作品いろいろ
第三十五回ワイスレ杯参加作品
作戦失敗 選外
またこめかみを汗が滴り落ちた。喉の奥がむずく、飲み込めそうで飲み込めないものがつっかえているような感覚に陥る。俺は立ち上がって窓に近づき
表の通りを見下ろした。この賃貸マンションの2階の窓からは、閑静な住宅街の中にあっては少し広めの道路が通っているのが見える。
電柱の根元で毛足の長い小型犬が用を足すのを、袋を持った老婦人が見守っている。乗用車が1台通過した。遅れて小型のトラックが走ってきた。
じっと目を凝らしてトラックを見ていると、近づいてきたのは食料品等を運ぶ冷蔵車だった。
テレビもついておらず、パソコンの電源も落ちているせいで、普段は聞こえないはずの壁時計の音が聞こえていた。あと15秒で10時だ。俺はじっと時計を見つめた。
5,4,3,2,1、「っあああああ!」俺は頭を抱えて爪を立てた。何故だ、何故だ。俺は窓から反転して2歩だけのダッシュをすると床に両膝をついてリビングのテーブルに滑り込んだ。
壁時計が間違っているのかもしれないと俺は携帯の時計を確認した。今正に59分から10時に変わった。一気に心臓が高鳴る。全てはこの時の為に作戦を立てたのに。
時間は冷酷に過ぎていき、10時30分を回った。まずい、作戦中止だ。しかしどうやって?エージェントの連絡先さえわからないのに。そうだ、本部に連絡だ。
そう思って再び携帯を手に取った時だった。ピンポーンとドアチャイムが鳴った。ガバっと顔を上げた俺は用意してあった本人確認用の印章をひったくって玄関へと走った。
ドアを開けるとそこには目深にキャップを被ったエージェントが立っていた。帽子のツバが上がって隠れていた目元が現れ俺を見た。「田崎さんですね?」「は…はい」
エージェントがにっこりと笑った。「お届け物です、ここにサインを」俺は素早く認印を出してポンと押すと荷物を奪うように受け取った。「やっっったあああああああ」
俺は天を仰ぎながら小箱を両手で差し上げた。ついに憧れのダグ・ホイヤー カレラ クロノグラ…「あらお届け物?、誰から?」その言葉に口から心臓がとび出そうになるのを飲み込んで
玄関を見やると、エージェントの後ろから妻が顔を覗かせている。「南田さんに用事ができて途中でお茶会が中止になっちゃった」そういってにっこりと妻は笑った。
終わった…。
待ち合わせ 六位
気がつくと煙草の先から灰が伸びて下に垂れ下がり、今にも落ちそうだった。煙草を挟んだ手を浮かせ、そっと灰皿に近づけると届く前に灰はぽとりと落ちた。
しばらく考えて何もせず、煙草を口にやってすぅっと胸いっぱいに吸いこんだ。しばらくやめていた煙草だが、一本だけ。これを最後に永遠のお別れだ。臭いが移るかなと
壁にかけてあるジャケットをちらりと見た。最近は日が落ちるのが早くなった。時計を見るとまだ5時過ぎだというのに日が傾いて、夕焼を反射したサッシからオレンジ色の光が頬を突き刺している。
時間というのは待ってくれと思えば足を早め、早くしろと思えば牛歩戦術を使う。まったく忌々しい限りだ。そんなおり暇をもてあました友人から電話があった。丁度よかったと
ばかりに電話にでると、何を企んでいるのかありえない話を並べ立てながら今から来いという。元々人を担いでは喜ぶ癖のあるヤツで、ユーモアに溢れた悪戯は皆を笑顔にする
才能があった。でも今日のはいささか下らない。そもそも今日の俺には大事な用事がある事はあいつも知っているはずなのに。みえみえの大嘘で俺を引っ掛けようとする友人に
はいはいまた今度なと突き放して電話を切ると再び時計を見た。俺は今日の段取りについてもう一度復習する事にした。まずは二人で電車に乗り、最寄駅を降りて劇場へ向かう。
受付をして観劇した後、劇場からホテルまで歩きながら感想を述べ合う。ホテルで食事をしながら頃合を見計らって俺は小さな箱をとり出す。開いて見せると口を押さえて
大きく目を見開いた彼女は震えながら涙を流す。などと考えてニヤニヤしながらもう一度時計を見るともう5時半だ。いつも時間より早めに来る彼女ならもう着いているはずだが。
俺が少し不安になって頭をボリボリと掻いていると、ピンポンとチャイムが鳴った。玄関を開けるとそこにはにこやかに笑う彼女が居た。ほらな、やっぱり嘘だった。俺は急いで
部屋に戻るとジャケットを羽織って小箱を握った。箱をポケットの奥深くに仕舞って玄関に走ると、揃えられてない靴を履くために彼女にお尻を向けて靴を履いた。ふと部屋を見ると
テーブルにつっぷした男がいる。握った容器から錠剤のようなものがこぼれ出ているが、あれは誰だ。まあ今はそんな事はどうでもいい。俺は玄関を出ると彼女の手をぎゅっと握った。
ポケットの奥底にある小箱といっしょに。
発見 二位
