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咲き誇る花に舞う  作者: ばっさ
1/3

冬の日の幻想──春宵感懐──

見切り発車です。

「芸術家にとっては思考も言葉も芸術の道具である。

芸術家にとっては悪徳も美徳も芸術の素材でしかない。」


 『ドリアン・グレイの肖像』 序文 オスカー=ワイルド



──Зимние грезы──



 斬れる様な鋭い冷たい風が吹く冬。

 屋上の縁に立って世界を見下ろしてみる。


 数多の尖塔ゴシックのアーチが天を突く石畳の街並みはどこか薄ら寒さを感じる。

 舞う木の葉はほとんどが枯色で、すっかりと禿げ上がった木々が並ぶ学園の敷地は冬の冷たさを感じさせる。その中で果敢に、ひっそりと生えているのは雪のような白い花弁を持つ花、アレミノマリ。花言葉は「清純」「同情」。


 空気に溶けていく音。それはこの冷たい風のうなり声かもしれないし、それを温める言葉かもしれない。もしくは────。いずれにしても、それは偉大なる世界に満ち溢れる幾重にも積み上げられて詩う多重奏ポリフォニー


 そんな詩が満ち溢れる世界に差す錆色の空。彼方に見える雲からは鋼鉄の雨。



 …………。

 そんなヤバイ雨が上から降ってきたら上は鉄錆の赤、下は鉄臭い赤で染まって大惨事ですね。なんだかそんな光景を昔見た気がしますが、「心」の奥に仕舞って鍵でも掛けておきましょう。


 ぼうっとしているとどうでもいい事ばかり考えてしまいます。そして気づけば、もうそろそろ低い太陽がその姿を地平線へと沈めていく。日没まではあと十分程でしょうか。

 目の端に映るのはパタパタと風を受けて揺れる極彩色の白衣。そして顔面をバシバシと叩く濡れ羽色の髪の毛。


「……寒い」


 自分でもびっくりするくらい感情の篭ってない声が出ました。この気温にインスピレーションを受けたかのような冷たい声でした。


 ヴァントーズの夕刻に、風の吹く屋上で防寒対策のしていない服で佇んでいれば流石に冷えますね。というか、軽く自殺行為です。


 この時期、昼間は春かと思う位に暖かいのに朝と夜はぐっと冷え込んできます。ヴァントーズ下旬からジェルミナール中旬にかけてはずっとこんな調子です。要するに、季節の変わり目ですね。なんだかんだで二時間くらいここでぼうっとしてましたから、そりゃあ、一気に冷え込んできますよね。



 ひょうひょうと流れる魂のような雲を眺めてると後ろから屋上の鉄扉が開く音がしました。

 ぎいっと軋むその音は、そこはかとないホラー感が出て心臓に悪いので後で直しておきましょう。


「ランディーニ先生!」


 心臓に悪い鉄製の扉が開く音と同時に可愛らしい声も聞こえてくる。声がした方を振り返ってみると、一人の少女が居ました。紺色のブレザーに灰と青のチェック柄のプリーツスカート。胸元のリボンの色は赤。


 つまりは、バラーニ学院の中等部一年生。十三歳。自分の主観だと、実年齢より少し大人びているように見えます。


 夕焼けの紅を反射する風になびくセミロングの灰色。しっかりと芯が通った美人といった趣です。

 その美しく透き通ったサファイアを嵌めた様な目を釣り上げて少女はツカツカとこちらにやって来ます。


 はて、なにか自分は彼女の癪に障る様な事をしたでしょうか?

