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聖女争奪②

「全く酷い話よね。やっぱり聖女が必要だったから、返せ~なんて。リリアーヌ姉様もずいぶんなとばっちりよね」

 返還拒否の書簡を返してもらってからしばらく経ったある日、私はミシェルと一緒に午後のお茶を一緒に楽しんでいた。

「そうやって言われてみればそうなのよね。勝手だわ……まあ、私を追い出したとなると、きっとあの国の王太子はかなり叱責されるんだろうな~くらいには思っていたんだけれど。まさかこっちで婚約も決まっているのに、返せなんて言ってくるなんて驚いたわ」

 マリアが茶菓子として用意してくれた一口大のクッキーを頬張る。

「……でも、諦めるのかしら? あなたって、なんだか色々と凄い聖女みたいじゃない? 治癒はしちゃうし、結界も張れるし、予言もできちゃうし。他にそんな子いるの?」

 ミシェルも、ぽい、と自分の口にクッキーを放り投げて咀嚼しながら尋ねてくる。

「うーん。私、実は聖女の全ての力を使える、大聖女の可能性があるらしいのよね……そんな人は、滅多に現れないらしいわ。確か、建国以来、って言っていたような……」

 私は、クッキーが少し残った口を洗い流すように、紅茶を一口口に含む。

「じゃあ、諦めないかもねえ……」

「ええ?」

 私は、心底嫌で、眉根に力が入る。

「まあ勿論、ドラゴニア帝国の竜人族──特に王家の人間ね。彼らは、大型竜になれるから、強いわ。人間なんて相手にならないわよ。だから、あなたは安心していて大丈夫だけれど……」

「だけど?」

「いかに、あちらが負け戦だろうけれど、戦を起こされたら、地方の弱い部族が住む地域は土地を荒らされるわ。兵糧として食料なんかも奪われるだろうし……」

「……そんなの嫌だわ。すっぱり諦めてくれればいいのに……」

 私は、すっかり食欲も失せて肩を落とす。

 そんな私を、ミシェルが陽気な笑顔で励まそうとする。

「大丈夫よ、リリアーヌ姉様。あっちは人間よ? さすがに負けると解っている戦争に手を出しやしないわよ」

 そう言って、陽気に笑っていたのだが……。

「リリアーヌ!」

 テオドールが、バン!と大きな音を立てて扉を開けて、やってくる。

「ああ、済まない。ミシェルと一緒だったのか……だが、一大事なんだ」

「一大事?」

 私は、さっき話していた嫌な話題が脳裏をよぎった。

「アンベール王国が戦を仕掛けてきた。要求はリリアーヌ、君だそうだ。兵はおよそ五万で押し寄せてきているらしい」

 苦々しげにテオドールが告げた。

「どういうこと!? いくら人数をかき集めたとしても、人間が獣人に敵いっこないじゃない!」

 ミシェルがテーブルにバン、と手をついて叫ぶ。

 竜に変化できるドラゴニア帝国の皇族たる竜人族は言うまでもないけれど、獣人は一般的に体力や力といったものが人間より勝る種が多い。

 オオカミ、熊は強さに勝り、リザードマンといったトカゲ種の獣人はすばやさに勝る。数で補おうとも、一騎当千とまでもいかないにしても、一人当たりの力量は優れているのだ。

