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聖女は森で拾われる

「行ってしまったわね」

 遠く走り去る馬車の背面を見送ってから、私は両手を広げて目をつむる。

 ──人が私をのけ者にするのなら。

 私は友達を呼ぶわ。頼れるのは彼らしかいないもの。

「みんな、出てきて」

 すると、ぽうっと五色の光が点って、私の周りを取り囲む。

「全く。まだ開花していないとはいえ、大聖女の卵になにをするのかしら」

 そう白く光る光の精霊ルーミエが、怒って光を点滅させる。

「せめて生き延びられるように、村とか街に置いていくだろう、普通」

 憤慨した様子でそう言うのは、黄色く光る土の精霊ノールだ。

 そして、他にも赤く光る火の精霊サラマンダー、水色に光る水の精霊アクアと、緑色に輝く風の精霊エアル。

「みんな、ここまで付いてきてくれたのね」

 聖女たちの中で仲間はずれにされる中、唯一の友達だった精霊たちがその姿を現わして、私の心が喜びに満ち溢れる。

「そりゃあ、そうよ。私たちはあなたの友達だもの。名前をつけてくれたのもあなたじゃない」

 ふわりと飛んで、私の肩に座るエアル。

 精霊は数多くいる。けれど、彼らはその中でも特に私とよく私の前に姿を現わし、気を配ってくれた。だから、その五人に名前を与えたのだ。

 だって、友達に名前がないと話をしたり、呼んだりするときに不都合でしょう?

 と、少し脱線したわね。

 私は彼らが付いてきてくれたことを頼もしく感じた。

「ねえ、みんな。なにもないところに放り出されてしまったわ。私、どうしたらいいかしら?」

 せっかく友達が共についてきてくれたのだ。彼らに相談してみることにした。

「そうだな。道は、馬車が去って行った道と、その反対に進む道があるわね」

 エアルが両方の道を交互に見る。

「じゃあ、国境沿いということは、反対の道を進んでいけば隣の国につくんじゃない?」

 そう言って反対側の道を指さすのはサラマンダーだ。

「でも、私たちと違って、リリアーヌはおなかもすくし、喉も渇くわよね」

 そう言うのはリュミエールだ。

「そうねえ……国を出て、隣の国にいかなくちゃいけないのは決まりなのよね」

 そう言われて私は追放されたのだから。

「じゃあ、隣の国……ここから先に行くとして……」

 私は、鞄を開けて、その中にこっそりとしまっておいた地図を見る。精霊たちもおのおのそれを覗き見た。

「うーん、この道が地図上のここだとすると……ここを南に下っていけばドラゴニア帝国にたどりつけそうだわ」

 私はそう言いながら道を指でなぞる。

「あら。ならそうすると、この近くに湖があるはずじゃない」

 覗き込んでいた一人のアクアがトン、と道沿いに描かれた小さな湖の上に乗る。

「私たちと違ってリリアーヌ、あなたは喉も渇くしお腹もすくわ。水は最優先で確保するべきだと思うの」

 湖の絵の上を蹴って飛び、くるりと私の周りを舞った。

「だったらリリアーヌが食べられそうな木の実やベリーなんかも集めながら進まないと!」

 急に張り切り出すのはノールだ。

「じゃあまず、ここを目指しましょう!」

 私は鞄に地図をしまう。そして、さっそくとばかりに湖を目指して歩いて進むのだった。


 ◆


 所変って、ドラゴニア帝国の王宮の中。

 私は窓の桟に肘をかけ、窓の向こうの青い空を眺めていた。

「テオドール。今日の収穫はどうだった? 番の気配は見つかったのか?」

 燃えるような赤い髪と瞳を持つ(せい)(かん)な顔立ちの弟アンリが、私に問いかけてきた。

 アンリに呼ばれたとおり、私はテオドール・ドラゴニア。ドラゴニア帝国の皇太子だ。

「……この顔を見て、想像つかないか?」

 私があえて不機嫌そうな顔をしてみせれば、苦笑いをしてアンリが肩を竦める。

「お前も難儀するなぁ。ドラゴニア帝国に属する国々はほとんど飛んで回ったんだろう?」

「ああ。猫獣人、オオカミ獣人、リザードマン、エルフ……それぞれの国の上も回って探したが、これといったなにかを感じることは一向になかった。私には番がいるはずなんだ。その証に、私の左の手の平には番がいることを示す証が刻まれている……」

 まだ見ぬ愛おしい者に思いをはせるように、手の平の内側に刻まれた印を指先で触れてまぶたを伏せる。

 番の証、それは、竜人族を含む獣人族などに、運命で定められた我が身の半身たる伴侶が存在していることを示す。

 番とは、竜人族を含む獣人にとって、心身共に最良の結婚相手(パートナー)のことをいう。竜人族の相手は同じ竜人族であることが多いが、他の獣人など他種族が番であることもある。

 番は生まれながらのものであり、竜人族が結婚可能な身体になり、側にその相手がいると、本能的に相手の存在を感じることができる。ただ、番と結婚できなくても、他の相手と結婚し、子をもうけることも可能だ。

