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私が第二王子のクリフォード様と初めて会ったのはまだ幼い頃です。
「フォーラって言うんだ。これから僕と仲良くしてね」
「はい、クリフォード様」
「友達になった記念にフォーラをいいところに連れて行ってあげるよ」
「いいところですか?」
彼は王子様とは思えないほど天真爛漫な上にとても人懐こい方で、いきなり私の左手をとると応接間のバルコニーから直接外に出ようとしたのです。
どうしたらいいかわからなかった私は、一緒に王宮を訪れていた父に向かって戸惑いの目を向けました。
「殿下に案内してもらいなさい」
「わかりました」
父の言葉に従い、クリフォード様と一緒にバルコニーへ出て、そこから真っ赤な花が咲き誇っている美しく立派な庭園を横切りました。
しかし、クリフォード様は花にはいっさい目もくれず突っ切ったので、これを見せたかったのでは? そう疑問に思いつつも、質問することはできませんでした。
そのため、前を歩くクリフォード様は足を止めることなくどんどん進んでいきます。
「護衛を振り切るからね」
そう言ったあと、彼は庭園にある木々の隙間を、小柄な私たちだけがすり抜けられる場所を通ったり、建物や樹木の影に隠れたりしながら、後ろからついてきていた大人たちを撒くことに成功。
いったいどこにいくのかと思っていると、笑顔のクリフォード様は王宮の端、城壁のすぐ近くまでやって来て、やっと私の方に振り返りました。
「ね、ここ、すごいでしょ」
「は、はい。すごいですね……」
ご機嫌なクリフォード様が指さす方向には、大きな石ばかりが並んでいるだけで花も咲いていなければ、庭園なのかも怪しい、もの寂しく殺風景に思える場所がありました。
その時は何がすごいのかわかりませんでしたが、楽しそうにしているクリフォード様に合わせて、とりあえず私は相槌を打ちました。
「ここから、上に登れるんだよ」
そう言うクリフォード様は私の手を離さずそのまま近くの石の上に乗ろうとします。大きな石は階段状に並んでいましたが、ひとつの段差が五十センチほどあり、私は戸惑ってしまいました。
「僕が上から引っ張ってあげるから大丈夫。ほら」
その言葉に断ることもできず、ドレスのまま、手を貸してくださるクリフォード様に引き上げられ、どんどん高い位置へと連れて行かれたのです。
なんとか一番高い段まで登りきることが出来たのですが、隣で誇らし気な態度をしている王子様が私には理解できませんでした。
ここからは、先ほど通り抜けた赤い花の庭園も見えないことはありませんが、たぶん二階のバルコニーから見た方が全体が見渡せてきれいだと思います。
私はクリフォード様の見せたい何かを見過ごしているのでしょうか?
「楽しくない?」
不思議そうにクリフォード様が私の顔を覗き込みました。
「クリフォード様は楽しいのですか?」
「うん、木登りとかも好きだしね。お行儀よくしているのに飽きちゃって」
木登り? ああ、そういうことですか。
私は、彼が単純に岩場に上ることを楽しんでいることに気がつきました。
男の子ですものね。ここはクリフォード様だけの遊び場なのかもしれません。
しかし、私はこれでも淑女を目指しているのですよ……岩場に登って、どう反応したら正解なのか迷ってしまいます。
それでも、ご自分が楽しいと思うことを私にも教えたいと思ってくださったのでしょう。ですから、そのお気持ちは嬉しいと思いました。
「さすがに木登りはお付き合いできませんけれど……」
「それはわかっているよ。体力やこつがいるし女の子にはちょっと大変だからね」
「そう……ですね」
クリフォード様は天真爛漫と言うよりやんちゃな方なのでしょう。
私の知っている貴族のお兄様方は礼儀正しく、大人のように振舞っている人ばかりだったので、想像していた王子様と違って驚きました。
ですが、生き生きとしているクリフォード様は感情を押し殺している方たちより私にはずっと魅力的に見えたのです。
もっと喜ぶ顔が見たい。私はそう思いました。
「ちょっと試したいことがあるのですが、ここで魔法を使用してもよろしいですか?」
「魔法? 危なくないものなら大丈夫だけど? 何をするつもりなの?」
「魔力に色をつけるだけですわ。攻撃力はまったくありませんから危険なものではございません」
「魔力に色? よくわからないけど、危険じゃないのならフォーラが何をするのか見てみたい。僕が許可するからやってみてもいいよ」
「はい。では、始めますね」
私は足元に向けて、繋がれていない方の手をかざし、見えない魔力を放出しました。
その作業はやっている自分ですら感覚的なものです。そのため、となりで不思議そうにしているクリフォード様は何をやっているかわからずに、目は私の顔と手を往復しています。
それでも、あえて説明は後回し。
ある程度、準備が整ったところで、私は呪文を唱えました。
すると、足元だけに白く靄がかかり、私たち二人がいる場所より下はそれによって視界が遮られました。
「ええ? なにこれ? すごいよ。まるで雲の上にいるみたい」