「だが、国境近くの村々を荒らし、これ以上荒らされたくなければ、リリアーヌ、君を差し出せと要求してきている……」

 テオドールが、酷く険しい顔をして告げた。

「酷い……私のために、関係のない民を踏みにじる村を踏み荒らすなんて……!」

 私は、虐げられる人々のことを思うと、泣き出したくなってきた。

「私はこれから、国境沿いに行く。そして、奴らを追い返してくる。そして、リリアーヌ。君は渡さないと宣言してくる」

 そう告げるテオドールに、私は首を横に振って答えた。

「ダメ、私もつれて行って」

「リリアーヌ!?」

 テオドールは驚きで目を見開く。

「リリアーヌ姉様、危ないわよ!」

 ミシェルも一緒になって反対する。

「テオドール。私にはできることがあるわ。自分にも、あなたにも、障壁の護りをかけることができる。……私は護られるだけじゃない。私もあなたを護りたいのよ!」

「……リリアーヌ……」

 私とテオドールは見つめ合う。そこに、ミシェルが口を挟む。

「だったら、あなたの口から『もう帰らない!』って言ってきてやりなさいよ!」

 そうして、ウインクをして見せた。

「テオドール兄様も、二人で、力も愛も相手に見せつけてくればいいじゃない。……それとも、兄様は姉様一人も守れないの?」

「守れるに決まっている! いや、守って見せる!」

「テオドール……」

 テオドールの言葉に、私は感動で胸を打たれた。

「……こっちが有利とはいえ、場所は戦場だ。危険な場面もあるかもしれない。それでも一緒に行ってくれるかい?」

「ええ、勿論よ!」

 テオドールの問いに、私はしっかりと頷いて返す。

「ミシェル。アンリも連れていくが、お前まで来るとか言い出すなよ?」

 窘めるようにテオドールが言うと、ミシェルは肩を竦めて舌を出す。

「はいはーい。どうせ私は非力ですもの。アンリが凱旋するのをおとなしく城で待っているわ」

 テオドールは、それを聞いて安心したらしい。

「じゃあ、リリアーヌ、行くよ」

「ええ、わかったわ」

 私は、いざというときの為に、聖女の魔法書を持って、彼のあとを追ったのだった。


 そして、城の屋上ではすでにアンリ殿下が待っていた。

「リリアーヌ姉上も一緒か?」

 驚いた様子で目を丸くする。

「ああ。戦力になるからと言って、同行を望んだんだ。……彼女の結界があれば心強い」

「確かにそうだな。……よろしく、姉上」

「ええ、よろしくね。アンリ殿下」

 アンリ殿下の微笑みに、私も微笑み返す。

 それを見届けたあと、テオドールが私の方に身体を向ける。

「リリアーヌ、私たちは竜になって飛んでいく。君は私の背中に乗ってついてきて欲しい」

「……ええ、わかったわ」

 確認を取ると、私は彼らが変化するのに必要な分、距離を取る。

 すると、二人がその姿を変え始める。

 背中に二枚の翼が生えてきて、次第にそこ以外の身体の形状も人に似たのものから、竜のそれへと変る。

 そして二人は巨大な二頭の竜に姿を変えた。

 テオドールは銀色鱗に覆われた銀竜に。

 アンリ殿下は赤い鱗に覆われた赤竜に。

「さあ、リリアーヌ。私の背中に乗って」

 テオドールが翼を私の側に開いて下ろして、乗るようにと促してくる。

 私はそれに従って、翼伝いに背中に乗った。

「さあ、行くぞ!」

「おお!」

 二頭の竜が、翼をはためかせる。

 バサリ、バサリと翼を羽ばたかせると、屋上に風が舞う。

 やがて屋上から足が離れ、浮上感を感じる。

 次第に高度が上がり、屋上にいる兵士たちも、帝都の街並みも模型のように小さく見えるようになった。

「目的地は、国境近くのフィヨン村だ」

「了解!」

 兄弟竜は、そう申し合わせると、目的地に向かって飛んでいくのだった。


 テオドールの背中に乗って移動していると、風景があっという間に流れていく。木々も、道も、家も、街も、河も、湖も。

 まるで模型のように見える光景に圧倒されながらも、心は襲われているという国境沿いの村に思いがいった。

 ──村の人々は無事だろうか。

 村といっても、人口はおよそ千人と農業が盛んな農村なのだという。

 そんな村の人々が、五万の兵に虐げられてはいやしないかと気が気でない。胸は張り裂けそうだった。

「テオドール。襲われている村の様子は聞いているの?」

 私は風に煽られながらも竜になって飛んでいるテオドールに尋ねる。

「状況は詳しくは解らない。まだ、一報が入っただけなんだ」

「……みんな無事だといいんだけれど……」

 確かに自分が行けば、怪我は治せるけれど。

