~永遠に想う~
12、
深い森の底は背の高い木々が密に生い茂り、地表は太い木の根がまるで生き物のように絡まり、苔むしている。
背丈ほどもある大きな岩でさえ、木の根に絡まれ、飲み込まれていた。
ユーリーが降りた場所からすこし離れた所で、レトがソランから降りてなにやら地表を調べている。
「レト!サンガは?」
なるべく小声で話し掛ける。
"森を刺激しないように"と、レトは言っていた。
「サラサ…。そのまま降りないで、こっち。」
ユーリーに騎乗したまま、レトに近付く。
地表にはなにか液体が散った痕と、苔を踏み潰した痕があった。
「サンガの血だろう。…良かった。そんなに出血は多くない。
…ただ、飛んで移動出来るほど傷は浅くもないようだ。」
「……。」
真上を見上げると、所々枝が折れ、黒い羽根が散らばっている。
濃く繁る緑のせいで、周囲は暗く湿っていて、いつどこから狂暴な獣が飛び出すかわからない状況。
「上手く止血しながら移動しているみたいだ。血は辿れないが…」
と言って、レトは付近の地面から潰れた紫色の木の実を拾いあげる。
「これは、森でケガをした人間が獣避けに使う木の実だ。人間には分からないが、獣には、血の臭いを消すほど強い臭いを放つ。」
周りを確認したレトが、樹皮に豹のような模様の入った木を見上げた。
「サンガは落ちながらも、枝を折ったんだな。」
指差す先を見ると、確かにたおられたような枝が、あるにはある。…私には人為的な物かまではわからないが。
「木の実を辿ろう。きっと、サンガが落として行ってるはずだ。」
レトはもう一度ソランに騎乗すると、潰れた木の実を探して進み始める。
…ソランとユーリーを見ると、少し顔をしかめて我慢しているようだ。
それでも、ちゃんと一緒に居てくれるんだね。
そのまま10分程進むと川のせせらぎが聞こえ来た。
「多分、川だ!行こう!」
慎重に、素早く先を急ぐ。
少し先に森が途切れて光が差し込む場所があった。
おそらく河原になっているのだろう。
「サンガ!!」
レトはもう我慢できなかったらしく、ソランを全速で走らせた。
光の中に出ると、河原の大きな岩にもたれてサンガが脚を投げ出し座っていた。
レトはソランから飛び降り、サンガに駆け寄る。
「レト様…。申し訳ございません。このような…。」
「ばか!!何言ってるんだよ!傷は?!」
「脇腹を少しかすった程度です。」
サンガは上半身をはだけており、シャツで止血したらしい。
レトが傷を見ようとシャツをほどくと、右の胸筋から脇の下にかけて10センチほど生々しく抉れていた。
真新しい血がまた流れ始める。
レトが無言で手を当てると、傷は盛り上がりふさがり始めた。
「…くっ。」
歯を食い縛って最初の痛みをやり過ごすと、サンガはもう一度頭を下げる。
「…面目ございません。」
「それ以上言うな。サンガは悪くない。」
ユーリーとソランは私達を守るように森を警戒しつつ、その巨体で私達を隠しているようだ。
「いつまでもここにいるのは危険だ。
獣もそうだが、狙撃手が探し回っているかもしれない。
サンガが飛べないとなると、"オズ"を使うしかないね。」
「レト様!いえ、レト!私は翔べます!貴方が治してくれましたから。」
「完全には癒えてない。撃たれたの胸筋だろ?翼を動かしたらひどく痛むはずだ。」
レトはジロリとサンガを睨み、それ以上の発言を拒否する。
「直に夜になる。」
そう言って、右手に"オズワルド"を呼び出した。
『おぅ!ご主人!ついにオレ様に泣きつく気になったかよぅ!』
「…オズ…。そうだね。今回は君の力が必要だ。
僕達が目指しているのは"忘れじの森"の北端。
最終目的地は王城管轄の出入国ゲートだが、目立つのは困る。
そして、出口が危険な場所では困るんだ。
いい場所知らない?」
『おやぁ?もしかしてオレっちに相談してんのかい?
