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春の歌  作者: えぎゅぇあぅたr
4/20

勃発−2

しかし、勘違いしていたのは俺の方だった。と言っても、「クラスが突如合併し、同じクラスになりました」というわけではない。

昼休み、奴はひょっこりと我が2組に顔を出したのだ。そのにやけ顔を見たとき、俺は悟った。そうか、奴は俺に会いに来るつもりで昨日ああ言ったのか、と。

教室に入ってきて俺の席にたどり着くまでの間、洲上は何人かに声をかけられた。奴は結構有名だ。と言っても、この学校の中での話だが。「なんだかおもしろい奴」で通っているらしい。

不意に、ぞくりと寒気がした。別に奴に対して感じたわけではないが。

奴は俺に話しかける。

「やあ、あれ、どうしたの。マスクなんかして」

寒気を感じたのは、体調のせいだ。朝から頭痛、寒気に冒された。といっても軽いものだったし、新学期早々休むわけにはいかなかったので、こうしてマスクを装着しての登校となり、4時間目までを受けた。が、限界が来た。

そうだ、昼休みに保健室に行こう、そしてゆっくり休もうじゃないか。4時間目、古典の時間、『管鮑の交わり』の書き下し文を眺めながら俺はそう計画していたのだ。だがその直後に、満を持しての彼の登場である。もはや俺の頭の中がこいつには透けているんじゃないか、そうか、こいつは俺に嫌がらせがしたいんだな。熱で朦朧とした頭はそう答えをはじき出した。しかし、俺は屈しないぞ。

「朝から風邪っぽくてな。今から保健室に行きたいんだが」

好奇心の魔物はきょとんとした顔をした。

「そっか、そんな時期だもんね。立てるかい?」

そう言って俺を立たせる。

おや、と思った。

魔物が俺を助けてくれるようだ。不思議なことがあるものだ。

ぼやけた頭ではそうとしか感じなかったが、どこからかふっと湧いて出てきたような冷静さはそれを否定した。彼は魔物は魔物でも好奇心の魔物であり、今まで決して薄情モノではなかったのだ。


保健室は北棟一階の最東端にある。目の前の廊下を右に行けば体育館に続く渡り廊下に、左に行けば昇降口や職員室へと続く。

俺たちの教室は南棟にある。というか、普通教室は全て南棟にある。一年一組から、三年九組まで。南棟が通称教室棟と呼ばれる所以だ。では北棟には何があるのか、というと、先ほど説明した保健室や職員室はもちろん、理科室や音楽室など、要するに普通教室以外の部屋があるのだ。

北棟と南棟はそれぞれ三階建てで横長な建物が並行するように並んでいる。一階と三階にはそれぞれ二本ずつ渡り廊下が架けられていて、その下の緑豊かな場所が、中庭と呼ばれている。昇降口は北棟にあるので、生徒たちは登校時は通常、北棟から入り、渡り廊下を通じて各々の教室へと向かう。下校時はその逆の道順で、教室から渡り廊下を伝って北棟に行き、昇降口から外に出る。俺たちは教室棟から保健室に向かうため、下校時の流れと同じ道筋を通っている。南棟の東側階段を一階に降り、近くの渡り廊下を通じて北棟へと向かう。三階の渡り廊下を使う手もあるが、俺たちの教室がある二階からでは、遠回りになってしまう。

というわけで俺たちは今、一階の渡り廊下を並んで歩いている。

両側がガラス張りの渡り廊下には、暖かな日差しが舞い込む。もうすっかり春模様なご様子。ああ、もう春なのだなあ。

春と言えば、季節だ。それは当たり前だが、季節と言えば、だ。

俺は少なくとも年に四回は保健室に行くことになっている。行くことになっている、というのは語弊にあたるが、間違ってはいない。というのも、俺は季節の変わり目になるといつも風邪をひく。決まって、毎年だ。いや、確か小学五年の夏はひかなかった気がする。それは例外として、毎季恒例のように体調を崩すのだ。洲上は中学からの四年の付き合いだから、この性質を把握している。彼の先ほどの、「そっか、そんな時期だもんね」はそこに起因する。

そういうわけで不名誉なことだが、俺は保健室に行き慣れている。だから保健室の裕子先生ともすっかり顔馴染みだ。彼女は見たところ若く、二十代前半であろう。推測であり、直接聞いたわけではない。女性に歳を聞くのが失礼なことだということは十分に知っているつもりだ。

 先生とは何回も話したことがある。暇な時間なのか、ベッドに横たわる俺に他愛もない話を持ち掛けられることがあるのだ。はて、目上の人間に他愛もないというのは些か失礼か。

 俺には6つ年の離れた憎き姉がいるが、恐らく先生と同じくらいの年齢だろう。そんな話を先生にした時もあった。確か最近だ、去年の冬じゃなかったか。

 「ふーん、たぶん私よりは年下かもね。私にもお姉ちゃんがいるんだけどさ」

 確かそんな風に話が続いたと思う。先生は、白い、保健室に似合うマグカップを口元に傾けることを幾度か挟みつつ話していたと思う。学校で、好きな時にコーヒーが飲めるのはうらやましいなあと思いながら聞いていた記憶がある。