 それより前に死んでしまっては私では助けられないし、そもそも、怪我が治せるとはいっても痛みは与えられるのだ。

「……どうかみんな無事でいて」

 私は祈るような気持ちで到着を待つのだった。


 竜たちの飛翔は早かった。

 国境沿いだというのに、以前私が連れてこられたときと同じように、その日のうちに到着した。

「煙が上がっているわ!」

 小さな集落らしきものが見えてきて、そこから空に向かって煙が登っているのが見えた。

「燃やされたか!?」

 テオドールが苦々しげに呟く。

「上手く避難できているといいんだけれどな……」

 赤竜のアンリも気遣わしげだ。

 そうして到着してみると、村の家々が燃やされていた。

水流閃(ウォーターストリーム)!」

 村の上に到着すると、テオドールが喉の器官で水を生成し、それを燃える家々の上に降り注がせる。

「あ、村の人が森へ避難していくわ。アンベール兵がそれを追っていくわ。止めないと!」

 私は、森の中に避難した村の人を追いかけていく兵士たちを発見した。

「リリアーヌ! そっちは君に任せた!」

「わかったわ! 土と風の力よ! 人々を護りたまえ(ワイドプロテクション)!」

 私は、村の人々が避難している森に、結界を張る。私の結界は、五万の兵の前に、広く長く張り巡らされる。まるで村と森を護るように。

「よし、ありがとう、姉上。これで心置きなくやれる!」

 家々を消化しているテオドールと別れて、アンリも赤い翼を広げてアンベール兵の前に立ちはだかる。

「灼熱の(ファイアーウォール)!」

 赤竜の喉の器官で炎を生むと、アンリが兵士の前に炎の壁を作り出す。首を左右に振って、長く続く赤い炎の壁を作り上げて、アンベール兵たちの追随を阻んだ。

 獄炎の壁に阻まれ、そして二頭の竜を前にアンベール兵たちは動揺して右往左往する。

 そんな中、アンベール兵たちの中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「なっ! 結界!? まさかリリアーヌか!?」

 そう叫んだ人物は、兵士たちを乱暴にかき分けて出てくる。

 アンベールの王太子──かつての婚約者、エドワードだ。

「リリアーヌ! どこにいる! お前を連れ戻しに来た! 野蛮な竜などから離れてこちらへ戻れ!」

 エドワードが辺りを見回しながら叫んでいる。私は大きな竜になったテオドールの背中に乗っている。だからきっと、テオドールの身体の影になって、小さな私の姿は見つけられないのだろう。

 そんな中、村の消火も終わり、アンリと並ぶようにして、テオドールが翼を羽ばたかせながら兵士たちの前に立ち塞がった。

 私たちとアンベール兵の間にある炎の壁は、テオドールの羽ばたきに煽られて、アンベール兵たちを後退させる。

「リリアーヌ! そこにいたのか!」

 エドワードが、テオドールの背の上に私を見つけて叫んだ。

 一瞬視線が重なる。

 かつての婚約者。そして、不義理をして私を森にうち捨てた張本人。

「エドワード、私は帰らないわ! この竜はドラゴニア王国の王太子テオドール! 私はもうこの人と婚約しているの! だから、もうアンベールは私の帰るところじゃない!」

 私はきっぱりとエドワードの申し出を拒絶した。

 それを聞いても、エドワードは信じられないといった様子でさらにこちらに向かって叫んでくる。

「なにを言っている! そんなことを言って、実際にはお前はそこの竜たちに、卑劣にも脅かされて拘束されているだけだろう!?」

 わめくエドワードの言葉に、私ははっきりと横に首を振る。

「いいえ、そんなことは一切ないわ。あなたと違ってテオドールは私を大切にしてくれる。私が生きるのは、テオドールのいるドラゴニア。あなたの元じゃないわ!」

 私はエドワードに向かって叫んだ。

「なっ! 竜人たちに卑劣な手段で籠絡されたか!」

「籠絡されてなんかいないわ。私たちは、互いに想い愛し合ってているの。……ね、テオドール?」

 そうテオドールに尋ねると、銀竜の姿のテオドールがゆっくりと頷く。

「エドワードとやら。私、ドラゴニア王国の王太子テオドールとリリアーヌは、互いに愛を確かめあったった上で婚約した。そもそも、そちらがリリアーヌを森にうち捨てたのだろう? 非道なのはどちらだ! もう、貴国に彼女を返却する(いわ)れはない!」

 テオドールも、はっきりと私の言葉に同意してくれる。そして、エドワードの要求をきっぱりと拒否してくれた。

「……それでは困るんだよ、リリアーヌ。お前を取り戻せないと私は廃嫡される……! なんとしてでも戻ってもらう! 兵士たち! 怯んでいるんじゃない! 竜を討伐せよ!」