ご主人よぅ。オレっちは、"指定されたポイント"にしか運べないんだぜぃ?知ってんだろ?
繋ぐ先がどうなってるのかなんて、オレっちが知るかよぅ!』
緑の火の玉は"べらんめぇ口調"で、言いきった。
「でも、さ。僕の"守護"を任される前はあちこち行っていたんだろう?
覚えの良い君なら"忘れじの森"にも当然詳しいんだろうなっておもったんだけど。」
『…そりゃ、オレっちに行けない所は無いし?あちこち回ったけどよぅ…。ご主人の生まれる前の話だしよぅ。
今はどうなってるか知らないぜぇ?』
「いや、君は優秀だから"変わって無さそうな所"に心当たりが有るんじゃないかな?」
『よせやい!そんなんで担がれるオレっちじゃないぜぃ!
"森"は成長するしなぁ。
あ、そうだ!ご主人。いっそ"森"なんて止めちまったらどうだぃ?』
「何か、代わりのいい場所思い付いたかい?」
『出入国ゲートの中に、直接行っちまったらどうよぅ?
あそこなら、10年やそこらで変わらないと思うねぇ。』
「オズ、目立つのは困るんだ。」
『かまやしねぇよぅ!繋いだ瞬間に、周りごと時を止めてやるよぅ!そしたら、ご主人達、動き放題じゃねぇかぃ?』
「…いや、まだ人がたくさん居るでしょ?全ての時を奪ったら、君、"暴走"するかもしれないだろう。
こちらも、サンガのパスポートで"正規に"出国するつもりなんだ。今後のためにね。」
『注文が多いぜぇ?ご主人。少なくとも森よりは安全だぜぃ?』
うーん。
安全で、変化が無さそうで、目立たない場所…。
少し考えて、1つ提案してみる。
「あのー。"トイレの個室"とかどうかな?」
私のイメージでは"出入国ゲート"とは、"空港"だ。
客用トイレならば、個室数も多いのではないかと思ったのだ。
『先客がいたらどぅすんだよぅ?覗きはいけねぇよぅ。』
「あ…。」
確かに、狭い個室、用をたしてる所に3人現れたら…
『失礼しました!』じゃすまない騒ぎになるな。
それまで成り行きを見ていたサンガが話し出す。
「…私が"セルトレーン"に来たのも10年前になりますが、
実は入国の際に少しトラブルがありました。
…私は、当然"クィンブルート"のパスポートを持って入国したのですが…
容姿が"ゴング・ベラ・ジグレダ人"に見える為、スパイ容疑を掛けられ、一時身柄を拘束されてしまったのです。
…その際入れられた独房ですが、私が拘留されていた3日間、看守は夜に食事を運ぶ以外は見回りませんでした。
"セルトレーン"はほとんど交易をしないので、その"独房"もほぼ使われる事はなく、今も形だけになっているかと…。
ちなみに、場所はスタッフルームからは少し離れて奥まった個室。出入りする人もほとんどいない通路の奥でした。
拘留されている人物がいなければ鍵は常に開いてるようでした。」
レトが目を光らせ、アイディアに乗る。
「うん。理想的だ!仮に拘留されている人物が居て、騒ぎ出したとしても、"出して貰うための狂言"に聞こえるだろう。」
ただ、オズは消極的だ。
『…オレっちに命令だせんのはご主人だけだぜぃ?
ご主人が"イメージ"出来る場所か、オレっちが直接知ってる場所にしか繋げねぇよぅ…。』
「僕が君に"サンガのイメージ"を送るよ。」
話は決まったようだ。
「じゃあ、ユーリーとソランはここで一度お別れだ。出国して、呼べる場所を見つけて、また迎えに来るからね!」
ソランは少し寂しそうに、レトに頬擦りする。
「いい子だ。大好きだよ。ソラン。ちゃんと食べてね。でも、危ない獲物には手を出しちゃいけないよ?」
《キュルルルー》
うまれた時から毎日一緒だったのは、ソランも一緒だったんだ。
そこには、確かに"愛情"がある。
そんな様子を見ていると、ユーリーも私にすり寄って来た。
目が何かを訴え潤んでいる。
「え?ユーリー。私を心配してくれてるの?