残っている時間はそう多くない。相棒と連絡が途絶えてもう随分時間が経った。酸素のある空間を見つけたというのが最後の通信だった。それが本当なら大発見だが、それきり返事が無い。
通信装置から聞こえてくるのはガサゴソという雑音だけで言葉らしいものはなかった。まさかうかつにもヘルメットを脱いで有毒ガスでも吸ったのではないだろうか。苦しみのあまりもがいているのでは。
どうなったのかはわからないが気配が感じられる限り俺はわずかな望みに掛けてギリギリまで待つ事にした。「お真鍋!応答しろ、生きてるのか」俺が語りかけると擦過音のような音が反応している
ようにも聞こえる。俺は時計を見た。もうあいつが船外に出て行って1800秒が過ぎた。酸素ももう残り少ないはずだ。自動制御で楕円軌道上を回っているオービタステーションがもうすぐ頭上を通過する
はずだ。それまでに重力圏を脱出してドッキングしなければ次に回ってくるのは37時間後だ。この着陸船の酸素が持たない。噴射開始のタイムリミットまであと247秒。俺は握っていた手すりに
頭を打ち付けた。しかしその時船外からハッチの開錠を求めるブザーが鳴った。俺は慌てて飛び上がり天井に跳ね返って転げるように着地しつつレバーを引いてエアロックを減圧した。
ガシャリと開錠するとハッチを開けて真鍋が現れた。「やった間に合ったぞ真鍋!とにかくハッチを閉めろ!」ハッチが閉められたのを確認して酸素を充填する。ドアのかんぬきを
上下とも開放すると。ハンドルを回してドアを開けた。プシュッっと多少の気圧差が埋まる音がする。ドタリと倒れ込んだ真鍋に慌てて駆け寄った。
「ちきしょう心配させやがって、俺はお前を置いて行くぐらいならいっそ運命を共にって…そこまで覚悟したんだぞ!」
嬉しさのあまり泣きながら抱きつこうとしたが、真鍋がそれを制して何か訴えている。身を起こし、膝立ちになって身振り手振りで何かを表現しながら壁に貼ってある数々のプロジェクトのうち
地球外生命体の探索を指さしている。俺の脳を衝撃が駆け抜ける。まさか微生物の存在を確認したのか。「見つけたのか生命を!サンプルは持ち帰ったか?」ぶんぶんとOKサインをしながら
立ち上がった真鍋がもどかしそうに首のロックを外すとヘルメットを脱いだ。誇らしげにピースサインをする真鍋の顔には巨大なカニのような生物が張り付いている。「今すぐ出ていけ」
命の炎 八位
もう時間だ。でも考えたくない。私が拒否すると時計はぐにゃりと歪んで真っ暗な空中を漂った。でも時が壊れたわけじゃない。暗闇を漂いながら歪な形のまま正確に秒針が
動いている。闇の中にうすぼんやりと雪洞が見えた。一本足で立つそれは凛としてそこに当然あるが如く佇んでいた。近づいてみるとその雪洞には連続した女性の墨絵が描かれている。流し
見ていくと炎が揺ぎはじめた。私は雪洞の回りを歩いた。女性は生まれ成長し、出会い別れそして試練が訪れた。それは一つの物語だった。充実した日々そして苦労の連続。その果てに
あの人と出会った。その出会いは炎をより一層輝かせた。私は嬉しくなってさらに足を進めた。満ち足りた日々が続きそして宿された命。でもそれは急に現れた。怖ろしい角と牙を
はやした鬼が女性に掴みかかった。あの人は懸命に鬼に取り付いて女性に近づけまいとしている。私はその恐しい光景に叫びながら喉を掻き毟った。やがて炎はだんだん力を失い何も
見えなくなった。私は悲しくなって泣きながら地面にへたりこんだ。真っ暗になり、時計の音だけが聞こえていた。私は絶望した。徐々に深い闇の中に沈んでいくのを、じっと身じろぎもせず
身を任せていると誰かが言った。「まーだだよ」その無邪気な子供のような声に顔を上げると、いつの間にか炎が灯った雪洞に照らされた鬼の顔がこちらを見ている。その下に
光が漏れる扉が見えた。鬼はぬうっと身を乗り出してさらに上半身が光に照らし出された。私は何も感じなかった。「まーだだよ」また聞こえた声に鬼が動きを止めた。私は立ち上がり
再び雪洞を見た。あの人が愛おしそうに赤子を抱いている。女性がどうなってしまったのかはわからない。でも鬼なら今ここにいる。誰かが言った。「お行きなさい」私が動かずにいると
厳しくも優しい口調でさらに言う。「あなたはあなただけのものではないわ、わかっているんでしょう」そうか思い出した、帰らなきゃ。私は鬼に向かって歩いた。そして扉に手をあててゆっくりと
押した。まばゆい光が私の顔を照らした。やがて現れた多くの人の顔。「加奈子!」雅也さんの顔が見える。「おい、わかるか!」お父さん。「母子共に安定しました」最後に覚えているのは
大きな車のヘッドランプ。「よかった」大勢が口々に何か言っている。人々の声に混じってまたあの声が聞こえた。「もーいいよ」
ありがとう、お母さん。