 番同志には、互いが対であることを示すかのように、揃いの印が身体のどこかに刻まれていて、私の場合には額に刻まれていた。

 ちなみに、番となるものが存在しながら異なる相手と結婚したり、番となる相手が死亡したりした場合には、その印は身体から消えるのだという。

「……これがある限り、どこかにいるはずなんだ……」

 切なさにため息を漏らす私に、アンリが反対側の肩から抱きかかえるようにして、大きな手で肩を叩く。

「そう落ち込むな!」

 私を慰めようと肩を叩くアンリ。その言葉も、どこかむなしく聞こえて思わずため息が漏れた。

「……ここまで探して見つからないとなると、どこを探して良い物か見当も付かない」

 なぐさめようとしてくれるアンリに感謝の意を伝えるように、ぽんと肩に手を添える。すると、不意に、がしっとその手を捕まれた。

「まだ探していない場所は在るだろう? 隣国を越えた人間の国とかさ!」

 ──人間?

 ふと、その発想には思い至っていなかったと思って、身体ごとアンリの方へ向き直る。そして、がしっとアンリの両肩をわしづかみにした。

「そこだ! そこまでは探していなかった!」

 ──相手は獣人だと。帝国内にいるのではという考えに囚われていた。でも、確かに人間として他国に生まれている可能性だってあるじゃないか!

「よし、アンリ! 私はもう一度そちらの方面を探しに行ってみる!」

 私はアンリの肩を叩くと、身を(ひるがえ)して、彼をあとにして掛けだした。一度しぼんだ私の胸は、再び希望に膨らんでいた。

 ──まだ見ぬ私の番。互いに最愛になれるという番。待っていて欲しい。今、迎えに行くから──。

 そんな思いを抱いて、庭に出る。そして足を一歩蹴り出す。すると背から銀色の翼が生えてきて、次第にそこ以外の身体の形状も人に似たのものから、竜のそれへと変る。

 そして、両方の翼をはためかせて大空へと飛び立つのだった。


 ◆


 精霊たちが見付けてきてくれたベリーやザクロなど、森の恵みに助けられて空腹と喉の渇きを癒やしながら、私は数日森の中の小道を進んでいった。当然夜は、柔らかい下草で覆われた場所での野宿だ。

 そうしてやっと、そこにたどり着く。

 私の周りを飛んでいた精霊たちの一人、ルーミエが声を上げた。

「ねえ見て、リリアーヌ。ようやく湖にたどりついたわ!」

 ルーミエの声に、足下に気を配っていた私が顔を上げると、木々の合間から差し込む陽光に煌めく湖が姿を現わした。

「わぁ、きれい!」

 私は、湖に向かって思わず駆けだした。

「飲んでも大丈夫かしら?」

 湖の岸辺にたどりついて私が尋ねると、アクアが「大丈夫」と太鼓判を押してくれた。

 私はさっそくしゃがみ込んで水を両手で(すく)い、その清らかな水で喉を(うるお)した。

 そのあと、立ち上がって湖の岸辺に立ち尽くす。

 辺りを見回すと、ぐるりと森に囲まれた小さな湖。そして、その岸辺にぽつんと一つ丸太小屋が立っていた。

「丸太小屋……誰か住んでいるのかしら?」

 森を進む間、休むときはなるべく下草の柔らかい場所を選んで──つまり野宿をしてきたので、身体が蓄積された疲労で「休みたい」と訴えていた。

 誰かが住んでいるのなら、一晩の宿を請うのもいい。もし、すでに捨て置かれたものなら、拝借しよう。そう思って私は丸太小屋まで歩いて行って、その扉をノックした。

「すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」

 ノックと共に声をかけたが、一向に返事どころか中から物音一つ聞こえてこなかった。

「誰もいないのかしら……?」

 ドアノブに手を掛けて、恐る恐る手前に引いてみる。すると、ギィ、と(きし)む音を立てて扉はなんの抵抗もなく隙間程度に空いた。

「……すみませーん。宿をお借りしたいのですが、どなたかいらっしゃいませんか?」

 念のため、もう一度そう言って声をかけながら、扉を開いて中を覗く。すると、家具類の上には布が被され、天井に一匹の蜘蛛(くも)が作ったのであろう蜘蛛の巣が張っていた。そして、中から古びたホコリの匂いがした。

「住んでいないんじゃないの?」

 入り口の隙間から、止める間もなくノールがすいっと飛んで入っていってしまう。

 ──精霊は、聖女の中でも特に愛された者にしか見えないから大丈夫かしら?

 力を発揮するときには、その力にそった色に輝く光の球のように見えることはあるみたいだけれど、一般的には見えないのが普通だ。

 そんなことを考えながら少し待っていると、ノールがひゅんっと飛んで戻ってきた。

「誰もいやしないぞ? それに、数年は人立ち入った気配もないな。空き家じゃないか?」

「そうなの。ありがとう、ノール」

 戻ってきたノールの小さな頭を、私は指先でそっと撫でる。すると、彼は得意げにニンマリと笑った。

「じゃあ、おじゃまして……っと」

 ギィとさらに音を立てて私が入れるくらいに扉を大きく開く。そして、誰に言うでもなく「おじゃまします」と呟きながら小屋の中に足を踏み入れた。

 中に入って辺りを見回しても、誰もいない。それどころか、よくよく見てみると小屋の天井の一角に蜘蛛の巣が張っている有様で、到底人が住んでいるような様子ではなかった。

「……大丈夫みたいね。さすがに野宿続きは身体が疲れたわ。少しここで宿を借りて、寝泊まりさせてもらいましょうか」

 そうはいっても、ほこりまみれに蜘蛛の巣では……と思い、私はさっそく掃除ができそうなはたきやほうきを見付けて、掃除を始めたのだった。


 ◆


 飛び出すようにして王宮を出た私は、竜の姿で大空からアンベール王国の方角を目指して飛んでいた。

 ドラゴニア帝国の方を振り返ると、王宮は小さく遙か彼方に見えた。そして、今はちょうど明確な(せき)などはないけれども、国境にあたるところのはずで、とにかく広い森が眼下に広がっていた。

