~永遠に想う~
3、
朝日が柔らかく瞼をくすぐる。
あれ?わたしの部屋は遮光カーテンなのに。
昨日、閉め忘れたんだっけ…?
目を開けると豪華な天涯があった。
夢じゃないんだよね。
まだ朝日が昇って間もないのだろうか。射し込む朝日は窓から真っ直ぐにベッドまで届いていた。
〈コンコンッ〉
控えめなノックの音がして、トーヤくんがドアの向こうから話しかけてくる。
「サラサ、起きてるか?」
「うん。今起きたよ。」
身体を起こして伸びをしながら答える。
マットレスはすこぶる上質な物なのだろうが、慣れない寝具だったので少し身体が強ばる気がした。
「ユランとソランの朝の散歩だ。一緒に行きたいかと思って。昨日、ずいぶんと仲良くなったろ?」
あの巨体を散歩?
頭の中にリードを着けた2羽に引きずられるトーヤくんが思い浮かんだ。
うん。手伝おう。
「うん。行きたい!ちょっと着替えるから待って。」
部屋に備え付けのクローゼットから制服を取り出そうと手をかけると、トーヤくんが言葉を続けた。
「あ、まったまった!昨日のヒラヒラしたヤツじゃだめだ。服持ってきたから、これ着て。」
と言って、ドアを薄く開け、布袋を差し入れてくる。
そっか、いかにも『余所者』って感じじゃまずいよね。排他主義って言ってたし。
「うん。」
布袋を受けとると、この世界の服が入っていた。
スリットネックシャツに、カシュクール(?)の袖無しチュニック、縁にはチロリアンテープのような柄。裾を絞ってあるパンツ。ウエスト部分は帯のようなものを巻くようだ。
靴は編み上げのブーツ。
着替えて部屋を出ると、トーヤくんのチェックが入る。
「うん。大丈夫そうだな。あとは髪、結んどいてくれ。絡まるとまずい。」
「あ、うん。」
腕につけていたゴムでさっと髪をまとめる。ゆるポニーくらいな高さ。
うん?絡まるって何にだ?
「じゃ、行くぞ。」
先を急ぐトーヤくんに続いて中庭に出ると、空で遊んでいたユランとソランが嬉しそうに降りて来た。
あい変わらず羽根は爆風を作るので、少し煽られる。
2羽は先ずトーヤくんに頬擦りし、次にわたしにも親愛の情を示してくれる。
〈くるるるるっ〉〈きゅぅー〉
うーん。カワイイな!
トーヤくんは手早く2羽の背中に、持っていた綱のような物を巻き付ける。
すると綱は光り、鞍のような物が背中部分に出現した。
「うわっ。」
キタキター!魔法だ!
やっぱりあった!
あると思ってたよ。昨日シャワーを浴びた辺りから。
どう見ても科学テクノロジーじゃなかったもんね。
1人興奮していると、トーヤくんから声がかかる。
「サラサはソランに乗って。そいつ、飛び方がおとなしいから。」
なんと、散歩って空中散歩だったのか!
「ユランはお転婆だもんな!」〈ギュイ ギュイ〉
そりゃ、高いところ平気だし、ジェットコースター大好きだけどさ。
命綱無しの上、1人で乗るのか。
真顔で固まっていると、ユランが片翼を低く広げ、トーヤくんは慣れた様子でそこに足をかけて、ひょいっと飛び乗った。
「大丈夫。ソランは自分が乗せても良いと選んだモノは、絶対に落とさない。サラサが自分から飛び降りてもな!」
片目をつぶってイタズラっぽく笑っているが、声は自信に溢れていた。
ソランがわたしをじっと見詰め、片翼を低く広げた。
〈キュイ〉
「わかった。よろしくね、ソラン。」
ソランを信じよう。
わたしはトーヤくんがしたように、低く伸ばされた翼に足を掛けて鞍をまたぐように飛び乗り、手綱を握る。
「ヒュー!すごいな、サラサ。一発かよ。普通2、3回は落ちるぜ。」
「運動神経には自信あるの!」
ニヤリと笑って返す。
自慢だが、実はバスケット部全18人(3年生は引退したが)の中で唯一の一年生レギュラーなのだ。
ちなみに祖父が剣道の師範で、遊びで教わっていたのだが、小学校の頃には試合で関東地区代表になり、全国2位のトロフィーをもらったこともある。
その後、祖父の友人の居合い道師範からスカウトされ、真剣を握った事もあったが、習得が早く、3年ほどで皆伝を頂いた。
女だから心配だと幼稚園から週1通わされた空手では、高校受験でやめる頃には、盾、トロフィー、メダル合わせて賞は20個を越していた。
今でも毎朝(試験期間中はやらないが)空手の形は一通りこなしている。
わたしの言葉に、トーヤくんもニヤリと笑った。
「じゃ、ついてこいよ。」
トーヤくんが膝でユランの背中を締めたのがわかった。
ユランは一度身を低くし、翼を開きながら飛び上がり、舞い昇って行く。
「ソラン、行くよ。」
それに習って膝を締めると、ソランも空へ舞い上がった。
斜めに射し込む朝日が、眼下に広がる広大な森と丘、丘の上のセルストイ邸、薄くかかる朝もやを淡くオレンジに染めている。
風が木々を揺すり、起きたばかりの小鳥たちが群れて飛び、囀ずっている。
丘の後ろの山、崖になっている所から滝が流れ落ち、川は森を横切る。そして何キロメートルか下流には湖が広がり、それらは朝日を受けてキラキラと輝いていた。
空はまだ西に藍色を残し、薄くたなびく雲は、オレンジと白、灰色に染まっている。
天頂は雲も無く淡くオレンジで、東から段々白く塗り替えられていくところだ。
風は少し冷たいが、上下左右、360度 空に包まれて、気分は最高潮だった。
「スゴイ…!!」
こんな時に、自分のボキャブラリーの貧しさを情けなく思う。
