オリエンテーション①-2 Tさんと老剣術家山田をモデルとしたリアリテス紹介
さて、画面に写りましたのが、大学の実験室に置かれている仮想現実支援機器のリアリテスとなります。被検者の方々は、べットに横になり、濃い灰色をした方を頭に横たわっていただき、頭部を覆うヘッドセット、仮想現実(VR)画像を映すゴーグルとを付けていただきます。
被検者さんがベットに入り、実験の準備ができるとこのような姿となります。まぁ、皆さんの予想の範囲内のお姿といったところと思います。
被検者さんの頭をすっぽりと覆う形となったヘッドセットは、脳の血流量をモニターする小型の核磁気共鳴装置となります。脳の活動状況をリアルタイムに測定するニューロイメージングを行います。以前と比べるとだいぶ小型化された装置なのですが、色が髪の毛らしいこともあって、少しアフロの髪型っぽいかもですね。装着したゴーグルの方には、特定の波長を持つ医療用レーザーが備えつけられております。人の眼球の黒いところ、すなわち網膜には、いわゆる視線にあたる情報を読取る錐体細胞と周辺視野の情報を読みとる桿体細胞というものがあります。そのうち、被検者の方の桿体細胞の方に向けて、可視光線周辺の波長を持つレーザーが照射されます。
すなわち、リアリテスは、被検者さんの周辺視野を軽く刺激するレーザー照射を行うと共に、脳の状況をモニターしていくニューロイメージングを行う装置となります。そして、両者を結びつける制御装置がありまして、リアリテス・エンジン、または、リアリテスAIと呼ばれます。リアリテスの実験に参加してくださっている被検者の皆さんが、網膜にレーザー照射を受けた時の脳の反応パターンはそれぞれ異なります。レーザーの連続照射を行い脳の反応パターンを個々人ごとに最適化していくパーソナライズを担当するのが、リアリテスAIということになります。リアリテスAIが行うパーソナライズは、『超拡散テンソル画像処理』技術を応用したものとされますが、その制御アルゴリズムの詳細は、開発元であるドイツの医療機器メーカーであるプレジニアス社の企業秘密となります。従前の拡散テンソル画像処理を時間軸に経路積分することによる、いわゆるフィードフォワード制御の一種と考えられてはいますが日本の医療機器メーカーの開発者の方には、詳細がわからないことを悔しく思う方がいらっしゃるかもですね。
現在進めているリアリテスの第Ⅰ相治験においては、まずは、被検者さんに一回あたり数分のリアリテスによるレーザー照射を経験していただき、AIのパーソナライズを進めていきます。その後のいくつかの作業従事や模擬ゲームへの実験実験を通じ、リアリテスAIが、被検者さんの脳内イメージをどの程度活性化するのか、その際に被検者さんの精神作用に何らかの副作用が現れないかを調べていくことになります。
☆
アフロっぽいといっても笑いは出はしなかったが、まぁ、ここまでのところ学生さんは素直に話を聞いてくれている。まぁ、ちゃっかりしている子たちの多い、キョウビの学生さんたちのこと。中には、小金をもらえそうな治験バイトをした上で、僕にもプロゲーマーになるキッカケが開けないか、などと考えている子もいるかもしれない。そうした子に対しての予防線は、後ほど、オリエンテーションの後半で、スタッフのミカ師より張ってもらう段取りだ。
私は、
「さて、見た目を確認したあと、駆け足でリアリテスの仕組みを説明してみました。この装置をどのようにして、精神科疾患の予防や治療に用いていくのでしょうか? ちょっと想像が付きませんかね。ということで、ここからは、治験に参加してくれている学生さんのTさんに登場してもらいながら、リアリテス活用の今後の可能性について説明したいと思います。はい、Tさん、ようこそ。」
と続け、プロジェクターをオフにした。
講義室の照明が落ち、私の脇には、アニメキャラクターのような少年のホログラフィが浮かぶ。ホログラフィの少年は学生たちに向かってお辞儀をする。
「本講義室には、リアリテスの治験を支援してくださっているゲーム企業さんの支援により、ホログラフィ装置、ならびに、この講義室の様子を三次元的に捉えるモニター装置が備え付けられています。本日の講義の様子は、メディアの皆さんによって後ろの方から撮影されておりますが、それとは別に特論の募集要項に書かせていただきました通り、複数のカメラでのリアルタイムのモニタリングが行われています。プライバシーの方はちゃんと配慮されていますので、講義の最中にこっそり寝ていたからと言って後で怒られたりはしませんから安心してくださいね。」
学生たちの間から、はじめて少しだけくすり笑いが起きた。
「この講義室の様子は、現在リアリテスを装着中のTさんのVR装置のモニター画面に写しだされています。そして、Tさんの脳内の状況に応じ、ホログラフィの方は形を替えます。近年の某格闘ゲームのヒットなどにより、すっかりおなじみになった、リアルタイム・ホログラフィ制御の一種ですね。」
