幕引『フィナーレの余韻』
瓦礫が散らばる都市の上で、速水と宮園は並んでいた。お互いに微妙な距離を取り、互いに言葉に詰まっている。
沈黙が一生にも感じられた。この沈黙を最初に崩したのは宮園だった。
「ねえ、どこまで読んでたの?」
「読んでいた、というより起こり得るあらゆる事態への対策を講じていただけだ」
「ちなみに他にどんな対策をしてたの?」
「あのビルの他に二十ヶ所ほど爆弾を仕掛けておいた。道路で暗殺することも十分にあり得たから、ビルで押し潰す、道路に穴を空けるということができるように」
「さすが念入りだね」
かつては同じAクラスだった速水と宮園。
宮園は自分との差が大きく開いていることを今回の暗殺で深く理解した。自分が速水と比べてどれほど劣っているのか、どれほど遠くかけ離れた存在なのか、を。
本当はその胸の内を打ち明けられれば楽だった。だが宮園はそれを言葉にしない。
「それだけの量の爆弾をいつ仕掛けたの?」
「昨日の夜だ。事前に目星をつけておいた建物に爆弾を仕掛けた。だから今日は寝不足だったんだが、ある程度の狙撃ができた」
寝不足でありながら、正確にロープを撃ち抜く技術はさすが特待Aクラス。射撃の精度は恐ろしいほどの精密さ。
宮園の表情も一層曇った。
速水はチラリと宮園の表情を見て、
「宮園、私からも言いたいことがあった」
話そうとしていた内容を切り出す。
「暗殺者をやめ、普通の高校生活を送ってみないか」
突然の台詞に宮園の思考が一瞬固まる。
速水が何を言っているのか、理解するのに時間がかかった。すぐには飲み込めない突起物のような心地。
「それって……暗殺者をやめるってこと!?」
「ああ。そういうことだ」
「そんなことできないよ。私たちは暗殺者として育てられた。先生たちが許さない」
暗殺クラスには規則が存在している。
その一つに、生涯暗殺者として仕えなければいけない、というものがある。
もし逆らった場合、刺客を送られて暗殺される。本来であれば暗殺から逃げることはできない。
「私は約束をした。もし眼帯を殺した場合、斑鳩先生はどんな願いであろうと叶えてくれる」
「…………」
「宮園、答えを聞かせてほしい」
「私は…………っ」
宮園は固まる。
なぜ速水がこのような話を切り出したのか、もしかしたら自分は足手まといだと思われているのではないか、そんな疑念が胸を支配する。
「私がやめたら速水はどうするの?」
「私は続けるよ。多分斑鳩先生は私がやめることだけは止める。それを私が察することができると確信しているから先生はこの約束を持ちかけたと思う」
「…………っ」
宮園の脳内では既に答えが出ている。
自分がどうしたいか分かっている。だがそれを口にすべきかどうか、迷っていた。
今日、宮園は速水の足を引っ張ったと実感した。速水がいなければ容易に殺されていた。
この先の人生を速水と一緒に歩んでいけたら、何かが変わってくれる予感がする。だが、その権利は自分にはない。
速水の側にいるべきは自分ではないと分かっているから、その言葉を容易に口には出せない。
もっとも、それは宮園が常に思っていたことだ。
Aクラス末席、落第の可能性も示唆されていた落ちこぼれ。
自分が誰の下になろうと、自分が誰かを率いることになろうと、それは自分には似合わない。
自分に対してそう評価をする。
速水が差し出した提案は宮園にとっては救いのようなものだった。
このまま暗殺者を続けていれば確実に死ぬ。自分には実力がないから、弱いから、そう自分を卑下する。
「私はな、宮園、一人や二人を護れる力は持っている」
速水は見抜いていた。
宮園が答えに躊躇っている理由を。
宮園が抱く懸念を一つ一つ取り払うように、
「辛いなら私を頼れ。苦しいのなら手を握る。いつだって私の肩を貸すから、寄りかかって楽になれ」
宮園に優しく言葉をかけた。
宮園が自分を卑下し、自分自身を傷つけないように、そっと撫でるような声色が満ちる。
「大丈夫。私は特待Aクラスの速水碧だ。先代特待Aクラス主席眼帯を返り討ちにするほど実力。この私が隣にいる。それでも不安か?」
