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ジェリンたちの姿が見えなくなるのを待ってから、私は廊下の先を見つめているフォーラの腕を掴む。
「あの……」
いきなりふれたからだろう。普段のふてぶてしい態度とは違い、戸惑う彼女。
「フォーラは自分で何もかも解決しようとするし、それだけの能力があるかもしれない。だが、今回くらいは私を頼ってほしかった」
「皆さんに詰め寄られなければ私も放っておくつもりでしたわ。それにクリフォード様の手を煩わせるようなことでもありませんし」
「人の目がない場まで、その他人行儀なところはどうにかならないのか。それとも、演技などではなく、私は本当にフォーラに嫌われているのか?」
「嫌ってなどおりません」
「だったら、私のことをどう思っているのだ? 『演技をしろと言って尊厳を害しているから、これ以上私を巻き込みたくない。迷惑を掛けたくない』フォーラはいつもそればかりだ。私が王子だからか? 政略で決められた婚約者だからか?」
「違います。私が勝手に権力を使ってやりたい放題していることなのですから、誰も巻き込みたくないと思うのは当たり前ではないですか」
「誰も――それは私だからというわけではないのだな。わざと巻き込まれていく私は、フォーラにはいい迷惑なのだろうな」
「違いますわ。いったいどうしたというのですか? 今日のクリフォード様はおかしいです」
「おかしいか……確かにな。私のやっていることは酷いだろう。他の女に婚約者が熱を上げてるなんて、醜聞もいいところだ。好きか嫌いかは別にしても、フォーラのプライドも傷つけているのだからな」
「私のプライドなどどうでもいいことです」
「では廊下や中庭で怒っていたのも、本当にすべて芝居なのか? プライドが傷ついていないというのであれば、フォーラの演技がすごすぎる」
「それは……」
「それは? 今日は、本音を言うまでこの手は離さないからな」
私はフォーラの腕を掴んでいる右手に力を込める。
「こんな、意地悪を言うのは、お昼にクリフォード様が大好きなデザートの時間を邪魔しているからですか」
「デザートの邪魔?」
「私が令嬢たちと問題を起こす時間は、お昼休みが多いからです。私の高笑いが聞こえるとご機嫌が悪くなるとか」
「は!? 誰がそんなことを?」
「クリフォード様のご学友の方たちがそうおっしゃっておりました」
「いや、甘いものは好きだがそれとフォーラとはまったく関係がないことだ」
「そうなのですか?」
「そんなことより、フォーラはなぜ私を必要以上に睨みつけるのだ。わかっていても結構傷つくのだが。こちらがそうしているからか?」
「私は睨んでなどおりません」
「いや、絶対に怒っていると思う。あれは、私が言うことを聞かないからだけなのか?」
問い詰める私から視線を外そうとするので、前かがみになり、嘘がつけないように顔を近づけて無理矢理目を合わす。
「あの……それは……」
「嘘や誤魔化しは聞きたくない。私の顔を見て返事をしてくれ」
「じょ、女性と仲睦まじくされている姿を見ると、あの……腹立たしくて……」
いつもは語尾が強いのに、今日はその反対で、最後はやっと聞き取れるかと思うほど小さな声になった。フォーラはプイっと横を向いて私のことを見ようとしない。
「もしかして、嫉妬していたのか?」
「いえ……その……」
もごもご言っているが、フォーラの顔がその答えを物語っていた。真っ赤で、視線が定まらない。
彼女には珍しく、とても落ち着きない態度だが、それがものすごく可愛い。
「だったら、私のことをどう思ってるか、ちゃんとその口から聞きたい。そのくらいの褒美がなければ、仲が悪いふりは耐えられない」
私はフォーラの腕を放してから、すぐに両肩を掴んだ。そして真正面にいるフォーラを見据える。
「私はフォーラのことが好きだし、結婚相手はフォーラしか考えられない。拒まれ続けていたのを何とか説得してノール家に入ることが決まった時はどれだけ嬉しかったことか」
「そう聞いてはおりましたが……」
