02(王女・若き画家・宮廷画家・騎士)
「わたしは、何も語れませんが」と、八月の王女はうっすらと笑みを浮かべた。
わたしが何かを語るのは、正しくないと思います。
しかし、名を連ねている以上、知らぬ存ぜぬでは無責任と云うものですね。
……。
本来ならば、わたしが意見することはありません。
王室は──ご存知の通り──学問や文化、芸術に対し、積極的な支援をしています。
絵画に限らず、競技会や学術、楽団などの後援をしています。
何でもかんでも、ってことでもないですけれどもね。わりと節操ないですよ?
(王女、唇に人さし指を当て、片目をつむって見せる)
もっと優先すべきこともあります。し、これを大切にしないことも、おかしなことです。
文化芸術は国の在り方です。学問技術は国の力です。
八月のわたしは、五月の頃から絵を見ます。
いえ、描けませんよ。
わたしは、見ることが好きです。
サロンは、チャムリー夫人に一任しています。
つまり、夫人の言動、行動は、すべてわたしです。
夫人の言葉は、わたしの言葉です。
わたしは何も語れませんが──サロンは、正しく運営されています。
出展された作品は、いずれも素晴らしいものばかり。必ず光るものを持っている。
それを何かと、見て探って、考える。
絵は、楽しい。
素晴らしい芸術のひとつです。
いい作品がたくさん集まります。
これまでも。これからも。
わたしは、それを見るのが、何よりも楽しみです。
……。
なあに、ボニー。云いたいことがありそうだけれども?
メアリ! あなたも笑ってないで!
行儀のなってない侍女ですいません。お恥ずかしい限りです。
見ての通り、このふたり、わたしに恥をかかせようとしている。
ひどい子たちですよ。近衛の騎士もそう。
たとえば──、
メブキに云わせると、あたしは分別がない。
トモエに云わせると、あたしは思慮が足りない。
ふたりに云われたくないわ!
……。
もしも。
もしもですよ?
第八王女でもなく、序列十六位でもない(原註:半月か)、わたしと云う個人は──そんなものがあるとして──あの絵、好き。
確かに変な絵なのですよ。
(笑う)
他の作品は──サロンに出展されるくらいですから──主張が強い。作者の情熱が、思いが、表現への挑戦が見て取れる。
喜び、悲しみ、怒り、嘆き……祈り。
どの作品も、わたしを見て、見て、見て、って。ずっと語りかけてくる。
……。
あの絵は真逆だった。まるで壁の花。場違いなほど、縮こまっていた。
おかしな絵。
隠れているのに、隠れきれなかった。
わたしは、数ある作品の中から見つけた。
おかしな絵ですよ。
その魅力、言葉にできるでしょうか。
自分の気持ちと素直に向き合えないと、見落としてしまったでしょう。
(王女、顎に梅干し)
あの作品は、見る者の資質が問われるのではなかろうか。
(暫し沈黙、不意に笑う)
兄さまも姉さまも、たぶん分からないと思うのが愉快。
お父さん? あ、違った。国王陛下ですね。あの人はそもそも、商人の値付けが価値ですよ。
母さんなら……もしかしたら、あの絵に興味を持つかもしれない。
みんなが分かってくれたら、いいのに。
見た瞬間に分かるのに。
特別な一枚だってことに。
それとも──わたしの目は、節穴かしら?
*
「ぼくが一番だって決まっていた!」と、新進気鋭の若き画家は息巻いた。
今、称賛されるべき人物は誰か?
ぼくだ!
このぼくだ!
ぼくの絵が一番だって決まっていた!
分かっていた!
ぼくが一番だって決まっていた!
当然だ!
推薦状と出品料。運搬、設営の手間賃!
これらを全部揃えられて、初めてサロンに出せる。
これが出せない奴らと、ぼくは違う。
自分の実力でない? 後ろ盾のお蔭? ぼくの資質を疑っている?
お前たちに、何の資格があるのか!
悔しかったらここまで昇ってこい、バーカ!
ぼくは選ばれたんだ、でなければ声が掛かるはずがない!
審査員のひとりはぼくの師匠だ。
師匠お墨付きの一作を出品した。
師匠の発言は重い。強い。だから──ぼくの絵が一番だ!
それがどうだ、この仕打ち!
(アトリエをひっくり返す)
やってられるか!
(道具を壊す)
──やってられるか!!
*
「まったく稚拙な絵だ」と、宮廷画家は吐き捨てた。
利き手でない手で描いたような、まったく稚拙な絵だ。
色も構図も、主題も目茶苦茶。なんだあれは。
実際、利き手でないと云う話もある。
もしそれが本当ならば愚弄するにも程がある!
そんなものは習作以前だ。出品などおこがましい!
これは、選ばれた者たちの決闘なのだ。
戦は騎士や剣士だけの専売でない!
サロンは闘技場なのだ。
画家が増えれば、良い作品が増えるのか?
違う!
良い画家がいなければ、良い作品は生まれない!
資質のある者を見つけ、育て、鍛え、描かせなければ、良い芸術は生まれない!
パトロン探しと推薦状。
今日の食事代を絵の具にして、のし上がってきた連中ばかりだぞ。恥を知れ!
新しい表現? 挑戦? 馬鹿め!
絵描きなら誰だって、寝ても/覚めても/やっておる!
あれは……利き手でなくていいと云ったも同然だ。
恥を知れ!
我が王国、現在のみならず過去、そして未来に唾を吐く行為だ。
到底、許されることでない。
相応の処罰を強く望む。いや、罰せねばならん。
それが、芸術家としての私の役目だ!
あんなものを野放しにするのは、筆を折るとの同じこと。容認できる筈もない!
一切の弁解の余地も無く、一片の擁護もない!
恥なのだ、あれは。サロンに対する侮辱であり……破壊行為である。
度がし難い!
芸術は、芸術家だけのものだ!
*
「分からん」と、近衛の騎士は首を捻った。
なぜわたしに訊くのか。
分からん。
これは、わたしの分を超えている。
(メブキ、好きに話していいわよ!)
御姫さま!?
……。
……あー、なんだ。御姫さまのお許しが出たので、
(違うわ! あなたが思ったまま正直に話すのよ!)
(いけません!)
(わたしが許すわ、席を外すから好きにして!)
(ならば自分も!)
(大丈夫、カブキを連れて行くわ!)/(だー)
(ただの幼児ですよ!?)
(うるさわね、暇を出すわよ! 辺鄙な国境の警備の任に就かせるわよ!)/(だっこー)
(御姫さまァ!?)
……。
要するに、誰かが問題を持ち込んだとわたしは思っている。
(騎士、睨む)
何でもないことを騒ぎ立て、わざわざ問題にした者がいる。
(騎士、強く睨む)
終わったことだ。それを突き廻して何が目的だ?
決着のついたものを差し戻すのは褒められたことでない。
(おい、メブキ! 昨日の続きだ、決着をつけるぞ!)
あいつとは何度も何度もやりあっているが、いっこうに終わりがない。
(さっさと稽古場に来い!)
(すぐに行くから先に身体を暖めてろい!)
そう云うことだ。わたしは用があるので、これにて御免。
……。
いいのか悪いのか、わたしには分からん。
ただ、他者の興味を引くと云うことは、それなりの理由があるのではないか、とは思う。
……。
あれ、下手だろ?
だから、芸術ってのは。