07(大鬼・放浪画家・応接間)
「云ったよな?」と、大鬼のギルド長は不満を隠さなかった。
よくまあ、やって来たな。のこのこと。
こら、ビアトリス! 独り占めするでない! ……申し訳ない、手土産、ありがたく頂戴する。これ美味しいよな!
……。
ほれみたことか。
だから止めておけと云ったのだ。
……。
……云ったよな?
そもそもだ。本人が乗り気でないのを。
まったく! いったいどんな手を使ったのだ?
勝手をしたことは許そう。
いや許さん。
でも許そう。一度外に出てしまったら、引っ込められるものか、莫迦め!
……別に怒ってはいない。だが、二度と、しないで欲しい。これは要請だ。恫喝だったらどんなに楽か。分かってますね──マスク夫人。
しらばっくれても分かってる。
正直に云えば、まあ、面白い見せ物であった。結果論だぞ!
蛮族どもが自分の目を曇らせた。
見たくないものは見ない。
頬っかむりを決め込む。
ほうら、蛮族だ。
我々の方がよっぽど素直だ、分かっていない。蛮族どもはそれゆえに蛮族なのだ。
我々は、約束を重んじる。誠実に、ことに当たる。
愚直と呼ばれようとも、真摯に取り組む。
心の声を大切にする。
素直さ──澄んだ瞳は、魔族の特権だ。
*
「紛れもなく不出来だ」と、放浪の画家は大儀そうに応えた。
わたしはね。
壁紙を描きたいんだよ。
飾って邪魔にならない。
たったひとつの特別よりも、
たくさんの中の、どれか。
……。
芸術は芸術家だけのものではない。
名無しこそが、いいのだよ。
美術館に飾られるのではなく、居間に、寝室に、ちょっと置かれるようなものでいい。
季節が変わった、誕生月が来た、嬉しいことがあった、悲しいことがあった──日常のささやかなことで、入れ替わったりするような。
新しい芸術とは何か。
見たことのない表現とは何か。
──唯一無二の作品を作るのだ!
……。
そういうのは若いのに譲るよ。
金が欲しいなら名前を売れ。絵じゃない。名前だ。
流行り廃りと、目紛しい日々。
他人の作品に嫉妬し、いがみ合い、仲違いし、それでも作り続ける活力とは何か──?
怒りだ。
それを醜いと呼ぶのなら。
絵は醜い。芸術は醜悪だ。
どうだこの絵は。なんだ? はっきり云え。
云って良いぞ。怒るわけないだろう。
はっきり云え。はっきり。
……。
そうだ、正しい評価だ(もう少し手心を加えてくれても良かったのではないか?)。
紛れもなく不出来だ。分かってる。
絵描きは、絵描きの評価なんかいらない。
大衆の評価もいらぬ。
自分で自分を評価できれば良い。
自分の立ち位置が分からんなら、やめてしまえ。
やめたって、新しい才能が次々と出てくる。
誰も困らんよ。
才能がない者はどうすればいい?
知るか。
描き続けられる奴は絵描きだ。
筆を置いたら、元絵描きだ。
不安感。
そうだ。
わたしは、色々と見てきた。
どこもここも、目で見る分には華やかだ。
しかし、どうも危うく思える。
そんな気持ちを、今の自分が良いと思った手法で描いてみた。
結果は? 云わずもがな。
わたしはこの不安感……目に見えない何かを……描きたいと思った。
そのために、名を変え、技法も画風も変えた。
何故か? 分からんから描き続けた。
いつか、この胸の裡にある何かを、描けるようになるだろう。
ならんかもしれない。
知るもんか。
芸術は……破壊だ。
破壊と創造の輪廻だ。
答えはない! 終わりもない!
嫉妬と怒りが根源だ!
描き続ける奴だけが、絵描きだぞ!
名前を売って、期待に応え、新しい表現を模索し、サロンの話題になって、カネを貰う……否定はしない。
わたしもそうだ。良い気分だった。有頂天だった。
描いた絵がどんどん売れる。描く前から予約が入る……描かなくてもカネが入る。
なんてこった! 馬鹿げている。問題はいつもヒトだ!
……。
喜びで描かれたものは、凡作だよ。
凡作はいい。やさしいよ。
意地の悪いギラついた絵には疲れた。
名前のない絵で、いいじゃあないか。
絵なんてね、子供にだって描けるんだ。
画家だけが描くものでない。
画家だから描けるわけでない。
誰にでも、描けるんだ。
──誰だって描いていいんだ。
*
──作者は頑なに口を開かなかった。
客人だぞ、少しは愛想よくしたらどうだ。おい、ビアトリス、さっきも云ったろう、ひとりで全部、喰うな!
なんでわたしだけ。ほら、クリムちゃんも食べとる(もっしゃもっしゃ)。
組合長はナリのワリに心が狭い(もっしゃもっしゃ)。
まったく、行儀がなっておらん。お恥ずかしい限り……ホウ、王都にも行かれたと。似たようなものであったと……。
違うわ! 一緒にするな!
まあまあ、組長。折角のお土産、皆で頂くのがよいでしょう。
メイジー! お前も窓口はどうした!