間違いなく生まれてから今までで一番の絶景だろう。
あぁ、なんでスマホを置いてきてしまったかな。
こんなに映えているのに。
ちょっとウルッときた目頭を、手綱を持ったまま押さえていると、遠巻きにぐるぐる翔んでいたユランが近付いてきた。
「すごいだろ?この時間が一番すごいんだ。」
羽音に掻き消されないように、トーヤくんが大声で話す。
トーヤくんがわたしを誘ってくれたのは、わたしを励ますためだったんだな。
素直にそう思った。
「ありがとう。こんな景色、初めてだよ。」
「まだまだだぜ!」
そういうと、トーヤくんはユランを旋回させ、どこかに向かい始める。
わたしもそれに続いた。
「サラサ、操縦も余裕だな。度胸だけでもすげーのにさ!」
「ソランが、大丈夫だから任せろって言った気がしたの!だから、全部ソランに任せてる。それより、どこに向かってるの?」
「操縦してない?―――。」
トーヤくんが絶句した。
「あ、うん。ソラン、トーヤくんとユランに着いて行きたいのかもね。」
「…そぅ、だな。」
うん、と納得して、行き先を教えてくれる。
「昨日、サラサが寝てた辺りに行ってみようと思ってさ。」
「寝てたんじゃないけどね!」
「ははっ!でも、来たとこなら、帰る方法の手がかりがあるかもしれないだろ?」
「…そっか!」
うっかり失念していた。
わたしが一番考えなきゃいけない事だったのに、まったく思いつきさえしなかった。
言い訳になるが、朝イチで散歩に誘われて、魔法を目の当たりにし、ジェットコースターもかすむ空中散歩で、全方位の絶景パノラマだったのだ。
そんな隙間はなかった。
「トーヤくん、本当に、本当にありがとう!」
こんなに親身になってくれて。
「いや…」
頬を掻きながら、トーヤくんは居心地悪そうに続ける。
「あのさ。その"くん"て、止めてくれない?サラサの方が歳上なんだし。あと、ありがとう言い過ぎ。まだ、帰り方がわかったわけでもないんだし。」
それでも、いきなり来た異世界で、いきなり衣食住(部屋も食事も高級ホテル並み)を全て提供してくれたあげく、帰り方まで一緒に探してくれようとしているなんて、"ありがとう"を何回言っても足りないと思う。
でも、なんだかトーヤくん、いや、トーヤの性格が分かってきた気がする。
照れ臭いのはイヤなんだね。
「わかった。じゃ、トーヤ!君は今何歳なの?」
「俺達は、もうじき11歳」
「え?!」
まだ5年生だと?!
うちの妹と同い年じゃないか!
やっぱり、外国人(異世界だが)の歳はわからないな。
「あの辺だ。」
トーヤが手綱を緩めるとユランが降下を始める。ソランもそれについていった。
草を暴風で打ちつつ降り立ったのは、湖近くの草原だった。
湖の反対側に森がある。柔らかな緑色の木々が適度にまばらに生えていて、風と木漏れ日が入り、爽やかで気持ち良さそうだ。
「ここが、モノノケ森?」
「いや、ここは天恵の森。セルトレーン(白国)の北端だよ。昨日俺が黒イチゴを摘んだ森だ。」
トーヤはそういって、草原の端に向かって歩いて行く。
ん?草原の端から続く景色が、どこにも見当たらない。
崖になってる?
トーヤは先に崖っぷちにたどり着いて、怖がりもせずに下を覗いている。
「あそこがモノノケ森。」
そういって崖下を指差した。
恐る恐る下を覗き、驚愕した。
地面が、繋がっていなかった。
「トーヤ、ここ、浮いてる…?」
昨日さんざん『シア』について教えてもらったはずだが、コレはさすがに想像出来なかった。
トーヤは何が問題なんだという顔で言う。
「あたりまえだろ。セルトレーンは神の国に一番近い高度だぜ?」
高度、とは?一律海面からの高さではないのか。それは海抜か。
再びトーヤの『シア』講義が始まる。
『シア』は、浮島の集まる世界なのだという。一番高い位置に浮いているのが神の国(島)。次がここ、西のセルトレーン。次から順に南の赤国、東の青国、北の黒国。
今いる所は西と北の境。神の国を除けば、一番高低差の大きい国境だ。
「赤国(南)とはそんなに差はないんだけど、黒国(北)はかなり低いね。でも、この下のモノノケ森からは、毎日モノノケが上がってくる。黒国の国境警備軍も、定時巡回する。黒国は軍事国家で、かなりの秘密主義だ。ここから覗くだけでも諜報活動と見なされる。サラサは昨日、本当に危なかったんだよ。」
「覗くだけでもって…。」
「サラサは魔法使えないみたいだけど、遠見の魔具とかあるからね。」
「…でも、今覗いちゃってるよね?大丈夫?」
「長く覗かなければ平気だろ。一応国境の内側だし。さ、サラサが帰る手がかりを探そう。」
そういってトーヤは踵を返し、草原の中を探し始めた。
「サラサは…多分この辺に寝てた。」
…寝てたんじゃないけどね!
トーヤが指差した辺りを調べてみる。
草の種類は普通。土も変わったところはない。
異次元の穴がぽっかり開いているとか――。
怪しい模様が書いてあるとか―――。
怪しい道具が落ちてるとか―――。
…どこにでも行けるドアがあるとか…。
ダメか。
ひとしきり探して、捜索範囲を広げようかと目線を動かしたとき、なにかが視界に引っ掛かった。
もう一度目線を戻すと、1メートルほど右手に小さな白い物が見える。
「花びら、かな?」
草原に花びら。
別になんてことないようだが、今見渡せる範囲には花をつけた草は見当たらなかった。
天恵の森から運ばれたかな?
