第二十八話『遠ざかる距離』
旧校舎三階で始まった戦い。
Bクラス末席赤羽クロウ、対するはCクラス末席幽仄。
机が規則的に並び、動きづらい教室で、両者は激しく戦いを繰り広げていた。
常に近接戦に持ち込もうとする幽と、一定の距離を保とうとする赤羽。
二人の戦いは周囲への被害をものともせずに、机や黒板を傷つけ、時に窓ガラスを割った。
「Cクラス末席ってのは嘘かよ」
「本当だよ。事実、最初こそあらゆる能力が劣っている弱者だった。だけど、それを別の能力でカバーしようって話になってさ」
会話を交えながら、両者は刃を交える。
「赤羽はさ、問題児って言われてるけど何をしたの? 一説には暴力事件を起こしたらしいけど。でも暗殺学園でそのような行為が許されないとは思えないんだよね」
「そんなことを聞いて何の意味がある」
「お前を知りたいんだよ。お前が隠している全てを知りたい、ただそれだけ」
投擲されたナイフを回避しつつ、赤羽は銃の照準を即座に幽に合わせた。
照準を合わせてから引き金を引くまでにかかった時間は一秒にも満たない。
刹那にも思える一瞬だったが、照準がわずかにずれていたため、弾丸は幽の頬を掠めるだけで終わった。
「Bクラス昇級への実力を認められただけはある。だが、結局末席止まりだ」
「お前もだろ」
「同じ末席同士だ。仲良く殺し合おうか」
幽は頬の傷を親指でなぞり、指についた血に視線を落とす。
「ここからお前は視認できなくなる」
「透明人間にでもなるつもりか」
幽はしばらく目を閉じた。
「さっきも言った通り、欠点を他の能力で補おうとした。その末に見つけた独壇場」
赤羽は息を飲む。
それほどに、幽から感じる気配は不気味で、近づきがたいものだった。
「それは、暗殺者にとって最強の武器だった。つまりーー」
赤羽は常に幽を視界で捉えていた。だがこの一瞬、たった一瞬、まるで透明人間になったように姿が消えた。
直後、右に感じる殺意の塊。
「まず……っ」
何が起こったのか、靄がかかったように理解できない。
全てが一瞬の出来事だった。
腹から流れ出る血。腹部は感電でもしたように激痛に苛まれた。
手探りで腹部に触れると、鋭利さに指を負傷する。その正体を追うように視線でなぞると、今も血で濡れているナイフが見えた。
「安心しなよ。死なないように配慮はしている。でもまあ、しばらくは動けないかな」
幽は赤羽の腹に刺さったナイフを抜き取り、弧を描くようにして血を払った。
床には三日月状に血が飛ぶ。
「速水を、どうするつもりだ」
力を振り絞り、赤羽は口を開く。
「速水碧には大きな罪がある。その罪への償いをさせる」
「償い、だと?」
「ここから先はお前に教えることはできない。だが、これだけは言える。速水碧という存在はすぐに消える」
幽は、ピエロが子供にいたずらを仕掛けるような心の底からわき上がる笑みを浮かべた。
倒れたまま、当分起き上がれないであろう赤羽からは視線を外す。
頭を抱え、発狂している速水の裏首に注射器を刺す。先ほどまで叫んでいたはずの速水は声をフェードアウトさせ、眠りについた。
眠り姫をおんぶする。
そのまま去ろうと足を踏み出したが、思い出したように視線を赤羽に戻す。
「君は途中で心変わりをしてしまったみたいだけど、その原因は何かな?」
赤羽が速水を守ろうと思った理由。それは暗殺者にとっては致命的で、最も捨て去るべきものだ。
だがそれは有栖川から教わった思いとの間で衝突していた。
迷いながらも、速水を選んだ理由。
それはーー
「……夢ってやつを見た」
「夢。寝る時に見るあれのことか」
「そうかもしれない。ただ、オレはそんな届きそうで届かないような、思い通りにいきそうでいかないような……、そんな夢みたいなことを心に深く抱いてた」
嘘偽りではない。赤羽の本当の心中だった。
「お前は馬鹿かな」
「……はぁ、オレは、その夢をいつまでも追いかけていたいと、そう思った」
過去を振り返りながら語る赤羽。
有栖川との日々を思い出し、そこに刹那的に過る速水との記憶。
「半端者だな。赤羽クロウ」
幽は踵を返し、赤羽のもとから去る。
止める手段を持たない赤羽は、幽が速水を連れ去っていくのを見届けることしかできなかった。
「さよならイカロス」




