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春の歌  作者: えぎゅぇあぅたr
7/20

捜査−2

「さ、続きを早く」

 体育館裏に戻ってくるなり一言。見ればワクワクが止まらないご様子。

 俺は茶室を見た。この仮説を裏付ける証拠がそこにはあった。

 「明かりが点いてない。今日は茶道部は休みなんだろうな」

 洲上は何か疑問を浮かべながらも頷く。

 「毎週火曜日は休みらしいよ。顧問の裕子先生が来れないらしくて。生徒たちだけで使わせられないから、ってことみたい」

 裕子先生は茶道部の顧問だったのか。知らなかったな。しかしそれはまあ、この件には関係ないことだ。

 「なるほどな。ところで洲上、あの窓からここはよく見えるだろうな」

 洲上は素早くこちらを見た。目が見開いている。

 「え、じゃあ」

 「しかも火曜日は定休日ときた。今日は誰も被害者にならなかった。恐らく先週の火曜日も。つまり」

 「茶道部の中に犯人がいるというわけだね!」

 洲上に続きをいわれてしまった。それはまあ、良しとしよう。事件は解決に向けて大きく前進したのだから。俺が中学生の時に所属していた陸上部は、毎週日曜日は休みだった。それと同じように、どこの部活でも定休日はあると思っていた。そこからピンときたのだが。

 しかし、問題は。

 茶室を見る。今日は違うが、いつもならあそこで茶道部の面々が談笑でもしながらお茶でも酌み交わしているのだろう。……表現がおかしかったか。飲み交わしているのだろう。

 俺は茶道部に参加したこともなければ茶室自体に足を踏み込んだこともない。だから、茶道部が部活で一体何をしているのかは知らない。知っているのは、部員が女子しかいないということだ。

 犯人は、名前も知らない彼女は、何の目的であの窓からこちらを見ていたのか。

 別に犯人が茶道部の一員であるのが決まったわけではないが、とりあえず有力な案として考えていかなければなるまい。

 「茶道部の一人が犯人だと分かったなら、簡単じゃないか」

 洲上が言い出す。

 「茶道部に知り合いがいるのか」

 「ああ、いるとも。茶道部に二年生は四人しかいないし、全員知ってるよ」

 全員知り合いなのか。なんで俺と同じ空間にいて、こいつはこう、顔が広いのか。

 「じゃあ、話を聞こう。今度、聞いて来てくれ」

 「え?」

 洲上は何故か驚く。

 「なんで驚く」

 「江田も来て、話を聞かないと意味ないでしょ」

 そういうものなのか。俺ははっきり言って人見知りだから、あまり直接話をしたくはないのだが。

 「それにしても」

 洲上が意味ありげに宙を仰いだ。こいつは何か問題や、違和感があるといつもこんなことをするような気がする。

 「どうした」

 「茶道部か、厄介なことにならなければいいんだけど」

 「どういうことだ?」

 茶道部とは、そんなに恐ろしいところなのか。

 「え、知らないってことはないだろ?」

 洲上が取り乱して言う。はて、何を。

 「なんだ、茶道部に鬼でもいるのか」

 「あー、鬼じゃないんだけども。それにしても、江田が天草先輩を知らないなんて」

 「天草?」

 何か、聞き覚えのあるような名前だ。

 「……江田、さすがに天草家のことは知っているよね?」

 「ああ、知っているが」

 天草家の名は、聞いたことがある。確か、ここら界隈では有名な、元華族のお家だったはずだ。その名家の末裔は、学業も優秀な才女であり、学校内での知名度も人脈も強大、そしてその生徒会副会長の役回りをしていて、畏怖と敬愛の観点から、人々はこのご令嬢をお犬様にあつらえて、虎姫と呼ぶ、という話は聞いたことがある

 「天草先輩は、茶道部の現部長で、天草家ご令嬢、虎姫さ」

ああ、そうだったのか。珍しい苗字だとは思っていたが、なるほど、そんな人物が茶道部の部長なのか。

 いくらそういうことに疎い俺でも、虎姫という、その用語は知っている。だが、疑問は。

 「それがなんで厄介なんだ?」

 洲上は俺を二度見した。失礼な奴だ。

 「ななななんだって?茶道部を疑っているということは、天草先輩を敵に回すということだよ!彼女は表では礼儀正しい聖女のような顔をしているけど、裏では冷徹だという噂で持ち切りだよ‼」

 「だが、そうでもしないとこの謎は解けないだろう。それに、その天草という人に嫌われたところで、俺の学校生活が変わるわけでもあるまいし」

 「俺には影響するんだよ」

 やや取り乱した様子の洲上。こいつがここまで焦るのも珍しいな。

 「しかし洲上、そうでもしなけりゃこの謎は解けないだろう。俺にこの事件の解決を求めたのはお前だ。それに、何かあったら俺のせいにすればきっと、大丈夫だろ」

 洲上は顔が広い。そんな人間にとって一番回避すべきなのは、有力者との険悪関係だろう。それを避けたい気持ちはよくわかる。だが、そうでもしないと俺はお前に借りが返せずじまいになってしまうんだよ。