 さすがにこんな場所には人すらいないだろう。私は、視線をアンベール王国があるはずの方へと向け直す。そして、その方向に進もうと翼を大きくはためかせる。

 そのとき──。


 ここは花などない空だ。

 それなのに、急に香しい花の香りがした。

 そして、ユリに似た形の紋様が熱を帯びる。それは私の左の手の平の内側に刻まれているものだ。


『番に出会うと、そうとすぐにわかるんだ。匂いとか、番の印の紋様が熱を持つとか。身体の全ての器官が、相手が側にいるって教えてくれる』

 かつて、すでに自らの番を見いだし、結婚している弟のアンリ。彼から耳にした言葉を、私は思い出した。

「私の番が側にいるというのか?」

 気が急いて辺りを見回す。けれど、見下ろしても眼下に広がるのは森ばかり。あとは、行商人がやっと通れるくらいの道が一本まっすぐに伸び、そしてその脇に小さな湖がぽつんとあるだけだった。

「下りてみるか」

 そう呟いて、私は翼を羽ばたかせて急降下する。私は竜の姿から、徐々に人のそれへと変り、翼を背に持つ竜人の姿に変っていった。


 ◆


 私は丸太小屋で数日休んで身体の疲れを癒した。

 ある日の朝、私はいつものとおり精霊たちと共に、森の側の小さな湖へ、私の水と、食料となる木の実や果物を探しに来ていた。すると、宙を飛ぶエアルがすいっと飛んで前に出た。

「ねえリリアーヌ。あそこにリンゴがなっているわ。あれも取ってきましょうか?」

 声をかけてきたエアルは、背の高いリンゴの木を見つけたようだ。そして彼女はその木に実った果実の周りをくるくると回る。

「そうね。でも、うーん。みんなにはちょっと重そうよね……」

 私はエアルが見つけてくれたリンゴを眺めて答える。たわわに実るリンゴのサイズは大きく、小さな精霊たちに持たせるのはちょっと可哀想に思えた。

 ──木登りなら得意なのよね。

 教会で、同僚の聖女たちに意地悪をされて、私の分の食事を捨てられてしまったときなどに、ならばと教会の裏にそびえている桃などの木の実を木に登って採っていた。そして、それでお腹を満たしていたのだ。

「それじゃあ、私が木に登って採ってくるわ!」

「おてんばなのは分かっているけど、気をつけてよ?」

 心配顔でアクアが私の顔を覗き込む。

「分かっているわよ! じゃあ、登ってくるわね」

 私は心配するアクアの頬を指先でぷにっと優しく突いてから、木の幹に足をかける。

「よいしょっと」

 手で木の幹にしがみつき、木の幹を蹴って登る。木の枝に手をかけ、太めの枝の上に腰を下ろす。そこから枝分かれしている小枝にリンゴがたくさんなっているのだが、どうにも微妙に手が届かない。

 片手で木の幹にしがみつき、身を乗り出して手を伸ばすのだが、あと一歩手が届かないのだ。

「あと、もうちょっとなんだけど……っ」

 もう一息ぐっと手を伸ばすと、私はぐらっとバランスを崩し、身体が木の枝から滑り落ちそうになる。

「え……あっ! きゃぁ!」

 身体を支えていた足が滑り、手で支えきれずに手を離す。そうして襲ってきた落下する感覚に、私は恐怖を覚えて目をつむる。そして、やってくるであろう衝撃を覚悟した──のだが。

 その衝撃はやってこなかった。

「痛……くない?」

 恐る恐るぎゅっと閉じていたまぶたを開ける。すると、銀色の髪とサファイアの目を持った青年と目が合った。

 (まつげ)は長く影を落とし、切れ目の青い瞳は理知的な印象を抱かせる。その私の姿を映す深い青のその瞳は、まるで吸い込まれそうな気すらする。さらに、()(りょう)はすっきりとしていて高い。とても美しい男性(ひと)だった。

 だが、人ではないのだろうか。耳の上部は人のそれよりも尖っており、背には銀色の神々しい翼が生えていた。

 でもそんなこと関係なく──。

 萌えた若草のように若々しく青い香りが鼻をかすめる。

 私の背と膝に添えられた腕は男性らしく硬く、熱い。

 ──綺麗な、人……。

 私は思わず彼を見つめてしまう。

 でもどうして私はこの人に抱きしめられているのだろう?

 やがて頭が落ちついてくると、自分の状況が理解できてきた。

 ──そうよ、木から落ちて、男性に抱きかかえられているのよ!

