01(夫人・画商・版元)
王室後援、絵画サロン出品作の審査結果は、結論を得ないまま終わる。受賞式はない。
──此処マデ二行相当(約四〇文字)。以下、文字数制限回避ノ為ニ記ス。
「文句があるなら城へいらっしゃい」と、チャムリー令夫人は居丈高に誘った。
語ることはありません。
サロンを任されている、それ以上のことになにか?
夫は美意識が欠けています。それも壊滅的に。目も当てられませんわ。ですから、わたくしが中心になって廻すことは自明の理。
それがなにか?
主催はわたくしです。審査もします。
そのわたくしたちが選んだものは、間違いなく一級です。美しい。
美の基準を作っている?
傲慢な!
そんな気は、さらさらありません。
単純なことです。
美しいものは美しい。
忘れないでいただきたい。わたくしひとりの好き嫌いで決まるものではありません。
皆、それぞれの価値観と美意識、良識をもって審査に臨んでいます。
時には諍いの元になります。
去った者もいます。
それだけ真剣です。
仕事だから、ではないのです。
仕事だったらどんなに楽でしょう。
そもそも、報酬はありませんよ。いえ、それは嘘ですね。食事会(いつも大赤字ですわ)と、名誉。
これは、名誉職なのです。
自分のような地位の低い貴族の主催するものであれ、王室(みよ、とこしえに!)──五月王女(現:八月王女)の後援を受けてのものですから。
他とは何か違うものに──そうなることを願っています。そうでないかしら?
新しいものが生まれる瞬間に立ち合えるなんて、なんと素敵なことでしょう?
その場を提供できることは、大きな名誉に他なりません。
公平に。
とは云え、推薦がないことには出展をすることはできません。
誰が推薦したか? その答えは差し控えさせていただきます。
透明性? それがなにか?
審査の者には知らされないし、知る必要もない。故に、審査に関係ない。
推薦は最初の関門です。そこを通れぬ者はお呼びでない。これも実力です。
誰が推薦したか。
審査に加わるわたくしも知りません。
運営の都合です。
信じられない? ならば、信じなさい。
証明する必要はない。わたくしが不正はないと云えば、不正はない。
もう一度、云います。不正はない。
信じられない? いいでしょう、何が、どう信じられないか。
正しい解は、正しい問いがあってこそ得られるもの。
さあ、何が分からない? 何がおかしい?
さあ、さあ、さあ。
正しい質問をなさい。
いつでも受けて立ちます。
いいですか、不正はない。わたくしからの回答は変わりません。
それでも文句があるなら、城へいらっしゃい。僻地ですが。
良いところですよ。わたしのお城。
*
「期待しております」と、画商は嬉しそうに目を細めた。
個人的な見解としては、いい絵ですよ。
売れないでしょうが。
興味深い絵ですよ。
売れないでしょうが。
でも、いい絵ですよ。
売れないでしょうが。
たとえ売れないものであっても、次世代に受け継いでいく。画廊の役割ではないでしょうか。
売れないでしょうが。
捨てるには忍びない。
もし、十年、ひょっとしたら五〇年。あるいは百年。それだけの歳月を耐えたら、今度はどんな値がつくでしょうか。
極めて個人的な見解ですが──わたしは、それに興味があります。
波と云うものはあるのです。
いまはどちらかと云えば停滞期ですね。
凪いだ海のように、潮騒がやさしい。
いま、放流するのは得策でしょうか?
安値で手放そうとしても、
やはり売れないでしょう。
本物とひと目で判るような物に出会えるしょうか?
そんなことはありません。
でも、いつかきっと現れる。
水平線の向こうから日が昇るように。
皆がこぞって競り合い、奪い合い、求めて止まない。
期待しております。
大きな利益を。
*
「商品の物語だ」と版元は渋面を作った。
これは売り物作りの話だ。絵では無い。
商品を世に出す。
描いた人物を神輿に担ぐ。
絵は人物の付属にすぎない。商品の物語だ。
誰が描いたか。
その作者は、どんな経歴を持ち、そして世に出たのか。認められたのか。
よしてくれ!
絵の善し悪しなんて、後からついてくる。
まずは見てもらわなければ始まらない。
売れてくれなきゃ収まらない。
我々の仕事は、物語を仕掛けることだ。
画家の履歴は少し誇張していい。
作風の意味は多少は大袈裟にしていい。
だから、
多少の馴れ合いは、ある。
物語を作るために。
最初の火をつけることはしよう。しかし、それが大きく燃えるかは時機次第。折りを見て、適切に薪をくべる。
悪いことか?