 ……些か心当たりがありすぎて一つに絞れませんね。


「プリムラ君、どうしました? 夕焼けを見るにはオススメしませんよ。すんごい寒いので」


 少女──プリムラ=ポリアンサは、その端正な顔に疲れを滲ませながら言いました。


「はぁ……。こんな所に居たんですか。夕焼けには興味ありますけど、今はどうでもいいです。私は学園長先生から貴方を呼んでくるように頼まれただけです」


 なるほど、少し息が上がっているのは自分を探したからでしたか。学園にいる時はいつも美術室に篭ってる自分がそこにいなければそりゃ探すのも苦労したでしょう。


「学園長から呼び出し……ねえ」


 生徒を使って呼び出す心当たりがまるでありません。何の用でしょうか。


「先生……何をしたのですか? 学園長に呼び出されるなんて、犯罪にでも手を出したんじゃないでしょうね」


 なんて失礼な事を言う子なんでしょう。親の顔が見てみたいですね。どんなクソ野郎なのでしょうか。


「失敬な。先生は品行方正を絵に書いたような人ですよ」


「私の目を見て言ってくださる?」


 ちょっと純粋な瞳が眩しすぎますね。ええ、まあ、ちょっとばかし? ゲリラ的にムカつく貴族の家に襲撃かけたりしてますがね?


「それにしても……学園長に呼び出される様な案件は全くもって皆目見当がつかないのですが」


 だってアレ、学園長公認ですし。


「クビにでもなるんじゃないですか?」


「はっはっは。ないない」


「でも、先生方が噂してましたよ。『来年からは美術科は廃止だから云々……』と」


「え、ちょっと、マジなの?」


 素が出ました。余裕が無い証拠ですね。


「いや、一生徒の私が知るわけないじゃないですか」


「いやいやいや、サラっと自分の進退に関わる情報を渡しておいてそれは無いんじゃないですかね」


「そんなことを私に言われても。それより、早く行った方がいいんじゃないですか? 本当にクビになりますよ」


 確かに、ここでいくらゴネたところで学園長から呼び出しを受けたという事実は変わりようがありません。


 どこぞのアホ女みたく「言葉というものは何度も何度も生まれ直して変遷していくものだ。つまり、言葉によって示された事実というのは総じてアテにならん!」とか言って一切人の話を聞かないアホではないので素直に呼び出しに甘んじることにします。


 ……クビが怖かったんじゃありませんよ?



 夜闇に染まりつつある空を背に屋上を後にしました。

 こちとら今後が不安で仕方がないというのに、黒に染まった空には希望の如く星が煌々と輝いていました。喧嘩売ってんのか。

 なんて、いちいち空模様に悪態をつかなくてはならない程度には心が疲れているんでしょうね。

 ああ、帰りたい。




 コン、コン、コン、コン。

 南棟校舎二階のにある、他の扉とは少しだけ趣の異なった意匠が施された両開きの扉を四度叩く。


 昔、知り合いの研究室のドアをコン、コン、と二回ノックしたら、「ここはトイレじゃねぇんだぞ! ボケがァ! ぶっ殺すぞ!」と大変な罵声を浴びせられたので、それ以来は四回ノックする様にしています。


 ……思い出したら腹立ってきましたね。普段はガサツなクセにそういうところだけ神経質なあの女、今度会ったら縊り殺しましょう。


 そんな──わりかしどうでもいい──決意を固めていると、扉の向こうから「どうぞ」との声がかかりました。凛とした、自然と背筋が伸びるような老婆の声です。


「失礼します」


 部屋に入ると、いつもの如く落ち着かない気持ちになります。


 入ってすぐ目に飛び込んできたのはさほど豪華ではない、落ち着いた調度品の数々。日の落ちた室内を照らすランプを反射した渋い榛摺の執務机など、明度が低く、見る人に重厚な印象を与えます。


 しかし、その中で一際異彩を放っているのは、すぐ右手に掛けられた一枚の絵です。大判のカンヴァスに乗せられたバロックを感じさせる力強くありながも、どこか繊細な絵画。深い古典主義的な部屋の中にあってはそれだけが突出して不自然。


 まあその辺は部屋の主の趣味でしょうからとやかくは言いませんが。個人的にちょっと落ち着かないと思うだけです。未だに慣れませんけどね。


 学園全体がゴシックで統一されているというのに、ここだけは古典主義を主体にした空間に仕上げられて。しかも、それすらも乱す様に飾られたバロックの絵画。


 さてさて、部屋の観察は一先ず置いといて。


 自分の目の前の執務机に座るのは好々とした笑を浮かべた老婆。しかし自分は知っています。このババア──ハイダ=フォン=トイフェルはお腹の中がタスマニアデビルも真っ青なくらい真っ黒に染まっていることを。


