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春の歌  作者: えぎゅぇあぅたr
2/20

プロローグ−2

三日間は外に出ていなかった俺には、春の太陽はまぶしすぎた。

やっぱり断っておけばよかったかな。玄関を出て数歩目で、俺の頭の中では後悔の二文字がマイムマイムを踊っていた。後悔は物事に先んじて立つことはないということは猫の寿命ほどの我が生涯における経験上承知していたはずだが、目先の報酬に目が眩んでは後に立つそいつを遠目から見やることもできなかった。欲情遠近法とでも名付けておこうか。

住宅街から一歩出て、しばらく歩けば県道に出る。その県道を左に折れて、そのまま道なりに進めば、右側に四方田公園が見えてくる。道順は簡単だ。ただ、距離はとても長いのだが。

三寒四温と言うだけあって、春の気温は変わりやすい。この間まで肌寒さを感じるくらいだったのに、今は割と暖かな、過ごしやすい空気が街を包んでいた。俺が外に出ていなかった間に、世の中はこんなに春になっていたのか。乙女心と秋の空のグループに、春の気温も仲間入りさせてやりたいものだ。

浦島太郎になったような気分で歩いていると、予定通り県道に出た。春休み、しかも桜前線真っただ中のこの日、交通量はいつにも増して多いような気がする。縁石と垣根を隔ててすぐ横を通る車は、後を絶えない。今日こんなに暑いのは、この車たちの熱気と排気ガスが大きく要因となっているのかもしれない。

目的地に向かう道の途中でも、桜の木を何本か見かけた。どれも見事に咲き誇る者たちばかりだった。桜先輩、どうも、お久し振りっす。

四方田公園の目の前に着いたのは、家を出て三十二分後のことだった。予定より少し遅かったが、まあ、誤差だろう。

四方田公園北口から、中を見やる。入らずとも、俺には分かった。いや、恐らく、誰の目にも分かるだろう。四方田公園は、人でごった返していた。所狭しとブルーシートが敷き詰められ、もはや推定もできないほどの人がそこにいた。さすが全国でも花見の名所としてその名を轟かす四方田公園、といったところか。

これじゃあ今日明日行ったところでたぶん場所はとれんぞ姉貴よ。俺はこのことを報告しようか、と考えたが、辞めた。

「じゃあ場所はとってきてもらえたのよね?なに、とってない?なんてこと、お小遣いは没収よ!」

心の中に鬼を垣間見た。十分あり得ることだ。春だというのに、俺は震えた。

出店が来ているというのなら、見ていかない手はあるまい。そう思い、俺は公園の中に足を踏み入れた。通路となる部分は場所どり禁止なのか、歩くためのスペースは十分に確保されている。だが、溢れんばかりの人混みのせいで、そこを通るのは容易ならざるものだった。そこをなんとか通り抜け、公園中央部に出ると、出店の列ができていた。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。わたがし、たこ焼き、フライドポテト、林檎飴、おや、射的や金魚掬いまで出ているのか。まるで縁日だな。

まだ朝の十時だから、すごくお腹が空いているわけでもない。しかし、小腹が空いていないわけでもないし、せっかく来たのなら少しくらい楽しもうではないか。小遣いも貰ったことだし。

そう思いながら出店街を物色する。フランクフルトがいいか、いや、イカ焼きも捨てがたいな。おや、牛串ステーキなる物もあるようだ。うーん、どれにしようか。

優柔不断が売りの俺だ、ここでも遺憾なく発揮していると、目の前に広がる通路の隅に、見覚えのある姿を見つけた。

俺は今、幅五メートルほどの、土の通路を歩いている。この公園は緑の芝生が全体を覆っていて、通路だけが、バリカンでラインを付けたように土になっている。俺から見て左側の通路方に出店が並んでおり、通路を挟んで逆側は芝が広がっている。この通路と右側の芝の境目には、いくつか背もたれのない石の長椅子が等間隔に設置されており、その中の一つに、そいつは座っていた。

顔は覚えている。だが、名前は思い出せない。黒い背中まで伸びた長髪の、小柄な同い年の女の子だ。服装は至って普通で、上は白い半そでのブラウス、下はデニム地のスカート。すぐ横に浅緑のケリーバッグを置いている。そいつは椅子に腰かけ、食い入るように目の前をじっと見ている。何か考え事でもしているのか。その娘は一人で座っていた。

