39話 ファミリーの事情
レンガ造りの建物が並ぶ下町の一角。この付近には工房やギルドに所属している職人たちが住んでいて、テラスハウスやタウンハウスなど、様々な形の集合住宅が緩やかなカーブを描いている石畳の道を挟んで連なっている。
私とフィノはその中でも比較的に新しく建てられたタウンハウスに入る。玄関を抜けると安楽椅子に座っていた大柄でスキンヘッドの髭の長い男性がフィノに挨拶をして、私を見て武装解除を要求した。
「彼女は問題ない。シルヴァーナ、凄腕の暗殺者で、彼女がやる気ながら俺らはもう死んでいる。そうでないってことは、こちらの話を聞く気でいるという事だ。わかるだろう、下手にビジネスパートナーの機嫌を損ねるんじゃない。」
そう言われた男性は両手を軽く上げてから後ろへ下がる。中へと進むと家政婦らしきふくよかな体型の中年女性が壁に背を預け箒を脇に挟んだままタバコを吸っていた。フィノに会釈して、私を訝しんだ顔で見てからすぐに興味を失くしたのか視線を外した。一階は生活感のある家と大差なく、くすんだベージュ色の壁紙をレモン色の照明が天井から室内を照らしている。開けられた部屋の向こう側にベッド、クローゼット、箪笥、机と椅子が並んでいる。
「俺は普段は中心街のマンションに住んでいる。そこを守っている部下の何人が潜りで何人が金を握られたら言いふらすかわからない。あの二人は俺が個人的に手間をかけて助けてやってる。ここでの話が漏れる心配はしなくていい。」
フィノはそう言って二階への階段へ登り、私も彼の後ろに続いた。丸くて大きい背中がまるでぶくぶくと太った熊のように思えて来て、少し笑っちゃいそうになるのを耐える。
二階は一階と違い壁は壁紙が貼られておらず、レンガが剝き出しになっている。何を入れているのかわからない箪笥が窓際に並んでいて、床には大きな絨毯が敷かれてある。ソファーが四つ、リビングの中央に低いテーブルを囲って設置されていて、ひじ掛けにヒョウ柄の毛布が垂れ下げっている。キッチンはバーのようになっていて、壁掛け棚の上に様々な銘柄のリキュールが置かれてあった。
フィノはハンガーにコートと帽子をかけて、私へとソファーに座るように目配せをした。腰に差していたレイピアを外してソファーの上に置いて座ると、フィノはウィスキーの瓶とグラスを二つ持ってきてテーブルを挟んで座った。グラスを二つ置いて、ウィスキーを注ぐ。私は手を組んで太ももの上に置く。
「私は飲まないわ。」
「仮面を脱ぐ必要があるからか?互いに顔見知りだろう。気にせんでいい。」
私は首を振る。
「吸血鬼になると味覚を失うの。酒を飲んでも酔えない。勿体ないと思わない?」
フィノは少し口を押し上げて頷いた。
「なるほど。そう言う事なら仕方がない。」
彼はグラスに入っていた私の分のウィスキーを自分のグラスへと移し、ソファーに背もたれてから一口飲んだ。
「俺が子供の頃、俺の親は俺は自分たちのような生活はするんじゃないと、勉強しろ、勉強しろと煩かった。言われた通り俺は勉強して、経理の仕事に就いたら工房の親方が死んで、潰れちまった。酒を飲んで家に戻る途中に殺されて、犯人もわからない。恨みでも買っていたのか運が悪かったのか。人間なんて誰であろうがそんな簡単に死んでしまう。俺のせいじゃない。なのに俺は縁起が悪いと経理としては雇ってもらえない。じゃあどうする。その頃に俺の親や親戚も、食いっぱぐれないために、誰かをもう一人養う余裕もないと来た。兄弟たちは生きているか死んでるかもわからない。俺は工房を回りながら木っ端仕事をするしかなかった。工房が隠している技術を盗んで、別の工房にそれを売って、そんなことをしていればもちろんバレる。殺されそうになったのを返り討ちにして、奴が持っていた金を全部盗んで、下町を離れて、中心街で商売をしている連中が面倒に思っている仕事を代わりにやっていたら、ファミリーの幹部に目を付けられ、そのままファミリーの下っ端になった。」
せっかく自分から話しているのを邪魔する気にはならなかった。殆ど本当のことを言っているような気はしている。鼓動に変化なし、目も思い出すかのように動いていて、嘘をつくように動いていなかったし、そもそも私に嘘をつく理由がない。彼は一度でも相手が自分が持ってないのを持っていて、その人が持っているのを取引して手に入れたいなら、単純に自分をさらけ出すことに抵抗がない。そう言う印象。一つだけ引っかかりを覚えたけど、彼の語りが終わるまで待つとする。
フィノはウィスキーをもう一口飲んで、窓の外を見てから私へと視線を戻して続ける。
「俺を拾ったのはロメール家で一番影響力のある、ついこの前までファミリーを仕切っていた男だ。レナルト・ロメール。聞いたことあるだろう?ロメール家がファミリーの半分以上を掌握しているのは知っているんじゃないか?」
確認するかのように聞いてきたフィノに私は首を振る。
