ドングリと野ネズミ
トンガリ山という小高い山のてっぺんに、一本の大きなクヌギの木がありました。
ある秋の日。
北風がやってきて枝をワサワサとゆらし、たくさんのドングリの実を落とします。
コロコロ、コロコロ……。
ドングリたちは山を転がりました。
新たな場所で芽を出して大きくなります。かあさんクヌギと別れ、これからひとりだちをするのです。
そんななか……。
ひとつのドングリが空に向かってグーンと舞い上がりました。枝からはなれたとき、北風のマントのポケットに運悪く落ちてしまったのです。
「土の上におりて、芽を出すのよー」
かあさんクヌギが心配そうに見上げています。
「だいじょうぶだよー。おかあさんみたいに大きくなるからねー」
ドングリっ子は北風とともに空を飛びました。
トンガリ山のてっぺんが遠くに、そしてみるまに小さくなってゆきます。
「北風さーん、おろしてよー」
「おや? ドングリボウズじゃないか。いつのまにワシのポケットに入ったんだ?」
「トンガリ山のてっぺんだよ」
「ということは、あのクヌギの木の……。こいつは早いとこ、おろしてやらなきゃあ」
北風はスピードを落とし、トンガリ山のすそ野に舞いおりました。
「オマエが大きくなったころ、また会いに来るからな」
「うん、きっとだよ」
「元気でなー」
北風はドングリっ子を地面に落とすと、ふたたび空高くへと舞い上がりました。
コロコロ、コロコロ……。
ドングリっ子は山のすそ野を転がりました。
コロコロ、コロコロ……。
ふもとの野原まで転がりました。
ドスン!
なにやらやわらかいものにぶつかって、ドングリっ子はそこでようやく止まりました。
そこには野ネズミがいました。
「オマエ、ここらじゃ見たことのねえヤツだな。どこから来た?」
ドングリっ子のぶつかったおしりをなでながら首をかしげます。
「トンガリ山のてっぺんだよ」
「トンガリ山か……。それで名前は?」
「ドングリ」
「ドングリだって?」
ドングリは最高のごちそう。野ネズミはそんな話を耳にしたことがありました。
でも見るのは初めてです。
「オマエひとりか?」
今まさに冬ごもりにそなえた食料集めのまっさいちゅうで、ほかにもごちそうのドングリがいるのでないか、そう思ったのです。
「ボクだけ仲間とはぐれちゃってね。北風さんといっしょに、こんな遠くまで飛んできちゃったんだ」
トンガリ山を見上げ、ドングリっ子がさびしそうな顔をします。
「たったひとりでか。かわいそうに、かわいそうになあ」
野ネズミは何度もうなずいてみせました。
それからすぐにでも食べたい気持ちをこらえ、ゴクンとツバを飲みこんだのでした。
ドングリっ子は元気をとりもどしていました。
そこは日あたりがよく、土もやわらか。芽を出すにはもってこいの場所だったのです。
「おじさん、だいじょうぶだよ。ボク、ひとりぼっちでも、ここでなら大きくなれるから」
「オマエが大きくなるだと?」
野ネズミはまじまじと見ました。
こんなちっぽけなモノが大きくなるなんて、なんとも不思議だったのです。
「うん、おかあさんみたいにね。ボクのおかあさんって、とっても大きいんだよ」
「そうなのかい。で、オマエのかあさんってのは、どれくらい大きいんだ?」
「ほら、あそこに岩があるでしょ。あれよりずっとずっと大きいんだよ」
「なんだと? そんなにでかいのか……」
野ネズミの頭の中で、小さなドングリが大きくなっていきます。まず自分と同じぐらいになり、しまいには岩よりも大きくなりました。
「オマエ、早く大きくなれるといいな」
そうは言ったものの、心の中ではニンマリほくそえんでいました。
ドングリが岩ほどに大きくなれば、どんなに食べたって食べつくすことはありません。食料集めに苦労することもなくなります。
「春には、きっと大きくなってるよ。だってここ、とってもいいところなんだもの」
青空に向かって、ドングリっ子は気持ちよさそうに背のびをしました。
「だがな、ここはやめたほうがいいぞ。ここらは悪いヤツがいっぱいおるからな」
ウソではありませんでした。この野原には、ほかにも野ネズミが住んでいるのです。
「悪いヤツって?」
「オマエをな、くってしまおうってヤツらさ。ここらには、そんなヤツらがわんさとおるんだよ」
「えー、そんなあー」
「なあ、ワシのネグラに来ないかい? そこならワシが守ってやれるからな」
野ネズミは下心がバレないよう、もっともらしく言ってさそいました。
「うん、行く。ボク、大きくなるって、おかあさんと約束したんだもん」