気にはなったが、なにぶん話したことはあまりないと思う。同じクラスだったのは間違えないのだけれど。話しかけるのも憚れる、そんな距離感の知り合いな気がする。

俺がその少女を見ていると、突如彼女の頭がゆっくりと横に回るように動き出し、こちらに向いた。丁度見ていたものだから、目が合ってしまった。

あちらも俺が顔見知りだと気付いたのだろう、一瞬瞳が大きくなったかと思うと、ぺこりと頭を下げてきた。それに反応して、俺も思わず小さく会釈する。やはり知り合いか。そのまま無視するのもなんだ、俺は名前を知らない顔見知りに歩み寄った。

「どうしたんだ、考え事か?」

俺がそう聞くと、彼女は慌てたように口を押えた。

「え、私、変だった?」

透き通った、鈴の音のような声だ。よほど恥ずかしかったのだろうか、顔を赤くしている。

俺はなんだかおかしく思えて、我慢したような笑いが顔から溢れてきた。

「ああ、ずっと一点を見つめてたから。なにか考え事かなと思って」

よく考えればこんな騒がしいところにわざわざ来て考え事なんて、おかしな話だったが、十人十色、人生色々。このようなうるさい場所の方が落ち着く人もいるだろう。

「考え事というか、あれを見てて」

そう言って彼女は出店の方を指さす。つられて見れば、フライドポテト屋の前で、三人の男が屯っているのが見えた。三人は見たところ俺たちよりは年上で、二十代前半と言ったところか。それぞれ赤、青、黄のシャツを着ている。信号機?

「あの人たち?」

俺の問いに、彼女は頷く。

人様を指さして「あれ」呼ばわりとは、失礼な奴め。そうは口に出さず、続けて聞いた。

「それが、どうしたんだ?」

三人の男が、フライドポテト屋の前で立ち話をしている。それの何が、あんなにみつめるほど面白いのか。

「ちょっと、あの人たちの話を聞いてみて」

おいおい、あれ呼ばわりの上に盗み聞きかよ。

だがまあ、なにか面白いことでも話しているのだろうか。なら聞いてみても悪くはないだろう。三人組の話に耳を傾ける。

「そうです、確かあのゲーム流行り出したころで、みんなも本業そっちのけではまっちゃってたんですよ」

と赤シャツの男。

「だからお前は同じ轍を踏んだんだよ」

と青シャツ。続いて黄色シャツの方を向く。

「ね、そうですよね先輩」

 喋っている青シャツを、赤シャツが渋い顔で見ていた。

「あ、なんだ?嫌味か貴様あ」

と黄シャツ。彼は赤シャツに向けて

「あれ、結構流行ってましたもんね、確か一年目でしたっけ。やっぱり俺の周りもみんなやってましたもん。あとでこいつ懲らしめちゃいましょうよ。昔からこいつ、生意気なんですよ」

「え、それお前だけでやってくれよ。さすがにちょっと」

と赤シャツ。

それに対して青シャツは黄色シャツに言う。

「こいつは俺には逆らえませんよ」

そのまま赤シャツを見て、「なっ?」と同意を求める。

「……はい」

暗い様子の赤シャツ。黄色は不思議そうに青を見た。

「折角だし、とりあえず出店回ってみません?先輩のおごりで」

すると青が、そんな黄色に提案する。

「ああ、すまん、今月俺、ピンチなんだよ。まあ、油断してた俺が悪いんだけどさ」

と黄色。

「冗談ですよ。今俺、懐温かいんで、気にしないでくださいよ。な、健二、お前にも奢ってやるよ」

と青が返す。赤の名前は健二と言うらしい。健二は小さく返事した。

そう話しながら、彼らはどこかに去っていった。

ふむ、たしかに、これは、変だ。

「ね、変でしょ、なんだか」

確かに変だ。だが、何が変なんだ?違和感はある。だが……。

あ、と気が付いた。

「敬語か」

「うん、そうだよ、それ!」

俺は別に敬語の使い方を指摘したのではない。それほど手厳しい性格をしている自信はないし、彼女も恐らくそうだろう。

違和感は、彼らの言葉遣いの食い違いにある。  

すこし、整理しよう。赤シャツは青シャツに敬語を使っていて、青シャツは赤シャツにため口をきいている。青は黄に敬語をつかい、黄は青にため口。そして黄は赤に敬語、赤は黄にため口。つまり。