みんな欲しいものが手に入る。
悪いことか?
作品が手に入る。
作家に利益が還元される。画家は新たな作品を作れる。我々がそれを支える。霞だけで生きていけるなら、それもいいかもな。
それを仕込みと呼ぶのなら。
これは仕込みだ。
決して談合ではない。ズルはない。幾ら万全に臨んだとしても、いざ蓋を開けたら──ふッ! すべてが思い通りになるのだったら、こんな商売が成り立つか?
これは仕事なんだ。
よしてくれ!
おれはこの仕事を愛している。気に入っている。
楽しんでいる。
仕事を楽しむことに、何を恥じることがある?
最高じゃないか。
人生はそうあるべきだろう、違うか?
アテが外れたのは事実だよ。
目録を作る。複製画を作る。
注文が入る。刷る。売る。たくさん売る。
せっかくの準備がパアだ。
まあ、押さえているのは、ひとりふたりってことはない。どこもそうだろ。うちだけじゃない。
囲い込みってやつだ。
画家同士を競わせることもある。
あいつの絵は何部売れたと耳元で囁く。すると、こんどは何部刷ってくれと、絵を持ってくる。これが売れたぞって耳打ちすれば、つぎつぎ絵を描く、持ってくる。
これが悪いことなのか?
仕事する。カネになる。しあわせになる。
良作は、積もり積もった駄作の上に輝くひとかけらだ。九割は駄作だ。九分は及第。これで商売を廻す。
残りのひとつが、一生に一度拝めるかどうかの奇跡。裾野が広ければ広いほど、ゴミは増えるが可能性も増える。
よしてくれ!
善し悪しは売れた数だ。帳簿は誤魔化せても(口が滑った!)、金額は嘘をつかない。
いつも市場に出せるものがあるわけでない。
だから、食わせてやる必要もある。
新しいことを試したい。
いいだろう、でもうちでは扱えない。
だってな。それ売れない。
だから、売れるように指摘する。
こうすれば、受ける。売れる。いいだろう? そうか、嫌か。
時には専属から外す。売れるか売れないか。冷たい世界だ。
向き不向きはある。契約を切る。教師の仕事を斡旋してやってもいいぞ、ってな。やさしい世界だ。
興味深い作品が出てくる。新作か。いいな、うちで扱おう。これは、新時代の表現だ。
分からない? それはあんたの審美眼が曇ってるせいだよ、って。あんたの見る目が、時代遅れだよって。
客もわりと素直に首を縦にする。
信じられるか? みんな、分からないものに動機を欲しがっている。
自分だけが分からないのか? これを批判したら、自分の見識を疑われないか?
ひょっとして、自分だけ違ったものを見ているのだろうか──?
まるで怖がらせて、カネを引っ張ってるみたいだな。
みたいじゃなくて、その通りなのだが。
けど、まあ、世間はわりと素直だよ。善し悪しは、さほど外れない。いいものは、受け入れられる。
ただし、きちんと時機を見て仕掛ける必要はある。道筋を示してやる必要がある。
お膳立てをしてやれば、誰もが、自分の目が確かであると安心する。
ダメなものはダメ。
だからって、ゴミにしない。資源にする。
どっちつかずの作品に付加価値をつけて送り出す。いいものが目立つように。いいものが目に付くように。
正道から外れたら邪道という。
ごく稀に、それが逆転する。
まあ、そんなことはまず、起こらないと思っていい。
だから正道を邪な気持ちでブッ込むのが我々の仕事の本質さ。褒められたもんかねェ。
対岸から見たら詐欺師呼ばわりされよる。こればっかりは仕方ない。意見は立ち位置の相対性だから。
芸術は金持ちの道楽だ。
それを街の隅までどう広げるか。
……。
世界は広いぞ!
絶対の芸術なんてものは、百年、千年先のことであって、我々の仕事は、明日の話、あるいは今日の出来事。極めて近視的な部分が大きい。
一年、二年、三年とは云うが、そんなに長い時間、かかずらってる暇はない。
それ、面白いのか? おれにそうは思えねェ。
仕事はどんどん片づけ、次に取り掛かりたい。
だからさ、もうさ、この話、お終いにしないか? 手離れの悪い仕事って嫌いなんだ。
だらだらと、伸ばすなら、その分、お勘定、弾んでもらわないと、な?
──そう云うこった。満足かい?