「私の今までの仕事は政治がらみ。貴族の暗殺、影響力のある商人や軍人。町一つに収まるようなできごとは気にもしていなかったわ。」
シルヴァーナはそもそも町を餌場か何かとしか見ていなかった節がある。気まぐれに浮浪者や身寄りのない人間を襲って、喉に牙を立て枯れるまで吸いつくしたことは一度や二度じゃない。死体は凍らせて粉々にし、下水に流して処理していた。彼女が持っているそう言った様々な記憶の方が吸血鬼としての能力より役に立てている気がしてならない。
「だがお前さんは今ここにいる。」
無言で肯定を示すと、フィノは語り続けた。
「古株の魔女はサフランを独占している。一番金になるのをだ。だから彼女の方が一番の金持ちではある。だが、魔女はそこで満足してファミリーの経営にはそこまで口出ししない。実際にファミリーの殆どを回しているのはロメール家の連中だ。俺みたいな奴に目を付けて、自分たちの手の届く範囲に置いて、好きなように使う。実際に彼らに乗せられた形で俺はヴェロームを殺して奴の後釜に座っている。」
「ロメール家が持っているビジネスを教えて?」
フィノはグラスをテーブルに置いて、軽くため息をついてから答える。
「コリアンダー、パセリ、黒コショウ、バジル、オレガノ、ニンニク、その他もろもろ、どこの誰からも需要の多いものだ。まあ、今じゃカジノと不動産の方で稼ぐようになっているが。ファミリー全体の資産管理もこいつらがやっている。」
それらの事業が成功しているという事かな。
「あなたは人材派遣と輸送担当?」
「良く知ってるじゃないか。何も知らないような言い方をしておいて、俺のことだけは事前に調べたのか?まあ、一応、色んな種類の唐辛子も扱ってるが。俺にぴったりだろ?ひたすらからい。」
そう言ってひじ掛けに体重を載せながら短く笑うフィノ。
「一つ聞いていい?」
「百や二百でも答えるとも。」
「あなたが殺したんでしょう?工房の親方。」
フィノは顎を手でさすり、肩をすくめた。
「シルヴァーナ、お前さんからしたら俺はまだガキみたいなものだろう。だからと気が付いたことをいちいち口にするのは俺を上から目線で見下ろして、それを相手に知らせる必要はあったのか?まあ、悪い気はしないが。可笑しなものだ。人間相手ならともかく、お前さんみたいな吸血鬼相手ならそう言われても怒れそうにない。お前らからしたら俺らが足掻くことなんぞ、どうでもいいことだろう。嘲笑うこともない、馬鹿にすることもない。住む世界が違うからな。」
勝手に納得しているところ悪いけど、こちらがここに来た目的はまだ達成されていない。
「そうでもないわ。人間のこともちゃんと気にかけている。例えば、そうね。ラフィーナの赤ちゃんの行方とか。」
「下にスキンヘッドの奴を見ただろう?奴の妻に任せてある。帰る時に聞けばいい。それとも今から帰る気か?」
話がまだ終わってないのに自分だけが欲しいものを手にする気なのかと、疑いの目を向けて来る。赤ちゃんが無事でいるなら特に急ぐこともない。彼が殺して欲しい人間を殺してその対価として強い魔物の血を提供して貰うという話もあるけど、単純にファミリーの内部事情が気になる。少し浮世離れしていたリナリスの言葉より生々しく直線的でわかりやすい。だから私は彼の問いを否定する。
「まさか、肝心なことは聞いてないんだもの。私に誰を殺して欲しいのか、そうやって殺して何を成したいのか、後処理をできる自信はあるのか。何一つ聞いてないわ。」
まるで自分ではない、シルヴァーナが勝手に私の体を借りて話すような感覚。記憶に引っ張られないように、吸血鬼になってから知り合った人たちを思い出しながら私はフィノからの返答を待つ。フィノは前のめりで指を組んでテーブルの上に置いた。
「アンドレー・メケール。エレシャント帝国出身で、娼館をいくつも経営している。レモンとライムを扱っているが、それは気にもせず娼館にしか目がない。色狂いなどと優しいものじゃない、奴は女を攫ってレイプして強制的に娼婦にする。誰であろうがお構いなしだ。落ちた貴族のご令嬢でも、育ちのいい商家の娘でも、攫って集団でレイプして、心を折って娼館で商売をさせる。何人か抱きながら殴り殺しているなんて噂も聞く。他のファミリーの連中は見て見ぬふりだ。奴はエレシャント帝国から来た大使と大商人たちを後ろ盾にしている。下手に手を出すとエレシャント帝国から報復が来る可能性まであるとなりゃ、たかが一つの都市を回す組織では太刀打ちできない。だから俺は奴に対抗するために辺境伯に取り入れようとした。例え汚い手を使ってでも、アンドレーをどうにかしないといけない。」
リナリスの性格からして許せるはずがないのにそうなっているのは、こういった事情があってのことだと納得。同時に疑問も一つ生まれる。
「それならリナリスと手を組んだ方が良かったんじゃない?なぜ彼女を敵に回すようなことを?」
