聖女は竜と帰還する
「私は人だもの。当たり前よ、感動だわ!」
そう言って、リリアーヌは私に歓喜も露わに見るもの全てにつけて感想を伝えてくる。
──なんて素直で純真で可愛らしい人なんだろう。
そして、それと同時に今まで彼女が鬱屈して生きざるを得なかった人生に思いをはせる。
──これからは、私が彼女を護っていくのだ。
私の大切な半身。
まだそれを伝えていないけれど、私が感じているように、私の番である彼女もなにかしらの異変を感じ取っているはずだ。
その理由を、いつ伝えよう。
竜人の番が人の子として生まれるのはかなり稀なこと。おそらく彼女も、そうとは知らずにいることだろう。
そして、私が背に乗せて帝都に帰ることで、他者を牽制できるだろう。他の男が彼女に懸想をするような真似はされまい。
──大切に護って、慈しんで、そしてしかるべきときに、彼女に私たちは離れがたい半身同士なのだと伝えよう。
それにしても、聖女の力というものは凄い。人間の国が頑なに外に出したがらない理由がよく分かる。
私が負った怪我は、仮にもあの群れの長からの一撃だ。かなり深いところまで牙を立てられていた。その傷を、いともたやすく彼女は癒してしまったのだ。
──それに、私が傷を負ったことを怒っている彼女も可愛かったな。
恥じたり笑ったりする姿は素直に愛らしい。けれど、怪我をしたことをなんでもないように振る舞う私に腹を立ててくれるその様も、愛らしいと思えてならなかった。
番だからだとか、それだけではなく。そんな理屈を無視して。
──彼女全部が愛おしい。
そう思いながら、彼女を背に乗せて私は帝都に戻ったのだった。
◆
「えっと、お城?」
「ああ、そうだよ?」
帝国の城と思わしき建物の屋上に下りたテオドールが、さも当然といった様子で、私にさらりと答える。
「私は人間で、ただの爵位もない小娘なのよ?」
私はただの小娘の身でいきなり王城に連れてこられて面食らってしまう。そんな私のことには気付かないそぶりで、テオドールが答える。
「竜人族は種族で偏見を持たない。そして、人間の国での爵位など我が国では意味を持たない。それに、リリアーヌは私の大切な客人だ。文句を言うものは誰もいないさ」
そう言いながら、テオドールが竜形を解いて、人の姿へと戻っていく。
「私の客人だ。侍従長に命じて彼女にふさわしい部屋を見繕ってくれ。それから、侍女頭には彼女にふさわしい服や調度品の準備をするように伝えてくれ。それと、担当の侍女の割り振りもするように伝えてくれ」
彼が近くにいた人物に指示する。
(私が背に乗せてきた者だというのを知っていれば、それ相応の対応をするだろう)
そんなことまで言外に含まれているなんて、私には知るよしもない。
「は……はっ!」
テオドールに命じられた屋上を警備していた兵士が、彼と、彼の背から下りてきた私を見比べてから、慌てた様子で階下に下りていく。
それを見ながら、そういえば自分は手に持った鞄一つだけしか荷物がなかったのだと気がついた。
──服も、中に一揃え入っているだけなのよね。
「テオドール……あの、気を遣わせて、ごめんなさい」
申し訳なくて顔を伏せがちに伝えると、くい、と頤に指を添えられて、顔を上げさせられる。
「そういうときには、『ごめんなさい』よりも『ありがとう』の方が嬉しいんだけれどね」
蕩けるような笑顔でそう言われて、額に口づけを受けた。
──え! 距離感近すぎない!?