「そんじゃあ、これから連れていってやるからな」
野ネズミはしてやったりと、さっそくドングリっ子をかかえたのでした。
野ネズミのネグラは大きな岩かげにありました。そこでヨメさんと二匹で暮らしています。
野ネズミがネグラに帰ると、草の実を干していたヨメさんがドングリっ子を見て目を丸くしました。
「あらっ、それはなんだい?」
「いや、たいしたもんじゃねえ。ちょっとばかりあずかることに……」
野ネズミは言葉をにごすと、さっそくネグラの中にドングリっ子を連れていきました。そこで大きくしようと考えたのです。
「どうだ、いいところだろう。あったかいし、悪いヤツにも見つからないからな」
野ネズミはじまんしてから、ドングリっ子の顔をうかがい見ました。
ところが……。
ドングリっ子は少しもうれしそうでありません。壁や天井をキョロキョロと見ているばかりです。
「どうした、ここが気にいらないのか?」
「ボクってね、お日さまのあたるところでなきゃあ大きくなれないんだ。だけど、ここは……」
「なんだ、そういうことだったのか。そんじゃあ、日のあたるところに家を作ってやろう」
「おじさん、わがまま言ってゴメンよ」
「なあに、気にすることはねえ。これからすぐに作ってやるからな」
ドングリっ子の頭をなでてから、野ネズミはネグラを出ていきました。
野ネズミはヨメさんの手を引き、ネグラの裏に連れていきました。
「じつはな、アイツはドングリというもんだ」
「まあー! よく、そんなもんが……」
ドングリは最高のごちそうだと、ヨメさんもうわさで聞いて知っていたのです。
「でもさあ、オマエさん。トンガリ山のてっぺんまで行かなきゃ、アレはとれないって。まさかオマエさんはトンガリ山に……」
トンガリ山にはキツネやフクロウがいます。山に入ろうものならすぐにつかまってしまうのです。
「とんでもねえ。風に乗って、こっちまで飛ばされてきたのさ」
「おねがいだから、トンガリ山には行かないでおくれよ。春には子どもが生まれるんだからね」
ちょっぴりふくらんだおなかを、ヨメさんがいつくしむようになでてみせます。
「ところでオマエさん。アレって、たいそうおいしいらしいじゃないか。すぐにでも食べてみたいわね」
「ダメだ! 今はダメなんだ」
野ネズミはあわてて首をふりました。
「あら、どうしてだい?」
「アイツ、あんなに小さいがな、じきにこのネグラよりでかくなるらしいのさ」
「まあ、そうなのかい」
「だったら、それを待って食べたほうがトクってもんじゃないか」
「たしかにねえ」
ヨメさんは大きくうなずきました。
トンガリ山に雪が降りはじめます。
ドングリっ子は野ネズミが作ってくれた枯葉の家で眠っていました。
「ねえ、オマエさん。あのドングリ、こごえちゃいないかしら?」
ヨメさんがネグラの外を見やります。
「そうだな。そんじゃあ、ちょっくらようすを見てみるか」
二匹は枯葉をかかえ、ドングリっ子の家のそばに立ちました。
茶色の頭が枯れ葉からのぞいています。
「こうすりゃ、寒くないだろう」
ドングリっ子の頭の上に、野ネズミは枯葉をかぶせてやりました。
「ねえ、わたしたちもそろそろ冬ごもりに入りましょうよ」
「そうだな。ずいぶん寒くなったからなあ」
それからまもなくしてのこと。
野ネズミの夫婦も、冬ごもりの深い眠りについたのでした。
冬が過ぎ、トンガリ山に春がやってきました。ふもとの野原には草の芽も出はじめています。
ネグラの中。
野ネズミの夫婦は、長い眠りから目をさましたばかりでした。
「生まれてくる子どもたちのために、これからは食べ物がたくさんいるわね」
ヨメさんが大きくなったおなかをなでます。
「食べ物といやあ、アイツ、もうでかくなってるんじゃ。たらふく食べても食べきれないほどにな」
「早く食べたいわねえ」
野ネズミとヨメさんは、そろってゴクリとのどを鳴らしたのでした。
野ネズミの夫婦がネグラを出ると、それを待っていたかのようにドングリっ子の声がします。
「おじさん、ひさしぶりだね」
「うん?」
野ネズミはキョロキョロと見まわしました。ドングリっ子の姿が見えないのです。
「ねえ、あれじゃないのかい?」
ヨメさんがドングリっ子の家を指さします。
そこには芽を出したばかりの木がありました。葉っぱはたったの二枚です。
「でもなあ、あれはドングリじゃないぞ」
「だけど、声はあそこから……」
野ネズミの夫婦が首をかしげていると、
「ボクね、クヌギの子になったんだよ。ほら、今から手をふるからね」
