第61話 不思議な気持ち
紅凛と入り口の所で別れた私はエヴァレットが見たいと言っている場所に行く事にした。
そこはアミューズメントパークに併設されている水族館で、この後に行われるパレードの前に見ておきたいとの事だった。
「魚、好き」
エヴァレットの言う『好き』と言うのは食べることがって言う意味でしょうか? それとも単純に魚を鑑賞するのが好きって事でしょうか?
どちらにしても今日はエヴァレットの好きな物を見せてあげようと決めているので、水族館に行く事に異論はない。
水族館に入った私たちを色とりどりの魚が迎えてくれる。
エヴァレットはその魚の種類の多さに驚き、かじりつくように魚を眺めている。
あぁ、こんなにも喜んでくれるのならもっと早くエヴァレットを連れてきてあげればよかった。
私は喜んで魚を見ているエヴァレットを見てそんな事を思ってしまった。
「今、見れただけでも嬉しい」
エヴァレットの言葉に涙が出そうになるのを抑え、そろそろ始まりそうなパレードを見るために水族館を出る。
外に出た私が空を見上げるとあれだけ晴れていた空が黒い雲で覆われていた。
何とかパレードが終わるまでもってくれればいいなって思ったのだけど、その想いは儚くも崩れ去った。
最初はポツリポツリと降っていた雨が物の数分で激しい雨に変わっていき、パレード中止の放送が流れてきた。
「残念」
パレードが中止になってしまって残念なのはそうだけど、それよりも早く避難しないと夏なのに風邪を引いてしまうかもしれない。
必死になって避難できるところを探して走り回っているとお店の中で紅凛の姿を見かけた……ような気がした。
目の端に捕らえただけなのでエヴァレットに連絡を取って確認してもらうとどうやら紅凛に違いないようだ。
このタイミングで食事なんてなんて運の良い男なんでしょう。それでも紅凛がお店に居た事で避難できる場所を確保できると思った私はお店に入って行った。
お店に入った私を紅凛が手を振って場所を教えてくれた。私がこんな目に遭っているのに優雅に注文している料理を待っている紅凛を見た事で無性に腹が立ってきた。
「もう! 雨が降るなんて天気予報で言ってなかったじゃない。おかげで服がびしょ濡れよ!」
紅凛は何も悪い事をしていないのに思わず八つ当たりをしてしまった。
ん? おかしいな。いつもなら何か言ってくるはずなのに何も言ってこない。
それに加え、どこか紅凛の顔が赤くなっているような気がする。
もしかして私の体に何かついているんじゃないのかなって思って体を見渡すと夏のため薄いシャツにした仇となっていたようだ。
私のシャツは雨に濡れて透けてしまっており、下に着けている水色のブラジャーが見えてしまっていた。
最近買ったばかりの服だったので雨の日に着た事がなく、こんなに透けるなんて思ってもみなかった。
「……って下着が透けてるじゃない! そんなに見ないでよ!」
思わず叫び声をあげて急いで胸を隠す。紅凛はパンツだけに興味を示すと思っていたので完全に油断をしてしまっていた。
でもそうか。紅凛だって男の子なんだからパンツにだけ興味があるって言うのもおかしいわよね。
それにしても紅凛は静かね。どこかちょっと不気味にさえ思えて来ちゃう。
「僕だって静かにしている時ぐらいあるさ。それよりも早くその服を何とかしてくれよ。目のやりどころに困るだろ」
おかしな紅凛だけど、確かに何時までもこのままでは他のお客さんの視線まで私に向いてしまう。
バッグからタオルを取り出した私は濡れた髪を拭いた後に洋服を拭き始める。
何とか下着が透けない程度にまで拭き取れたのだけど、雨に濡れた服は夏だと言うのに寒さを感じさせてくる。
「大丈夫?」
エヴァレットが心配してくれるのが嬉しい。
何か話をした方が良いのかもしれないけど、紅凛が大人しいので私は机に頬杖をついて外の様子を窺う。雨は今も勢い良く降っており、止む気配はない。
