捜査−1
夕方、事件に動きがあった。といっても『全件送信ラブレター事件』ではない。以前より報道されていた、手掛かりなしの殺人事件だ。容疑者が見つかったらしい。田村洋介。どうやら被害者の同僚らしい。まだ犯人ではなく、容疑者だが、夕飯を暢気に食べながらテレビを眺めていた俺は、安心した。近場で起こった殺人事件が解決に向かっている、という事実そのものにもだが、前に洲上に言われた、「俺たちで解決しよう」なんていうあの一件があるからだ。事件はもうすぐ解決する。そうすればやつもあんな馬鹿なことは言い出すまい。
「捕まったらしいな」
翌日放課後、2組に訪れていた洲上に言うと、彼は肩を竦めた。
「まあ、容疑者だけどね」
とのこと。しぶとい野郎だ。
「それに、容疑者は否認しているからさ、まだ解決じゃないよ」
「犯人だって最初は否認するだろ」
「それはそれ」
へい、そうですか。
事件と言えば、こちらの事件を考えなければなるまい。昨日の放課後も、また一人被害者が出たという。6組の立花。
「立花。たしかそいつも」
「うん、3組だった」
ここまで来れば狙われているのが元3組であることに間違いないだろう。しかもご丁寧に名前順に。しかし問題は。
「なんで江田には何にもなかったんだろう」
である。それは昨日から考えていたが、さっぱり身に覚えがない。というより、犯人の目的が分からないから、自分が外された理由も分からない。
「やっぱりただの悪戯なんじゃないか」
諦めよう、と言い出した俺を洲上は目を細めて見据える。
「こんな悪戯、普通しないよ。何か理由があるに違いない」
お前さんに普通じゃないと言われれば、相手もさぞ名誉だろうよ。
「だから、普通じゃないやつの狂行につき合わされてるだけなんだろ」
俺は早々にこの解けそうもない謎から逃げ出したかった。しかし好奇心の魔物は俺を逃がそうとしない。
がみがみとあれこれ言ってくる魔物を前に、俺は最終手段に出ることにした。
「そこまで言うなら仕方ない。現場に行って、観察してみようじゃないか」
洲上はきょとんとした。
「現場?」
そう、現場だ。
「犯人は体育館裏に呼び出しているんだろう? もし本当に単なる悪戯じゃないのなら、もしかしたら呼び出すことに何か意味があるのかもしれない」
靴を履き、外に出る。二人ともバッグは持ってきた。いつでも帰れるように。
昇降口を出て右側に体育館はある。体育館は北棟と同直線状に並んでおり、北棟の昇降口から右方の体育館の方に真っ直ぐ向かい、体育館の角を右に曲がれば、体育館裏に着く。その道を、二人で歩く。
右手に体育館が見える。部活の真っ最中だろうか、ボールが床に激しくうちつけられる音や、キュッキュッとフローリングとゴムの擦れる音がする。続いて掛け声のような喧騒が幾つも、折り重なって聞こえる。体育館特有のにおいが鼻をくすぐる。窓は高い位置についており、こちらから覗き見ることはできない
「青春、って感じだね」
無理だと分かっているだろうに、懸命に背伸びをしてまで体育館を覗き込もうというような素振りをしていた洲上が、呟く。
「ああ、素晴らしいことだよ」
見もせずに俺が言うと、奴はこっちを向いた。
「なんで江田は部活に入らなかったの?」
少し考える。
俺は中学まで陸上部に入っていた。足は遅くはなかったが、飛び抜けて早い方でもなかった。
「敵わないと分かったからだよ」
「誰に」
同じ陸上部に、県でもトップクラスに早い奴がいた。そいつとは小学校も同じだった。小学生の頃は確か俺と同じくらいだったと思う。あの頃はライバル関係だった。だがそいつは中学に入るとめきめきと頭角を現し始めた。
「誰でもいいだろ」
俺が目を細めてそう言うと、洲上は口を閉じた。
気づいたのだ、俺は普通の人間だということに。勉強も運動も普通。これといった才能もない。才能のある人間との差に、当時中学生だった俺は絶望に似た何かを感じていた。それは今もなおだ。結局自分は普通で、普通なりのことを細々と生きていかなければならないのだ。
俺は奴に聞き返した。
「お前こそ、なんでだよ」
洲上は即答した。
「やりたいことが部活じゃないからだよ」
それを聞いて、首を傾げた。
「ほう、何か趣味でもあるのか」
「趣味、うん、そうだね。部活みたいな、青春を謳歌するようなことも、悪いとは言わない。寧ろ、いいことだと思う。ただ、なんというかな」
ここで奴は少し考えた。
「このスポーツをやって、優勝したい、とか、勝ちたい、って人もいると思うんだけど、中にはそうじゃない人もいると思う」