潜伏捜査 七位
我々の指示で本城がヤツと約束した時間まであと10分。俺と田中は息を潜めた。このアパートの持ち主、本城は日本ガチコンいわしたろか会の会員で、その会長を務めるのが根元だ。日本人の不満を代弁
するそのカリスマ性で国民に人気の根元だが行き過ぎた行動力が仇となってついには指名手配となった。その根元をここに誘い出し逮捕するのが今日の作戦だ。緊迫の時が流れる中、外回りから連絡があった
「宮坂さん、女が部屋に向かってます」ここは2階のつきあたり。女が奥から二番目のドアを通過したということだ。すぐにチャイムは鳴った。俺は舌打ちすると玄関までいきドアを開けた。
「ドキドキデリバリーでーっす」派手な女がガムをくちゃくちゃと噛みながら言う。「部屋違いだ」冷たく突き放すと女は斜め後ろに反りかえりドアの番号を確認して姿勢を戻した。「ここだね」時間まで
あと7分。焦った俺は退場のジェスチャーをした。「チェンジ!」平然とガムを噛みながら暫くこちらを見ていた女は視線を残しながら体の向きを変えた。「くたばれインポ野郎」女が歩き去ったのを確認して
再び配置につく。するとすぐにまた外回りから連絡があった。「えと、出前?が向かってますね」「はぁ?」すぐにチャイムが鳴った。仕方なくドアを開ける。「まいど!特上雅10人前です!」
「頼んでねぇよ!」「ええ、困ったな、本城さんいないんすか?」まずい、常連だ。あと5分。揉めている暇は無い。俺は財布を取り出した。「いくらだ」「69000円です」「うっ、ああーもう!おい田中
お前も出せ!」俺は頭をガシガシと掻きながら怒鳴った。再び配置について時間まであと3分。腹いせに寿司を頬張っているとまた連絡が入った。「宮坂さん…ドキドキデリバリーです」俺はドアを開けて
上半身を乗り出し、廊下を歩いて来る女を指さした。「チェンジ!」再び配置につく間もなく連絡が入る。「宅配ですね」時間まであと1分。大慌てでドアをあけると配達員がおどろいて反りかえった。
「本城なら留守だ!出直せ!」素っ頓狂な顔をした配達員が言った。「いえ、宮坂さんにですが」俺は言葉を詰まらせた。慌てて荷物をひったくり、荒っぽく箱を破った。中にはお茶とお菓子と手紙。
『宮坂さん、お寿司食べるのにお茶無しはきついっしょ、あとデザートもどうぞ』プルプルと手が震えて手紙が変形する。
「ちっくしょおおお!」
終末 選外
『僕には家族がいないから、僕は君達の為に戦うよ』そう約束したのにね。
ぼんやりとシステムを眺めていると、今朝早くから外の世界が慌しさを増した。ずっとデフコン5だった準備態勢が短時間のうちにデフコン2にまで引き上げられた。暗い格納庫の中で29年と11ヶ月。
僕はあるケースのために配備されていた。僕は時計の進行を感じながらなんとも切なくなった。『本当ならあと3時間で退役だったのにな』僕はマシンといえども元々は人間だった
はずだがその頃の記憶は無い。30年という就役期間は人の心が元であるシステムがそれ以上持たないからだ。そう、僕の心はとっくに老人なのだ。ポーンと音がしてアラート流れた。
【警戒準備レベルが引き上げられました、デフコン1、戦争です】君達がここに住み着いて3回目の春が来たね。もちろん僕にとって春というのは平坦な時間のあるタイミングにすぎないが
そんな事を考えるのも元は人間だった証なのかもしれない。僕の生体部分に送られるパイプが老朽化してそこから漏れる液体に目をつけた君達はこの地下3000mの空間で繁栄に成功した。そしてまた
今朝、新しい命が生まれたばかりだというのに…。皆を連れて逃げなさい。まもなくここには住めなくなる。いよいよ[ケース]が近いのだ。一刻も早く逃げるんだ。
【自動報復装置が起動しました、打ち上げまで20秒です、総員退避してください17、16】神経がちくちくする。マシンの僕がそんなわけないのに、頭が痒い。はやくはやく、死んじゃうよ。
【10秒、9、8】何してるの!走って!【7、イグニッション、エンジン正常、5、4】お願い、逃げて、お願いだから…【3、2、神のご加護を】サイロの中がオレンジ色に照らされて温度が
上昇していくのが観測できた。ロケットの先端に埋め込まれた僕の体はゆっくりと浮き上がり、徐々に加速する。人はこういう時涙を流すんだっけな。僕がいくら叫んでも声など届くはずもなく
君達はまん丸の目をキラキラさせているだけだった。静かに、果てしなく上昇していった僕はやがて重力から解放された。湾曲した地平線が見える。
『地球は赤かった、神はどこにもいない』思い出した。僕は何者にも征服する事のできない物質で作られたヒューマノイド。名前はアダマス。ブースターが切り離され、僕は再突入体に包まる事もなく
裸で再突入を開始した。僕らの敵を破壊しつくすために。