拾い上げると、桜の花びらに形が似ていて、一枚だけなのにとても良い香りがした。
「わぁ。良いにおい。それに、この花びら透き通ってて、角度で色が変わるみたい。」
地球では見たことがないそれは、シャボン玉の表面のような光沢を持っていて、とてもキレイだ。
突然トーヤが駆け寄ってくる。
「それは、夢幻華だ!」
近寄って覗き混みながら、トーヤが説明してくれる。
「神の国にしか咲かない花だ。」
トーヤは目を見張って、わたしの手元を凝視している。
「驚いたな。…すごく稀少な花だから、メイヤードでも、中枢の管理された花畑でしか咲いていないはずなんだ。」
わたしも、まじまじとそれを見つめる。
「そんなに珍しい花の花びらが、なんでセルトレーンに落ちてるんだろ。…風が運んで来たのかな?」
「………。」
あれ。考えこんじゃった。
そんなに"あり得ない事"なのだろうか。
既に昨日から"あり得ない祭り"なわたしには、もうこの世(すでに異世界だが。)にはアリエナイなんてことはあり得ない気がしているのだが。
ようやく何かしらの考えをまとめたトーヤは、わたしに視線を移し、微笑みながら言う。
「夢幻華の花言葉は《運命の導き》《約束への回帰》だ。今のサラサにぴったりだろ?お守りに持ってろよ。」
「…うん。」
《運命の導き》―そうなのだろうか。
ここに来たことが、偶然じゃなく何かの意味があるものなら。
《約束への回帰》―わたしは、何を成したら帰れるだろう。どこへ帰るのだろう。
地球の、わたしの世界へ―。本当にそうだろうか。
天頂はすっかり白く染まりきって、東から清らかな青が広がり始めている。
「何も無かったな…。そろそろ戻るか!」
トーヤが、懐から銀笛を取り出しながら言う。
「うん。」
わたしの返事を聞くと、おもむろに笛を吹いた。
〈ピィー!!〉
直ぐに二つの羽音が聞こえて、ユランとソランが天恵の森の方から飛んで来た。
2羽とも森で存分に遊んできたようで、羽根には枝葉や小さい木の実などが付いていた。
ユランの足元で、なにかが暴れているのに気づいた。
鹿?地球で当てはめるならそれだろう。
ただし、赤いたてがみのようなものが、頭から尾までつながり、小さな馬に見えなくもない。
ユランの片足は、それの腰あたりをむんずと掴んでいる
《クエ――――――ッ!!》
ユランは自慢するようにいなないた。
「お。ユランは今日は鹿を捕まえたのか!おまえは相変わらず狩りが上手いな!」
トーヤは、満面の笑みでユランの頬のあたりの羽根を逆立てて、わしわしと掻いてやっている。
ユランは嬉しそうにトーヤにされるがままになっていた。
《グ―ルルルル…》
ソランは面白くなさそうにそっぽを向いて小さく鳴いた。
拗ねてるのかな?カワイイ。
「大丈夫だよ。ソラン。あなたは、今日初めてギザに乗るわたしを、とても気遣って翔んでくれたでしょう?翔ぶのが上手だね。ありがとう。」
通じるかはわからないが、そういってソランの嘴の横に手を滑らすと、ソランは優しい目になり、頬の羽根を逆立ててすり寄ってくる。わたしはそのまま手を伸ばし、トーヤがしたように、わしわしとソランの頬を掻いてあげた。
「すっかりサラサに懐いたな。」
トーヤが微笑ましく見ていた。
「ギザは一緒に翔ぶことで、相手の人間と徐々に深くつながっていくんだ。サラサ、まだ一度しか翔んでいないのにな。すげーよ。」
ソランの瞳を見詰めると、ソランもまた見詰め返してくれる。
うん。なんだかソランの気持ち、分かる気がする。
「あーあ。ソラン、あんましサラサに懐いてると、レトが妬くぞ。」
「え?」
「ソランはレトのパートナーなんだ。ギザは主人を選ぶから。ソランはレトを主人に選んだ。」
「…それじゃ、なんでわたしを乗せてくれたの?」
「主人がいても、別に他を乗せないわけじゃない。まぁ、昨日の様子からだいぶ好かれてるのは分かってたから。でも、操縦は実地で教えながら翔ぶつもりだったんだぜ。それが、最初からソランと通じちゃってるしさ。」
あぁ。
操縦してないと言った時のトーヤの反応を思い出した。
そういう事だったのか。
「それだって、最上級に甘えてる。」
この頬を差し出す仕草が、鳥類の甘え方だっていうのは、うちのオカメインコで知っていた。
嬉しくてつい顔がゆるんでしまう。
「さ、晩飯の食材も手に入れたし、帰ろぜ!腹減ったー!」
「え?!その鹿、食べるの?」
「あたりまえだろ!せっかくユランが捕ってきたんだし、今夜はご馳走だぜ!」
都会っ子のわたしは、くちをあんぐり開けてしまった。
そっか。そうだよね…。
唐揚げだって、焼き肉だって、元は生きていた命だ。今までだって食べていた。
うん。深く考えずに、ありがたく頂こう。
2羽に鞍を着け、帰途につく。
空から見る景色はやはり絶景だった。
来たときより光線に温もりがあり、オレンジに染まっていた世界も、本来の色を取り戻している。
わたしはソランの上で一つ身震いをした。
温かい日差しを感じて、逆に身体が冷えきっている事に気づいたのだ。
北の国境近く。しかも早朝。
興奮から気づいてはいなかったが、やはり寒かったようだ。
すると、突然ソランがユランの後を翔ぶのを止め、高度を下げてゆく。
「え?!どうしたの?ソラン!」
わたしの声に気づいたトーヤが、ユランを旋回させて、後を追ってくる。
「ソラン!おまえ、どこ行くんだよ?」
《クエェ―》
森にぶつかっちやう!
と思ったら川の上に出た。地表の川ではなく、谷の隙間を通る渓谷。水の流れる音はするが、靄っていて水面は見えない。
ソランはその流れの上を、セルストイ邸の方角へ向けて低く翔び始めた。
ブルッと、再び身震いしてしまう。
あれ?なんだか暖かい?
