巡るから、また灑涙雨。
神主の仕事は一言で言うなら神が廃れないようにすることだ。神が廃れるとは何か。神を神たらしめるもの、神が生き永らえるために不可欠であり神の存在意義そのもの、すなわち信仰心が完全に失われることだ。神が人々から忘れ去られぬよう、たくさんの祭りを仕切り、社務所で事務作業を扱い、神社を掃き清める。
俺が神主を引き継いだのは二十歳のときだった。親父が旅立ったときだ。旅立ったといっても、愛する家族に看取られながら穏やかに息を引き取った、という意味ではない。文字通り旅立ったのだ。ヨーロッパに。俺に神主の仕事を押し付けて。
目を覆いたくなるような事件・事故・社会問題・家庭不和・地震・雷・火事・親父等、波のように押し寄せる現代日本で、若者から学習意欲も就業意欲も奪われてしまうのは当然の帰結と言えよう。俺も例に漏れず、高校を卒業した後、進学も就職もせずに家でゲームをしたりスーパーカップのバニラ味にチョイ足しするものを模索したりしながら、日本の行く末を憂えて溜息なんかつきながら毎日を過ごしていた。つまり、誰の目から見ても、俺の目から見ても、正真正銘のニート生活にどっぷりと浸かっていた。
聡明だった俺は幼いときから現代社会の汚れっちまった姿に気付いていたのだろう。食う・寝る・遊ぶ以外のことには全く意欲が湧かなかった。小学校の清掃活動の時間は雑巾をフリスビー代わりに飛ばす遊びや、友達との掃除用具ベースボールに費やされた。中学校の文化祭の出し物を決める学級会では、全員でニチアサのアニメ曲をパラパラで踊るなどという馬鹿げた案が女子から飛び出して、断固として反対の意思を表明した。そんなもの、踊りたい人間だけが集まって狂ったように踊っていればいいのだ。結局は多数決という数の暴力で俺の尊厳は蹂躙され、パラパラ軍に徴兵されることになった。
なるべく面倒なことからは遠ざかり、みんなですべきことはみんなにやらせておいて、「何もしないをする」という固い決意を抱いて大人になり、そしてニートになった。
親父は「何もしないをするのをやめろ」と、わけの分からない説教を垂れ、ある日、「明日からヨーロッパに行ってくる。遊びじゃないぞ。欧州の宗教を視察に」とかなんとか言って遊びに出掛けた。怠惰遺伝子は親父から受け継がれたものだったのだ。
前置きが長くなったが、そういうわけで俺はニートから神主へとジョブチェンジすることと相成った。大出世だ。面倒で、大迷惑なことに。
いつの間にか作られていた神主業務の引き継ぎノートが俺の相棒だ。他に分からないことがあれば、近所のジジババや、よその神社の神主達が教えてくれるので、なんとか業務をこなすことはできている。こんな付け焼き刃の神主が神社を護っている、という事実も現代日本の抱える問題ではなかろうか。いや、そんなことはなかった。俺と親父が特殊なだけだった。自省しよう。
蒸し暑く小雨が降る中で境内を掃き清めた後、俺はすぐさまパソコンの前に座った。オンラインゲームにインするためだ。七月の頭ともなると外の掃除は重労働だ。暑い。とにかく暑い。クーラーをガンガンに効かせた部屋でゲームに興じる幸せを噛みしめる。
ゲームを立ち上げると、運営からのお知らせが表示された。
【次回の大型アップデートにて、一部の装備品とアイテムの引き継ぎが制限されます。安定したゲーム環境をご提供するための対応となります】
その下には引き継ぎ制限の対象になった装備品とアイテムの数々が列挙されていて、どれもゲームが稼働初期から実装されているものばかりだった。ここに並んでいるものよりも高性能な装備品やアイテムが後から実装されているので、もう誰も使っていないのではないかと思う。要するに、大型アップデートのタイミングで古いデータを削減し、容量を軽くしたいということらしい。最近アニメ化されたこともありユーザ数が急激に増えたが、サーバの増強は追いついていないのだろう。
