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19話 同行者

 久しぶりに子供の頃の夢を見た。誰とも距離を置いて、自分だけの世界を作ってその中に潜り込もうとするたびに、周りからの見えない圧力に逆らえず、従順なふりをして、村のため、皆のためと自分を騙していた日々のことを。


 頑張っても誰かに認めてもらえるわけではない、私はみんなの中の一人にすぎない。ただの不細工で人に意見を言えない村娘。夢なんて持つだけ無駄。そもそも環境が悪い。誰かに何かを教えてもらえるわけでもない。景色は美しかった。煌めく星たちに彩られた星空や、季節によって色を変える山々も。その中に入って、自由に歩き回りながらキノコを探す。何人ものの同じ村の女性たちと。下は十歳から上は六十歳にまで。静かに歩いて、キノコを見かける度に一番年齢の高い人から説明を聞いて。どんな味がするのか、どうやって調理すればいいのか。食べてはいけない毒キノコや、毒がなくとも全然美味しくなかったり、食べたら幻覚が見えたり、五感を狂わせたりするキノコを種類別にその場で説明を受ける。


 五感を狂わせるキノコはたまに食べている人がいた。私も一度だけ好奇心で食べたことがあって、自分の意識がまるで自分の体から剥離され、自分という存在の外側にある何かへと引っ張られるような感じがして、そのせいで価値観が変わってしまった。その前までは自分はこうやって肉と皮があって、血が流れて生きていて、身体能力や自分の顔の形もそれの一部で、それこそが自分だと思っていた。けど、そのキノコを一度食べてからはそうは思えなくなった。自分はただこの肉体に宿っている意識に過ぎない。それが何とどうやってどのように繋がっているのかはわからない。だけど、その繋がりというのは決して目に見えるものに限らないことを、私は常に考えるようになっていた。


 それで私は、自分の感情を一歩離れたところに立ち、冷静に物事を捉えるように変わって行った。悪いことが起きても、いいことが起きても、それは起こるべくして起こるもので、自分が関与してそれを変えようとしても変わるものではない。だって、自分だけではない、すべての意識がもっと深い領域にある何かと繋がっているのなら、それは決して個人の力でコントロールできるはずがないんだから。


 決まった流れがあって、人は皆その流れの中に何かしらの役割を与えられる。それにはその人が持つ個別性なんて些細なものでしかなく、むしろその個別性は流れに沿うように歪曲され、利用されやすいように変えられてしまう。そのキノコさえ食べてしまえば、キノコじゃなくても身体と意識の剥離を一度でも経験さえしてしまえば、その大きな流れを設計してそれを管理する何者かを想像するのもおかしくない。例えば教会で祀る女神様みたいに。


 この世界には魔物がいて、私や私が殺した二人の吸血鬼がいる。他にも何かがあるとして、私たちはどのような流れを作るためにこのように設計されたんだろう。私はそのようなことを夢の中で考えていて、神父さんに語っていた。夢の中の自分は過去の人間だったころの自分ではなく、吸血鬼になってしまった自分。オレンジ色の髪が肩の下まで伸びてて、ぼさぼさではなくさらさら。目鼻立ちは私の願望がそうさせたのか、整ってて、背丈は同年代の女子よりやや高めだけど、成人男性に比べると当然低い方。そんな自分の姿を、神父さんはまるでそれまでの自分と変わらず接してくれた。


 「魔物や吸血鬼は、人が助長しないように防いでいるものだと思いますよ。魔物がいるから、人は自然を前に好き勝手ができない。吸血鬼がいるから、人は他人に深く入れ込むことなく自分の立場から離れずに済む。森に魔物がいなければ、農地や牧草地となってしまうでしょう。すると森の恵みを得ることもできなくなってしまう。吸血鬼がいなかったら、人は他人を簡単に侮ってしまうでしょう。相手が吸血鬼かもしれないと疑うことで、その人を侮ることはできなくなる。吸血鬼は軍を一人で相手にするほど強くはありませんが、逆に何の特技も持たない普通の人間が勝てる相手じゃありませんからね。」


 私が何を不安がっているのかがわかったかのように、夢の中の神父さんは的確に私が聞きたいことを言ってくれた。


 目が覚めると、物を引きずる音がする。毛布まで掛けられていた。まだ生き残っている人がいたのか。起き上がって毛布を折りたたみ椅子の上に載せる。傷はすっかり回復していた。小さな窓からは陽の光が入り、天井付近だけを明るく照らしている。周りを確認すると散らばっていた長椅子は私が座って眠っていたそれ以外は壁際に積み重ねられている。そして死体がいない。肺になったダリアンの服も見えなかった。念のため、腰に差した剣の柄を左手で握ったまま廊下を歩いた。そう言えばまだあのお馬さん生きているんだろうか。