やっぱり優しいね。ありがとう。ソランをよろしくね。」
《キュ―――》
「二羽とも、この森は危険が多い。さっきの狙撃犯にも狙われないように、撹乱しながら飛ぶんだ。"天恵の森"か、"囁きの森"なら安全だからね。」
レトが諭すと、二羽揃ってお辞儀をする。
本当に、気持ち(言葉?)わかるんだなぁ。
「サンガ、手を。」
レトの手に、サンガが手を重ねる。
「オズ、お願いだよ。」
『ちぇーっ。大サービスだぜぃ?』
「君なら、やってくれると思ってたよ。"優秀な護衛"だからね。」
『誉めてもなんも出ねぇよぅ!』
オズは照れ隠しに言葉を発しながらぐるぐると回り、人がくぐれるくらいの火の輪トンネルを作り出す。
中はマジョーラカラーの壁面が畝っていた。
徐々に先の景色が変わり、暗い石作りの部屋に出る。
移動が済むと、オズは消えた。
無言のままレトは扉に近づき、耳を当てる。
「よし。誰も居ない。」
外の様子を窺うと、レトは鍵を取り出した。
そして、独房内にある鉄柵の鍵穴に差し込んで廻す。
鉄格子のドアを開くと、衣装部屋のような所に繋がった。
「あぁ!こーゆう事。」
出発前に渡された鍵は、こーゆうアイテムだったわけね。
レトは中からいくつか服を取り出す。
「はい、サンガは"執事服"ね。サラサは"ワンピース"。セルストイのご落胤らしくね。」
"ギザに騎乗"するためにパンツスタイルだったが、確かに設定的には"お嬢様ワンピ"だな。
すると、レトもサンガもその場で服を脱ぎ始める。
「あわわっ…。」
慌てて後ろを向く。
…見ちゃった…。
やっぱりレトもまだまだ薄いけど、いい筋肉してる。
サンガさんは、やっぱ腹筋綺麗に割れてたぁ!!
しかも、背筋のラインもいい!"鳥人"だからかなぁ!
さっきは血だらけで見ていなかったのだ。
"武道"をやっていると、男子の上半身を見る機会は結構ある。
自分が"体を鍛えるスポーツ"をやっているせいか、キレイな肉付きを見るのが大好きだ。
うん。りっぱな"フェチシズム"だな…。
「次はサラサの番だよ。」
声に振り向くと、レトはこの前町に行った時のような金刺繍のはいった詰襟の、黒バージョンを纏っている。
右肩から斜めに掛けている豪華な飾り布は、やはりブルーグリーン。
更に今回は"偏光グラス"つまり眼鏡を掛けているので、瞳の色が金に変わって見える。
…イケメンて、眼鏡もイイよね!
やっぱり王子様だぁ!!
「サラサ様、私共は後ろを向いておりますので。」
サンガをみると…。
「っ!!」
いつも屋敷ではカフェのギャルソンといった格好かコックコートだったので、執事服を見るのは初めてだった。
いつも肩まである黒髪は後ろに1つに纏められ
白手に黒服、光沢のあるグレーのタイ。
ワイルド系アゴヒゲも、少し整えたのかな?
うん。こちらもとてもイイ出来上がりだ。
「サラサ様?ご心配でしたら、私共は先に出るように致しましょうか?」
「え?あ!ぜんぜん!…大丈夫。」
もーっ!
レトもサンガも、なんでこんな"眼福祭り"なのっ!