私はドキマギする胸を押さえる。反射的に閉じたまぶたを開く。すると、彼がその言葉を待っているかのように、笑顔のまま立っていた。私は胸が落ちつくように一つ深呼吸してから唇を開く。
「テオドール、ありがとう」
私はできる限りの笑顔で彼に応えた。
「うん。どういたしまして」
それから、私はテオドールに片手を取られてエスコートされながら、城の中へと下りて行ったのだった。
その後私はテオドールに誘われてお茶をしながら、しばらくテラスで待っていた。
すると、私にあてがわれたというマリアと言う名前の侍女がやってきて、部屋に案内するという。私はテオドールと別れて、彼女のあとについていく。
そうして案内された部屋は、それは豪奢なものだった。ただ単に華美だというわけではない。ただ、天蓋付きのベッドがあったり、一つ一つの調度品の彫りや細工が精巧だったりなど、造りが良いのだ。
「こんなに良い部屋を私に……? いいの?」
思わず、案内してくれた侍女に尋ねてしまう。
「ええ勿論です。皇太子殿下のお客人ですもの、当然です。さあ、どうぞ」
入るようにと促してくれるがまま、私は部屋に入る。
「普段使いのお洋服やドレスは、そこのクローゼットに入っております。急なことでしたので既製品ですが、サイズは殿下から聞いておりますので、ちょうど良いかと思われます」
それを聞いて、私はぼっと火が出そうな勢いで顔の熱が上がるのを感じる。
──彼には、抱き上げられたり、抱きしめられたりしたんだっけ……。
それで大体の身体のサイズを知られてしまったというのも恥ずかしい。それに、そういうことで女性のサイズがわかっているほど、テオドールという人は女性慣れしているのだろうか?
一瞬もやっとしたものが胸にくすぶって、なんだろうと不思議に思う。
勿論そんな私の心情を知らないマリアは、たんたんと案内を続ける。
「まずは長旅だったそうですから、湯浴みのあと部屋着に着替えてお食事を済ませたら、お休みなさると良いかと思います」
そうしてそのとおり、マリアが湯浴みの用意をしてくれ、用意された部屋着に着替える。洋服も、華美すぎないが生地が上質で、私のピンクゴールドの髪によく似合う淡い水色のワンピースだった。
身体と一緒に丁寧に泡立て洗ってもらった髪も、乾かし、丁寧に梳いてもらったあと、サイドをすっきりさせるように編み込んでもらった。それをまとめるリボンはワンピースと揃いの色のリボンだ。
「可愛い……ありがとう、マリア!」
鏡の中に映る自分に嬉しくなって、鏡越しに目を合わせてマリアに感謝の意を伝えた。
「滅相もない。素がよろしいんですよ。さあ、お食事の準備もできております。殿下がご一緒したいとお待ちですよ」
そうしてマリアに案内されて別室へ行く。そこは、テオドールの部屋なのだという。
「殿下、リリアーヌ様をお連れしました」
「うん、入って」
マリアが扉を開けると、テーブルに座って赤ワインらしき飲み物を飲んでいるテオドールに手招きされる。
「さあ、一緒に食事をしよう。リリアーヌ、君はワインを飲めるかい?」
私はマリアに案内された椅子に腰掛ける。
「ええ、もう成人しておりますから、嗜む程度には……」
「じゃあ、一緒に飲んでくれると嬉しいな。ああ、彼女の分のグラスも用意して。それから、食事も始めてくれ」
「承知しました」
マリアがテオドールの命に、頭を下げてから部屋をあとにした。
「服、似合ってる。その色は君の髪色に映えるね」
「色々と……ありがとうございます。でも、その……」
「なに?」
「殿下は、少し女性に触れるだけで洋服のサイズがわかるなんて……女性に慣れていらっしゃるんですか?」
つい、くすぶっていた思いが口に出た。
「名前、それに、敬語」
「あ……」
テオドールに指摘されて、口をつぐむ。
「でも、私が女性に慣れていそうだと、そう思ったんだ?」