神議りでも似たような問題について議論されている。神議りというのは、年に一度、八百万の神々が出雲に集まり、次の一年の様々な取り決めについて話し合うイベントだ。人間でいえばサミットみたいなものだ。議題として有名なのは縁結びだが、五穀豊穣や国の繁栄についても話し合われるそうだ。
祭礼記録の簡素化が提案されたのは十年前とのこと。神議りの概略や決定事項は神主にも知らされるのだ。社外秘マークと共に、仕組みは不明だが神界からFAXで。
日本各地に数え切れないほどある神事や神賑行事といった祭りの数々は、実は、全て巻物に記録され、保管されているのだという。どんな小さな祭りであろうと、毎年行われる祭りであろうと、お役所の観光課が主催の夏祭りであろうと、祭りが行われるたび、巻物に書き足されていく。
最近は町おこしのために新しい祭りが作り上げられることも多い。祭りが生まれれば神も生まれる。たとえ地域活性化目的の祭りだとしても、祭りと称せば、神は生まれ、人間の願いや信仰心がある限り、つまり廃れるまで存在し続ける。
そんなことを続けてきたものだから巻物は膨大な量になってしまい、管理の煩雑さが問題視されたというわけだ。
神々が考えた対策は、毎年繰り返される祭りをルーチン化することだった。すなわち、朝に神社を掃き清め、社務所で事務を行い、参拝の受け付けをして、また掃き清める、というお決まりの仕事を毎日全く同じ手順で繰り返すように、毎年行われる祭りは最初に手順を定めて記録し、それを毎年使い回すということだ。ルーチン化された祭りには、人間にも神々にも、記録に沿って同じ手順を繰り返させる効力があるそうだ。
毎年同じことを記録するのは、不毛かつ面倒かつデータの圧迫につながるのだから、俺の「何もしないをする」精神に反する。それを省こうというのだから、実は神々の中にも怠惰遺伝子を持つ者がいるのかもしれない。いや、これはあまりにも不敬な物言いだった。自省しよう。
さて今日も、剣と魔法の世界にいざ旅立たん、とマウスを握った……と同時に。
ピンポン。
神主の家でもドアチャイムはピンポンなのだ。笙の音が厳かに響き渡ったりはしない。
それはさておき。神主の自宅が神社近くにあるからといって、気軽に呼ばれては困る。もう営業時間外なんだ。救急外来ではないのだから、明日出直してほしい。心でボヤきながら玄関の戸を開けると、立っていたのはよく知る男だった。
「よう、今年も来たぞ」
俺が神主になった年から、年に一度顔を合わせている男。今年で七回目の来訪だ。
「そういえば、もうそんな時期だったな」
口にしながら、今日が世間一般に七夕祭りであることを思い出して、少し気分が陰る。顔に出さないよう気を付けながら「上がっていけよ」と招き入れると、持参した酒瓶を両手に、嬉しそうに上がり込んだ。
彼がこの家にやって来る理由は、ここ老竹神社に牽牛神が祀られているからだ。
牽牛、よく知られた名前で言えば彦星だ。俺も彼のことをそう呼ぶ。
この神社から宝満川を挟んだ対岸には、祕杜神社がある。通称、七夕神社。祀られているのは織姫だ。織姫と彦星が川に隔たれている。まさに七夕伝承そのものと言える。
七夕神社で七夕祭りが行われるのは八月七日だが、全国的には七月七日に七夕行事を催すことが多いだろう。短冊に願いを込めて笹にぶら下げる、あれだ。
彦星は全国の七夕祭りを眺める前に俺の家にやって来る。年に一度の織姫との再会も、七夕伝承どおりに、今日、七月七日の夜だ。
座布団に腰を下ろした彦星は、初めて会ったときから全く同じ姿だ。神様は年をとらないから当然ではある。今となっては、俺と彦星が横に並べば俺の方が歳上に見られるに違いない。もっとも、神主でなければ神様の姿を見ることはかなわない。
「いやぁ、一年振りだね」
若々しい声で彦星がこぼした。