下から暖気を感じる。それに、この匂い。
覗いてみると、ソランが翔んでいたのは、水ではなく温泉の流れる川のようだった。
湯気が昇ってきて暖かい。
「ソラン。わたしを、暖めようとしてくれたの?」
ソランに声をかけると、ちらりと一瞬だけこちらを見た瞳が、そうだと言っている。
追い付いたトーヤがソランをたしなめるように言う。
「ソラン!急に寄り道しちゃダメだろ?今日は特にサラサ乗っけてるんだし。どうした?お前らしくない。」
いつもは優等生タイプの性格で、ルートを変えて翔ぶなどしたことはないらしい。
「違うの、トーヤ。ソランはわたしを暖めようとしてくれたんだよ。さっき、震えちゃったから。」
トーヤは、ユランの下の渓谷を見て納得したらしい。
「お前、気が利くなー。ごめんな、サラサ。上着持たずに来ちゃって。」
「大丈夫だよ。もう暖まった。それよりここ、温…?!」
温泉の川なんだね、と言おうとしたところで、ソランが急に渓谷の靄(温泉の湯気)の中に飛び込んだ。
わたしはあわてて体制を低くして、ソランの背中に添うようにする。
あまりのスピードに声も出せずにいると、トーヤの焦った声が聞こえた。
「ソラン!サラサ!!」
バシャッ!
温かい水しぶきが足にかかった。
温泉川に着水した、と思ったら、すぐさま急上昇する。
靄が晴れる高さまで戻るとソランが止まったので、ホッと息をついて体制をもどした。
トーヤが唖然とした表情でこちらを見詰めてくる。
「ソラン…お前…。」
トーヤの視線が、ソランの足元に行くのを見つけ、私も覗きこんでみる。
なんとなくわかってしまった。
ソランの身体から、びくんびくんと何かが暴れる振動が伝わってくる。ちらっとだけ見えたソランの足は、とても大きな、ひれと鱗のついた物を握っているようだ。
巨大な魚を。
「―ソラン、さっき狩り出来なかったこと、よっぽど悔しかったんだね。。」
トーヤもヤレヤレといった笑顔でソランを誉めてやる。
「よくやったな。ソラン。そんなでっけーなまず、一発で仕留めるの、お前くらいだよ。」
こんどは、ソランがドヤ顔をしているように見えた。
「なまず―、も、食べるの?」
「ユランが捕ったからな。キライか?」
「いや。食べたことないけど。」
うん。これも考えないようにしよう。
「さ、今度こそ帰るぞ!あんまり遅いと、レトに怒られちまう。」
今度は2羽揃って、温かい川をなぞるように家路をたどった。
中庭に降り立つと、レトくんが食堂の窓を開けて待っていた。
「二人とも遅いよ!あ、トーヤ、上着貸してあげなかったの?ダメじゃない!」
「やー。うっかりしてた。」
地面に降りたって鞍を外すと、ソランが嬉しそうにレトくんに翔び寄って、獲物を差し出す。
「うわぁ!大きいね!ソランが捕ったの?よくやったね。」
《ギュリルルー》
レトくんが手を差し出すと、ソランも嬉しそうに掻いて欲しい部分を差し出す。
うん。やっぱりレトくん大好きなんだね。
「ユランも、立派なのを捕ってきたね!上手だ!さ。ユラン
ソラン。獲物を運んだら、朝ごはんだよ。鹿は檻に。魚は裏の調理場にね。」
レトくんが2羽にテキパキと指示をだすと。2羽は心得たように、違う方向へ獲物を運んで行った。
「言葉がわかるの?」
不思議に思って聞いてみる。
「生まれた時から一緒だから。言葉とかじゃないかもしれないけど、伝わるね。」
と、レトくんは答えてくれた。
「レト、腹減った。食おうぜ!」
窓から上がり込もうとするトーヤに、レトくんはあわてて注意する。
「こら。スリッパに履き替えなよ!玄関に回って!」
そう。この家(城)は、なんとなく西洋色は強いのだが、セルストイ邸は土禁なのだ。
「靴脱げば、いーじゃんなぁ。」
朝ごはんをお預けされたトーヤは、しぶしぶ玄関に回り込む。
わたしもその後についていった。
朝ごはんも、昨日のディナー程ではないが、充分過ぎるボリュームだった。
ハムや燻製のような肉の盛り合わせ、生野菜のサラダ、温野菜のサラダ、キノコ入りオムレツ。
パン3種類に、5種類のフルーツ、チーズ。
飲み物は、ミルクとジュースとお茶。
やはりビュッフェだ。
テーブルは窓際右手に寄っているので、
広く空いた中央では、ユランとソランが、またタライに山積みの生肉やらを、意外と大人しく食べている。
時間はこちらの時計で午前10時。ブランチというところである。
「そういえば、今日はレトくんが外出する日って言ってたのに、朝の散歩はトーヤの日課なの?」
聞いてみると、トーヤが答える。
「いや。朝はいつも二人で行くんだ。けど、サラサの居た場所を知ってるのは俺だし、ユランはちょっとお転婆だから、ソランに乗せて探しに行こうって事になった。」
「あ、ごめんね!レトくん、わたしのせいでお留守番になっちゃったんだね。」
あわてて謝ると、レトくんは複雑そうな顔をした。
「それはいいんだけど。…呼び方。トーヤだけ、いつの間に"くん"が取れたの?ぼくも"レト"がいい。」
なにそれカワイイ!
またちょっと上目遣いなところが、モーレツにイイ!!