 しばらく洲上はこちらを見ていたが、諦めたようにため息をついた。

「ああ、怖いもの知らずというか無謀と言うか。まあ、そこまで言うならしょうがない。今度、こっそりと話を取り付けるよ」

 話がまとまったところで今日は帰ることになった。

下校しようと歩き、体育館角に差し掛かった。ここを曲がってまっすぐ歩けば、校門に辿り着く。

その角を曲がろうとすると、目の前に突然影が見えた。危ない、と思った時には、目の前にその陰の主が現れた。

 「わっ」

余りに突然のことで驚いて立ちすくむと、後ろを歩いていた洲上が軽くぶつかってきた。肩甲骨のあたりが少し痛い。

 鼻をぶつけたらしく、痛がる洲上に謝りながら、俺は鏡写しのように驚いた格好をしているその人を見た。背めで伸びた黒髪の、小柄な女子生徒――――。

 「あれ」

 春休みに四方田公園で話し、この前も保健室で見かけた女子生徒だ。俺はいまだに名前を思い出せずにいた。同級生なのは確かなのだけど。

彼女は真ん丸な目を更に真ん丸にしてこちらを見据えている。両手で抱えるように緑色の如雨露を持っていた。

 「ご、ごめんなさい!」

 彼女はやっと出したようなか細くも、はっきりした声を出した。

 「い、いや、こちらこそすまん」

 うろたえながら謝っていると、俺の背中から洲上がひょっこりと顔を出した。ぶつけた鼻を手で押さえながら。

 「やあ、星原さんじゃないか」

 鼻をつまんだような声で言う。痛めた鼻を押さえているからなのだが、ふざけているように聞こえる。

 ああ、と俺は心の中で唸った。星原祐紀。ホシハラユキ。確かにそんな名前だった。

 やっと名前を知れたことで胸に抱えていた靄が晴れ、誠に涼し気な気分になった。これがアハ体験というものか。

 「洲上君も、ごめんなさい」

 どうやら洲上の名前を彼女は認識しているらしい。

 「知り合いなのか」

 俺は小声で洲上に尋ねた。

 洲上は小さく頷く。

 「去年からクラスが同じだし、星原さんのお姉さんが父さんの会社の事務員さんなんだ。……って、江田も去年同じクラスだったじゃないか」

 同じく小声で指摘される。

 「それはそうなんだが」

 忘れていたとも言えず、口を噤む。

しかし、四方田公園の時も、さっき謝られたときにだって俺の名前は呼ばれなかった。あっちだって俺の名を知らないか忘れているのだろう。そこはお互い様だ。

 俺の方から星原の方に向いた洲上は、心配するでない、とでも言わんばかり星原に向かって手をひらひらと振った。

 「いやいや、こちらこそ。大丈夫だよ、ほら、もう治った」

 そう冗談めかす彼を見て、星原は苦笑いを浮かべた。そして、俺を上目遣いでおずおずと見た。最初から印象としては彼女は小柄だと思っていたが、こうして立っている姿をまじまじと見ると、やはり背は小さめらしい。俺は同じ歳の男子の平均身長より若干高いぐらいだから、こうも間近だと自然と上目遣いになるのだろう。ん、考えてみればこの距離、近いな。俺は彼女と同じように苦笑いを浮かべながら、一歩下がった。動かした足に風が当たり、ひやりとした。おや、こんな時期に北風かな。

 「江田君、その」

 呼びかけられ、徐々に後ろに動かしていた足を止めた。おいおい、どうやら星原は俺の名前を知っているらしいぞ。これではフェアじゃなかったな。

 しかし俺はさっき彼女の名前を知った。今なら対等だ。

 星原は如雨露を抱えるようにしていた両手の中から右手人差し指だけを取っ手から外して俺の方に向けていた。具体的に言えば、足の方に。

 「ん?」

 何事かと思い、指さされた方を見る。ああ、なるほど、俺の膝から下はずぶ濡れになっていた。恐らく彼女の持つ如雨露からこぼれた水がかかったのだろう。どうりでひんやりしていたはずだ。北風の悪戯ではなかったらしい。

 「ああ、大丈夫だよ」

 そう言って足を振る。なんか少し重たいな。

 星原はおずおずとハンカチを差し出してきた。ピンクの、かわいい刺繍入りだ。

 さすがにそれで足は拭けない。こっちが申し訳ない気持ちになる。

 「いや、大丈夫だ。歩けば乾くさ」

 こんな晴れ模様なのだ。それに、あとは帰るだけだし。

 そう思っていると、ポツン、と雫が頭にあたった。顔を上げて上を見上げる。木の葉の隙間から見える空を、怪しげな暗雲が覆っていた。今日は夕方から雨の予報だったんだっけなあ、ああ、今日は天気予報を見てきてなかった。傘も持ってきてないな。わあい。