「当たり前だろ、七夕は年に一回なんだから」
彦星がそわそわしているので、「もう開けるか?」と酒瓶を指差すと、彦星は大げさに頷いた。
さきいか、鮭とば、うにせん、ビーフジャーキー、ミックスナッツ。コンビニで買い揃え常備してある乾き物を机に並べ、グラスに日本酒を注いで乾杯した。
話題は他愛ない内容がほとんどだ。押し付けられた神主の仕事はとかく面倒だとか、そんなこと考えずに清い心で神に仕えろとか、異議あり仕事サボったせいで妻と年一回しか会えなくなった人に言われたくないですとか、それを言っちゃあお終いだよとか、今は小雨だけれど夜には本降りになるらしいとか、そういえば去年もそうだったとか、雨が降ったら織姫に会えなくなるんじゃねとか。
言わずもがな、七夕伝承は織姫と彦星の物語だ。
織姫の父である天帝は、天界の布を織る働き者の娘と、同じく働き者の牛飼いの彦星を結婚させる。二人は仲睦まじく、それが災いした。二人は夫婦生活が楽しくて働かなくなり、再三の忠告にも従わず天帝の怒りを買う。天の川の両岸に引き離された二人は、年に一度、七月七日に限り会うことが許される。
天帝を身勝手な父親だと思ったものだけれど、織姫が機を織らなくなったことで天界には布が行き渡らなくなり、彦星が牛の世話をしなくなると牛はやせ細り次々と倒れてしまった。
由々しき事態を引き起こしている。自業自得と言われても仕方がないのかもしれない。するべきことをしなかったから。怠惰が引き起こした末路。愛する人と引き裂かれた彦星アルタイルと織姫星ベガは、身を焦がすほどに夏の夜空で嘆き輝く。
俺の怠惰が招いたのは神主の押し付けだったが、彦星の喰らったペナルティに比べれば屁でもないと思えてくる。
やがて彦星の話題は織姫がいかに素敵な女性であるかに移り、俺は苦笑いしながら聞いてやる。俺には、俺を愛してくれる女性なんていないし、いたこともないから。会えるのが年に一度だとしても、心から愛してくれる人がいる方が幸せな気もする。それとも、愛していればいるほど会えない不幸が上回るのだろうか。彦星にそれを問うのは酷というものだろう。
「でさぁ、年一度とはいっても、ウン百年も前から何回も何回も会ってるとマンネリ化してくるっていうか。何かこう刺激がほしいんだよ。こういうの何て言うんだけっけ。変態期だっけ?」
マンネリ。お約束の、ワンパターンの、型にはまった、繰り返しの。わずかながら、申し訳なさが胸に渦巻いた。
「……倦怠期のことか?」
「そうだ! それそれ! どうしたらいいと思う?」
俺にはそんな経験無いのだから、訊かれたって困る。でもとりあえずは、アドバイスらしきことを口にするのが友人の在り方だろうと思う。
「ただ会うだけじゃなくてさ、何かプレゼントを用意するとか、サプライズをするとか、いつもとは違う再会を演出したらいいんじゃないか」
我ながら幼稚な答えで笑えてくる。それなのに彦星はえらく感心した様子だ。
「なるほど! それは良い考えだ。さすが神主は一味違う」
「もしかしてバカにされてるのか?」
「まさかぁ。そんなわけないだろ」
彦星は、にへらにへらと破顔した。満足そうで何よりだ。俺にもその甘い味の幸せを分けてほしいものだ。
随分と長いこと話し込んだ。彦星は今夜の準備があるからと腰を上げたのに、玄関口では駄々をこねるように別れを惜しんだ。
「今年も楽しかったよ。また来年かぁ。あぁ、また来年なのかぁ」
俺はもう、彦星の目をまともに見られなかった。
「また来年、必ず会える。必ずな」
彦星は「必ず?」と不思議そうに、俺の顔を覗き込もうとする。
俺は精一杯の作り笑顔で告げる。
「織姫様のこと大事にしろよ、彦星様」
ようやく未練を絶ったのか、彦星は「ありがとう、また来年」と笑って手を振りながら去っていった。
また来年、また来年。彦星の声が耳にこだまする。また来年も、必ず会える。違う。必ず会うことになる。
