オリエンテーション②-2 誕生、転移、転生
照明が落ちたまま、ミカは学生に向かって話し続ける。
「さて。なかなか良い声のボーカルさんですね。おそらくは皆さんの大多数には馴染みがないあろう方です。歌っている彼は、サイトウ先生も私も生まれる前の1990年頃のアーティストさんです。映像はありませんが、中々のイケメンさんです。皆さんからすると皆さんのおじいちゃん、おばあちゃん世代の人となりますがね。ぁ、この後で別のイケメンさんが登場する予定はありますから、女子の方々は期待しておいてくださいね。」
といい、ミカは再びプレゼンテーション画面を表示すると微笑んだ。
「画面に、少しだけ彼の歌詞を抜粋して引用させていただきました。
『訳もない涙があふれ..愛を失い..街の風は凍てついたまま吹きつけ...心はすさんでゆき、罪を犯した俺は...裁判の後..手首ナイフで切りつけ...病院のベッドの上、薬漬けにされた。』
なかなかに重い歌詞です。患者さんを薬漬けにすることなく治療支援を行うことが、現代の精神科チームの役割ですし、リアリテスの目指すところでもありますので、皆さんはご安心くださいね。」
と言ったミカが再び微笑むと、画面が切り替わる。
「あら、彼も幸せを見つけられたようですね。
『やがて俺もマトモな生活を...』と、もっと引用したいところですが、テレビカメラを前に話しすぎると、ボーカルの彼と同年代くらいのおじいさま方が牛耳っているであろう著作権関連の協会に怒られそうなので、歌詞の引用は辞めておきましょう。とにかく、必死に歌っている彼は、精神科への強制入院の後、パートナーを見つけます。なんといってもイケメンですからね。そして、二人の間に子供が生まれます。
あくまでこれは彼が生み出した歌の一節なのですが、実際にボーカルの彼のパートナーはこの頃に子を産んでいます。しかし、この歌を歌い、これから育つ子への希望を託した彼は、この歌を世に出したしばらくの後に、亡くなります。20歳代半ばでした。急性アルコール中毒を経ての凍死と推測されていますかね。現実の彼を、街の風は最後には凍てつかせてしまい、その命を奪ってしまったわけです。」
再び、照明が灯り、演台に立つミカの整った顔立ちを照らす。
「医療機器特論のオリエンテーションで、いきなりに重い展開をごめんなさいね。でも、リアリテスを含め、人の精神作用に影響を与える類の医療機器は、ひとりひとりの人生に影響を与えるものですから、受講される皆さんにはどこかの機会で一人の人生に医療機器が影響を与えることについて考えて欲しいと想うわけです。
ここで紹介した歌詞、私が臨床心理士コースの大学院に入った頃に、ゼミの先生が臨床心理学というものを考えるための素材として紹介してくださったものです。当時の私は、ボーカルの彼とほぼ同年代の20代半ば。大学院に入り直す前、イベント系のお仕事で、あたかも彼のような人生を歩み兼ねない人と知り合い、惹かれ、そして、私も彼も傷つきました。臨床心理学の言葉を使うと転移関係というものです。ゼミの先生は答えを与えてくれるわけではなく、私達に彼のような人生があることと治療者としてどのように寄り添っていけるのかを考えるように言いました。」
その言ったミカの脇に、小さなホログラフィのキャラクターが5体、浮かび上がる。
「さて、現代日本では、webやメディアで目にするボーカリストも俳優さんも、彼のようなリアルな人だけではなくボーカロイドやバーチャルアイドルも花盛りですね。この傾向は、特にアジア全体で見受けられます。欧米、例えばハリウッドでは相変わらず、リアルの俳優さんがセレブとなるような展開ですが、こうした文化差の考慮は精神作用を及ぼす医療機器では必須となります。ドイツ、中国等と共に進めているリアリテスの国際共同治験では、治療効果に影響を及ぼす文化的な差異について検討する専門のワーキンググループが設けられています。」
ホログラフィの5体のキャラクターが、リハーサルを始めるように小さく踊りだした。
「ここから先は、彼のように、人生の前半で命を失うことがなかったアーティストさんの後半生について、取り上げたいと思います。
が、せっかく彼のことを紹介したので、私の方から皆さんへの課題を出したいと思います。彼に、精神医学的な意味での診断名はありません。また、彼の死後に彼を診断しようとした人の話もあまり聞きません。21世紀に入ってから、Me too運動が盛り上がるまで、芸能界のような華やかな場に登場した後に命を失ってしまった人のことを語ることを禁じる風潮が日本には強かったのです。欧米では、そのような方に対し、精神科医等が診断名を語ることをためらわない風潮があります。有名どころでは前世紀半ばのハリウッドでの元祖セックスシンボルとされたマリリン・モンローさんに対する境界性人格障害の診断など。マリリンモンローは30代の半ばで亡くなっています。後は、イギリスの王族のなられた方ですが、ダイアナ妃に対しても、若くして亡くなられた後に境界性人格障害の診断がなされています。お2人とも、絶世系の美女でしたね。
こうした美男美女となるべく誕生した人々を夭折させる精神の病。これはどこから来るのでしょうか? もちろん、私を含め医療心理職の人間は、遺伝や家庭環境にその素因原因を求めます。
ですが、私は、同時に、外なる人生からの転移、別なる人生からの転生といったことも、彼らの夭折を説明しうるものと個人的には思っています。
人が生まれ変わることがある、そして、前世の悲劇を引き継ぐこともある。そうした捉え方は医学的でもなければ科学的でもないかもしれませんが、そうした理解を共有することが、目の前で心の病に苦しむ人のためになることもあると考えているのです。」
リハーサルを終えたらしいホログラフィの5体のキャラクターが、再び静止した。