残念な私は、心のなかで密かに悶えながら着替えをするのだった。
渡されたワンピースは、またもや胸元が開いたオフショルの、薄いピンクの物だった。フロントにレースが重なって、後ろは上半身をリボンで編み上げるタイプ。
生地は落ち感がよく、スカート部分はたっぷりと生地を使い
フワッと広がるのに、ボリュームの出過ぎないデザインだ。
生地全体に、薄く透けるような花模様がちりばめられていた。
丈は上品膝下丈。
うん。
レトの選んだ服だな。
「ごめん。後ろの編み上げ、リボン結びしてもらってもいいかな?」
靴をパンプスに履き替えながら頼むと、背後でレトが赤くなっているのが見えた。
え?べつに背中のファスナーとかじゃなく、ただの布の上の編み上げ部分なのだが…。
「レト様、私が結びましょうか?」
「いや!僕がやる。」
…レトったら。照れ屋さんだなぁ。
生肌じゃないのに。
髪はサイドに緩く編み込んで、"偏光バレッタ"で止める。
私の背中では、レトがたどたどしくも丁寧な手つきでリボンを結んでくれた。
「キレイだよ。…サラサ。」
背中に近付いて囁かれたからか、レトが照れながらだったからなのか、いつもより甘く耳に届いた。
「ぅえ?…あ、ありがと…。」
なんだか…本当にいつも思うけど…。
レト、本当に10歳なのかなぁ?
私がどんどんと危ない方向に流されて行っている気がする…。
鉄格子のドアから鍵を抜き取って、レトが振り返る。
「さて、準備は整ったね。
これからの行動を確認しよう。
少し長くなるが、まず聞いて欲しい。
まず、目的地はサンガの故郷"クィンブルート"。
ここで僕達は"戸籍"と"パスポート"を手に入れる。
他の国はどこも"クィンブルート"からの旅行者の方が入りやすいからだ。
やり方はいくつか考えてあるが、今は置いておく。
次に、出国について。
出国手続きは、サンガ一人に行ってもらう。目的は"一時的帰郷"。
僕とサラサは隠れていて、サンガが"出国ゲートをくぐる時"一度だけ"オズ"で時間を止めて、そこに合流する。
向こうの入国ゲートでは、打ち合わせ通り"セルストイお家騒動"を装う。」
んん?
出国人数と、入国人数が違うのはマズイのではないか?
まずは聞いてと言われたが、確認は必要だ。
「レト、ごめん。…確認なんだけど。
出国手続きは一人分だと、席も一人分しか無いんじゃないの?」
すると、レトもサンガもキョトンとした。
「席って?」
「え?飛行機…いや、船?いや、浮島だもんな?
とにかく、移動交通手段の、座席…。
あ、自由席があるの?」
イイ募るが、いまいち話が通じていないようだ。
レトが戸惑いながら答えてくれる。
「…サラサの言う"ヒコウキ"とか"フネ"が何かはわからないけど…。
移動手段なら転移装置だよ。
中に入ってしまえば立ったまま移動出来るから、席は無いけど…。」
「………。あ、そっか。ごめんね。」
…異世界カルチャーショック!!
そうか!魔法なんだな?