 エドワードの言葉に、兵士たちから動揺の言葉が漏れる。

「怯むな! 攻撃しないものはうち捨てる!」

 そう言って、エドワードが腰に差した剣を抜き、振りかざした。その剣に不運にも切り裂かれてうずくまる兵士たち。

 それを見て、死にたくはないのだろう。悲鳴のような声をあげながらも、兵士たちがどうにかして業炎の壁をくぐってこちらへ来ようとする。そうして全身火だるまになる兵士たちもいた。さらに、弓兵たちもこちらへ鋳かけ始める。

「こざかしい」

 その様子を見て、テオドールが呟く。

「テオドール、お願いがあるのよ」

 アンベール兵たちの悲鳴を聞きながら、それに憂いを覚えた私がテオドールに声をかける。そんな私にテオドールが耳を貸してくれた。

「どうした? リリアーヌ」

「出来れば、彼らを生きたままあちらの国に返したいのよ。見れば、農民としか思えないような兵もいるわ。アンベール兵とはいえ、そんな人たちを殺めて欲しくないの……」

 勿論相手は敵だ。けれど、中にはどう見ても一般民としか見えない者も多かった。そんな()()の民まで傷つくのは耐えられなかったのだ。

 それは、こんな戦いの場ではわがままなのだろうかと迷いながらも、テオドールに頼んでみる。

「……リリアーヌ。君はどこまでも優しいんだな。君の言うとおり、見た感じ、確かに心ならずとも集められた者もいるのだろう」

 テオドールがこちらに対峙する五万の兵を見回し、私の願いに同感の意を示してくれた。

「優しいだなんて。私はそんなたいそうな人間じゃないわ。でも、きっと彼らにも戻れば家族や大切な人がいたりするのよ」

 迷いながらも、テオドールに哀願する。

「いや、君は優しいよ。……私は君の優しさが好きだ。だから、その願いをなるべく叶えられるように対処しよう」

 そういうと、テオドールが喉首を天にもたげる。そして、彼の喉の器官で氷を生成する。

「氷の吹雪(アイスブレス)!」

 その言葉と共に、テオドールは首を左右に振りながら広範囲に吹雪を吐き出す。それはアンリの炎の壁を消し、その先にいるエドワード含めたアンベール兵たちを全員、頭を除いて氷漬けにした。

 それはたった一撃のことだった。

 一瞬で五万の兵の身体の自由を奪ったのだ。

「……凄いわ、テオドール!」

 なぜなら、それでも彼らは、私の願いどおり生きていたのだ。ただし、首から下を氷漬けにされて動けないでいた。

「リリアーヌ! 国に戻れ!」

 動けない姿になっても、懲りもせずにエドワードがわめき立てる。

「戻らないわ! 言ったでしょう。私の国はドラゴニア帝国なの!」

「リリアーヌ……」

 私が愛おしげにテオドールの背に頬ずりをすると、嬉しそうに彼が笑ったような気がした。

 そうしていると、背後から複数の羽ばたきの音が聞こえてきた。

「皆様、ご無事で!」

「よく来た。ちょうど今、賊を捕らえたところだ」

 やってきたのは、飛竜──テオドールたちよりも小型の竜種──に乗った獣人兵たちだ。数は二十万はいるだろうか。圧倒的な人数差だった。

 そして、その中からその隊を率いているらしき人物にテオドールが声をかける。

「おお。殿下のブレスで見事に凍っておりますな」

 ずらりと並ぶアンベール兵の氷像に、感嘆の声を漏らす。

「リリアーヌが殺して欲しくないと言うからな。あれを全部捕縛して、アンベールに叩き返して欲しいんだが。ああ、内輪揉めやなんだかで負傷兵がいるようだから、それらの対応も頼むよ」