 木から落ちた私は、彼に背と膝を腕で支えられ、抱き留められていたのだ。

「きゃあっ! ご、ごめんなさい」

 さっきまでやっていた女性にあるまじき行為を見られたであろうことと、身体どうしが密着していることの羞恥に、私は首から上が熱を持つのを感じた。

「……大丈夫。怪我は……ないようだね?」

 私を頭からつま先まで眺め見てから、地面に片膝を突いてしゃがみ込んでいる彼が、そっと私を柔らかい下草の上に下ろしてくれた。

 ──あれ? 顔が熱いのはともかく、どうして胸の上にある(あざ)まで熱く感じるのかしら?

 一瞬、生まれた時からあるユリのような模様の痣が、熱を持つのを感じて疑問を持つ。

 って、でも、今はそれを不思議に思っている場合じゃないわよね!

「危ないところをありがとうございました……って恥ずかしい……」

 私は熱を持つ頬を両手で隠すように覆う。

「あのリンゴが欲しかったのかい?」

「……はい」

 私の羞恥心を知ってか知らないふりをしてくれているのか、彼は話題を私が採ろうとしていたリンゴの実に振ってくれた。

 すると、彼の背に生えた銀色の翼がバサリとはためき、彼が宙に浮く。そして、手を伸ばして二つリンゴを採ってくれた。

「はい、どうぞ」

 彼がリンゴを一つ差し出してくれる。

「ありがとうございま……」

 お礼を言おうと思ったそのとき、タイミング悪くお腹がクーッと鳴いた。

「やだっ、もうまた……恥ずかしい……」

 私は片手でリンゴを受け取りつつ、反対の手で頬を隠した。そして、あまりのみっともなさに、目が潤んでしまった。

 すると、彼がじっと私を見た。

「あの、……なにか?」

 すると、青年はバツが悪そうに、顔を背けた。髪から覗いて見える耳朶がわずかに赤くなったのが分かる。

「あ、いや、その。あ、そうだ! 君はこんなへんぴな場所でなにをしていたんだい? 私は魔獣退治でここに来たんだ。決してここは女の子が一人でいて安全な場所ではないよ?」

 普通、精霊は聖女にしか見えない。きっと彼には私一人でいたように見えたのだろう。

「その、リンゴを採ろうとして、落っこちて……」

「それは見ていたからわかる」

「そう……ですよね。その、私……」

 そうして私は、自分の身の上に起こったことを説明する。

 元は、アンベールの聖女だったこと。

 身分不相応ながら王太子の婚約者だったけれど、その婚約者から相手を変えると言われ、私には妾になれと言われたこと。

 さすがにそれは受け入れがたく、「婚約破棄させてもらいます!」と宣言したこと。

 そうしたら、国外追放を命じられ、馬車でこの近くまで運ばれて放逐されたこと。

 ちょうど湖の近くに小屋があったので、そこで数日休んでいて、ちょうど今は朝食になる果物を採ろうと外出していたのだと伝えた。

 ──木から落ちるのを助けてくれた恩人だもの。いいわよね。

 その事実が、初対面でありながら、私から少し警戒心を緩めさせていた。それに、見たこともないくらいに美しい銀の髪と、深いブルーの瞳、そして、私を受けとめてくれた身体のたくましさ。初めて会ったばかりで、はしたないかも知れないけれど、私は彼にほのかな好意を抱いていた。


 ◆


 ──危ない!

 そう思って自然に身体が動いて、木からリンゴを採ろうとしてしくじった彼女を抱き留める。

 彼女の身体は想像ししていたよりも軽く、ふわりとでもいうように私の腕の中に収まった。すっぽりと私の腕に収まる様子は、まるで収まるべきものが収まるべき場所に収まったかのようだ。

 ──この人だ。

 手の平の内側の印は、より熱くなって、「彼女だ」と教えてくれる。

 彼女が私の腕の中で、ぎゅっと閉じていたまぶたをゆっくりと開いた。

 ピンクゴールドのふわふわと緩やかに波打つ髪とガーネット色の瞳。そして幼顔なのだろうか、それらが相まって、その顔はとても愛らしい。腕に抱き留めたその身体の軽さと柔らかさ、そして温もり。この華奢な存在を守らねばと気が急く。

 感動と驚きがないまぜになって私の胸を占めた。けれど、胸を叩く鼓動の高鳴りが気恥ずかしく、彼女には知られたくないと思う。

 地面に下ろしてやった彼女はといえば、照れるその様子がまた愛くるしい。

 心の中は、やっと出会えた運命の相手に出会えた感激でいっぱいだ。

 ──間違いない。

 手の平の内側の印の熱さと、この胸の鼓動が、彼女で正しいと教えてくれた。

「あのリンゴが欲しかったのかい?」

 そう聞くと、彼女は羞恥で頬を朱に染めながらも素直にそうだと返事をする。だから、私は彼女のために翼をはためかせて、リンゴを二つほどもぎ取ってきてやることにした。

 翼のある私には、リンゴを取ることは容易なことだった。私は二つほどもぎとって、彼女の元に戻る。

「はい、どうぞ」

 下りてきて、私は彼女にまず一つリンゴを手渡した。

「ありがとうございま……」

 素直に感謝を伝えてくれるその言葉をくぅっクーッという彼女のお腹の音が邪魔をした。

「やだっ、恥ずかしい……」

 羞恥で涙目になりながら頬を赤らめる様子は、あまりに愛らしくて私の()()(よく)をそそる。熟れたサクランボのようにつやのある唇が動く度に、会ったばかりだというのにそこに触れたいとさえ思う。