うぅ。慣れないよぅ。
「うん。続けるね。
…とにかく"白の出国ゲート"は王城管理だ。
他国の"入国ゲート"まで行ってしまえば、
それは"セルトレーンが出国を許可した"と見なされる。
特に"青"の人間の帰郷と共にならば、疑われることはまずない。
あとは入国側に"出国を許可された理由"を話せばOKだ。」
はぁ…。
聞くまで、かなりスリリングな
"ミッション・インポッシブル"的な、空港アクションを想像していた。
意外や、確実な方法だった。いや、イイ意味で。
「…考えなきゃいけない事は、色々ある。
最近の襲撃が、かなり物騒な物だったこと。
"セルトレーンが保護"しているのに、だ。
カフェで人間が"焼失"するほど大事になったにも拘わらず、
"保護するはずのセルトレーン"に動きが無かった事。
それにさっきの狙撃。
あれは、"僕を狙ったものなのか?"」
そうだ。いろんな事が重なったせいか、未整理の事象がたくさんある。
「でも、とりあえず今は出国に専念する。
"青"に着いたら宿を取るから、そこで色々と話し合おう。」
レトはまた見事に整理してくれたので、
後は目の前の"ポッシブル"なミッションに集中するだけだ。
再びドアの外を窺うと、やはり誰の気配も無いようだ。
「まずは、私が出ます。手続きが済みましたら、一度戻りますので、それまでこちらにいらしてください。」
「わかった。」
サンガは、意外と堂々とドアを開けて出ていった。
やはり、誰も咎め立てする声はない。
する事のない私は、近くにあった丸椅子に座れるかと思い近付くが、うっすらとホコリが積もっている。
"交易"のほとんどない"出入国ゲート"は、やはり形骸化していてあまり管理されていないようだ。
聞いた所、この場所自体、王城を通り抜けないと来られない場所らしいので、不審者など入りもしないのだろう。
「サラサ。」
ふいに呼び掛けられる。
「ん?」
「サラサはさ…。サンガみたいな男が好きなの?」
「?!…え?」
不意をつかれた。
え、サンガ?…なんでサンガ?
あ!そうか、さっき裸をチラチラ観察しちゃったから?!
ヤバい。変態と思われたのかも…。
へんな汗をかきそうになりながら弁解する。
「サンガね!サンガ、傷、痛まないのかなって見てただけだよ?
あ、でも背高くて、しっかりしてて、大人ってかんじ?
ごはんは美味しいよね!」
我ながら、支離滅裂だ…。
「背が高くて、大人がいいの?」
なにか切羽詰まった様子で、レトは更に聞いてくる。
「え?…まぁ、うん。そうかな?」
どちらかと言えば、背の高い人に目がいく。
"CHIKI"も背が高いし、中学の時にアコガレてた剣道部の先輩も背が高かった。
レトが私の前に回り込んで両肩を掴んだ。
「僕だって大人になる!背だって伸びる!
知識なら誰にも負けないし、サラサを抱き上げる力だってある。
料理だって、覚えるよ!
ねぇ、サラサ。
…ずっと、一緒にいて欲しいんだ…!!」
熱の籠った言葉。
肩に感じる、もう子供じゃない手の力強さ。
詰め寄ってくるレトに押されて、気づけば私の背中は石壁に押し付けられていた。
「っ…。」
左肩が痛む。
でも、レトは放してくれない。
目を逸らせない。
初対面では12、3歳と思ったくらいだ。
背も、歳にしては低くない。私と10センチも変わらないのだ。
少しだけ下から、キレイな強い瞳で見詰めてくる。
これは…告白になるのかな?!
驚きは徐々に混乱に変わり、鼓動がおかしいくらいに騒ぎ立てている。
「…レト?」
キレイな子だと思っていた。
ときめいた事もある。
王子だと、心の中では騒いでいた。
でも、どう考えても、それは私の中で"恋愛"のカテゴリーからは外れる物だった。
例えるならば、○ニーズJr.の中に、先の楽しみな子を見つけた!応援してあげたいな!みたいな感覚?
「僕じゃ、だめなの…?」
いや、ダメとゆうか、ダメじゃない…けど、
いやダメだ!!
相手は10歳だよ?!
犯罪だって!!
せめて5年後にして!!
「レト、あのね…」
《ガチャ》
扉が開いた。
「おや……。
ひょっとして、お邪魔してしまいましたか?」
サンガが入って来て少し申し訳なさそうに言う。
「申し訳ございませんが、私の出国手続きが終わりましたので、10分後にはゲートが開きます。
身を潜めていただく場所も確認して参りました。
先に移動をお願い致します。」
レトが私から手を放して、目を伏せながらサンガに向き直る。
ちょっとホッとした。
サンガ、相変わらず冷静だな…。
レトに目を向けると、少しふてくされたような顔をしていたが、
「わかった。行こう。」
気持ちを入れ替えたようだ。
ふいにこちらを向くので目があった。
「続きはまた今度きかせてね?おねぇちゃん。」
少し挑発的に微笑むレトに、またもや鼓動が騒ぎ出す。
うぅ。これから"姉弟"を演じなきゃいけないのに。
…弟にときめく姉はいないんだってば!!