 「どうやら簡単には乾かさせてくれないみたいだね」

 洲上が軽口を挟む。

 一方星原は慌てていた。

 「とりあえず屋根のあるところにいこ!」


 雨足は次第に強くなった。

俺たちは近くにあったプレハブ倉庫の軒を借りた。倉庫は茶室の奥の方にある花壇のそばに佇んでいる。軒は狭いので三人横に並んでしか入れなかった。その中でも俺は真ん中に入ってしまったので、狭苦しく、湿気で暑苦しかった。とはいえ贅沢は言えない。雨でさらに濡れた学生ズボンを手で払った。

「雨で濡れてしまえば、その前にどんな理由で濡れていたとしても、雨のせいにできるな」

俺が呟くと、髪に雨粒を乗せたままの星原がこちらを見た。

「じゃあ、雨に感謝しなくちゃだね」

 彼女は口先では冗談のつもりなのだろうが、心の中では明らかに救われた、と思っているようで、先ほどと比べて明るい表情をしていた。口元は緩んでいる。きっとこの子は優しい子なのだろう。

それにしてもこいつは、春休みに俺と解いたあの三竦みの謎の話題も、そういったことを感じさせる素振りも、微塵も出さないな。もしかして忘れたのか?

「そうそう、漏らしても雨のせいにできる」

ここで魔物が口を挟む。鼻を小突いて黙らせた。

そんな俺たちの様子を見てくすくすと笑っている星原の足元に如雨露が置いてある。体育館の角で会った時から持ち運んでいる。俺の目線に気づいたのか、彼女は口を開いた。

「私、園芸部だから、当番の時は花壇に水をやっているの」

なるほど、だから如雨露を。

「今日は水やりする必要もなくなっちゃったけど」

まだ雨の降る空を見上げて、そう付け加えた。

その横顔を見て俺は、奇妙な感覚に陥った。なんだこれは。奇妙で心地悪い。これはいつかもどこかで感じたような。

それが何なのか分からずに考えていると、星原の声が聞こえてきた。

「二人はどうしてあんなところに?」

俺たちは顔を見合わせた。正直にしゃべるわけにもいかない。何しろこれは秘密裏に調査していることだからだ。少し考え、近からず遠からずな言葉を選ぶ。

「調べ物をしててな」

「へえ」

そう言ってまじまじと俺と洲上を見比べる。

「生物部だったの?」

俺たちは揃って噴き出した。なるほど、あんな草木しかないところで調べ物と言われれば、確かに生物部が真っ先に浮かぶ。

星原はなぜ笑われたのか分からずに軽く口を開けて目をパチクリさせている。

「いや、すまん。生物部じゃないんだが、その、なんだ。部活とは関係なしに調べ物をしててな」

笑いながら訂正する。彼女は納得しような、しかしどういう意味なのか分かっていないようだったが、誤魔化せればそれでよかった。

何か答えなければならないという義務感を感じたのであろう、彼女はこめかみを細い一本指で掻いて言う。

「つまり、その、勉強熱心なんだね?」


三十分も経たないうちに、雨は上がった。どす黒い雲はいつの間にか消え去り、光が差し込んできた。やっと帰れるな、と晴れ渡る空の下で考えた。足はまだ濡れているが、問題ないだろう。今日はもう帰るだけなのだから。

洲上はぐっと伸びをしていた。星原はというと、隅の側溝に如雨露の水を流していた。きらきらと光が反射し、小さな虹が出来ていた。彼女は虹を作っているのだなあ、と、詩人のように情景を示すが、俺にはあまりセンスがないらしい。

如雨露の水がなくなると、虹も消えた。

「じゃあ、俺たちは帰るよ」

洲上が言い出した。それを聞いたとき何故か、俺は帰りたくない、と思ってしまった。何故かはわからないが、今、この空間がとても居心地のいいものに感じられたのだ。

しかしそうも言ってられない。もうすぐ日も暮れるだろう。早めに帰らなければ、暗い中を歩かなければならないことになる。それはすっこし面倒だ。

俺は同意するように頷いた。

如雨露を抱えた星原はこちらに笑顔を向けた。

「私はこれを返してくるから、ここで。じゃあ、気を付けて」

これ、とは如雨露のことだろう。学校の備品のようだ。

「ああ、また今度」

また今度、何故このときそんなことを言ったのだろう。別に友達関係でもなければ、ましてやさっきまでまともに話したこともなかったのに。社交辞令といえばそれで通るのだろうが、そんな柄でもないのに。

洲上は俺の言動を目ざとく聞いていたようだ。

校門を出たところで、冷やかすように話しかけてくる。

「どうしたんだい、江田。また今度、なんて俺にも言ってくれたことないのに」

ああ、そうだ。今の今まで言ったことはないと思う。なぜだかおかしくなって、乾いた笑いが浮かんだ。それは自嘲の笑いだった。

「ああ、らしくないな」

ただそれだけ、洲上の方を見もせずに言った。


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