「初めて会ったときからずっと好きだし、自分を犠牲にしてまで人を助けるフォーラのことを尊敬しているのだ。だが、できればその優しさのすべてを私に向けてほしいと思っている」
抱きしめたい気持ちと、我慢する気持ちがせめぎ合っているため、理性に負けそうで、思わず手に力が入る。
「フォーラをどれだけ愛しているか、本当は皆に見せつけたいと思っている。そんな私の気持ちは十分知っているだろう? フォーラのことを大事にしたい。甘やかしたい。そして私も甘えたい。あと三ヶ月も待たねばならないと思うと我慢も限界だ」
しかも、ノール公爵がこのままだとフォーラに溺れて私が使い物にならないと察知してしまい、危惧しているようなのだ。領主としての修行が必要だと、仕事をすべて覚えるまで結婚を先送りにしようと考えはじめているらしい。
もちろんフォーラのために立派な公爵を目指すつもりではいる。しかし、それはそれだ。
「これ以上のおあずけは耐えられそうもない」
「あの……クリフォード様、ち、近すぎますわ」
確かに、子供と呼ばれる年齢を過ぎた頃からこれほどまでに近づいたことはなかった。今までは自分を抑え、紳士としての距離を保ってきたのだ。もう何年もフォーラを抱きしめたことがない。
「それは、フォーラのことが愛しすぎるからだ。こんな気持ちになるのはフォーラだけだ。嫌ならそう言ってくれ。そうしたらすぐに手を離すから」
「あの……」
「私のことが嫌か? だったら、婚約の話も白紙に戻す……ことも考えないわけではない」
「そんなわけありません。私もクリフォード様をお慕いしているのですから」
白紙と言う言葉が効いたのか、照れて下を向いていたフォーラが私の顔を見上げた。
頬を染め乙女のような彼女がこんなに近い。
この状況で我慢できるわけがない。
「フォーラ」
私はそのままフォーラを自分の腕の中に引き寄せた。
「クリフォード様!?」
「今だけだ。明日からはまたいつも通りに、機嫌の悪いふりををする。だから、頼む。嫌がらないでくれ」
「今は嫌がってなどおりません。少し戸惑っているだけです」
「そうか……」
緊張で身体がガチガチに固くなっているフォーラ。
私だって、思わず抱きしめてしまったが、このあと彼女をどうしたら良いかわからない。
だが、離す気はない。
「いつも私の我がままに付き合わせてしまって申し訳ありません」
「フォーラ」
私に抱きしめられたまま謝るなんて反則だ。
そんな殊勝な態度に出られたら本当に離せなくなる。
困ったと思いながらも甘い余韻に浸っていた。
ところが突然胸元に衝撃が走る。
「うえ!?」
なぜかフォーラから思いっきり突き飛ばされたのだ。やはり嫌だったのか?
「クリフォード様、窓が」
「窓?」
「窓が開いております!」
なんてことだ。
ここへ来た時に私が開けたままだった。誰の目もない、こんな機会はめったにないと言うのに。
「申し訳ありません。大丈夫でしたか?」
「ああ、私はなんともない」
「あの、そろそろ私たちも戻りませんと」
「そうだな……」
もう一度フォーラを抱きしめるには、先ほど以上の勢いが必要だ。
やりすぎて彼女に警戒されるのも悲しいので、未練を残しながら私は旧学生寮を後にした。
◇
その後、相変わらずの日々を過ごしているのだが、私たちに関する噂話がひとつ増えている。
どうやら、旧学生寮での私たちのやり取りを見ていた者がいたらしい。
しかし、フォーラから突き飛ばされたおかげで喧嘩をしていたように見えたらしく、本当に私たちは仲が悪いという話に尾ひれがついて流れていた。
「こんな生活もあと三ヶ月だ」
私たちは卒業と同時に絶対結婚するのだ。ノール公爵に邪魔などさせない。結婚後はフォーラのことを離さずに、めいっぱい甘やかそうと思っている。
そう思いながら、私は食堂でアップルパイを口に運んでいた。
「おーっほほほほほほほほ」
今日もどこからか、フォーラの高笑いが聞こえてくる。
私はため息をつきながら、悪役を貫こうとする彼女の希望通り、いつもと同じく眉間に力を入れて、険しい表情をつくるのだった。