独房を出ると、サンガは意外と堂々と通路中央を歩き、私達を案内した。
本当に誰にも出会わない。
そもそも出入国ゲートは3階建で、
1階が物流センターになっていて、数少ない交易品をやりとりしている。
2階が待合室。白国の許可を得て出入国するのは貴族くらいなので、VIPルームの個室が2、3あり、
たまにいる"青のパスポート持ち"は簡素な待合所といった感じらしい。
そして今いる3階が、出入国ゲートフロア
出入国の順番がきた者と、スタッフルームの職員しかいない。
つまり、今は私達と職員しか、このフロアにはいないのだ。
それでも"不法出国"だと思うと気が気ではなくて、壁側に背を預け、少し横歩きのようになってしまっていた。
まぁ、元々この世界の人間ではないので、存在自体"不法"なのだが…。
「サラサ、その方が目立つよ?」
「…。」
だって、スパイ映画とか、逃亡するシーン、やはりみんな辺りを警戒して移動してたよ?
「お静かに。」
角で一度サンガが立ち止まる。
「ここを曲がれば、職員が8名おります。
7名はカウンター内で机に向かって作業をしており、
1人は通路に立っていて、出国者をゲートまで案内し、転移装置を操作する者のようです。
私は立っている職員に、御手洗いまでの案内を頼みますので、その間にカウンターの死角を、身を伏せてお進み下さい。
出国ゲートまでは約15メートル程です。
曲がり角は2回。天井付近の案内板をご覧になり、お進み下さい。
出国ゲートの左右に転移装置があり、これが幅約1メートル、高さは3メートル程ですので、その向こう側にお二人潜んで頂くことが可能だと思われます。
転移の際には、装置を動かす職員が増える事も予想されます。
ので油断なさいません様。
"オズ"発動のタイミングはレト様にお任せ致します。」
淀みなく隙なく、サンガさんは計画を語り、
「わかった。それでいい。」
レトがうなずく。
もう、やるしかない。
覚悟を決めて、あらかじめ身を低くする。
サンガは角を曲がって行った。
「出国ナンバー8番のサンガ=ジル=ヴォーウィッグ様ですね?
まだ少し、お時間が早いようですが?」
サンガ、そーゆう名前だったんだ。
「いや、久々の帰郷になりますので、緊張致しまして。
御手洗いはどちらに?」
「あぁ、それなら一度この通りをまっすぐに突き当たって…。」
「申し訳ございませんが、帰りに迷って時間が遅れてしまっては、次の方のご迷惑になります。
お手数をおかけいたしますが、ご案内頂けませんか。」
「…そうですね。あと6分です。急ぎましょうか。」
立っていた職員が、サンガを案内して遠ざかって行く。
レトは私の前に身を低くしていたが、
振り返り目線で合図を送って来た。
"行くよ!""オッケー!"
二人、身を低くしたまま角を曲がると、カウンターは意外と高く1メートルはありそうだった。
その下を壁に沿うように中腰で進む。
《…コッ》『!』
しまった!