また抱きよせたくなる気持ちをグッとこらえる。
「うん。レト!よろしくね。」
「うん。サラサ、よろしく。」
まさしくエンジェルスマイルを浮かべたレトに、こんどは理性が耐えられなかった。
気づくと立ち上がり、隣の席のレトの頭を抱き締めていた。
「!!」「?!」
レトはまたわたしの胸から逃れようと空中を引っ掻き、トーヤは注ごうとしていたジュースを盛大にこぼした。
「あ。ごめん。」
我に返って腕をゆるめると、なぜか二人とも真っ赤になって固まっていた。
二人とも、まだ10歳。少年じゃないか。
何も恥ずかしがる事ないのにな。
その後、すっかり下を向いてしまった二人は、それでも驚異的スピードで大量の食事を完食した。
4、
「サラサ、今度は僕と出掛けない?」
食後、席を立つと、レトが誘ってくる。
「良いけど。」
この世界に来た場所に帰るヒントがあるという望みを持って、もう一度探しに行きたい気もするが、勝手にソランを借りるわけにはいかない。そうすると、わたしには今やることがないのだ。
「どこに行くの?」
「街に行けば、魔法や魔術、異世界の事なんかが書いてある本が、たしか図書館にあったはずだ。そこに行ってみよう。」
あった!出来る事。
異世界についての本があるなら、帰り方も載っているかもしれない。
「ありがとう!!レト!」
わたしが感謝を伝えようと一歩近づくと、レトは後ずさった。
ハグを警戒されているようだ。
「うん。"ありがとう"はいいよ。まだ帰り方わかったわけじゃないし。」
トーヤと同じ事を言いながら、布袋を渡して来た。
「今度はコレに着替えて。サラサの髪色は、セルトレーンでは目立っちゃうから。」
あ、そうか。排他主義――。
違う色の民族を受け入れないんだっけ。
セルトレーンの民は、みんなプラチナブロンドらしい。
肌は白く、目は金かうす茶色。
あれ?と気付く。
トーヤとレトは、どちらもブルー系の瞳だった。
レトは言いずらそうに、わたしに教えてくれた。
「実は、僕たちも他国人なんだ―。」
両親と暮らしていない事。
近くに民家のない丘の上に住んでいること。
多分、何かの仕方ない事情で、彼らの意思ではないのだろう。
その目には、悲しみか寂しさのようなものが映っている気がして、今度はうしろからそっと肩を抱き締めた。
レトは抵抗せずにしばらくうつむいていたが、
顔を上げて、切り替えるように振り向いた。
「サラサの目は薄茶色だから大丈夫。髪の毛だけコレ被ってね。」
渡されたのは、魔法使いが被るようなフード付きのマント。
ただし、白のシースルーになっている。
「いくらなんでもこれじゃ透け透けじゃないかな。」
髪色がバレてしまうと思う。
「それ、偏光素材で出来てるから大丈夫。その代わり、風で飛ばないようにしっかり止めてね。」
渡された服を受け取り部屋で着替えると、姿見に映してうっとりしてしまった。
ミントグリーンの、胸元が開いたぴったりとしたトップスは、ラインストーンやビジューで飾ってある。
下はうすいブルーのアラビアの踊り子さん風パンツ。ゆったりした何重にも重なるシフォンでスカートのようにみえる。カラフルなスカーフとコインの揺れる金のチェーンベルトを腰に巻くスタイル。上から白いシースルーのマントなんて、
まるで異国のお姫様みたいじゃない。
実は昔から、王子様に魔法のカーペットで迎えに来てもらうプリンセスが大好きだった。
「すごーい。」
くるくると回って、衣装がしゃらしゃらと揺れるのを楽しんでいると、ドアの外から声がかかる。
「サラサ、支度出来た?」
「うん。今行くね。」
ドアを開けると、レトも着替えていた。
白い詰め襟の服には金糸銀糸で凝った刺繍が入っていて、右の肩から金の刺繍の入ったみどりの布を掛けて、飾りベルトで止めている。靴は先の尖った黒ブーツ。
完璧な王子様だった。
「すごく似合ってる。サラサ、綺麗だ。」
いや、あなたの方がね!どこの乙女ゲームから出てきたの?と聞きたくなる。
若干ショタな感はいなめないが。
見とれていると、トーヤは恭しく右腕を左胸にあててお辞儀をする。
「お迎えに上がりました。プリンセス。」
「へ?」
「図書館は、それなりの身分の人間しか利用出来ないんだ。だから今日は、サラサは僕のプリンセスね。」
ときゅーんっ
心臓が変な音をたてた気がする。
完璧な美貌の王子様に『綺麗だ』『僕のプリンセス』だなんて!
いやでも、せめてあと5年育っててくれたら、素直にときめくのに。いや、十分にときめいてしまったが。
「行こうか。」
左手を差し出されて、つい右手を差し出してしまった。
レトはちょっと照れたように微笑みながら、エスコートしてくれた。
玄関前にはいつの間にか立派な馬車が待っていて、街までは1時間半ほどだった。
街は煉瓦作りの街並みで。カラフルな看板があちこちに見える。
通りは石畳で舗装され、街灯なんかもあるようで、栄えている。
服装は昨日レト達が着ていたかんじで、女性は刺繍の入ったワンピースにエプロンだ。
「ここは王都のメイン通り。商店街通りだ。一本向こうは職人街で、細工物や、染め物、鍛冶、仕立て屋なんかだね。脇道は、道一本間違うと危険な場所もあるから、絶対に僕から離れないでね。」
華やかな表通りから細い辻道に目をやると、なるほど。目をギラギラさせた男たちが、何かを値踏みするように辺りを見回している。
「うん。」
髪の毛のこともあるし、目立たないようにしなきゃ。
馬車から降りるとき、フードを目深に被って隠しながら降りた。
相変わらずレトは左手を差し出してエスコートしてくれる。
そのまま図書館に向かうと、入り口で身分証の提示を求められた。
え?身分証なんて無いのに。どーするの?!
内心焦りだしたわたしに、笑顔で一つうなずいたレトは、次の瞬間、表情を凍らせて信じられない事を言い出した。
「お前、私を知っているだろう?先日、極秘裏に妻をめとったのだ。だが、私には戸籍がない。――分かるな?」
わざとブルーグリーンの瞳を見せ付けるようにして、かなり高圧的なしゃべり方をする。
いつものレトじゃない。
しかも、つ…妻って言った?!