「喜んでいただけましたか?」
「うん!」
大きな瞳をさらに大きくして周りを見渡すクリフォード様。
しかし、そのあと何やら考え事をするそぶりをしました。
「これって、もしかして上に乗れるの?」
ころころと表情がかわり、好奇心いっぱいの表情で質問してきましたが、それは無理です。
「いいえ、私の魔力に色をつけているだけなので、一歩でも前に出れば、岩から足を踏み外して落ちてしまいますわ」
「そうか。歩けたらもっと楽しそうだと思ったんだけどな。でも、面白いよ。こんなことができるなんてすごいねフォーラは」
「ありがとうございます」
そのあと、魔力が徐々に散らばっていき、足元にあった靄も消えていきました。
「楽しかったー。他にも秘密の場所があるから、そっちにも行こう」
そう言って、クリフォード様は私を置いたまま一段下の足場へ飛び降りてしまいました。
登るときは引き上げてくれたのでどうにかなりましたけれど、ここからどうやって降りればいいのか。
下を覗き込んだ私はその高さで足がすくんでしまいました。
「大丈夫だよ。フォーラ」
怖さで動けなくなってしまった私に気がついたクリフォード様が、下の段から両手を伸ばして名前を呼んだのです。
「僕が受け止めるから、そうっと飛び降りて」
「飛び降りろと言われましても……」
「僕は平気。問題ないから」
いえ、私が平気ではありません。
しかし、両手を広げたまま待っているクリフォード様をそのままにはしておけず、石のへりにしゃがみ込み、恐る恐るクリフォード様の方へ自分も手を伸ばしました。そして、思い切って飛び降りたのです。
私の身体はしっかりと抱きとめられたので、問題なく一段下へと移動することが出来ました。
その後も一段ずつ同じ要領で地面まで降りていったのですが、最後の段になって私がドレスの裾を踏んでしまい、身体が傾きうまく飛び降りられなかったため、クリフォード様に変な態勢でぶつかってしまったのです。
そのため、受け止められず二人で地面に転んでしまいました。
「フォーラ、大丈夫?」
「はい。私は。クリフォード様こそ大丈夫ですか」
「僕もなんともないよ。ごめんねドレスが汚れちゃったかな」
「そんなこと構いません。それよりもクリフォード様にお怪我がなくてよかったです」
返事をするとクリフォード様が笑って再び手を差し伸べてくださいました。
汚れたドレスのままで王宮内を歩くのはまずいということで、その後、すぐに父の元へ連れて行ってもらい、王宮を後にしたのですが、この時から私はクリフォード様の遊び相手として王宮に呼ばれるようになったのです。
梯子を上らなければならない屋根裏部屋や、何に使われていたかわからないような怪しい地下室。
クリフォード様の秘密の場所にはちょっと首を傾げるような場所もありましたが、意外にも私には運動能力があったようで、戸惑いさえしなければ、どこにでもついて行くことができました。
なにより、屈託なくお話ししてくださるクリフォード様と一緒にいることが私は楽しかったのです。
次はどんなところに案内してくださるのかといつもわくわくしていました。
そのお礼といっては何ですが、私が使える魔力に色をつける魔法を駆使して、空に向かって動物や植物の形を描いたり、クリフォード様が楽しんでくださるような魔法を頑張って編み出し、披露しておりました。
そんな風に数年間過ごしていましたが、私たちの婚約が決まったのはそれから何年もたってから。
それは、公爵家の跡取り娘である私を嫁がすつもりがなかった両親と、王家の間で折り合いがつかず何度も話し合っていたからだそうです。
◇
「子どもの頃から思っていたのですが、クリフォード様は距離が近すぎますわ」
「距離って何の距離?」
そう言いながら、ぶつかりそうなほど近づいてくるので困ってしまいます。
「もう、私たちは子どもではないのですから、親しいと言っても人の目を気にする必要がありますのよ」
「婚約者なのに?」
「そうやって、壁際に追い込むのはやめてくださいませ」
「逆にフォーラは私から距離を取ろうとばかりするよな。そんなに嫌なのか」
「そういう問題ではありません。こんなところを人に見られることが恥ずかしいのです」
「うーん……確かに。真っ赤になっておののいている、こんな可愛いフォーラの姿は誰にも見せたくないな」
「なっ!?」
甘い言葉を囁くのも、クリフォード様は狙ってやっているわけではないので本当に困ってしまいます。
身体に触れるのは禁止していて、それはちゃんと守ってくださってはいるのですが、息がかかりそうなほど近づくのはどうかと思います。
きっと周りで見ている人がいたとすれば目のやり場に困るでしょう。それを不快に思うかもしません。
「学院に入学してからは一メートル以上近づかないでください」
「一メートルは遠すぎる」
「でしたら、適切な距離でお願いします」
「適切な距離だな。わかった」
十三歳になって、私たちは学院に入ったのですが、クリフォード様は相変わらずで困っていました。しかし、その状況をどうにかするための転機がやってきたのです。




