第八話『小指の残り香』
宮園潮は苦しんでいた。
校舎の屋上で夜風を浴び、憂鬱に浸る。
「ごめんね速水。私はーー」
小指を見つめていた。
多分私は信用されたかった。信頼されたかった。頼れる存在になりたかった。
私はなれなかった。私じゃなれなかった。
皆、すごい速度で強くなっていく。いつの間にか周りから置いていかれていた。
降格だけは避けたくて、死ぬ気で変装術を磨いた。他の技術が疎かでも、一つ大きな武器があれば私だって……
私だって強くなりたい。でも私には無理だった。
「…………」
速水と交わした小指の感触が忘れられないでいた。今もそこに速水の小指があるように感じられる。
信じろと、速水は言った。
確かに彼女は相当な腕前を持っている。だがそれは慎重さがあってこそ発揮されるものなのかもしれない。
私は思ってしまった。
速水ではあの人には勝てないと。
「ごめん速水。私はあなたを信じれなかった」
私は速水を信じない。
それ以上に恐怖が私を支配していたから。
「宮園潮、作戦は分かっているよね」
眼帯をつけた男が背後に立ち、私を監視している。
年齢は私よりも十歳は年上に感じた。それほどに大人びていて、落ち着いた殺気を放っていた。
「はい。分かっています」
「前述した通り、作戦に成功すればお前の命は保証する」
「ありがとうございます」
分かっている。それが嘘だと言うことを。
最終的に第Ⅵクラス全員を殺すつもりだと私は察していた。それでも逆らえない。
恐怖が心を埋め尽くしていた。逆らうことで振るわれるであろう痛みに脅え、私は動けない。
眼帯は既に速水の情報を入手している。それ故、速水の倒し方を万全に固めていた。
「常に特待Aクラスの生徒はある程度の実力で抵抗する。だが今回のターゲットは瞬殺で終わる。なぜなら彼女は、暗殺者として圧倒的に未熟だから」
眼帯の言っていることは一理あった。
慎重さが彼女の武器だが、慎重さの介入の余地もないほどの窮地であればそこは死地。
「じゃあ携帯貸して」
私は自然と携帯端末を渡した。
私が暗号文を送ることを考慮し、自分でメールを送信しようとしているのだろう。
「あとこれ、ちゃんと持っていろ」
一見ただの万年筆だが、ただの万年筆を眼帯が渡してくるはずがない。おそらくは盗聴器。
これで私は逃げ場を完全に失った。
私の絶望を感じ取ったのだろう。眼帯はわずかに頬を上げた。
私に何一つ選択肢はない。ただ眼帯に従う奴隷に他ならない。
「これでよし、と」
メールは送信された。
「あとは手はず通りに頼むよ。この作戦が一つでも失敗することはないから」
もし失敗すれば裏切ったと判断する、という意味だろう。
今の私は完全に傀儡だ。
ごめんね速水。私は弱いから、あなたを信じれなかったよ。
♤
就寝しようとしていた速水の携帯端末にメールが届く。それは宮園から送られた、ということにはなっているが、眼帯が送った文章。
だがそれを知るよしもない速水は宮園からのメールだと思い込んだだろう。
『明日、私と速水で任務をこなすことになりました。詳細は追って話します』
「明日……か」
数日の内に刺客が来るだろうと予測していた速水にとって、特別驚くべきことではなかった。
自分の暗殺がどのようなものか分かっていれば対策は立てやすい。
どのような任務か察しはついた。相当な難易度の任務であることは間違いない。
避けるべき、と彼女の慎重さなら思った。
「なぜ宮園を通してのメールなのか。避けるべきと思っていたが、そういうわけにもいかない。おそらく宮園は敵に乗っ取られた、か」
速水はベッドから体を起こす。
「いや、まだ確信はできない。それよりも情報を集めるか」
黒衣を纏い、夜に駆け出す。
「徹夜は嫌いだが、仕方ない。今晩中に必殺領域を築けるかが鍵となる」
不安はある。焦燥はある。
だから彼女は走り出した。