「は!レト=セルストイ様でございますね。申し訳ございません。奥方様にも、大変失礼いたしました。」
「入っても構わないな?」
「はい!如何様にもおくつろぎ下さいませ!」
「ところで、今は客はいるか?」
「いえ、はい。…あの、一組だけいらっしゃいます。追い出しましょうか?!」
「いや、いい。が、この後私達が出るまでは、新たな客を入れるな。」
「はい!かしこまりまりました!!」
「奥の部屋を使う。鍵を。」
「は!ただいま、ご用意致します!」
呆然と目の前のやり取りを見ているしかなかった。
レト、だよね。どちら様?って感じなんだけど。
館長らしき人物から鍵を受け取ったレトは、振り返って言う。
「さぁ、行こう。」
相変わらず左手が出てくるので、右手を乗せた。
レトは足早に図書館の奥へ向かって進み、突き当たりの部屋の鍵を開けて入った。
「ビックリした?」
いたずらっ子の笑顔が出て来て、ようやくほっとする。
「…したよ!レトじゃないみたいだった。あんなしゃべり方…。」
一つ息をつくと、レトが説明してくれた。
「実は僕達、セルトレーンでも権力の強い生まれなんだ。でも訳あって、セルトレーンは僕達がここにいることを隠さなきゃならない。だから、戸籍もないし、屋敷も人目につかない山奥でさ。でも、ヤツラは僕達に逆らえないんだ。だから、国が持つ全ての機関を利用する権利を、僕達にくれたのさ。」
…なんだか、よく分からなかった。
レトは、訳までは教えてくれなかったから。
でも、わかったことがある。
戸籍もない。存在も隠され、でも権力だけは与える。
これが大人が子供にする仕打ちなの?!
二人が、本当に孤独に生きていることが、切なくて悲しい!
だからわたしは味方になろうと思った。
絶対、君達の味方でいるからね!
思いを強くしていると、レトが下の方から声を出した。
「さらさ…苦しい…」
「あ、ごめん!」
また抱き締めちゃった。
「いいんだよ。僕達はそれで。」
諦めたような笑顔が胸に刺さる。
だって、まだ10歳だ。
この歳で、未来まであきらめてほしくない。
「さ、異世界に関する本を探そう。」
そういって、得体のしれないわたしのために、あんな演技までして、手を尽くしてくれる。
トーヤもレトも、最初からそうだった。
二人はわたしを、一切の警戒もせずに保護して、寄り添ってくれた。
なんのメリットもないのに、当たり前のように。
こんなに優しい人間が、元の世界にだって、どれだけいるだろう?
なのにこの世界は、セルトレーンは、こんな子供達に誰一人手を差しのべないの?
そんなことをしなきゃいけない事情って何?
「コレなんか、いいんじゃないかな?"繋がる世界旅行"あ、読み物かな?」
レトは真剣に本を選んでいる。
もっと、二人のことを知りたいと思った。
でも…帰りたい。元の世界へ。
わたしのキャパシティはそんなに大きくはない。
今は、自分の身の上に起こった事の解決を最優先にしよう。
帰るめどが立てば、次の事が考えられる。
わたしも手近にある本を見てみる。どうやら文字も自動翻訳されるらしく、普通に読める。
ただし、見ていて気づいたのだが、魔法やら魔術やらの本は地球に似た概念が無いものが多く、ほとんど解読出来なかった。
「"異次元への扉""祈りの道""移動魔術まとめ""空間を繋げる方法""神隠しと顕現"こんなとこかな。」
レトは、分厚い本を沢山積み上げて読書スペースへ向かう。
私には読めない物が多そうだ。
読めそうな本を探していると、一つの本に目が止まった。
「"星の祈り~メイルーアの役割~"」
それは、わたしにも読めたが、中身は子供向けの絵本だった。
――むかし、シアは一つの星だった。
ある時、流れ星がシアにぶつかり、星は6個に割れた。
そのまま星の破片は飛び散ろうとするが、
女神メイルーアが、星が飛び散るのを止めた。
そしてそれらが浮島になり、色国になった。
いまでもメイルーアは、星がこれ以上壊れないよう、力を尽くしている。―
いわゆる、創世記だった。
「あれ?シアには、国は5個なんじゃ…。6個のうちの一つはどうしたのかな。」
絵本だし。事実とは違うのだろう。
でも、何か気になった。
「この挿し絵、レトに似てる。…ふふっ」
女神様に似てるなんて、さすが美少女。
「サラサ!ちょっと来て!」
突然レトが声を上げた。
「どしたの?」
「"空間を繋げる方法"…ここだ。」
足早に近づくと、レトは本の1ページを指差している。
「ここ。『2つの月が太陽に被る二重日食の時、時空の捻れが最大値を示す。条件さえ調えば、瞬間移動。いや、星間移動も可能であると言えるだろう。』って。」
「星間移動…?」
「いや、わからない。ただ、今いる場所とはかけ離れた
違う世界に、時間、空間の縛りを受けずに移動する手段となると…。」
…言葉も出ない。
2つの月?時空の捻れ?瞬間移動に星間移動…。
「…サラサ、聞いて?」
絶句してしまったわたしを気遣うように、レトがわたしの顔を窺いながら続ける。
「昨日の、トーヤがサラサを見つけた朝が、"二重日食時"だった。」
一つ目の条件の一致。二重日食。
まって、まって!
わたしは、昨日の朝までの、元の世界の記憶をはっきり持っている。
外見もわたしの記憶通りで、歳をとったり(時間を失ったり)していない。
つまり。
とてつもない距離、若しくは、全然違う次元へ時間を失わず移動したということだ。
空間が、繋がった……?
「――この、"条件さえ"って…何?」
声が震えた。
何の因果で、あの日あの瞬間の、わたしだったのだろう。
どんな条件がそこに力を貸したって言うの?
「これが、なかなか困難だけど…。"女神の祈り"って書いてある。」
…ここに来て、"神"か!
"神"なんて、人が作り出した"システム"じゃないのか―――。
歴史の授業では、"神"の名の元に他民族を虐殺したり、聖地の所有権を争ったり。人心を掌握し、操りやすくするための"システム"だった。
人は確かに"神"に祈りたいし、救われたい。
でも、少なくともわたしは、"神"にそんな力があるとは思ってなかった。
「…サラサ?」
祈れば通じるなら、
なんでまだ、ここにいるの。
――救われたくて、祈りを捧げても、報われないことがあるのを、
わたしは知っている――。
「――え?」
わたしは、今、何を考えた?
