡々とした表情で見ているルイーザへと話しを続けた。
「でもそうしなかった。なぜかって、それ以外の何かをしたところで、何か意味があるとも思えなかったから。そもそも愛着というのがなかった。別の選択肢を選んだところで、それこそが救いになるという保証もなかった。それに、心の空白は人を容易に狂わせてしまう。自分がここにいていいのかどうかなんて考えられない。だから、私はオリヴィアのこと嫌いにならなくて、そんな彼女が領主になりというのなら、その手助けをしてもいいと思ったの。それが彼女の思惑によるもので、その場で見事に演じて私の心を掴んだ結果だとしても、受け入れてもいいと思ってる。ルイーザはこんな私がバカだと思う?私と違って彼女には共感できないから?」
ルイーザはクリームたっぷりのコーヒーを魔法で温めて飲んでから、一見関係のないことの説明を始めた。
「共感性というのは体が伝えて来る感覚とは無関係で、自分と他者を分ける境界線なんてそもそも役に過ぎないことを考え続けることで成り立つ。自分が自分でいられるのは、自分という存在を常に演じているからに過ぎない。蓄積された経験が常に囁いている声に耳を傾けることで、自分という殻を作り出せる。根本を辿ると、命あるもの、いや、アンデッドや神々さえも含めて考えられることだが、意識あるものは、常に方向性を持ち己の行動を通して存在を投影するように出来ている。私が何を話しているのかわかるか?」
「何となく。要するに、あれだよね。魂ある者は、精神あるものは、それがどのような形をしているのであれ、想像してしまえば繋げられる余地があると。」
要するに立場を入れ替えての想像だ。自分の条件がそれと同じだとして、自分がその場合ならどうなるかを想像する。もしも自分が動物だったら、もしも自分が神々のように強大な力を持っていたら、もしも自分が苦しい経験をしていたら。そう想像することで、そのものが置かれている状況に意識を投影し、考えることができる。
「そう言うことだ。繋がれるところまで考えが及ぶのはさすがというべきか。しかし、必ずしもわかるとは限らない。人は自分という殻を守るために、想像してはいけない領域を持つ。想像する発想自体が危険というべきか。例えば人を喰らう魔物の感覚を想像できたとして、想像することはおぞましいと避けてしまうだろう。いくら想像力がそれを許すとして、想像しようとは思わないのが普通だ。私にとっての普通は、私より遥か短い年月を生きる人の生を生々しく想像することがそれにあたる。私の立場でそれを想像したところで、どうにもならないからな。だからそうしないようにしているだけで、私とて人の心というのがまるで想像も付かないわけじゃない。意識は形に収めようと切り崩さないと、体が定めた殻から零れ落ちるものだ。人はそういう時涙を流す。自らの意識を殻に合わせるために、壊した欠片が目から零れ落ちる。私は決してその美しさを知らないわけではない。」
私は感心しながら頷いた。九十八年も生きていると、そういう細かなことまで考えてしまうのだろう。私の場合も、シルヴァーナの記憶と深いところまで繋がってしまっているのにも関わらず、彼女の考え方をなぞっても全く同意できない。つまり私も共感する範囲を自分で決めていること。
「ルイーザはさ、そう言うのをこれから先もずっと考えてしまうことになるのを、喜ばしいとか、嬉しいとか思ってる?言い換えると、長い長い人生の中で、様々な事柄を考えてしまって、それに自分なりに答えを出し続けて、他人にもそれを説明できるようになって、そう言うのにさ、満足感を覚える?」
私にも寿命がないので、何かに殺されなければ彼女のようになってしまうのだろうかと言う考えになってそう聞くと、ルイーザは空になったコーヒーカップをテーブルの上に置いて答えた。
「生きると言うのは、希望を抱き続けるという事だ。年単位で希望を抱くのは、子供からしたら長く思えてしまって仕方がないだろう。十年単位、百年単位ならどうだ。人より長生きするのであれば、希望は長い単位で抱かないといけない。考える行為は、希望通りの結果までたどり着くまでにするものと言っていい。君も直に慣れるさ。それより、一つ聞かないといけないことができてしまったな。オリヴィアが領主の座を狙っていると言うのはどういうことだ?彼女が自分でそのようなことを言ったのか?」
どうやらルイーザは知らなかったようだ。先走ってしまったことになるのかな。話の流れ的に言わなきゃいけないと思って、つい口にしてしまったけど、どうしよう。この町の未来を決める大事なことなのに。
「えっと、ルイーザはあんまりオリヴィアのこと好きじゃないんだよね。」
すると意外なことにルイーザは首を振る。
「特に嫌悪しているわけでもなければ仲が悪いわけでもない。近づくには危険な人間であると君に警告をしたかった。人は見かけによらないからな。オリヴィアはカリスマ溢れる人間だ。完璧に美しいわけではないその顔すらも、彼女に人間味をもたらす。そんな人間に、せっかくできた友人が従わされるようなことを想像したらつい不快な気持ちになってしまって、我ながら酷な評価をしたものだ。」
え、妬けちゃったってこと?可愛くない?ついニヤニヤすると、ルイーザは怪訝そうな顔をした。
「何が可笑しい?」
「いや、可愛いなって思っちゃって。」
するとルイーザは顔をほんのり赤くしてから何事もなかったかのように続けた。
「どうやらオリヴィアと直接会って話し合う必要がありそうだ。このまま領主を殺害するとして、彼女がどのように事態を収拾するかも気になるしな。」
そう言ってオリヴィアが指を鳴らすと、扉を開けて大きな犬が入ってきた。毛並みが綺麗で柔らかい印象の大きな犬さん。
「ジェラート、オリヴィアに伝言を頼めるか。時間を作って顔を出せと。食事でもお茶でもお酒でも関係ない。要望通りにすると伝えてくれ。」
「わかったわ。」
ジェラートは口を開けることなくそう答えて扉を念動力の魔法で開いて歩き去った。
「今のがあなたの使い魔?」
「そうだ。もしかして魔導士の使い魔を見るのは初めてか?」
私は頷いて見せた。
「可愛いね。」
「そうだろう。自慢の使い魔だ。後で思う存分撫でてあげるといい。それと、君とも無関係な話じゃないからな。出来れば私たちの会談に同席してもらえるか。」
それに対して私は顎に指を当てて質問をする。
「そもそもお二人はどれくらいの関係なの?」
「知り合い以上友人未満と言ったところだ。」
なるほど⋯⋯、よくわからないけど、彼女が言ったようにそこまで仲が悪いわけじゃないのは伝わった。ただするともう一つ気になることが。
「どうやって知り合ったの?」
「これでも顔は広い方だ。」
はぐらかされた気がする。ルイーザが答えてくれないなら、後でオリヴィアにでも聞いてみよう。それこそ会談とやらをする時にでも。