 ──彼女だ。彼女が私の番だ。

 胸が高揚し、愛しさに思わず抱きしめてしまいたくなった。これは、番に出会ったための衝動なのだろうか。

「あなたの身体のどこか、私のこの手の平に描かれた印と同じものがないか?」と尋ねてしまいたくなる。けれど、まだ初対面。私は聞いてしまいたい衝動をぐっと堪えた。

 その間のせいか、私が彼女をじっと見てしまったように見えたようだ。

「あの、……なにか?」

 彼女が訝しげに問う。

「あ、いや、その。あ、そうだ! 君はこんなへんぴな場所でなにをしていたんだい?」

 私は、話題を逸らすことにした。

 彼女は人間だ。番の仕組みを知っているのは、この世界では一般的に獣人だけ。獣人の番いに人間が選ばれることはかなり珍しいことだ。

 本当は、「あなたは私の番なんだ!」と告げてしまいたい。けれど、こみ上げる想いを必死で胸に押さえ込む。なぜなら、会ったばかりでは、彼女が混乱するだろうから。

 ──生まれつき運命に定められた伴侶がいるなどと。

 なにも知らずに生まれ育ってきた彼女はきっと動揺するだろう。

 本当は、彼女が持っているはずの私と同じ印が見たい。そして、私たちは番なのだと告げたいという欲求を飲み込んで、私は話題を逸らしたのだった。

「あ、いや、その。あ、そうだ! 君はこんなへんぴな場所でなにをしていたんだい? 私は魔獣退治でここに来たんだ。決してここは女の子が一人でいて安全な場所ではないよ?」

 そう言うと、彼女は自分の身の上に起こったことを語ってくれたのだった。


 ◆


「──というわけで、私はこれからドラゴニア帝国の人里を探そうと思っているんです。私は癒しの聖女ですから、その土地に住んでいるみなさんを治療することで生活出来ないかなぁって思って。……ね、テオドール。私の計画、甘いですかね?」

 だいたいの事情を説明し終えると、私はシャリッとリンゴをかじって一口口に含んだ。そして、そのリンゴを()(しゃく)しながら、上目使いで彼の横顔を見つつ、評価を待つ。

 ちなみに、彼の名前がテオドールで私の名前がリリアーヌということ──つまり互いの簡単な自己紹介も済ませたところだ。

 けれど、私がただの聖女ではなくて、他の能力を行使できるようになるかも知れないという可能性については、彼には申し訳ないけれど伏せておいた。

 それは祖国──すでに過去の国だけれど──で口止めされていたこと。そして、そのとき注意されたように、それを告げることで(おお)(ごと)になっても困ると思ったのだ。

 そんな後ろめたさも感じていると、並んで座っているテオドールは氷も溶かすような温かで(とろ)けるような笑顔を私に投げかけてくれた。

「リリアーヌは偉いね。婚約を反故にされた上に妾になれだなんて言われた挙げ句、国を追い出されたというのに。もう自活しようと考えているなんて、君は前向きだな」

 私と並んで座っているテオドールがそう言って眩しそうに私を見る。それから彼は、顔の向きを戻すと、もう一つのリンゴをシャリッと食んだ。

 私は咀嚼したものを飲み込んで口を開く。

「前向きとか……そんなんじゃないわ。ただ、悔しかったのかも知れない。私には後ろ盾もないけれど、私は私で王妃教育に真面目に取り組んできたわ。それに、聖女の役目も努めてきたつもりだったのよ。でも、殿下にとっては、そんなものは意味がなかったのね……って、あれ?」

 ポロリと、ひとしずくの涙が頬を伝った。

「リリアーヌ……」

 テオドールが気遣うように私の名を優しい声で呼ぶ。

「あれ、おかしいな。私、本当にあの人との結婚なんて望んでいなかったのに。……どうして涙が流れるんだろう」

 一度涙が零れてしまうと、跡は堰を切ったようにポロポロと涙が瞳にあふれ出ては頬を伝い落ちる。

 発した言葉は本心からの言葉で、偽りはないはず。それなのに、胸の奥にある(おり)のようなものが喉のすぐそこまでせり上がってくるような、そんな感覚を感じて、止めたいと思うのに涙はなかなか収まってくれない。

「リリアーヌ。泣きたいときは思い切り泣いていいんだ。……幸か不幸か、今ここには私しかいないよ? 私の胸で良かったら貸すから……」

 テオドールはそう言うと、私の両肩をそっと掴んで、私を彼の方に向けさせる。隣に並んで座りながら、お互い身体を捻って向き合うような形で。そして、彼の長い腕が私を捕らえた。

 視界が暗くなる。

 私は彼の胸の中に閉じ込められたのだ。

「テオド……?」

 私は突然の出来事に戸惑って、身体が硬直する。会ったばかりの男性だ。普通だったらあり得ないシチュエーション。けれど、彼の体温は温かく優しくて、私を癒やそうという想いが伝わってくる。私を包む闇は、温かく優しい。