「サラサ?」
レトが心配してくれている。
「とりあえず、他の本もまとめて借りて行こう。"条件"については、他の文献も付き合わせて見ないとね。"女神の祈り"が、何か別の媒体を暗示している可能性もある。…とりあえず、図書館貸しきりも2時間になる。そろそろ出ないと。」
レトは、歳に見合わずテキパキと今後の方針をまとめてくれた。
「サラサ?行くよ。大丈夫?」
「…うん。」
しっかりしなければ。
これはわたしの問題だ。
この世界の事、常識、非常識。出来る事、出来ないこと。
土地の特徴と、わたしが来た場所に、どんな意味があったのか。
知らなきゃいけないことが山積みだ。
「レト、ちょっと待って。あと10分。」
歴史とか、地理、子供向けの学習素材ならば、そう難しい単語(翻訳不可能な)は少ないだろう。
"私たちのシア""セルトレーンを知ろう!""セルトレーン地図帳""優しいマナーブック""語り継ごう私たちの歴史"など、
パラパラとめくって、解読出来そうな本を選んだ。
全て、小学生(地球で言うところの)が地域の事を知るための教科書や辞典のようなものだった。
「お待たせ。これ、借りて行ける?」
わたしが選んだ本を見て、レトが不思議そうに首を傾げたが、
すぐにニヤリと笑って、エラソーに言った。
「わたしに与えられた権限だ。何も問題はない。」
図書館から出て本を馬車に積んだ。
「サラサ、申し訳ないけど、僕の買い物につき合ってくれる?」
「え。もちろんいいよ。」
それはそうだ。
彼らには彼らの生活がある。
わたしの事情にここまで協力してくれているだけでも、本当にありがたい。
荷物持ちでもなんでもさせて頂こう。
「調味料をね。だいたいの食材は屋敷の周りで採れるし、ユランとソランは狩りの名手だから困らないんだけど、塩とスパイスだけは、街で買わないといけないんだ。」
「…そっか。」
街まで馬車で1時間半。不便な場所だ。
丘の上に豪華な屋敷。だけどそれは、巨大な檻で…。
彼らを縛るのは何なのだろう。
「ついでにサラサの服もみよう。」
「え?いいよ!そんな。そこまでしなくても…。」
遠慮すると、レトが言い含めるように言う。
「でも、サラサの服は目立つでしょう?今朝貸したのはトーヤのだし、今着てるのは普段着とは言えない。また、調査のためにあちこち出向く事を考えたら、TPOに合わせて何着か必要だよ。」
もっともだった。
レトはすごいなぁ。何手も先を見ている。
でも、そこまでしてもらっても、わたしに返せるあては何もない。
でも…
「うん。わかった。よろしくお願いします。」
少し申し訳ない気持ちだが、ご厚意に甘える事にした。
先ず馬車で服屋を巡った。
こちらの服がわからないのでレトに任せて選んでもらう。
"何着か"以上に次々と購入を決めるレトを、さすがに止めに入る。
「レト、もう、これ以上いいよ。悪いよ。」
遠慮したが、思わぬ返しが返って来た。
「レト=セルストイの妻たるもの、これくらいは当たり前だよ。」
右手の人差し指を唇に当てて微笑むレトは、服装と相まって、とても大人びて見える。
今日1日で、何回ときめかされただろう。
うぅ。。年下は眼中になかったんだけどな。
危うく宗旨変えしそうだ。
というか…犯罪だよ。
服屋の次はスパイス屋だ。服屋から近いというので、少し歩いて見ることにした。
店を構えてる商店の他に、露店の花売りや、生鮮食品の屋台。食べ歩きの出来そうな、何かの皮に具材を巻いたクレープのような物まで売っている。 馬車が通る中央は空いているが、道の脇には、カフェのテラス席のようなものもあった。
「へぇ。さすが王都。活気があるね。」
「そうだね。僕も来るのは半年ぶりくらいかな。普段は歩かないし、新鮮だよ。新しい店も増えたみたいだ。」
二人の、他人と関わらない生活を感じるだけで、胸が苦しくなるようだ。
「もうこんな時間か。サラサ、少し休憩する?喉乾いたんじゃない?」
そういえば、そうかもしれない。
朝ごはんはブランチだったし、ボリュームもあったので空腹を感じなかったが、時間は既に16:30。日はすっかり傾きかけている。
あとはスパイス屋だけだったが、馬車で帰宅まで1時間半かかるのだ。そろそろ休憩しておきたかった。
「うん。」
「じゃ、こっち。」
レトが案内したのは、さっきわたしがチェックしたカフェテラスだった。わたしを先に席に座らせ、飲み物を注文しに行ってくれる。
異国情緒(異世界だが)があって、かなり映えそう。
「あ、そうだ!」
今朝、絶景パノラマをスマホに残せなくて後悔したから、今はスマホを持ち歩いているのだ。もちろん電波が届くわけはないのだが、写真は撮れる。
普段は1日でなくなる充電も、昨日は使わなかったので70%も
残っている。
レトが来たら写真撮ろう。あ、トーヤと、ユラン、ソランも今度撮らなきゃ。
「お待たせ。サラサ、甘いのと苦いのどっちがいい?」
レトが運んで来た飲み物を見て、すごい既視感を覚えた。
スター○ックスか!!
透明なカップにクリームをまいて、緑のストロー。
もう片方は下の方がミルク色、上に行くほどコーヒー色だ。
ついでに、チョコチップ(のような物)や、ナッツ(のような物)が入ったクッキー(?)も買って来てくれた。
わたしは甘すぎるのは苦手なので、苦い方をお願いした。
「サラサ、甘いの苦手?」
「いや、ケーキとかスイーツは大好き。でも、飲み物は甘くない方が好きかな。」
茶色と白の部分を混ぜて飲むと、コーヒーというよりは、とても香ばしくした麦芽飲料といった感じだ。苦味は後から少し来るかんじ。
「ん!美味しい!」
「一口ちょうだい。」
そういって、レトは自分のストローをわたしのカップに差して反対側から口をつけた。
恋人飲み!