 「あ、おひゃ、おはようございます!」


 そう言ってきたのはグレハム。彼はずるずると死体を引きずって、修道院の外へと運んでいたのである。

 「えっと、おはよう?」

 グレハムは首の後ろに手を回して、苦笑いを浮かべた。

 「本当に全部やっつけてくれるなんて、半分博打だったんですけど。」

 彼は一体何を言っているんだろう。もしかして、彼は私をダリアンにぶつけさせたんだろうか。

 「あの、ダリアンに聞かせることを知ってて、私に昨日そんなことを教えたんですか?」

 「まあ、はい。失敗したら僕も一緒に殺されるってわかっていたんですけど、まあ、それならそれでいいやって、思ってて。」

 グレハムが私にダリアンの正体を言わなかったら私はダリアンと戦わずに済んだ、なんて言って剣を抜いて襲い掛かる場面なんだろうか。しかし自分が今抱いている感情は怒りなどではない。どちらかというと、そう。呆れに近い。

 「つまり私がいい人のように見えたと言うのは嘘だったんですね?」

 「別にそれは嘘じゃありませんでしたよ。実際に見ていい人かどうかは何となくわかります。悪い人はですね、人が考えることが理解できないんですよ。まあ、いい人でも悪いことはしますし、悪い人でも結果的にいいことをする時はありますけどね。だから、まあ、別にいいですよ、僕のことを殺したいなら、どうぞ。」

 そう言って、両手を広げるグレハム。

 「そう言うのはいいから。もう、終わったことだし。」

 私が丁寧な口調からそう変えて言うと、グレハムはまた安堵のため息をついた。

 「それならよかった。実は僕、まだ死にたくない。」

 「まだ若いから?」

 「それもあるけど、僕さ、昔から都会での生活に憧れてて。毎日毎日、雑用やら伸びもしない剣術やら、血まで吸われるし。もう散々だった。ダリアンの奴、本当怖くて、自分ではどうしようもできないから、外からたまに来る人たちにさりげなく知らせても、無視されてさ。一回それがバレて、もうその日は死ぬかと思った。」

 グレハムはそう言って軽く身震いをする。

 「拷問でもされたの?」

 「まあね。」

 なんてことのないように言っているけど、彼も今まで相当苦労していたようである。

 「グレハムは私が怖くないの?酷いことをするかもよ?」

 「吸血鬼だから?ないない。そう言う人はそもそもそう言うの聞かない。」

 一理ある。

 「皆死んで、一人だけ生き残っているの?」

 気になったことを聞いてみると、グレハムは頷いた。

 「客室には鍵が付いててさ。それも考えての行動だったというわけ。」

 やはりかなり計算高いのでは。

 「それなら逃げ延びることだってできたんじゃない?それか、ダリアンの弱点を見つけて殺すとか。」

 グレハムは首を振った。

 「ないない、それはないから。吸血鬼の弱点は群れないこと。それだけだから。僕みたいなのが一人で知恵を絞ったところで殺せるわけがない。」

 「グレハムは、なんでダリアンに逆らえたの?他のみんなはダリアンのために私に立ち向かったよ。皆というか、幾人か。」

 グレハムは肩をすくめた。

 「そう言うのあるじゃん、助けてもらったら、恩返しをしなきゃって、考え方。僕はそう言うのちょっとわからなくて。しかも餌にするために飼育される状態じゃん。好きになれる理由がないのに、なぜかみんなは崇めててさ。」

 彼の気質に何かしら特殊なものがあるのかも。

 「そうなんだ。」

 私はそれだけ言って外へ出た。死体を埋めるための穴を少し掘ってある。積もった雪のせいでそこまで深くない。私はスコップを手にして掘り始めた。

 「いいの?」

 「半分は私が殺したんだし、私が責任を取らないと。」

 というのは建前で、ちんたらとここで時間を過ごすわけにはいかないから、作業効率がいい私が変わっただけ。

 「町に行くんだよね。一緒に行く?」

 穴を掘り下げながらそう提案した。

 「いいの?」

 「馬をかっぱらって一人で逃げることだってできたはずなのに、そうしなかったのって、あれだよね。私の力を頼りにしているんじゃない?」

 グレハムは乾いた笑いを漏らした。

 「バレちゃったか。」

 彼の声はどこか不安気ながらも、期待を隠し切れずにいた。言うなればそれは、新たな人生に対する可能性、レイラ・ブラッドフォードという吸血鬼と友達になれるかも知れないという可能性に対する期待。そんな気がした。

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