 テオドールは、私の心を慮ってか、襲撃してきた敵国に対しては寛大すぎるほど寛大な対応を指示してくれる。

「敵兵に対して随分と寛大なご処置ですね」

「リリアーヌは優しいからな。……彼女の前で非道なものを見せて傷つけたくはない」

「なるほど、承知しました。ですがこの有様じゃあ、二度とこちらに手出しをしようなどとは思わないでしょう」

 アンベール兵たちは、圧倒的な力の差と人数差を見て震え上がっている。それを見て、獣人兵が苦笑いをしていた。

「リリアーヌ!」

 まだエドワードが性懲りもなくわめき立てる。

「無駄よ! 廃嫡でもなんでもされてください。そもそもあなたの撒いた種なんですから!」

「ぐっ……!」

 私の言葉に、エドワードはさすがになにも言えないようだ。

「では、こやつらはこちらで捕縛しておきましょう。殿下方は先にお帰りになっていてください」

「頼んだぞ」

「承知しました」

 その言葉を聞いて、テオドールとアンリが頷きあう。

 そして、バサリと羽ばたき始める。

「リリアーヌは我が妃となる。何度やってこようとも、手出しなどさせん。これで懲りたら、潔く諦めるんだな」

 最後にテオドールがエドワードに言い捨てる。それを聞いて、エドワードは苦々しげに顔をゆがませた。

「くそっ……竜どもめ……」

「……恨むなら、己の愚かさを恨むんだな」

 そう言い置くと、テオドールとアンリが揃って上昇していく。

「テオドール……」

「リリアーヌ。戻ったら、私と早々に結婚してくれ。……早くしないと、誰かに横からかっさらわれるんじゃないかと、気が気じゃない」

「あなた以外の誰にも目は行かないわ。でも嬉しいわ、テオドール。……愛してる」

「……私も愛しているよ、リリアーヌ」

 私は嬉しくて、もう一度テオドールの鱗に覆われた身体に頬ずりをする。

「そういうのは、城に帰ってからにしてくれよ……」

 やや呆れ気味に、でも仕方がないといった様子でアンリが窘めるが、口調は穏やかだ。

 そうして、二頭の竜は飛び立ち空高くに浮上する。

 そこから眼下に見えた光景は、とても酷いものだった。村の家は焼け落ちている。そして、もうすぐ実ろうとしていた麦たちは、アンベール兵たちが進軍してきたであろう道のりに沿って踏み荒らされて、全て横倒しになっている。大勢の軍勢に無情にも踏み潰されてきた畑は見るも無惨な有様だった。

 さらに、森の中から恐る恐る様子を見に出てきた村人たちの中には、身体をかばうようにして歩いている者たちもいる。アンベール兵たちに、身体のどこかを傷つけられたのだろうか。

「酷いわ……」

 私は、あまりにもむごい光景に胸が締め付けられるような思いに襲われた。両の瞳から涙が溢れ、頬を伝って顎からぽたぽたと涙のしずくがテオドールの鱗を濡らす。

「リリアーヌ……?」

 私の様子の異変に気がついたのだろう。羽ばたきをしながらその場に浮上したまま、テオドールが私の名を呼んだ。

「テオドール、帰るのは待って欲しいの。私には、ここでやるべきことがあるわ」

 そう言うと、銀と赤の兄弟竜たちが顔を見合わせた。

「リリアーヌ姉上。なにをする気ですか?」

 赤い竜の姿のアンリが私に尋ねてくる。彼に私は答え返した。

「私に、ここで出来る全てを。傷ついた村を、人々を癒したいの。私は聖女。その力を精霊たちから与えられているから」

 そう答えると、二頭の竜は顔を見合わせて言葉なくとも意思を確かめ合う。そして、頷き合った。

「リリアーヌ。ここは君に任せた」

「ありがとう、テオドール」

 テオドールの返事に、私はほっとする。

「まずは、傷ついた人々を」

 私はそう言って、目をつむって両手を広げる。

「出てきて、アクア、ルーミエ。そして、あなたの仲間たちにも手伝って欲しいの」

 そう呼びかけると、アクアとルーミエの他に、私の周りに青水色と白の光の球が無数に現れた。

「ありがとう。みんな、この場にいる全ての傷ついた人々を癒して。……人々を癒やしたまえ(エリアヒール)」

 すると、私を中心にして光の円が広がっていく。その光は所属する国を問わず、傷ついた人々を癒していった。

「次に、傷ついた畑を元に戻さないと」

 そうしなければ、食糧が不足して今年の冬には飢えて死ぬ者も出るかもしれない。五万の兵の行軍だ。この村だけではない。踏み荒らされた畑は多いはずだ。

「アクアとノール。そして数多の水と土の精霊たちよ。傷ついた大地に癒しを与えたまえ。この大地に豊穣の祝福を! ……豊穣の(ハーベストレイン)