しかも、超絶美形の王子様が目の前にドアップだ!
まつ毛長い!
「僕は甘い方がいいや。サラサも一口どうぞ?」
あれ。おかしいぞ。
わたしはいま、急に異世界に来て、路頭に迷ってる所のはず。
なぜこんな、どこかのJr.も真っ青の美少年とデートのような事に?
「あ…そ、そうだ!写真撮らない?」
動揺を隠すように提案してみる。
「シャシン?て、何?」
「んー。すごーく本物ッポイ絵ってかんじかな。まぁ、実際に撮ってみよう。」
スマホのカメラをインカメに切り替えると、飲み物を片手にスマホをかざす。
席を少し移動して、二人とも写るアングルを探す。
―キラリ
何かが画面の中で光る。
「え?なにこれ!僕がいる!」
はしゃぐレト。
何か光る物が素早く近付いてくるのがわかった。
「レト!!」
とっさに隣のレトを椅子ごと突飛ばし、つき出された何者かの腕を右肘で下から跳ね上げつつ、立ち上がって体勢を調える。
《ガタンッ ―カララン…》
レトは椅子が倒れる前に飛び退き、しゃがんだ状態で身構えている。
何者かが突き出して来たナイフが床の上を回りながら滑った。
「やっぱり、ただの女じゃなかったか。護衛か?」
見るからにガラの悪そうな男3人組が、カフェの奥から向かってくる。
「護衛?」
横目でレトに聞くと、レトは男達をにらんだまま、吐き捨てるように答えた。
「僕達の力を、自分たちの都合のいいように使いたいヤツラがいるんだ。」
レト達の力――?
さっき見せてくれた"権力"の話ではないようだ。
この子達には、まだ何かある。
「レト、走れる?」
先ほど倒した際に、椅子の足が一本取れた。
わたしは素早くそれを拾い上げ、レトを背にかばいながら、通りに向かって後退りする。
「サラサ!ダメだ!君は女の子だよ!」
レトが立ち位置を代わろうとする。
「レト!信じて。」
レトを半分振り返り、ニヤリと自信を乗せて笑ってみせた。
わたしは女だ。
でも、レトより6歳も歳上だ。
この子を守らなきゃ!せめてわたしが。
「大人しくついてきてくれれば、怖いことはしないよ。」
男3人は、見るからの戦力差に完全に油断している。
自信なんかなかった。
でも退けなかった。
無言で椅子の足を構えるわたしに、焦れた男たちが詰め寄る。
「おじょうちゃん、そんな物もってどうするの?」
「ほら、周りのみなさんも、おじょうちゃんがいきなり暴れるから、ビックリしてるよ。」
ニヤニヤと笑いながらまた歩を詰める。
チラッと、馬車までの安全を確かめる。
他に仲間はいないようだ。
もう、敵も攻撃間合いに入ってしまっている。
「レト、行って!!」
レトの背を押し出しつつ、右足を素早く蹴りあげ、まずは真ん中の男の顎にヒットさせる。
「ングフッ…」―ドガッシャーン!!
油断しまくっていた男は、鼻から変な呼気を吐き出し、後ろに仰け反り、後ろの席に頭から突っこんで伸びた。
ざわつく店内。
後ろを確認すると、レトはちゃんと馬車にたどり着いている。
「この…あまァ!!」
状況判断が終わった男の一人が、ザコらしいセリフと共に掴みかかって来た。
その手を右手に握った椅子の足で打ち据え、痛みで倒れかかった男の右脇腹に左中段蹴りを見舞う。
続けざまに残りの一人の顔面に椅子の足を付き入れた。
「ぐぇふっ…」
「んごっ…」
二人は意識こそあったが、手酷いしっぺ返しをくらい、戦意は残ってないようだ。
油断はしないように後ろに3歩下がった所に、馬車が到着する。
「サラサ!怪我は無い?!早く乗って!!」
停車はせず、徐行状態のままドアを開けて、レトが半身を乗りだし手を伸ばしてくる。
わたしが即座にその手を掴むと、意外に力強く馬車へと引き上げてくれた。
ドアが閉まり、馬車はスピードを上げる。
しばらくは窓から周りを伺っていたが、追っ手はいないようで、二人目を合わせてホッと息をついた。
「…ビックリしたよ。サラサ、強いんだね。」
力なく微笑むレトは、また何かを諦めたような顔をしていた。
「あれ、なんだったの?」
わたしが聞くと、レトは言いにくそうに言いよどむ。
こんな歳で、こんな暗い瞳。
もう、踏み込まないではいられなかった。
「こんなこと、世話になってる身で根掘り葉掘り聞くつもりなかったんだけど。」
前置きをして、強くレトの瞳を覗きこむ。
「こんな危険な目にあってるなんて、見過ごせない。あなたたちの敵は誰?」
セルトレーンに来てまだ2日目。
しかも、帰る方法を探している、この世界にいるつもりのない人間だ。
だけど、知りたかった。
知らなきゃいけないと強く感じる。
この想いは何だろう。
レトとトーヤを、守りたい。
この子達はただ、疎外されているだけじゃなかった。
ナイフを使った襲撃。
こんなの、見過ごせるわけない!
帰りたい気持ちは変わらない。けど、それを上回る強い気持ちで、彼らを守りたいと思った。
目を逸らさずに見詰めていると、レトはため息をつきつつ言った。
「…僕ひとりじゃ、決められない。屋敷に帰って、トーヤと話をさせて。」
だけど、レトは決意の表情をしていたから。
きっと話してくれると信じられた。
「わかった。」
レトは綺麗な瞳に憂いを湛えて、窓の外を見ていた。
その横顔を、何も言えずに見守る。
辺りはすっかり日も落ちて、人通りもなくなっている。
街灯の灯りがレトの彫刻のように整った横顔を照らしていたが、山道に差し掛かると街灯もなくなり、徐々にお互いの表情さえ見えなくなっていく。
馬車の室内にはオイルランプがあったが、それを灯すことはしないまま、馬車は屋敷へ帰りついた。