詳しくは覚えていないが、その姉には同棲している彼氏がいて、そいつは同じ会社の同僚で、みんなには秘密にしていて、なんて話がほいほい出てきたと思う。俺はその姉を知らないのだが、身内の話をほいほい出すのもどうかとは思った。しかも生徒に。

その親近感のあるキャラクター性や、年齢を別にしても目を引くほどの美貌もあって、生徒からの人気は高い。そのため彼女は諸生徒から苗字の小野ではなく、裕子先生と下の名前で呼ばれている。

 保健室はそう広くない。教室の半分ほどか。ほとんど毎日開けっ放しの保健室の扉から覗くと、そんな学校のアイドルが部屋の中央のテーブルにつき、すらりと長い足を組んで何やら書き物をしていた。向かいには女子生徒が座っている。この女子には見覚えがある。確か、春休みに四方田公園で話した娘だ。やっぱり同じ高校だったんだな。元三組の、……ああ、誰だっけな。先生は書き物をしながら、その生徒となにやら話しているようだった。声が小さくて、何を言っているのかは、この距離では聞こえない。

こんにちは、と声をかけると、先生はすぐに顔を上げた。女生徒はこちらに真ん丸な目を向けてきた。この前と変わらず黒く長い髪だ。こうして制服で見ると、どこか儚くて、楚々とした印象を受ける。

彼女はこちらを呆然と見ていたかと思うと、慌てて立ち上がった。そして早歩きでこちらに歩いてきた。何事かと思い心の中で身構える。彼女は一瞬こちらをちらりと見ると、すぐに先生の方に振り返った。

 「そ、それじゃあ、お、あ、小野先生、また今度」

 か細く、透き通った声でそれだけ言うと、俺の横を通り抜け、開けっ放しの扉から逃げるように出て行った。なんだろう、この間の推論のことを、根にでも持っているのだろうか。もしかして嫌われたのかな。

 先生はそれを眺めていたが、あまりの彼女の行動の速さに、言葉を返す暇もなかったようだ。そしてこちらに目が向いた。それに合わせてその小さめの顔がこちらに向く。人懐こい大きな二重の眼が俺の姿を捉える。髪は長くも短くもない、セミロングと言えばいいのか。ほんのり茶に染まっている。白肌の先生がフッと笑った。

 「もうそろそろ来る頃かと思っていたわよ、江田君。今回も風邪のようね?」

 毎度毎度来る俺にはもう慣れたようだ。はい、と答えながら保健室の中に入る。洲上も続く。付き人を見て、あら、と声を出す先生。

 「今日は洲上君もかしら」

 どうやらこいつも病人なのかと勘違いらしい。洲上はにやけ面で否定する。

 「俺はこいつみたいに脆弱じゃあありませんよ、先生。こう見えても、体力には自信がありますからね」

 脆弱と言われると腹が立つが、確かにこいつは体力がある方ではある。帰宅部だが、趣味はランニング。中学の頃は駅伝の助っ人に駆り出されていたほどだ。彼曰く、体力は万物に対する資本だ、と。

 彼の言葉を冗談と受け止めたのか、先生は微笑みながら返す。

 「確かに、江田君も体力つけて、風邪に負けないようにしないとね」

 正論だ。ぐうの音も出ない。

 一通り馬鹿にされたところで熱を測った。やはり熱が出ているようだ。次の五時間目の終わりまで休んでいくことになった。

 「いいな、俺も休みたい」

 などと洲上はうだうだごねごねしていたが、無駄なようだった。病人以外が寝ることをきっぱり断る裕子先生。お見事です。

 失礼しましたーと洲上が出ていくのを、保健室の壁際に設置してあるベッドに横たわりながら見送った後、俺の頭は限界を迎えた。柔軟剤の香りと、柔らかなシーツが全身を包み込む。保健室のベッドは、寝るには最高の環境だ。

眠気交じりの頭の中には、先ほどの女子生徒の顔が浮かんでいた。はて、彼女の名前は何だったか。思い出そうとしても、睡魔がそれを遮るように思考を横断する。ああ、駄目だ。ひとまず眠ろう。 

そのまま睡魔は、俺を眠りの淵へと引きずり込んだ。


 チャイムの音で、目が覚めた。目を開くと視界に映りこんできたカーテンに思わず、あれ、ここどこだっけ、とボケが入るが、すぐに思い出す。そうだ、保健室で寝ていたんだ。

 今まで起こされた記憶がないということは、今のが五時間目終わりのチャイムか。 

体を起こす。少し寒気はあるが、頭痛はない。随分よくなったようだ。

 白いカーテンをそっと開くと、保健室の全景が見えた。裕子先生は、俺が今日この部屋に入ってきた時と同じような場所と格好で、これまた同じく書き物をしていた。変わっているのは、手にマグカップを持っていることくらいか。先生の左手薬指に、何かきらりと光った気がする。おや、あれは、と思い始めたとき、先生は持っていた黄緑色のマグカップをテーブルに置いた。

と同時に、こちらに気づいたようだ。目を向けてくる。

 「起きたのね。もう五時間目の終わりだけど、大丈夫?いけそう?」

 もう体調は大丈夫だと思う。心配がちな声に励まされながら、頷く。

 「はい、大丈夫みたいです」


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