「……はい」
返事をすると、テオドールが下を向いて肩を揺らして笑っていた。
「テオドール!?」
「いや、ごめんごめん」
目尻に涙が浮かんでいる。
「もう。怒りますよ!」
「だから、敬語。……妬いてくれてるのかなって、そう嬉しく思っただけだよ」
「えっ……」
思いもよらない指摘に、私は動揺してしまう。
そこに、救いの神か、マリアが車輪付きの可動式のテーブルにグラスと前菜を載せてやってきた。
「口を挟むようで恐縮ですが……。殿下は、おおよそ把握したというサイズを、弟君の奥様にご相談になってお決めになったんですよ」
「……まぁ、そういうわけで、残念ながら私はそんなに女性慣れはしていない。探している人がいたんでね」
「探している、人……?」
ならば、女性慣れしていないとしても、思い人か誰かがいるのだろうか。再び胸がもやっとする。そして、なぜか胸の痣がちりっと疼いた。
──テオドールに他に女性がいたからってなんだというの。
胸にくすぶる思いを蹴散らすように、ふるふると顔を横に振る。
──少し優しくされたからといって、簡単にほだされてどうするのよ。
私は私を叱責する。
ぱっと見てもテオドールは二十代半ばといった外見だ。ならば、思い人の一人ぐらいいるのが当然といったものだろう。
そんなやきもきした私の気持ちに気付くことなく、テオドールは話題を変えてきた。
「ああそうだ、リリアーヌ。君が奉仕を希望していた教会についてだけれど」
「あっ、はい」
「先方には話をとおしてあってね。あさってには訪問してもよいようだよ」
「あっ、そうなのね。……色々と気を配ってくれて、ありがとう。テオドール」
彼の名と共にお礼の言葉を口にすると、テオドールが私を見て嬉しそうに瞳を細めた。
そうして、私はテオドールと共に、胸の内を気取られないようにしながら食事を採ったのだった。
そして翌々日。
「これが帝都の教会……!」
テオドールに連れてきてもらった教会の前で、その荘厳さに、私は思わず感動を声に出してしまう。
「そんなに凄いかい?」
「ええ。勿論アンベールの王都の教会も大きいのですが、こちらの教会の方が、装飾が緻密で素敵です」
それに、アンベールの教会は一神教であり、装飾は神と天使たちの彫像だけだった。しかし、ドラゴニアの教会は多神教のようで、竜を筆頭に様々な種類の獣の頭を持った神々が彫られたり、描かれたりしていた。その差を比較するだけでも文化の違いが分かって面白い。
「凄いわ! こっちは竜だけを尊ぶわけじゃないのね。いろんな神様がいるわ!」
そうして教会の中に入っていって、ぐるりと天井画を見上げながら回る私を、気付くとテオドールが微笑ましそうに見守っていた。
「一人ではしゃいじゃってごめんなさい」
「いや、構わないさ。ああ、教皇猊下がいらっしゃった」
そう言われてみて耳を傾けると、入り口の反対側からコツコツと靴音が聞こえてきた。
「よくぞいらっしゃいました。テオドール殿下にリリアーヌ様」
先にテオドールが伝えておいたのだろうか、教皇だという人が私の名を呼んだ。
「始めてお目にかかります。私はリリアーヌと申します。癒しの聖女として、治癒の力を使うことができます」
「猊下、彼女の力については私が保障します。実際に彼女にはグレイトウルフに噛まれた腕を癒してもらいましたから」
そう言って、「なに事もない」とでもいうように、怪我をした左手をかざして動かしてみせる。
「それは素晴らしい。聖女様なんて、このドラゴニア帝国にいる限り、滅多にお会いできることなどありませんからな」
「……聖女は、人間にしか生まれないんですか?」
「いえ、ごく稀に弱い種族の少女に発現することはありますが、もうここ百年は存在を確認できてはおりません」
──あれ? それだと、どうやって帝国の人々は傷や病を癒すのかしら?
