・老人と空
それはほうれん草をバカ食いしたあの日から、3日ほどが経った昼過ぎのことだった。
いつもの場所で、いつものように地上を覗き見していると、エキセントリックなハゲ頭をした変なジジィが目に止まった。
年齢は恐らく60代後半で、分厚い眼鏡をかけているくせに、たくましい体格を持ち合わせている。
おまけにそいつが奇怪な乗り物に乗り込んで、手押し車を猛烈な勢いで回し始めた。
「フンヌォォォーッッ!!」
すると乗り物の上部がグルグルと、まるで三つ葉のクローバーを指で転がしたように回り始めた。
よくわからんが、だいぶ見た目こそ怪しいが、凄いぞこのジジィ……。
「よし! 飛べる飛べる飛べるっ、ワシは飛べるっ、ヌウォォォーッッ!!」
そこは遮蔽物の少ない草原で、ちょうどなだらかな傾斜面になっている場所だ。
ジジィは乗り物から自分の足を生やして立ち上がり、斜面を駆け下りた。
「変態か、このジジィ……? あんな物で飛べるわけ――んなっ、ま、マジで飛んだぁっ!?」
変態が空を飛んだ。正しくはふわりと浮かんで、ゆっくりと傾斜面に落ちていった。
しかしジジィはその際に足を踏み外し、奇怪な乗り物ごと斜面を転げ回って、最後は無惨にも樹木に激突していた。
これ、死んでないよな……?
布告システムを使って、代わりに助けを呼んでやるべきだろうか……。
「ぬ、ぬうぅぅ……また失敗か! だが惜しいっ、今のは惜しかったっ!」
しばらく様子を見てみると、残骸の中からジジィが飛び起きた。
なんて頑丈なジジィだ。普通ならば骨の一本や二本折っているというのに、ジジィは奇跡的に擦り傷だけだった。
「ガハハッ、だが悪くない手応えじゃ! いける……ワシはヒューマン初の、空を飛んだ男になるぞ!」
ジジィは立ち上がり、ぶっ壊れた飛行機から必要なパーツだけ回収すると、丘上へと歩き出した。
俺はそのおかしなジジィが気になって、彼が家に引きこもってからもしばらく観察を続けた。
窓の隙間から中を覗けば、彼は設計図と思しき紙切れと睨み合っている。
さっきこのジジィは一瞬ではあるが空に浮いた。天へと浮上した。
引き続き彼を見守れば、何かヒントが見つかるかもしれない。
「やっぱりここだった。レグルス、今日は何を見てるの?」
「何って、ブッチギリに変なジジィ」
「……は?」
「空飛ぶ変なジジィを見つけた」
「いや、そう言われても、あたしには意味がよくわかんないんだけど……」
「ヒューマンのくせに、飛行機で空を飛ぼうとするガチムチのジジィだよ。しかも変な髪型なんだよ」
「失礼だなぁ、レグルスは……。って、何アレッ変な髪っ!?」
ジジィが家から出てくると、統星が手のひらを返してくれた。
おでこから頭頂部まで綺麗にハゲたその頭は、左右の髪に限ってはフサフサで、まるで三日月のように天へと跳ね上がっていた。
「お、見ろよ。あれって新しい飛行機じゃないか?」
「え……あれって、飛ぶの?」
「さっきのとは形は違うが、さっきは空に浮いたんだ。アレもきっと期待出来るんじゃないか?」
「えーー……飛ぶ形には見えないよ……?」
そうこうしていると、ジジィが飛行機に入り込んだ。
それは三角形の形をした平たい乗り物で、さっき同様にジジィの足が出る仕様だった。
「な、何アレッ!?」
「いやいや。俺も最初見たときは変態ジジィだと思ったけど、すげーんだよ、あのジジィ」
「凄い光景なのは認めるけどっ、ちょっちょぉぉーっ、あれ止めなくていいのっ、危なっ!?」
そのジジィの足が元気な脚力で走り出し、また傾斜面を駆け下りていった。
そして切り立った崖までやってくると、ジジィは迷わずに崖の向こうに飛んだ。飛びやがった。
「と、飛んでるぅぅーっっ!?」
「ヤベ、見た目はともかく、やっぱすげーぞあのジジィ……」