パンプスの踵が僅かに音を立ててしまい、二人その場に固まる。
「だれか、なんか落としたぞー?」
「んー?…あ、わりぃ。俺だわ。パステル落ちてた。あちゃー割れてるわ。」
「そういやさぁ。こないだの王都通信見たかよ?」
とりあえず気づかれなかった事を確認し、
私はそっとパンプスを脱いで手に持つと、再び行動を始める。
カウンターを過ぎ、3メートルくらいの所から右に曲がる案内が出ていた。
通路の幅は2メートル強、カウンターの反対側に渡らなければならない。
慎重に息を潜め、そっと壁から離れてカウンターを覗くと、職員は皆机の方を見ている。
今だ。
私とレトは、音をたてないように素早く、右曲がりの通路に走り込んだ。
暫くは周りの音を聞き、バレなかったことを確認して先に進む。
次は案内板に従って左。
最後の通路は5メートル程奥へ続き、そこには青緑の蛍石のように、うっすらと発光する巨大な扉があった。
なにやら古代文字のような模様がほどこされている。
幅は通路幅と同じで5メートル程。高さに至っては10メートルは超すだろう。
ゲートに近付くと、左右に巨大な黒曜石のような石柱がある。
これがサンガが言っていた"転移装置"だ。
スイッチのような物は見当たらないが、この石にも、古代文字と円やダビデの星などの複合模様が入っている。
…魔方陣てヤツか?
その後ろ、今来た通路から死角になるように、二人それぞれ左右に別れて隠れ、サンガの到着を待った。
それにしても、と、美しい光を湛える扉に見惚れながら、改めて異世界のテクノロジー (?)に思いを致す。
地球では、飛行機が一回飛ぶのにも莫大な化石燃料が費やされ、すでに地下資源は枯渇するだろう未来が近付いているのに…。
この扉は、どういったエネルギーで作動しているのやら。
何か"消費"されるものがあるものなのか…。
《コツコツコツコツ》
複数人の靴音が近付いてくる。
そして、私達の隠れている石柱のすぐ後ろから声がした。
「それでは。ヴォーウィッグ様。よいご旅行を。」
「ありがとうございます。」
サンガの声がした後、私の後ろの転移装置が熱を放ち始めた。
そして、目の前の巨大な石の扉に刻まれた古代文字が、順に赤紫の光に輝き出し、ゆっくりと、その扉は開いて行く。
完全に開くと、私とレトの間をサンガが通り抜け、装置中央に立つ。
私の位置から見るゲートの中は、外扉と同じ素材の発光する石の様で、5メートル四方のエレベーターのようだった。
やはり古代文字のようなものが壁面中に刻まれていて、ランダムに色とりどりに点滅している。
そして、一度開いた扉は、再びゆっくり閉じ始めた。
『え?え?!
レト?扉、閉まっちゃうよ?』
慌ててレトとサンガの顔を見比べていると、二人とも人差し指を唇に当て"沈黙せよ"の合図。
扉が閉まるまであと1メートル。
『え――?』
あと80センチ。
『レト!オズは?!』
あと60センチ。
『どーゆうこと?!』
私が心のなかでパニックを起こしかけた所で、レトの右手から緑の閃光が放たれた。
眩しくて目をつぶると、レトが話しかけてくる。
「サラサ、行くよ。」
目を開けると、閉じかけた扉は隙間50センチの所で止まっていた。
いや、私達3人以外が時を止めていた。
そして、レトの周囲およそ7、8メートルの物、人全てが薄い緑のヴェールに包まれたように見える。
「………。」
「さ、靴履いて。」
レトに促されて靴を履き、手を引かれて、転移装置の50センチの隙間から中へ滑り込む
「扉がある程度閉まってないと、隠れられないでしょ?」
「あ…。」
ですよね。
考えてみれば、簡単な事だった。
全くどれだけテンパってしまってるんだか…。
レトの右手がもう一度緑フラッシュを放つと、全てのヴェールが霧散し、時を止めていた扉は今度こそ完全に閉じた。
中でランダムに、カラフルに点滅していた古代文字達が、少しずつ点滅スピードを加速し、網膜が眩しさに焼かれて行くようだ。
「サラサ様、更に光は強まります。お目に悪いので、閉じられた方が良いですよ?」
サンガに言われたが、自分の身に起こる事が不安で薄目を開けて見ていた。
足元から七色の光が強くなり、私達の足が掻き消えて行くのが見える。
『!!!』
私を消していく光が、水位が上がるように、足、腰、胸、首と徐々に競り上がり…
溺れてしまうような恐怖についには目をつぶった。