「ファミリーの創設メンバーでありながら、これまで何もしていなかった魔女にも一泡吹かせる。理にかなっているだろうが。」
そう言ってはいるけど、それより彼は高いところに座ってふんぞり返っているなら誰であろうと嫌悪感を抱いてしまうのでは。ただこれは指摘せずにいよう。一回なら良かったけど、二回、三回と彼のことを暴こうとすると彼の性格からして敵意を抱かれてもおかしくない。
「つまりあんたはあんたなりの正義があるわけね。」
「正義?そんな高尚なもんじゃない。誰であろうが、好き勝手にして何の対価も支払わないことは許してはいけない。そんなことをして何になる?この町は俺の家だ。家の中に住んでいるなら、家具は大事にしないといけない。壊して回って、座る椅子がなくなって、寝るベッドがなくなって、破片が目にでも入ってみろ。ファミリーの評判も傷つけてしまうだろう。仕事をしていた有能な女を娼婦にすると、その分だけ町のお金が回らない。違うか?」
私は黙って頷いた。フィノも満足そうに頷く。アンドレーこそが好き勝手に人を攫って人身売買をしている黒幕で、彼を殺してしまえば、諸々の問題が解決することは彼の話でわかった。
「奴の居場所を教えて?今夜にでも殺しに行くわ。」
「待て、話はそう簡単じゃない。奴を直接殺す機会は何回かあったが、そうしていない。なぜかわかるか?」
フィノにそう言われるのは予想外だったけど、一応聞いてみよう。
「理由を教えて?」
「アンドレーが死んだら彼の側近が後釜に座るだろう。そいつが死んだらまた次の奴が。それで最後の奴まで死んだらどうなるか、わかるか?奴は一種の工作員だ。エレシャント帝国が攻めているリンブラント公国に、こちらから何らかの形で援助が行かないようにしている。町の雰囲気を壊せばそれどころじゃなくなるだろう?だからアンドレーが死ぬとまた別の奴が町に現れ、ファミリーに入り込もうとするだろう。いたちごっこだ。例えファミリーの誰かがやったということがバレなかったとしても、今度はファミリー全体を掌握しに大規模で人員を送ってくる可能性まである。」
大きな組織のトップに座っただけあって、物事の流れを見る目があると感心してしまう。
「アンドレーがファミリーに入り込んだのはいつのこと?」
フィノは眉間にしわを寄せた。嫌なことでも思い出したんだろうか。
「レナルトが死んでからだ。そんな大きな影響力を持つ人間が死ぬと、それまでその座を埋めていた権力に空白が生まれるだろう?ロメール家の連中同士でも潰し合いを始めて、こちらにも飛び火していたんだ。」
フィノはウィスキーを飲み干してから続けた。
「念のために言っとくが、レナルトを殺したのは俺じゃない。俺はレナルトの下で楽しくやっていた。愛人もできて、隣町に大きな家を買ってあげて、俺の兄たちと妹が別の街で生きているのも知って、仕送りもした。弟は病気で死んでいたがな。下町にいた頃に、食い扶持に困ってた連中とつるんでいたんだ。そいつらに仕事も与えて、俺の人生は順風満帆だった。レナルトが死んだのは自業自得だったんだ。奴には何人も愛人がいて、私生児として生まれた子もそれなりにいた。その中の一人に殺されたんだよ。遊んでから年を取って魅力が減ると捨てて、病気になって死にそうになっても助けてもらえなかった。そいつの息子が復讐を果たした。母の仇だとクロスボウで狙撃して、頭を撃ち抜いて。図ったかのようにアンドレーがファミリーにいざこざを利用して一つ空席になった幹部の座を捥ぎ取った。奴と、奴に協力関係にあったヴェローム。この町で生まれているのに同じくいかれた奴だ。ヴェロームは幻覚を見せる薬をばら撒いて、それで大儲けしていた。まあ、俺が殺したがな。」
フィノは何てことのないように言って、空になったグラスにウィスキーをまた注いだ。
「あんたは興味なかったの?」
「全然。薬も娼婦も、本物の快楽には及ばない。謀略の女神に生贄を捧げる。それこそが俺にとっての史上の快楽だ。」
即興で臨機応変をしても、最初からそれなりに計画も練る。多分、彼が今まで陥れたり殺めた人たちは、無計画に進められたものじゃなく、たくらみの上に成り立っていたんだろう。
「もしかして、ポスペルも最初から殺すために接近したの?」
「まあ、最終的に殺すつもりではいたさ。計画が大幅に短縮できたが。おかげさまでな。」
フィノは楽し気に笑う。
「じゃあ、先にエレシャント帝国の大使と、エレシャント帝国から来た大商人を片っ端から殺すわね。アンドレーのことは、そうね。あなたが殺して?」
仮面の向こう側で微笑むと、フィノは笑顔のまま、グラスを握った手の人差し指を私に向けた。
「お前さん、やはりわかってるじゃないか。」
そう言って、テーブル越しに手を伸ばすフィノ。私は彼の毛むくじゃらでごつごつとした手を握る。
「じゃあ、そう言うことで。」
私たちは握手を交わした。