 さて、今この瞬間浮かべているあの笑みの裏には何が隠れているのでしょうか。深淵よりも深すぎて覗くことすら出来ません。覗いていないのに覗かれている理不尽さを感じます。


「学園長、ランディーニ=ロイル、ここに参上しました」


 えー、右手を胸に当てて左足を半歩引いて、左手は横に水平にしてお辞儀、ですね。目上の人に対する貴族式の挨拶です。本当は略式でもいいのですけどね。昔、ウドルフォさんとヴェルディアナさんにみっちりと仕込まれましたから。たまには使ってやらないと身体が忘れてしまうものです。事実、半分くらい忘れてました。


「ランディ先生、こんな時間にお呼び立てして申し訳ありません。もうお帰りになられるところでしたでしょう?」


「いえ、悲しきかな、独り身なので時間は履いて捨てる程にあります故、景色を眺めておりました」


「それはよかったです。貴方に少し頼みたい事がありましてね」


 よかった、クビではない様です。


「本日を持って、ランディーニ=ロイル美術科教員を罷免します」


 クビでした。なんてこったい。


「そして、ランディーニ=ロイルを術学科教師に任命します」


「はっ?」


 なんですかソレ。あまりに予想外な台詞に素っ頓狂な声が出ました。


「何か質問はありますか?」


 あるに決まってんだろクソババア。──そんな本心は表に出さず、極めて平静に、冷静に訪ねます。


「えー、では何点か。まず、なぜ術学科の教師を増やしたんです?」


「そうですね。まずはそこからお話ししましょうか。先々週の事件を覚えていますね?」


「ええ」


 先々週の事件……。ああ、学院内に侵入したサンクステラ扉征教徒が一人の生徒に対してまじないをかけようとした事件ですね。下手人は自分がぶち殺しました。


「その事件……裏にいたのが術学教員の一人でした」


「ちょっとそれは初耳ですね」


「ええ。私の手の者に始末させましたので。この学園の教員は誰も知りません。信用を落としかねませんからね」


 サラっと「始末」とか言ってのけたこの老婆、ちょー怖ぇです。


「えー、では次に、何故自分なのでしょうか」


「あら、下手人を処分したランディ先生以外に適任の人がいらして?」


「いや、中央から人を呼ぶとか、やり用はいくらでもあるでしょう?」


 自分がそう言うと、学園長は深いため息を吐きました。寿命とか幸せとか色んなものが口から流れ出ているのではないかと思います。

 そして、おもむろに執務机の引き出しを開けて書簡を一つ取り出しました。


「ええ、私も新しい教師を寄越すように中央に打診はしました。しかし帰ってきたのはこの書簡ですよ」


 学園長の後ろに控えている侍女を通して渡された書簡。まあ色々と遠回しに回りくどく貴族風の言い回しでつらつらと書いてある事をまとめると、



 新しい教師を派遣したいところだが、そんな人材の余裕は無い。

 こっちも鉄道建設とかの新事業で忙しい。

 そっちの人員でどうにかやり繰りして欲しい。

 そういやぁ、そっちにゃランディとかいう美術教師居たよな。

 そいつ、いろいろ使えるから術学教師にしちゃっていいよ。



 との事です。ふざけんな。教育委員会に訴えんぞ。

 まあ教員免許もクソもないので教育委員会どころではないのですが。


 そんなテキトーな理由で術学教師に任命するとか腹が立ちますね。いつもの如く「まーた面倒な事が起きたよ。お、どうせならアイツにやらせよう」とか言っている姿が目に浮かびます。今度あったらぶん殴って──いえ、ラクタ・カンジュカくらいは撃っときましょうか。


「ラクタ・ネタナトム」


 焼却の魔術で手に持った書簡を燃やしてみます。──が、予想通り燃えませんね。王命というのは確定みたいです。


 王族の印章が押された書簡というのは何をしても燃えません。

 王印というのは特別な魔術具らしいですね。なんらかの古代術式で出来ているのでしょう。一度、術式を見てみましたが、高度すぎてさっぱりでした。

 あんなもの複製は不可能だろう。おそらく古代に神かそれに近しい超存在から授けられたものではないか──術式に詳しい友人が言っていました。

 