何が言いたいのか、まだ伝わらなかった。
洲上は続ける。
「他にやることもないからただやってる、やる気はそんなにないけどただやってる、そんな人もいるんじゃないかな。ただ、それはもったいないなって思う」
なぜだかギクリとした。俺が話題に上がっているわけでもないのに。
「つまり、ただやるだけの部活に入る意味はない、だから入らない、というわけだ」
俺は解釈を言葉にした。
洲上は頷く。
「そうだよ。俺は部活より他にやりたいことがあるんだ」
四年の付き合いだが、こいつのいうやりたいことというのが何なのか知らなかったし、分からなかった。しかし、わざわざ聞くつもりはない。それは彼なりの秘匿事項なのだろうから。じゃないとこんな回りくどい言い方はしないだろう。
「ただやる部活、か」
俺は心を擽られた気がした。今のところ、俺はただ生きてはいないだろうか?時の流れるまま、その流れに身を任せて。
考えているうちに、体育館裏に着いた。足元には特に管理もされていないような生え方をした芝が蔓延っており、この場所を周囲からまるで覆い隠すようにあたりに木が生えている。小学校でも見かけた気がするが、これが何の木なのかを俺は知らない。
あたりをキョロキョロ見回していた洲上が口を開く。
「んー想像はしてたけど、何にもないね」
彼の言う通りだった。あるのは体育館の白い壁と、緑を帯びた木々、そして学校の端にひっそりと立つ和風の建物。これは茶室と呼ばれていて、茶道部が部活で使うところらしい。入ったことはない。こちらに見えている壁に窓がついているが、明かりは点いていないようだ。
「今日の被害者は、まだ来てないのかな」
洲上が不意に言う。
確かにそうだ、今ここで鉢合わせても何らおかしくない。
だが、もしかしたら、という考えが俺にはあった。
「来ない、という可能性はないか」
俺の言葉に、洲上は怪訝な顔をした。
「どうしてだい?」
おや、と思い洲上に尋ねる。
「あれ、元三組の奴に触れ回っちゃあいないのか」
こいつは噂好きだ。「悪戯のラブレター犯罪が横行している」なんて言って回って、次の被害者は引っかからない、という事態に陥っているのではないかと思ったのだ。そうじゃないにしても被害者から情報が出回ることも大いにあり得る。
洲上は首を横に振った。
「そんなことしたら、事件が終わっちゃうかもしれないでしょ。これまでの被害者にも口封じはしといたし、大丈夫だと思う」
なるほど、そのあたりのことは抜かりなく対処しているらしい。こいつの言う通りにことが運んでいれば、被害者たる生徒が「ひゃっほう」と叫びながらこの場に躍り出るはずである。しかし。
「来ないな」
いつまで待っても誰も来なかった。別に待つ必要はなかったのだが、気にはなったので二人して待っていた。
「今日は誰が被害に遭う予定なんだ?」
隣にいる洲上に聞く。
「順調にいけば、五組の富田だよ」
「たしか富田は」
「サッカー部だ」
俺の考えていることがわかったらしい。示し合わせるように俺たちはグラウンドへと向かった。
日差しを浴びて、黄色く光る砂の地帯。春とはいえ、こんな中で走り回っていれば汗が止まらないだろう。グラウンドの一部、サッカー部の縄張りには色とりどりの練習着に身を包んだ選手たちが散らばっていた。
「いるな」
「うん、いる」
そこには、練習に打ち込む富田の姿があった。彼は長身で、ゴールキーパーをやっていたのですぐにわかった。
俺たちは、富田が学校を休んでいるという可能性を感じたのだ。休みなら、体育館裏に来ることもない。だが、彼は学校にいた。
俺は一つ、閃いた。
「これまでの被害者は何人だったか」
「えっと、五人だよ」
五人、なるほど。ギリギリ足りるな。
「事件は始業式から始まっているんだな?」
「ああ、そうだけど」
たしか、始業式は月曜日だった。そして今日は一週間後の火曜日。
「始業式から今日まで、平日は七日あった。なのに今日までで被害者は五人だ」
洲上はハッとしたようだった。
「そうか! どこかで一日飛ばされているのか!」
俺は頷く。
「二番目に被害に遭った木山に聞けば恐らく分かるだろうが、俺の考えでは一週間前のこの日。火曜日だ」
洲上がえっ、という声を上げた。
「どうしてそう思うんだい?」
「これは犯人の正体に関わる重大な事実であり、それでいて尚且つ俺の推論に過ぎないのだが」
ここで言葉を切る。洲上は、続きを急かすような顔をしている。だが、
「これを言うなら、体育館裏に戻った方が分かりやすい」
洲上はきょとんとしたが、何も言わずに歩き始めた。