宮園は嬉しかった。
自分は必要とされていないと、必要とされるはずがないと、そう思い続けてきた。
だが速水は宮園の考えとは違う方向で、弱くてもいいから私を頼れ、という意味を暗示した。
宮園にとってそれがどれだけ嬉しいことか、きっと彼女にしか分からない。
「いえ、そんなわけありませんよ。あなたがいれば、私はどんな困難にだって立ち向かえます」
既に決まっていた答えを伝える。
「私は速水と一緒に暗殺者として生きたい。だからーー」
宮園が胸に秘める思いのままに気持ちをさらけ出す。
ありのままを、包み隠すことなく、胸いっぱいの気持ちを込めて。
「ーー私で良ければあなたの隣に居させてください」
胸をぎゅっと押さえながら、溢そうになる涙を抑えながら、うつ向きながら伝えた。
精一杯の気持ちと真摯に向き合うように、速水は口の端を吊り上げる。
「ああ。大歓迎だ」
その瞬間、涙腺が崩壊した。
瞳に溜まっていた涙は溢れ出し、思いのままにこぼれ落ちる。
凍りついていた心が溶けていく。
「ありがとう速水。私に信じさせてくれて」
速水の隣はよく落ち着く。
心が穏やかに、そっと、安堵に包まれる。
互いの手が温もりを確かめるように握られる。
その手の温もりはいつまでも残り続けた。いつまでも、いつまでも。
♤
二人は肩を合わせ、瓦礫の山を見ている。
眼帯が埋まっているであろう瓦礫を見つめる速水の目は、疑念が徐々に確信へと変わったような驚きに揺れ動く。
「そのパターンか」
速水の目は瓦礫の一点に向けられている。
「どうしたんですか?」
「眼帯はまだ生きている」
「そ、そんなはず……っ。あれだけの瓦礫の中でどうやって……」
宮園が言っていることはもっともだった。
眼帯は瓦礫だけでなく爆発も受けている。それでいて尚生き残れるはずがない。
だが、速水は確かに言った。宮園は速水の視線につられ、恐る恐る瓦礫に目を向ける。
「……え!?」
確かに瓦礫が動いている。しばらく見ていると、瓦礫が次々とどかされていき、ようやく人影が姿を見せる。
ーーが、人影が二つ。
「やはりそういうことですか。斑鳩先生」
体の所々に火傷を負った眼帯を抱えた斑鳩。あの数の爆弾を間近で受けて軽傷で済むはずがない。
速水は斑鳩が爆弾を弾きつつ眼帯を回収したことを悟った。
斑鳩は十数メートル先にいる速水をすぐに視界に捉えた。
「すまないが上からの命令で眼帯が殺されるのを阻止しなければならなかった。よってお前の戦いに介入させてもらった」
「まあそうなりますよね。眼帯は既に高校での試練も終え、卒業済みの暗殺者。失うことは大きな損失になる」
「そういうことだ。他国との緊張状態が続く今、眼帯を失うのは大きい。というわけで、決着は上から許可が出るまで待っていてほしい」
宮園は心底嫌な提案だったが、自分には拒否権がないことを分かっているからか、言葉にはせずぐっと堪えた。
速水は肯定しようと拒否しようと、結果が変わらないことは分かっている。
肯定すれば眼帯との決戦は延期され、拒否したところで力ずくで止められるだろう。今回のように。
速水が選べる選択はたった一つ。
「分かりました。では待ちますよ」
当然肯定する。
それは斑鳩も想定通りだった。
「ですが、次も私が勝ちますよ」
速水は強気で斑鳩に言葉を返した。
斑鳩が生意気だと思いつつ、期待していた。
「当然約束は果たす。本当に眼帯を暗殺できたら、の話だが」
「はい」
速水と眼帯の戦いは思わぬ乱入者によって決着をはぐらかされた。
しかし速水はこの終着に文句は吐き出さなかった。
ただ結末を淡々と受け止める。
既に彼女の脳内では次に備えて策が張り巡らされていた。
次も勝利を勝ち取れるように、静かに牙を研いでいる。
斑鳩が眼帯を抱えて去っていったのを見送ると、
「宮園、帰ろうか」
「はい」
二人は学園へと帰っていく。
暗殺者同士の戦いは決着はつかぬまま終止符を打つ。
遠ざかっていく二人の背中は、戦いが始まる前よりも強い絆で結ばれているようだった。
第一章完結
次、第二章