「……拝命しました。契りの神グキシュイドに誓って」


 流石に公式な王命を退けられるわけがありませんね。


「それでランディ先生。早速ですがお仕事です」


「はあ」


「こちらが、来年の初等部全体の術学の学習要綱です。貴方にはこれに沿うようにカリキュラムを作成して頂きます」


「わかりました」


 承諾して五秒で後悔しました。なんですかこれ。三学年各二クラス三回授業──一週間十八回の授業をこなさなくてはいけないとは。六日間休み無しですか?


「あの、学園長。一人の担当教員でこれだけの授業をこなすものですか?」


 自分の顔は盛大に引きつっていたと思います。


「ああ、ごめんなさいね。担当するのは第二学年、第一学年だけですよ」


 それでも週十二回授業あるんですね。それでもホっとしてしまう辺り、上手くドア・イン・ザ・フェイス・テクニックに嵌ってしまったのでしょう。


 目の前でニコニコと好々爺然とした笑みを浮かべている、腹に一物を抱えてそうな老婆にしてやられた気分です。


「それと、これが一応、共通テキストですが、ご自分で参考書を作って頂いても構いませんよ」


「はあ」


「ちなみに、皆さんは自分なりにまとめた参考書を作って配っていらっしゃいますよ」


 それは遠回しどころかほぼド直球に「お前も作れよ」って言ってますよね。

 まぁ、その辺は中身を見てから決めましょうか。


「少し、中身を見ていいですか?」


「ええ、どうぞ」


 ……。

 嫌がらせかと思うレベルで小難しく書いてありますね。誰が書いたんだこんなモン。専門書じゃねえか。少なくとも、十代前半の少年少女に読ませる内容ではない。

 赤ん坊にシェイクスピアを読ませる程度には無茶です。


 タイトルは『魔術学入門』。——入門書なら入門書らしく噛み砕いて書いて欲しいところです。


 えー、著者は──カトリーヌ=ボメッティ=アメンドラ。知り合いでしたよチクショウ。今度会ったら殴ります。


 他の教科のテキストもこんな調子だとしたら、そりゃ、自分で書いたモノを授業で使いたくなりますよね。こんなの、教える側からしてもやりにくいったらありゃしない。


「わかりました。作成を進めておきます」


「ええ、お願いします。魔術師の最高峰の一人が作る教本を期待していますよ」


「はあ」


 このババア、プレッシャーかけてきましたよ。


 この場に留まるのはちょっと精神衛生上よろしくないので、さっさと退散させてもらいますかね。


「では、自分はこれで」


 そう学園長室を辞して帰路に着きました。


 外はもうすっかり暗く、星々が輝いていました。ちらちらと黒の天球に散らされた小さな光をなんとなく見上げてみます。東の空に浮かぶ三連星を見つけてなんだかホッとしたような気持ちになりました。


「そういえば、オリオンといえば、蠍に刺されて死んだという話がありますねぇ」


 さそり座は夏の星座ですが。


「南十字に着くのは次の三時どころか、もっと先かもしれませんね」


 ここ数年とは全く違った一年になる──そう予感する風が自分の頬を撫でます。



 この手に幻視するのは一枚の、緑色の切符。


 それは可能性の象徴。


 丁寧に、四つに畳んで白衣の胸ポケットの中に仕舞いました。






 ほんに今夜は春の宵

 なまあつたかい靄もある


 月の光にてらされて

 庭のベンチの上にゐる

解説


〇ランディーニ=ロイル

 濡れ羽色の長髪を無造作に伸ばした男。目がぱっちりしていて、まつげも長く、小柄なことも相まって95%の確率で女性に間違われるため、野暮ったい眼鏡をかけている。

 イケメンの分類だが、理想がダンディなオッサンなので自分の顔があまり好きではない。


〇ラクタ・カンジュカ

 火球の魔術


〇ラクタ・ネタナトム

 触れているものを燃やす魔術

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