「あの。この国では、教会で人々の怪我や病を治す訳じゃないんですか?」
私は疑問に思ったことを口にする。アンベール王国では、教会に癒しの聖女が所属しており、癒しを求めて訪れる人々の傷病を癒していた。ところが、ドラゴニア帝国には聖女は滅多に現れないというのだ。だったら、人々はどうやって病などを癒したらいいのだろうと疑問に思ったのだ。
「それは、教会に属する薬師が作るポーションという薬品を用いるのですよ」
そう言うと、教皇猊下のお供でやってきた少年に、猊下がそれを持ってくるように促す。そうして少年が持ってきた瓶入りの薬品は液状のものだった。
「この薬品は薬師が作るポーションといいまして、病には飲んで、怪我には塗布して癒すのです。それで癒された民はお布施をもって感謝の意を表わすのですよ」
「……なるほど……」
私は、初めて見るポーションなるものをじっと見る。
「ですが! リリアーヌ様がここ教会で癒しのお力を行使してくださるのであれば、これらは、帝都で消費せずにすみます! そして、輸送してまだまだポーションが不足している町村に割り当てることができるのです!」
私は、やや興奮気味な猊下の勢いに、視線をポーションから猊下へと上げた。
そして、教皇猊下が興奮気味に私の手を取る。
「リリアーヌ様! こちらでお力をふるっていただけるとのお申し出、大変ありがたく思います。是非とも、この帝都の民のためにそのお力をふるっていただきたい」
そうして、掴んだ私の両手を上下に振る。
「勿論、無償でとは言わないよ。君の身は帝国が保障するし、働きに対しての報酬も支払おう」
私たちのやりとりを横で見ていたテオドールが条件面について説明を入れる。
「帝国が私の身を保障してくださるなんて……」
もったいなさ過ぎると思って、戸惑っていると、テオドールも猊下もそんな私を見て笑う。そして、教皇猊下と繋がれていた手は、自然と離れていった。
「それだけ、聖女には価値があるということなんだよ。……だからこそ、アンベール王国は聖女を流出させないようにと配慮していたはずなんだが……」
理解できない、といった様子でテオドールが顎に手を添える。
「全く解りません。しかも、殿下の酷い怪我を治すほどのお力とか。リリアーヌ様を放逐したなど、普通だったら考えられません」
──まあ多分、国王陛下方がお戻りになられたら大騒ぎになるんだと思うけど。
なにせ、私は癒しの聖女としても力は強いのだが、それだけというだけではない。国王陛下とあちらの教皇猊下の言葉が正しいのであれば、その他の力も発揮できる可能性があるのだから。
「『結婚が成約した暁には、国のために他の能力についても発揮できるようになれ」』と、「『それまでは、他の皇族や貴族から横やりを入れられないためにも、一介の癒しの聖女ということでおとなしくしておくように」』と陛下に口止めされていたのだ。
私が持ってきた鞄の中には、教皇猊下からいただいた聖女の能力鍛錬のための魔法書が入っている。
あちらの国の教皇猊下には申し訳ないのだけれど、私は身の保障をしてもらえた暁には、是非まだ発揮できていない能力についても伸ばそうと思っていた。そうして、その力をもって生きていこうと思っていた。
「アンベール王国は、ちょうど神事で国王陛下と教皇猊下が不在で……そのため陛下の決裁権は王太子殿下にあったのです。きっと殿下は私ではなく、別の女性を婚約者にしたかった、その一心だったのかと……」
私はそう言いながら、アンベールのエドワード殿下とイザベル様を思い出す。
──ああ、もう国を出たんだし、あちらの国の方には敬称とかいらないかしら?
私は呼び方の形の面でも気を取り直そうと思い立つ。
内心でそんなことを考えている私を余所に、ドラゴニア帝国の方々の話は進む。
「我々としては、ありがたいことこの上ないですけれどな。我々の国では聖女は生まれにくい。そんな中、他国から我が国に来ていただけるのであれば、大歓迎です」
教皇猊下の言葉に、テオドールが頷いて応える。
「そういうわけで、国をあげて君の身の安全は保障しよう。ああ、教会での奉仕だけれど、そんなに無理はしなくていいんだからね? いざとなればポーションがあるんだから。君にはなるべく無理はさせたくない」
そうしてテオドールは私の片手をすくい取ると、その指先に口づけをした。
──やっぱり距離感が近すぎないかしら!?
そうは思うものの、テオドールの所作がスマートすぎて、流れるように動作するものだから、私はついついそんな親愛の形を素直に受け入れてしまう。
「殿下はすっかりリリアーヌ様にご執心ですな」
「ええ、このとおり。他の誰にも奪われたくないですね」
そう言うと、テオドールは私のこめかみに触れるだけのキスをする。
──その独占欲はどこから来たの!? 聖女として!? まさか一人の女性としてとかじゃないわよね!? うぬぼれちゃダメよ、リリアーヌ。
──それにしても距離感がおかしいわよね……。
私は、またまたテオドールの言葉にドギマギさせられてしまう。
猊下はといえば、そんな私たちを微笑ましいものでも見るような様子で見守っていた。
「さて、では。リリアーヌ様、まだ国について間もないと聞いております。揃えるものやあつらえるものも色々ありましょう。こちらは落ちつきましたらで構いません。ご連絡をいただければ、我々はリリアーヌ様のご来訪を歓迎しますぞ」
「ありがとうございます、猊下」
そうして、私は教会で奉仕する手はずを整えることができたのであった。