 さらに、トントン、と彼は私の背中を規則的に優しく叩いてくれる。

 すると、胸の内と、その上にある痣がじわりと温かくなって、彼の優しさを受け入れろと私に甘く(ささや)いた。

「うわぁ──んっ!」

 私は、心の内に溜まっていた澱のようなものを吐き出すように、大きな声を上げて泣いた。まるで子供のように。そんな私を、テオドールは私の涙で着衣が濡れるのも(いと)わず、ただ静かに受けとめてくれていた。

 きっとこの感情は、ずっと心に溜めて我慢してきた、惨めさとか、悔しさとか、そういったものなのだろう。しれっと顔に出さずにいたけれど、心は正直。虐げられてきた惨めさなどが私の心の内に溜まっていたのだ。

 それはきっと、あの国で生きていくためには『聞き分けの良い子』を演じざるをえなかったから。受ける仕打ちに、黙って見て見ぬふりをしないといけなかったから。

 そんな十歳のときから我慢しなければならなかった、そんな私の心の中の子供の部分が泣いていた。

 ボロボロと流れ落ちる涙と(どう)(こく)は、私の心を自浄するかのように流れ出て、そしてそれはテオドールの温かでたくましい胸に受けとめられる。

 そうして私が涙を流す間、テオドールはただただ静かに私の背を撫でていてくれた。

(随分と我慢を強いられてきたようだ。……これからは、私が彼女を護ってあげないと)

 そんな風に思って、さらに強く抱き留めてくれたテオドールの胸中に思いをはせるほどの余裕は、そのときの私にはなかった。

 そうしてしばらく泣いてようやく涙が止み、ふと気がつくと、向かい合うテオドールの上着の一部分はしっとりと濡れてしまっていた。

「あっ、あの……ごめんなさい」

 私はおずおずと上を向いて彼の顔を見上げる。

 すると、私の上からは思いもよらないほど温かで優しげな笑みが向けられていて、私は目を瞬かせた。

「すっきりしたかい?」

 ニコリと目を細めてテオドールが私に問いかける。

「ああ、そうだ。随分と鼻声だ。ああ、そうだ。これで鼻をかんだらいい」

 そう言って、テオドールが私に真っ白なハンカチを差し出してくれる。

「え……えっと」

 さすがの私も初対面の相手の好意とはいえ、真っ白な清潔なハンカチを差し出され、「鼻をかんだらいいむように」なんて言われても躊躇するばかりだ。

「あ、『鼻をかむように』だなんて、面食らっているかな? 大丈夫。さ、それを使って。涙には心を癒やすのに効果があるからね。ましてや君は女の子だ。泣いてしまうことを恥じることはないよ。そして、涙を流したら鼻が出るのも当たり前。さ、遠慮することはないよ」

 そう言いながら、彼は私の濡れた頬を手で優しく拭いとってくれた。

「ありがとう、テオドール」

 私は彼が拭ってくれるのを素直に受けながら唇に笑みを浮かべて、感謝の言葉を口にする。そして、ありがたく、借り受けたハンカチを使って鼻をかむ。

 それが終わると、もう一度テオドールに向かって笑いかけた。

「やっと笑った。君には笑顔の方が似合うよ。私もその顔が好きだな」

 ──好き!?

「……っ!」

 テオドールの発した言葉に、思わずはじかれたように身体を後ろにそらした。

 ──いや、私の笑顔を褒めてくれただけよね。

 私は胸を押さえて動揺を鎮めようとする。

「はい、綺麗になった。……じゃあ、これからのことを考えないとね」

「……これから?」

 私は、あとで綺麗にして返そうと思って、借りたハンカチを折りたたみながら彼に尋ねる。

 すると、私が少し距離を取ったことを気にするでもなく、テオドールは思いもよらなかった言葉を口にした。

「そうだよ。これから。君はずっと森にいるつもりはないんだろう? ……ねえ、リリアーヌ」

「なあに? テオドール」

 私があとずさって開いた距離を、テオドールが詰めて私に近づく。

「……私はこの国の帝都に住んでいるんだけれど、一緒に来ないかな?」

「ドラゴニア帝国の帝都?」

「そう」

 提案を受けてみて改めて見てみれば、確かにテオドールは帝都に住んでいてもおかしくない……。いや、私の目で見てもわかるくらいに、かなり上等な布でできた衣服を纏っている。

「奉仕したいというなら、帝都に行って、その帝都にある教会で奉仕するといいよ。帝都には大勢の民がいる。その中には君の癒しの力を求めるものも大勢いるだろう。それに治安もいいから……っ!?」

 そう言いかけると、テオドールが膝を突いて身を起こし、片手を広げて私を彼の背の後ろにかばう。ガサリと葉擦れの音がしたのだ。

「私の後ろに隠れていて!」

 彼の背中の隙間から見えたのは、オオカミの群れだった。

 その姿を認めて、私たちはどちらが言うでもなく、揃って立ち上がった。

 私を(かば)いながら、テオドールは「そこにいて!」私に念を押す。そして、左の腰に下げていた剣を(さや)から抜いた。そして、オオカミの群れの中に駆けていく。

「テオドール! 一人でなんて危ないわ!」

 思わず口にしたけれど、それは()(ゆう)で終わる。

 氷でできたような透明なその刀身は、その鋭利な刃先でオオカミたちを撫で、または切っ先で突き、次々にオオカミたちを退治していく。その剣の動きには一切のためらいも容赦もなかった。