ジジィは空を水平に滑ってゆき、慣れた様子で大旋回して大空を駆けると、満喫した後に丘の反対側の斜面へと着陸していた。
さっきの回転するクローバーのように空へと上昇する力はなかったが、それでも重力に逆らって空を渡るその超技術は、俺たちを関心を強く惹き付けた。
「ダメじゃ……これは滑空、浮上ではない……。滑空だけならモモンガでも出来るわチクショゥめ!」
意識高い系のジジィは再び飛行機から脚を生やすと、自宅へとへーこらと歩いて帰った。
・
ところがジジィを待っていたのは愛妻でも孫でもなく、見るからにアレなヤの付く方々だった。
ジジィが飛行機を格納庫にしまうと、ガラの悪い連中が正面を取り囲んでいた。
「帰れ、借りてもいない金を返す義理はないと、前から言っておろう」
「ガラントさん……そんな言い訳されてもこちらは、困るんですよねぇ……?」
「しつこい、金は払わん。もう10年も会ってない甥のために、借金を肩代わりするほどワシは耄碌しとらんわっ!」
「んな都合こっちが知るか! いいから金返しやがれ、変な頭しやがって!」
「ガハハッ、お前も老いればいずれこうなる!」
「だからってそんなおかしな髪型にしねーよっ!?」
「黙れ、クソガキ! これは、ワシの地毛じゃ!」
うわ、だとするとすげぇ逆毛だな、これ……。
ジジィは筋者を相手にしているというのに、少しも遅れを取らなかった。
まあ、とんでもなく体格の良いジジィだからな……。
「そんなことはどうでもいい! いいかジジィ、借金の肩代わりをすると言え! そうすれば痛い目に遭わせねぇよ!」
「やってみろ、この青二才が! 退役軍人を舐めるなよっ!」
ガラントと呼ばれたそのジジィがカナヅチを振り上げてヤクザを威圧すると、ナイフやらショートソードやらが一斉に引き抜かれる。
「ヤバいよ、レグルスッ、止めなきゃ!?」
「なんて血の気の多いジジィだよ。……あーもしもし、そこのヤクザの皆さん?」
しょうがないんで俺が仲裁に入った。
このままじゃ、ガラント爺さんという貴重な才能が散ってしまう。布告システムを起動した。
「な、なんだ……? おいっ、見てるならコソコソ隠れてないで出てこいよっ!」
「いや、見てることは見てるけど、別に隠れてもいないんだよな」
「何をわけわかんねぇことを! おいおめーらっ、舐めた野郎を見つけ出せ!」
ところがヤクザたちがいくら周囲を探しても、声の正体はもちろん見つからなかった。
「どう、見つかったー?」
「どこに隠れてやがる、クソ野郎っ、出てこい!」
その間に俺は憲兵の方にタレコミを入れた。
ガラントとヤクザが刃物と鈍器を向け合っていると伝えると、またかと言って出動が始まっていた。
「あー、実は屋根の上にいるんだ」
「野郎ども引きずり下ろせ!」
下っ端たちが試行錯誤の後に屋根の上に登っても、当然そこに人影なんてなかった。
「うっそー、自分で自分の居場所教えるわけないじゃん、はいお疲れ様、良い運動になったね」
「貴様ァァーッッ!!」
ヤクザたちはしきりに周囲を見回しながら、居もしない俺を探し回った。
バカだねぇ……。舞台裏で統星に『必要もないのに煽るな』と叱られたのは言うまでもない。
「わかった、わかったよ。次こそ本当の居場所を言う。実は……空から話しかけているんだよ」
「なんじゃと……?」
「バカにするな! 探せ、探し出せ! 何がなんでもこのふざけた野郎を探せ、野郎ども!」
そうこうしているうちにタイムリミットだ。
麓の方から騎馬兵が飛んでくると、ヤクザたちは青ざめた。
「兄貴、ありゃ憲兵の巡回だっ!」
「おのれ、ガラント! 覚えてやがれ、絶対に金を払わせてやるからなぁーっ!」
かくしてヤクザは騎馬兵たちに追いかけ回され、そこに逆毛のジジィだけが残ったのだった。
さて、ちょうどいいことだし勧誘を始めよう。