声と同時に二枚の葉っぱがゆれます。
野ネズミは葉っぱのそばに行き、じっと見つめて話しかけました。
「オマエ、ずいぶん変わったなあ」
「大きくなったでしょ」
「ああ……」
「おじさんのおかげなんだ、ありがとう」
「いや、たいしたことじゃないよ。こまったものを助けるのはあたりまえのことだからな。ワシはあたりまえのことをしたまでさ」
野ネズミはそう言ってから、なんだかむずがゆい気持ちになったのでした。
季節が夏に移ります。
クヌギっ子はずいぶん大きくなっていました。四方に枝をのばし、たくさんの緑の葉をつけています。
かたや野ネズミは、五匹の子ネズミの父親になっていました。
そんなある日。
「かくれるんだあー」
クヌギっ子が枝を大きくゆらします。
「逃げろー」
野ネズミの家族は、いっせいにネグラの中へと逃げこみました。
上空にはおそろしいタカが飛んでいます。
「すまんな、ほんとに助かるよ」
「こまった者を助けるのはあたりまえだって。それって、おじさんが教えてくれたことなんだよ」
「いや、そうだったな」
野ネズミはてれくさそうな顔をしました。
三年の月日が流れました。
クヌギっ子はネグラの岩より高くなり、空に向かって長い枝をのばしていました。
一方の野ネズミは子どもたちが独立し、もとのようにヨメさんと二匹だけになっていました。
このごろ。
野ネズミはネグラにこもる日がふえ、食料集めにもあまり出かけなくなっていました。寄る年波のせいで足腰がすっかり弱っていたのです。
そんなある日。
あの北風が帰ってきました。
「トンガリ山のドングリボウズー」
クヌギっ子に向かって舞いおりてきます。
「あっ、あのときの北風さんだ」
クヌギっ子も枝を大きくゆらしました。
「オマエ、ずいぶん大きくなったじゃないか」
「ボクね、今年からおかあさんみたいに、実をつけられるようになったんだよ」
クヌギっ子はじまんするように、実をつけた枝をゆすってみせました。
「じゃあ、もう一人前のクヌギだな」
北風が目をほそめます。
「北風さん、おねがいがあるの」
「なんだな?」
「ボクが一人前になったこと、おかあさんに伝えてほしいんだ」
「まかせるがいい。これからさっそくトンガリ山に行ってみようじゃないか」
「ありがとう、北風さん」
「ドングリボウズ、元気でなー」
北風はマントをひるがえすと、トンガリ山のてっぺんに向かって飛んでいきました。
ネグラの中。
カチッ、カチッ……。
野ネズミは聞きなれない音を耳にしました。
その音は天井の上でしています。
「なんの音だろうねえ?」
ヨメさんも気になるふうに見上げています。
「ちょっくら見てくるか」
野ネズミは外に出てみました。
するとなんと、ネグラの前にドングリがたくさん転がっていました。
――まさかアイツが?
目をこらして見上げると、クヌギっ子の枝にいくつものドングリがついているではありませんか。
「おう!」
野ネズミはおもわずさけんでいました。
「おじさん、おどろいた? ボク、実をつけられるようになったんだよ」
ずっと高いところから、クヌギっ子のうれしそうな声がします。
――あのとき食べなくてよかったな。
野ネズミはつくづく思いました。
これからは食料集めをしなくてすみます。苦労をしなくても、いつだってたらふく食べられるのです。
ドングリのひとつを高く持ち上げて見せ、野ネズミは言いました。
「こいつらはネグラにかくしておくぞ。悪いヤツらに見つかると、くわれてしまうからな」
ほんとうはかくすのではありません。ネグラの中でこっそり食べようと考えたのです。
「おじさんは足が弱って、食料集めに遠くまで行けないでしょ。こまったときに食べてね」
クヌギっ子の返事は、野ネズミが思いもしなかったことでした。
こまっている自分を助けてくれようとしているのです。ひきかえ自分は、ドングリを食べることしか考えませんでした。
「ありがとう、ありがとうな」
「ボク、おじさんを助けられてうれしいんだ」
クヌギっ子が枝をゆらします。
ドングリがパラパラとネグラの岩の上に落ちて、カチッ、カチッとここちよい音をたてました。
季節はめぐり春になりました。
ネグラのまわりでは、クヌギっ子があちこちに芽を出し、小さな葉っぱをつけていました。大きく成長したクヌギっ子から、ひとりだちをしたクヌギっ子たちです。
それは冬になる前のこと。
ドングリの実をかかえた年老いた野ネズミの姿がありました。ドングリの実、そのひとつひとつに枯葉の家を作ってやっていたのでした。