彦星は両手に酒瓶を持って現れ、さきいか、鮭とば、うにせん、ビーフジャーキー、ミックスナッツが机に並び、他愛ない話の後には惚気話とお悩み相談を聞かされ、昼間から降っていた小雨が夜には本降りになる。
そう。去年も、その前も、彦星と出会って、三年目のあの日から。織姫神と彦星神が生まれた七夕にまつわる一切は。
記録に沿って繰り返されている。
七夕祭りのルーチン化が神議りで決定され、俺が知ることになったのは四年前のこと。細々とした祭りのルーチン化が進められる傍ら、日本の有名な祭りにも、ルーチン化の波は押し寄せていた。灯台もと暗し。七夕祭りだって例外ではないはずなのにFAXが届くまで考えもしなかった。
七夕祭りを楽しむ人々には分からないだろうが、記録は人と神を縛り、記録のとおりに運ぶ。人々にも神にも去年の祭りの記憶が無い。彼らの祭りに関わる行動は、いくら繰り返しても神界の巻物に上書きされることはないからだ。誰もが四年前の七夕を再演し続ける。誰もそれに違和感を覚えない。
それはちょうど、ゲームのセーブデータみたいだった。セーブデータをロードして、ストーリを進めて、セーブを書かずに電源を切る。それの繰り返し。
例外は神界と繋がる神主だ。神主だけは巻物の記録に縛られない。ルーチン化の知らせを受け取った記憶が残っているからだ。その記憶を持ったままルーチンに組み込まれれば、記憶に齟齬が生じるらしい。ルーチン化の通知は神社に対して社外秘扱いで行われるから、彦星が知る術は無い。
毎年同じ話をする彦星は、まるでゲームの中のノンプレイヤーキャラクターみたいだ。彦星本人は自我を持っている。それは分かっているのに、話せば話すほど辛くなるのは、俺が神主に向かない証拠なのだろうか。
一つ疑問に思って考えたことがある。短冊に書かれた願いはどうなる?
人間は歳をとって生活環境が変わっていく。受験を控えていれば合格祈願を、妊娠すれば安産祈願を、車の免許をとれば交通安全祈願を。願うことは毎年変わるはずだ。
人々の願いがルーチン化されていれば、どこかで綻びが生まれるのではないか。
繰り返される七夕を見てきた俺は、それに一つの推測、というより限りなく真実に近いであろう答えにたどり着いた。
おそらく、人々の願い事は神々の巻物に記録されていない。七夕祭りの目的は、織姫と彦星を神として祀り続けること、つまり信仰心を集め神が廃れないようにすることだ。神界にとって、短冊に願いを込めるなんて人間が勝手にやっていることであって、記録するに値しないものなのだろう。何を書こうが、願いが毎年変わろうが、神界から見ればただの不要なデータに過ぎないのではないか。
まるで呪いだ。神様本人さえ知らない中でコピペした祭りが執り行われ、人間は叶いもしない願いを祈り続け、神主はただ眺めるしかない。
雨が強くなってきた。七月七日に降る雨を灑涙雨と呼ぶ。七夕の夜にしか会えない織姫と彦星が、天の川を渡れずに流す涙と言われている。雨雲は厚く、天の川は覆い隠されていた。
でも俺は知っている。四年前の夜、雨雲は一時間ほど雨を降らせると満足したように空から消えていった。これも毎年繰り返されてきたことだ。
七夕伝承には続きがある。
天帝の情けによって、年に一度、七月七日に限って会うことが許された織姫と彦星。ところが七月七日に雨が降り、天の川の水嵩が増して二人は川を渡れなくなってしまう。涙は灑涙雨となって大地を濡らした。そこへ、どこからか無数のカササギがやって来て、自分の体で天の川に橋をかけた。二人は無事に再会を果たす。
ルーチン化で取られた四年前の記録は、奇しくも七夕伝承どおりの当たり年だった。今年も彦星は織姫との再会を果たすだろう。律儀にプレゼントとサプライズを用意して。
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