 けれど、最後に残った群れの長らしきひときわ大きい一頭が、その前の一頭に少し手こずらされている隙に、テオドールに襲いかかろうとする。

「テオドール、左!」

 私は、オオカミの長の来る方向を知らせる。

 すると、一頭前のオオカミを撫で切りにしつつ、左から来る牙を腕で制する。そして、腕を噛ませたまま、流れるような剣捌きでオオカミの長を剣で突き刺し、絶命させた。

「……これでよし、と」

 オオカミたちは全て逃げたか身動きが取れない状態になった。それらに背を向けると、私に向かって笑顔を見せた。

「リリアーヌ。大丈夫だったかい?」

 笑顔のテオドールとは対照的に、私は腕から血を流す彼を見て怒り心頭だ。

「よし、じゃないわ!」

 彼の左腕のかみ傷からにじみ溢れ出る、その腕に私は駆け寄った。

「彼の者を癒やせ(ヒール)」

 テオドールの左手を取って、私はそう命じる。すると、ぽうっと金色と水色の光が点って、その傷の周りを回るように浮遊する。そして、治し終えたのだろう。光が空気に溶けるようにして消え去った。

「……痛みが、消えた?」

 不思議そうな顔をしながら、カフスボタンを外し、シャツをまくり上げる。

「……治っている」

 そう呟くと、彼が顔を上げて私のことをじっと見た。

「癒しの聖女というのは本当なんだ」

「そう。癒しの力は、水の精霊と光の精霊の力を借りて行使するの。さっきあなたの腕を覆った光はその精霊たちの力が具現化したものよ」

 傷が完全に塞がっているのを確認すると、テオドールはまくったシャツを元に戻し、袖口をカフスボタンで留めた。

「実際に見たのは初めてだけれど、凄い力だね。……ああでも、ここも血なまぐさくなってしまったね。ちょっと場所を移ろうか」

 足下で絶命しているオオカミたちを見下ろして、テオドールが場所を移そうと提案する。確かに彼の言うとおり、ここはさっきのオオカミたちの血の匂いが充満していて血なまぐさい。

 私は彼の提案に乗ることにした。

「ええ、移動しましょう」

 そうして二人でしばらく歩いて行くと、色とりどりの花々が咲き乱れる見晴らしの良い丘に出た。

「わぁ! 綺麗!」

 はしゃいで駆け出す私が、くるりと回って背後を振り返ると、テオドールが目を細めて私を見ていた。

「そうしていると、力も抜けて自然体で可愛らしいな。それに、私はリリアーヌの笑っている顔が好きらしい」

 さらりとテオドールが私を褒めながらこちらへやってくる。

 それに対して私は「可愛らしい」だの「好きだ」などと、なれない言葉で褒められて、私は頬から耳朶まで紅潮してしまうのを感じる。

「……褒めすぎよ」

 私は赤くなっているであろう両の頬を隠しながら抗議する。

「私はリリアーヌが好きだよ。それにこれの恩人だしね」

 そう言って、さっき怪我をした左腕を掲げてみせる。そこは破けた服は元には戻らないものの、その裂け目から見える彼の素肌には傷一つ残ってはいない。

「だって、それだけが取り柄だもの」

 そう言いながら、やっとほてった熱が落ちついてきた頬から私は手を下ろす。

「ねえ、リリアーヌ」

「なっ、なぁに?」

 さっきから足を止めて丘の上に立っていた私に、テオドールが追いついて向かい合う。

 私はさっきの言葉のせいもあり、ドキマギしながら彼の顔を見上げる。

「私はテオドール・ドラゴニア。ドラゴニア帝国の皇太子だ。君を帝都に招きたい。君の力は本物だ。私の気持ちもそうだけれど、きっと民も君を歓迎することだろう」

 ──あなたの気持ちって!? しかも皇太子!?