 アクアに加えてノールが現れ、黄色く光る球体が空中に現れる。そして、私の願いを受けた彼らは発光して、その光は天に向かって伸び上がっていく。

 その光を中心に白い雨雲が立ちこめて、やがてその雲は天を全て覆う。やがて、ぽつりぽつりと銀色に輝く優しい霧雨が大地に降り下りていく。

 その雨は傷ついた大地と植物たちに降り注ぎ、踏み荒らされ横倒しになった麦などが、元のとおりに頭を持ち上げる。さらに、荒れた大地は緑に覆われる。さらに、まるで終戦を祝福するかのように色とりどりの花々で大地を飾った。

「……なんて美しい。なんて慈愛に満ちた力なんだ。リリアーヌ、私は君を誇りに思うよ」

 テオドールが感嘆の声を漏らす。

「リリアーヌ姉上の力は、なんて凄い。兄上はなんて凄い方と運命づけられているんだ」

 アンリも聖女の最上級の力を見て、番い同士という運命で結びつけられた私たちを凝視する。

 眼下に広がる光景に、私は胸をなで下ろす。そして、それに力をくれた精霊たちにねぎらいの言葉をかけた。

「ルーミエ、アクア、ノール。そしてたくさんの精霊たち。ありがとう。これで、傷ついた大地も人々も癒されたわ。……大陸に、平和が訪れたのよ」

 そう告げると、精霊たちがそれそれ嬉しそうに、ぽうっと発光する。

「リリアーヌもお疲れ様」

 アクアがみんなを代表して私をねぎらってくれる。

「なんかあったら、またいつでも俺たちを頼れよな!」

 そう言ってノールが自分の胸を叩く。

「じゃあ、私たちは行くわね」

 ルーミエがそうお別れを私に告げると、精霊たちはぱっと姿を消した。それと同時に雲が開けて大地を照らす。大地は慈愛の雨で濡れて銀色に輝いた。

 地上から、人々の(かっ)(さい)する声が聞こえてきた。

「聖女様、万歳!」

「ドラゴニアには聖女リリアーヌ様が付いておられる!」

「リリアーヌ様とテオドール殿下に祝福を! ドラゴニア帝国万歳!」

 そんな歓声に混じって、異質な声が一つ漏れ聞こえてくる。アンベールから私という聖女を奪ったエドワードだ。

「くそっ! 本当に大聖女として目覚めるなんて!」

 彼は、大地を拳で殴って悪態をついている。

 知らなかったとはいえ、無知という罪という言葉もある。そんな彼に、私が豊穣の力までを使いこなし、大聖女としての力を見せつけた。それを目の当たりにして、彼は自らの失態を悔しがっているのだろう。

 自分で撒いた種だ。彼は自分がしでかしたことに後悔すればいい。

 いくら甘い私だとしても、自国へ戻れば廃嫡されるであろう彼に、同情する気は起こらなかった。廃嫡されるかも知れない彼。けれど、なにも命まで奪われることはないのだ。ならば甘んじて自分の犯した過ちを償えばいい。

「テオドール、アンリ。ありがとう、もう大丈夫だと思うわ」

 そう言って、私はテオドールの肌を撫でた。

「じゃあ、城に帰ろうか」

 テオドールが優しい声で答える。

「ああ、帰ろう」

 アンリが答える。

 そうして私たちは自分たちの城へと帰ったのだった。


 その後伝え聞いた話だけれど、やはりエドワードは廃嫡されたそうだ。そして、彼の弟が王太子の地位についたのだという。

 けれどその後、驚いたことに婚前にもかかわらずエドワードとイザベルの間に男子が誕生する。

 その結果、アンベール王国の貴族たちは、まだ幼い王太子派と、嫡男を既に持つ廃嫡されたエドワードとその嫡男派に別れた。

 その結果、アンベールは水面下で内乱状態に陥っているのだそうだ。

 国の不安定に不遇を強いられたアンベールの民が、ドラゴニア帝国にも難民として流入してきている。ドラゴニア王家は、民に罪はないと、彼らを精力的に受け入れている。

 しかし、アンベール王家の内乱はしばらく明けそうにない。


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