ニワトリがいるから大丈夫です(キリッ)
大丈夫じゃない!(ガビーン)
問題ないわよ、ねぇ、ダーリン。口を開けて。はい、あーん。
あーん。
ああ、もうっ。こんなの束ねるハメになった罪は、罰は、なんなのだ。このおれが組長だと!? ただの大鬼に大層な!
嘆くことないわよ、おほっほほっ。
マスク夫人。どうも話を突き詰めれば、あなたに行き当たるようだが……。
そうかしら、おほっほほっ。
そちらのレディも何か関係あるのでないかと、わたしは疑念を拭いきれない。
わたし? ねぇ、マスク夫人、わたしも関係あるのかしら?
ないわよ、レディ・カフカ。むっさい魔族の云い掛かりよ。嫌がらせよ。やだわー。
(やだわー)
あっらー。みんなしてお揃いで、どうしたの?
(カーリィ女史、入室)
今、此処で襲撃に遭ったら、一網打尽じゃない(うふっ)。
そんなことない(キリッ)。見張りイフリートの警報が出る。当番インプが駆け廻る。そして我らも立ち上がる。
まあ別に心配してるわけでないけれども。
そうだ。心配には及ばない(キリッ)。
や、別に興味ないけど?
(えっ)
あらあら、スージィ、お姉ちゃんですよー。
やだもー。また無視するの!?
こんなヒト、知りません。
まったく、この子ったら。えっと、レディ?
はい、なんでしょう?
(それで返事するのか)
ルーシィに会った? スージィ……じゃなくて、レディ?
いいえ。姉さんの方が知ってるのでは?
まったく、あの子ったら。どうしちゃってるのかしら。お姉ちゃんね、心配でね、どうもね、こうもね、この辺がね、ぐるぐるするの。
(それは腹痛とか呼ぶのでないだろうか)
(きっと悪いものを食べたに違いない)
(まあ常時、ヒトを喰ったような御仁だしの)
姉さん、心配するだけ無駄ですよ。なにせ、ルーシィ姉さんのことだから……。
そうねぇ……あら、おいしそう。わたしもご一緒しても? あら、ありがとう。
(腹はもういいのか)
こちらにおられましたか。
なんじゃい、ヤの字。
へい、組長。館長に……。
よい、ここで話せ。
しかし……。
わしらに隠し事などない。蛮族と違ってな!
……商会から請求書が、
黙れ、ヤギヒゲェ!!
組長、叫ばないでください。聞こえてますから。
その件はわたしに廻せ!
しかし、
わ・た・し・に・廻・せ!
はあ。どうぞ。──美味しそうですね。お茶のお代わりは?
遠慮するでない。わが領土で摘まれた最高の茶葉である。わたしにもお代わり!
わたしも!
わたしも!
おれも!
クケー!
……。
まあ、つまり、こう云うことなのよ。
(マスク夫人、カップをソーサーに戻す)
──絵画サロンに匿名出品。絶賛の後、参加要件「ヒト」を満たしていないとのこと。
し・か・し、
どこにもそんな規定はないのです。
前代未聞ってことです。
想定外って云うのだから、もうお腹がよじれちゃいまして。
だったら問題ないのでは? と、主催のチャムリー夫人は云いました。
「規定や想定を超えて、この作品は評価されたのでは?」
ところが石頭揃いで話が進まない。
作品の評価に、履歴、来歴は付きまとうもの。こと、作者となれば。
それを飛び越えてきたものが目の前にあって、その場で確かめられるのなら、己の評価を素直に受け入れるべきでなかろうか。
ありのままを評価すべきでなかろうか。
それが結論でなかろうか。
どの作品も、かかる時間はそう変わらない。
ほんの僅かの時間。それで判定した。
……。
だからね、云ってやったの。「差し出がましいようですが」って。
──偏見なしに、これを良いと断言できぬ者は去るべきでは?
そうでしょう?
何のための芸術でしょう?
……。
皆が、示し合わせたように、救いを求めるように、上座へ向き直った。
しばらくの後、静かに仰った。
──これまで、一度でもわたしの意を求められたことがあろうか。
硬い沈黙。
侍女を従え、八月王女は席を立った。
……。
一定基準を超えた作品は、重箱の隅の突き合いになりがちよ。
でも、それが正しい評価なのか。
自分が見たものは何か。自分の心はどう動いたか。
言葉にならない何かを胸に憶える瞬間。
それを感動と呼ぶのでないか。
彼女は重ねて云った。
「あなた方の眼は曇っておいでなの?」
そんなことはない!
誰かが叫んだ。
云うに事欠いて!(びっくり!)
そんなことあるから、みんなして腰が引けている。全部お見通しよ!
それで侃々諤々。
堂々巡りの喧々囂々。
畏れたのよ。心が揺さぶれた事実を。
認めたくないのよ。魂を震わせたものの正体を。
表向き、結論なしってことになって──残念だったわ。力及ばずで、あなたには悪いことをしたと思う。ごめんなさいな。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
ファラリス、あなたの作品はそう、とっても刺激的なの。
了
1803, 1911, 2008, 96.