咲いた咲いたサボテン咲いた~今日は何の日短編集・3月10日~
今日は何の日短編集
→今日は何の日か調べて、短編小説を書く白兎扇一の企画。同人絵・同人小説大歓迎。
3月10日 サボテンの日
岐阜県巣南町の「さぼてん村」を経営する岐孝園が制定。
「さ(3)ぼてん(10)」の語呂合せ。
参考サイト
http://www.nnh.to/03/10.html
人間の創造物である神が人間の外に追いやられて人間を支配したように、人間の創造物である商品や貨幣が人間の外に追いやられて人間を支配したのである。
─カール・マルクス/19世紀ドイツの哲学者・経済学者
─あるイスラーム圏の国─
蛇は口から舌を出して、腰とも言えない腰を捻らせて壺の中で踊っていた。老人が奏でる何拍子とも言い難い笛の音が砂が舞うバザーに響いている。周りの観衆は見事だ、素晴らしいと口にしながら惹きつけられている。
笛が止む。観衆達はジグゾーパズルのように散らばり始める。大抵は金を払わない。何人かは老人の横にあるボールに硬貨を入れるものの、微々たるものだ。とても生活できる額ではない。
僕は空港で変えてもらったお札を、老人のボールに入れようとした。老人は皺が深く刻まれた手で僕の手を止めた。
「どうしてそんなに入れるんだ」
「だって、そんなに少なくっちゃあ生活ができないでしょう」
「安心しなさい。これでも昔は商人だったから蓄えはある」
「じゃあ、なんでこんな儲からないようなことをしているんですか?」
僕がそう尋ねると、老人はカーペットで自分の座っている部分の空いている左隣を叩いた。座れ。無言のジェスチャーだった。言葉に甘えて座ると、老人は金でできた細いキセルを取り出した。そして、火をつけて煙を揺蕩わせながら遠い目で話し始めた─。
─老人の話─
昔、儂はサボテンを刈り取り、それを薬にして売る商売をしていた。今の儂を見たらお前さんは信じられないじゃろうが、これでもかなり儲かっていたんじゃよ。60を迎えたある日、いつものように砂漠に出かけた。だが、今まで刈り取りすぎたせいじゃろうか。見渡せど見渡せど、サボテンがない。流石に何もなしに帰れないので、ひたすら歩いた。だが、一向に見つからん。目印のない砂漠で歩き回ったせいで、儂は完全に迷ってしまった。困ったことに、食料も水も底をつき始めていた。
体力も限界に近づいておった。そんな時、遠くで何かが光った。儂はそこへ走り出した。そこには黄金に輝く、てっぺんに花を咲かせたサボテンがあった。儂は砂だらけの手を払ってから、目をこすった。何度見ても間違いなくそこにある。蜃気楼でもない。
儂は黄金のサボテンに目を見張っていた。何十年もサボテンを刈り取ってきたが、こんなのは初めてじゃった。持って帰ったら、必ず高く売れる。一生働かなくていいかもしれない。
儂は刈り取るためのスコップを用意した。これは唯一の、砂漠で見つけた目印じゃ。これを刈り取ったら生きて帰れるかどうか、分からん。そう考えると、手が進まなくなった。
刈り取れば、多くの金を手にする。しかし、命を失うかもしれない。
刈り取らなかったら、命は助かるだろう。けれど、金が手に入らなかったことを永遠に悔やむ。
儂の体を炙ってくる太陽が空の中央に上がった。儂は無心でサボテンを刈り取って、がむしゃらにラクダを走らせた。
(なんで儂はさっさと刈り取らなかったんじゃろう?本当ならアレを刈り取らず、帰るのが適切なはずだ。アレを目印にして帰るのが生物としての摂理だ。あのまま刈り取らずして生き絶えても、天国とやらに行ければ苦痛はなくなることじゃろう。
じゃあ、何故そんなことをしたのか?理由は明白じゃ。死ぬことより一銭も手に入らないのがひどく怖かったのじゃ。赤く脈打つ心臓より、遥かに軽い金貨の方が大事なのじゃ)
その後、儂は運良く自分の街に帰り、サボテンを薬にした。その薬は飛ぶように売れ、儂は働く必要がなくなった。いや、もう働きたくなくなったのじゃ。命より金を優先する罪の重さを味わいたくなくなったのじゃ。
儂は今、蛇と仕事をしている。蛇は儂よりずっと賢い。天敵の鷲が後ろにいると分かったら目の前に蛙がいても、さっさと逃げる。命を優先する。だから、儂は彼と生きることにした。金になぞ、ならなくていい。彼と過ごすことが、彼が簡単にできることができない人間達に囲まれて賞賛されるよりずっと良いのじゃ。
これが、儂が蛇使いになった所以じゃよ。分かったかね、お若いの。
─現代─
僕は日本に帰った。就職活動をして、なんとか今の職に就いた。一日中東奔西走して、日付変更線を回ってから寝るのが普通になっていた。こんな毎日を送っていると、不思議な夢を毎日見るのだ。老人が話したような目印一つない砂漠に立っている。僕の前にはこれまた老人が話したような黄金のサボテンが屹立している。手にはスコップを持っている。ただ、老人の話と違うことは周りに僕のような状況におかれた人間が大量にいるのだ。親も兄弟も同僚も上司も恋人も友人も、みんな僕と同じようにスコップを手にてっぺんに花の咲いた黄金のサボテンを見つめている。ただ、みんな何の疑いもせずサボテンを刈り取ってはいそいそとどこかへ去っていく。僕も焦燥にかられ、刈り取る。刈り取った時に喜びも何もない。むしろ、胸が苦しくなって吐きそうなのだ。
そして、その苦しさを抱えてベッドの上で目覚めるのだ。寝ても覚めても、この苦悶はいつまでも消えないのだ─いつまでも、いつまでも。
ご閲覧ありがとうございました。
今回は寓話風にしてみました。
マルクスの名言を使っていますが、決して共産主義ではありません。
それでは、また明日。