 私は彼の発した言葉に驚き、そして再びどぎまぎさせられる。

 ──きっと、私の聖女の力が欲しいってことよね、そうよね。

 私は前の国で選ばれなかった方の女。そう言い聞かせて、私は私を期待させすぎないよう、胸を押さえて自制する。

「私が帝都の教会で治癒の力をもって奉仕することに、殿下がご助力してくれるのですか?」

 私は、皇太子相手ということで自然に言葉が敬語になる。

 すると、彼は眉間に皺を寄せて手をひらひらさせる。

「殿下とか、その言葉遣い、止めて欲しいな」

 その言葉のとおり、眉間に皺が寄り、明らかに表情が嫌だと言っている。

「じゃあ、どうしたら……」

 私は困ってしまって言葉を濁した。

 ──身分は絶対だもの。

 身分ゆえに迫害されてきた私はそう思う。

 そんな彼は、口を開くと私を驚かせるようなことを言う。

「今までどおり私のことはテオドールと名前で呼んで欲しいし、今までどおりの普段使いの言葉で接して欲しい。そうじゃないと、なんだか距離を感じて……寂しい」

 彼はそう言うと、私の方にもう一歩近づいてきて、私の方に彼の長い腕を伸ばす。そして、私の両方の腰と手の隙間をぬって差し入れられ、そのまま腰の後ろで手を組んだ。

「あっ、あの……近すぎます……」

 私は困ってしまってどこに視線を置いて良いのかも解らない。

「君が敬語をやめて名前で呼んでくれるまで、止めてあげない」

 テオドールが半ば意地悪げに、半ばからかうように、片方の口の端を上げる。その顔は、私の目の動きや表情の七変化すら楽しんでいそうだ。

「もっ、もうやめてよ、……テ、テオドール!」

 私は早々に音を上げて、ぶんぶんと顔を横に振りながらテオドールの要望に応えた。彼は満足そうに瞳を細めると、彼の手が私の頬に添えられた。

 私の頬を横切るとき、ちらり、と見えたテオドールの手の平の内側に、見慣れた痣があるのに私は気付く。さっきから、チリチリと熱を放つ、胸の上にあるユリのような形の痣だ。

 ──あれは私の胸にあるのと同じもの?

 問いたいけれど、それを問うには私の衣服の胸元を下げなければならない。初対面の男性相手に到底そんなことができようもなく、私はその疑問を胸にしまい込むのだった。

「じゃあ、私と一緒に帝都にきてくれるかい? リリアーヌ」

「ええ、行くわ。テオドール」

 森を抜けて街を探すなんて危険を犯すのに比べれば、私にとっては申し分のないくらいの申し出だ。私には癒す力はあるけれど、彼のように戦う力はないのだから。

「あっでも……」

 そこで私は、丸太小屋に置いてきたままの鞄に思い至る。あの中には一揃えしかないが着替えや、なにより聖女にとっては貴重な魔法書が入っているのだ。

「どうかしたかい?」

「ここの近くの丸太小屋に鞄を置いているの。それを取りに行きたいわ」

「じゃあ、そこに寄ってから行こう」

 そうして、二人で丸太小屋まで戻って、再び丘に戻ってきた。

「じゃあ行こう。……ええと、少し離れてもらってもいいかな」

 そう言うと、テオドールの方から私と距離を取り出す。

「……? はい……」

 なんでだろうとは思いながら、私も彼が歩む方とは反対に歩いて行く。そうして、二人で私たちがいた小さな丘の両端にたどりついたとき、「これでいい」と彼が言う。

 彼が、変化していった。

「怖がらないでね」

 翼が生え、ツメが尖り、さっきまでなめらかだった肌は硬そうな銀色の鱗で覆われる。身体が大きくなり、人のそれから、ドラゴンの形に変化していた。彼であることを示すかのように、たてがみは彼の髪色の銀、そして、瞳は湖水のような青だった。

「……これが竜形のときの私の姿。怖くはないかい?」

 気を遣うように声をかけてくる。

「いいえ、怖くはないわ。だって、さっき私を護ってくれたテオドールだもの。……それにしても、綺麗……触れても良いかしら?」

「勿論」

 竜の口からテオドールの優しげな声が聞こえる。

「じゃあ……」

 私は近づいていって、そっと手を伸ばす。そして、硬質な鱗に触れる。一見冷たそうに見えるそれは、彼の身体の熱を持っていて温かかった。

 テオドールの──人間の異性の姿ではないからだろうか。私はさらに一歩近づいて、その身体に自らの身体を寄せ合い、頬を預ける。さっきまでチリチリと熱かった胸の痣の熱がなぜか落ちつくのを感じる。まるで、こうあるのが正しいとでも言わんばかりに。

 私はその姿勢のまま、目をつむって口を開く。

「さっきはありがとう、テオドール。あなたのおかげで私は助かったわ」

 テオドールの腕の怪我のせいで伝えそびれていた言葉を伝える。すると、竜形のテオドールの長い首が私の方に伸びてきて、その首で私を包み込んだ。

「礼には及ばないよ。私が護りたいと思ったんだから。……さあ、帝都に行こう、リリアーヌ。私の背の上に登れるかい?」

 テオドールは片翼を広げ、その裾を地面に触れさせる。

「そこから上がってくるといい。背中まで上がったら、空に飛んだときに振り落とされないようにしっかりとたてがみを掴んで」

 私は一つ頷くと、彼の言うとおりに翼から胴体へとその大きな巨躯を登っていく。そして、首の付け根辺りで腰を下ろし、言われたとおりに彼のたてがみをしっかりと掴んだ。

「準備はできたようだね。では、飛ぶよ」

「ええ」

 私が応えると、彼は立ち上がり、両方の大きな翼をはためかせる。足が大地を蹴り、ふわりと浮遊感を感じる。さらに、翼が上下される度に高度が上がり、やがて丘も、森も、借りていた丸太小屋も小さな模型のように見えるまでになった。

「凄いわ……!」

 空高く浮かんだかと思うと、今度はぐんぐんと帝都とおぼしき方向へ大空を進んで行く。

「空の旅は初めてかい?」

「私は人だもの。当たり前よ。感動だわ!」

 喜色を込めて返答すると、テオドールが嬉しそうに一声咆哮したのだった。



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