「さて、近い将来に想定される、リアリテスの応用用途の一つ、精神科における活用には、リアリテスにより活性化された脳の状態を作り出すことで映像の現実感を高めることで、例えば何らかの事情でおうちに引きこもうようになってしまった方々に、外に出る社会参加の訓練をしてもらうことがあります。現時点でも、この講義室のようなモニター装置が設置された空間では、ホログラフィを通じ、別室にいるままで講義に参加したり実習を行ったりということが可能となります。本日は、皆さんにわかりやすいよう、ちょっとTさんにちょっとしたちゃんばらを披露していただきます。」
ホログラフィが切り替わり、少年は竹刀を手にした剣道着姿となった。
「皆さんの多くにとっては今更でしょうが、ホログラフィは、このようにスキンを入れ替えることが可能です。それでは山田さん、ご入室をお願いいたします。」
と、私は、左手にある講義室の扉を見据えた。
学生たちの多くも扉の方に視線を向けた。そのタイミングで扉が開き、藍色の剣士姿の白髪の老紳士が、私の方に向かって歩み寄ってくる。私とホログラフィの間に立つと、講義を聞く学生さんたちの方に向かって一礼をした。
「さて、今回ご協力いただいた山田さんは、長年にわたり剣道指導を行ってきた方となります。ホログラフィの中の人であるTさんとも、実際に竹刀を交えたことがあります。その経験を活かしていただき、ここで軽く試技を行っていただきましょう。」
剣士姿の山田が、剣道着のホログラフィに方に向かい模擬刀を中段に構える。
しばらく互いに向かい合いあったままの両者。動き出したのはホログラフィの方。面に打ち込まれた竹刀を山田の刀が受ける。音は出ない。
ホログラフィが下がり再び距離を取る。続いてホログラフィは小手を狙ったが山田は少し下がりかわす。そこからホログラフィは胴を狙ったが、それも受けると、山田は袈裟斬りの如くホログラフィを一閃した。
ホログラフィはいったん消え去る。
「あらら、Tさん、斬られちゃいましたね。もちろん、お約束なのですが。」
といい、私は軽く微笑んで、学生さんたちの方を見る。
「皆さん、どうでしたかね。打ち合っても音は出ませんでしたし、現実の山田さんによって光が一部遮られたする関係で、ホログラフィの方の写りもぱっとしませんでしたかね。なんというか、あまりリアルではなかったかと思います。山田さんの方はどんな感じなのでしょうか?」
と、私は山田さんに問いかける。
「はい。何分、私は既に年を取った老人なものですから、ホログラフィなるものについていけてはいないのですが。
剣道の試合というよりは、一人で居合をするような気で臨みますと、少しばかり面白い気分になりますね。本来、居合の稽古では、心の中で相手を思い浮かび上がらせるものなのですが、その相手が実際に見えているわけでして。ご要望でしたので、今日は遠慮なく、バッサリと斬らせていただきました。」
と言い、山田は軽くニヤリとする。
「ホログラフィと立ち会う、というのは、独特の経験のようですね。さて、再びTさんに登場していただき、話を聞いてみましょう。」
今度は可愛らしい少女姿の剣士のホログラフィが現れ、学生たちが少しどよめく。ホログラフィの顔は少し耳が尖っており、幼さの残るエルフといった風情である。
「はい、こちらのホログラフィが実際のTさんに近い姿になります。彼女は、私の元患者さんです。精神医学的な意味での診断名は、解離性同一性障害、いわゆるDIDというものとなります。」
どう反応してよいか分からない学生たちが口を閉ざし、教室は静まり返った。
DIDとは何かといった話は、いったん置いて、私はホログラフィの少女に向かって、質問をする。
「Tさん、リアリテスの中で、山田さんと向き合って剣道をする、というのはどのような感じなのでしょうか?」
『そうじゃのう。まぁ、距離感がつかみにくいというか、そんなことはあるかな。ただアシストモードというのが用意されているから、それを使えば、何回か練習して、なんとかなってきたと、いうところじゃ。』
ホログラフィは少女の声色で応えた。
「剣道経験者であっても、現実世界と同じようにホログラフィの中から立ち会うことは、リアリテスの助けを借りてもまだ、難しいことのようです。
さて、Tさんの一人格が紹介してくれたアシストモード。これは、ポリゴン系やホログラフィ系の格闘ゲームをやったことがある人には、おなじみのものです。平面的なディスプレイであれ立体的なホログラフィであれ、ゲームプレイヤーが仮想のキャラクターを三次元的に操ることはけっこう難しいものです。そのため、多くの人はアシストモードも活用して、プレイヤーの動かし方を練習していきます。
リアリテスの中での仮想現実《VR》の空間内でホログラフィの元となる仮想の身体を脳波や補助装置を通じて扱うことも、やはり練習が必要で、そのためのアシストモードが開発中です。これがどういうことを意味するか、お分かりでしょうか?」
と言い、私は学生たちに問いかけるように微笑みかけた。