第二十九話『イカロスは届かなかった』
「届く距離にあったはずなのに、どうしてこの手は届かない」
イカロスは太陽に近づきすぎた。
その結果、翼は焼け落ちてしまった。
腹を刺された。
常に出血し続ける腹部が痛くて、立ち上がろうと足に力を入れても、情けなく地に転がる。
速水を取り返したい。その思いが胸に熱く火をつける。だが火が強すぎてしまったのか、身体は熱いだけだった。
火事だと思ったのか、スプリンクラーが作動する。
いや、違う。
よく見ると、割れた窓ガラスの隙間から雨が差し込んでいる。
「結局決闘も中止だな」
雨が降ってしまっては決闘を行うこともできない。
水鉄砲で濡らされたかどうか、分からないから。
「にしても……どうして急に殺意に囚われたり、急に殺意が消えたりするのだろうか」
その答えは新校舎屋上にいる鳳が持っている。
隣に立つ王子に傘を差させ、自分は両手を空にして周囲を見渡す。
といっても、鳳は首を一切動かすことなく、時折風に揺れる髪を耳にかける行為をするだけ。
一見関係のない行為だが、鳳にとってその行為で周囲の状況を把握するコンディションを整えることができる。
「そうですか。それは予想外の展開ですね」
まるで誰かが教えてくれたように、状況を正確に把握する。
「状況はどうなっていますか?」
「どうでもいい場所から話しますと、体育館と新校舎に隠れていた第Ⅴクラスの生徒は休息をとっているようです。雨が降ってしまったため、一旦中止になっていると思っているようですね」
今回の決闘は相手を水で濡らすということで勝敗を決めるため、雨天になってしまっては戦いは継続できないとの判断だった。
「次に八神についてですが、彼は宮園の変装も見抜けていないようです。そのため速水が呆気なく死んだと思い、魂の脱け殻のようになってしまいました」
茫然自失となった八神は、第Ⅴクラスの暗殺者によって何とか連れられ、ひとまず新校舎に身を潜めた。
速水が死んだことに絶望しているのか、それとも自分の手で殺せなかったことに絶望しているかは定かではないが、精神は不安定な状態だ。
「そして宮園……。彼女については言うまでもなく手遅れです。しかし第Ⅵクラスの歴史上、誰も死なさなかった期間は最も長いでしょう」
校庭で血まみれになり、雨を浴びている宮園。
彼女は第Ⅰクラスの不和が回収し、現在は旧校舎地下に運ばれている。
「死体の対処法については斑鳩先生から伝達されていました。私が死体を運んでも良かったのですが、この戦いはまだ終わっていなかったみたいなので、私の判断は正しかったです」
鳳の意識が向いているのは旧校舎だった。
「赤羽はある人物との戦闘で深傷を負ったようです。私が与えた殺意も今頃は消えてしまっているでしょうけど」
「殺意を与える?」
王子は問いかけるように鳳に視線を向ける。
「お子様には関係のないことですよ」
と一蹴し、
「そこで赤羽を打ち倒した人物は、ある人物を拐っていきました」
「拐う? 水で濡らせば良いだけじゃありませんでしたっけ」
「ええ。目的は分かりませんが、必死でしたので、非常に重要な事柄であるのは間違いありませんね。しかしまあ、これは今回の決闘とは関係のないところで起こっている戦いと見て間違いないでしょう」
「でも災難ですよ。これで第Ⅵクラスは大幅に出遅れる結果になる」
第Ⅵクラスの状況は散々なものだった。
Aクラス末席である宮園潮は死亡し、Bクラス末席である赤羽はCクラス末席の幽によって深傷を負った、特待Aクラスの速水は幽に拐われた。
王子は前半部分しか教えられていないものの、それだけでも十分な痛手だった。
特に、Aクラス末席の宮園を失ったのは大きい。
「私の推測を覚えていますか」
「クラス同士で競わせるのは、暗殺者を厳選するため。だから結局クラスの人数が一人になっても、ただ一人強くあり続ければ生き残ることも可能でしたよね」
試すように問い掛ける鳳。
王子はそうめんをすするようにあっさりと答えた。
「私はね、第Ⅵクラスは速水以外死んでも構わないと思っています。彼女が強ければ、たとえ一人でも生き残れるはずだからです」
「…………」
王子の表情にやや怪訝が表れる。
「しかし、速水碧という人物は私が思っているほど完璧な人物ではなかったのかもしれません」
「そういえば速水について教えてくれなかったけど、今何をしてるんですか」
「私は人を聞き分ける際にある音を聞く。それで速水を常に追っていたが、途中で見失った。それは宮園の時と同じように」
「まさか、でもそんなこと……っ!?」
「速水碧は死んでいるよ」