特にやる事も話す事もなく無為に時間だけが過ぎて行く。お店の喧騒も今の私にはそれほど気にならない。
紅凛とは会うと何か話していた気がするけど、こういう何も話さない時間も良いかもしれない。チラッと紅凛の方を見ると紅凛も私と同じように外を眺めている。
こうやって何も言わないけど同じ行動になるのは少し嬉しい。
だけど、その時間も終わりを迎える。降っていた雨の勢いが弱まり始めるとあっという間に雨は上がってしまった。
この時間をもう少しだけ味わいたいのだけど、今日の主役はエヴァレットだ。エヴァレットのために私は動く事にする。
「じゃあ、私はそろそろ行くわ。エヴァレットが見たいっていう所もまだあるし」
私は手を振って紅凛と別れるとお店を出る。
あれほど雨が降っていたのに今はもう青空が見えていて、まだ湿っている服もすぐに乾いてしまうような感じがする。
雨が降ったおかげで夏だというのに動きやすい気温になってくれた。気持ちの良い空気の中、私は目的地の観覧車に到着した。
エヴァレットが見たいと言っていたのは上から街の様子が見たいと言う事だったので、私が選んだのが観覧車だった。
雨が降ったおかげで空気中の埃とかがなくなって観覧車から見る景色は凄く綺麗だった。街を一望できる場所としては最高だし、タイミングとしても一番良かったのかもしれない。
エヴァレットは最初は今までに見た事のない喜び方をしていたのだけど、今は大人しく街を眺めている。
「綺麗……」
雨上がりの街には虹がかかり、柔らかい雰囲気を醸し出している。
その街の様子を見ると私の方まで柔らかい感じになってくる半面、こうやってエヴァレットと一緒にもう見る事ができないと思うと悲しくなってくる。
しんみりとしてしまったけど、こんな事ではいけない。折角エヴァレットと楽しみに来てるのだ私も楽しまないと。
観覧車を降りた後、ちーちゃんと合流し一緒にアミューズメントパークを見て回る事になった。
「それで? 礼華お姉ちゃんは凛兄と進んでるの?」
二人で行動する事になった途端、ちーちゃんが紅凛との進展状況を聞いてきた。自分の兄の恋愛が気になるのも分かるのだけど、何もこんな所で聞いて来なくても……。
それでも仕方がないので全く進展していないとちーちゃんに伝えると呆れたような顔をしてきた。
「折角二人きりになったのにもっと積極的にいかなくちゃ駄目だよ」
どうやらちーちゃんは私が紅凛と一緒にお店に居た事を知っているようだ。
雨が降った時に私がお店に入って行くのを目撃していたようで、そこに紅凛がいたためちーちゃんは二人きりになれるように遠慮をしてくれたらしい。
でも、私もたまたま紅凛を見つけたから雨宿りのためにお店に入ったのであってそう言う雰囲気にはならなかったからなぁ。
「礼華お姉ちゃん駄目よ。凛兄は鈍感なんだから少しでもチャンスがあれば積極的に行かなきゃ」
ちーちゃんの要求は厳しいなぁ。
でもそうよね。もっと積極的にいかなきゃだめよね。そう言えば紅凛の様子が少しおかしかったけどあれは何だったんでしょう。
「凛兄の様子が? どうやったらパンツを上手く見られるのか考えていたんじゃない?」
妹にしてこの評価である。私は本当に紅凛の事を好きになってしまって良かったのだろうかと考えてしまうのだけど、好きになってしまった後では諦めるしかない。
自分で自分を慰めながらそろそろ帰る時間になってしまっているので、もう一度だけエヴァレットと水族館に行く事にした。
二度目だというのにエヴァレットの反応は初めて水族館に来た時のような反応だ。
時間も少ないので急いで水族館を回ったのだけど、エヴァレットはとても喜んでくれた。
私がアミューズメントパークの門の所に着くと紅凛とちーちゃんはすでに待っていてくれて二人とも魔女と一緒に今日という日を楽しんだようだ。
もう一度……そんな思いが私に押し寄せてくるけど、それが来る事がないのは良く分かっている。
真っ赤な夕日に促され、私たちはアミューズメントパークを後にする事にした。