「じゃんけんみたいになっているのか」

そう、三人は、言葉遣いの観点で、三竦みになっているのだ。

黒髪の彼女は、嬉しそうに手を打った。違和感の正体が晴れて、喜んでいる様子。だが、首を傾げた。

「なんであんな関係になってるんだろ」

ああ、それは確かに。一体何がどうなったら三竦みの上下関係が出来るのだろうか。

うーん。

「赤は黄の先輩で、黄は青の先輩で、青は赤の先輩……」

駄目だ、矛盾している。高校生の俺の中じゃ上下関係は年齢の上下に依存するものだが、社会人ではそれは適用されないんだろうな。とは言ってもこんなきれいな三竦み、考えられないぞ。

考えていると、頭がこんがらがってきた。

「うーん、そうだな、なにか、書くものはないか?」

紙に書いて整理したかった。

彼女は、「えっと、確か」と言いながら、傍らに置いていたケリーバッグを開き、中を漁り始めた。

「あった」

彼女が取り出したのは一本のボールペン。例を言って、うけとる。

「紙がないな」

黒髪の彼女は、「紙はもってないんだ」と小さく呟く。

あたりを見回す。あるのは出店だけ。紙は、紙はないか。

ふと、たい焼きの文字が目に飛び込んできた。

「ちょっとまっててくれ」

俺はそう言うと、出店の方に向かった。

幸いにも、たい焼き屋には誰も並んでいなかった。三百円の、こしあんのたい焼きを買う。頼んで出来上がりを待ってる間、ふと俺は思った。はて、なんで俺はこんなことしてるんだっけ?

受け取り、戻る。彼女は行儀よく座っていた。

「半分やるよ」

たい焼きを半分にちぎり、一瞬迷って頭の方を差し出す。

「え、あ、ありがとう」

彼女は困惑しながらも受け取り、言葉を継いだ。

「なんでたい焼きを?食べたかったの?」

その問いに、俺はたい焼きの包み紙を差し出して答えた。

「これで書く紙が出来た」

たい焼きを食べ終え、俺は座っているベンチを下敷きに、調達した紙に書き始める。興味深そうに彼女は覗いてくる。

「三人の上下関係は、三竦みだった。お前はなぜこんな関係になったのかを知りたい。そうだな?」

彼女は、頷く。

「じゃあ、あの三人がどういう関係なのかをはっきりさせないといけないな」

紙に、赤、青、黄と三角形になるように並べて書き、赤から青、青から黄、黄から赤に向けて矢印を記す。この矢印は、誰から誰に敬語を使っていたのかを示す。

「まず前提として、見た目を考慮して彼らは社会人ないしは大学生だと思われる」

彼女が二回頷く。

「そうだね、そのくらいの歳だったと思う」

「そして、そうだな。黄色のシャツと、青のシャツは、昔からの知り合いだ」

「ええ、そう言ってた」

「しかも、昔から、ということは、だいぶん前から、つまり、高校生か中学生のころからの知り合い。ん、ということは、黄色は青より年上か」

「そう、なるの?」

「ああ、そのころからの付き合いで敬語が定着しているということは、昔から敬語を使うような関係、つまり黄色は青の先輩なんだ」

「なるほど」

「そして言えるのは、赤は少なくとも青とは最近知り合った」

「え、なんで」

「こいつ、昔から生意気なんですよ。と黄色は言っていた。赤は青の昔を知らないんだ。だから教える必要があった」

「はあ、なるほど」

「そして、赤が言っていた本業という言葉が気になるな。彼らは社会人で、その仕事のことを指しているのだろうか」

「でも、学生の本業は勉強だっても言うよね」

ああ、そうか、そうとも言えるな。ならまだ判断はつけがたいな。

「青シャツは、赤シャツに何と返してたか」

「えっと、同じ轍?うーんと、だからお前は同じ轍を踏んだ、みたいなことを言ってたかな」

「ということは赤シャツは何かを失敗したんだ。同じ轍を踏む、誰かと同じ失敗をしたということだな」

「え、自分で同じ失敗を二度繰り返すって意味じゃないの」

彼女は素っ頓狂な声を上げた。

「元々は前車の轍を踏む、前の車と同じわだちを通るって意味だ。だから、正確に言えば誤用だが、そうだな、彼が誤用の意味で言った可能性もあるな」

「へえ、どうだったんだ。そのあとは、えっと、ね、そうですよね先輩。と黄色の人に言ってたと思う」

「やはり、黄色シャツは青シャツの先輩か。そして黄色シャツは」

それにしてもこいつ、記憶力がいいな。

「嫌味か貴様、と言ってたかな」

「そうか……」

そして黄色は、「あれ、結構流行ってましたもんね、一年目でしたっけ。やっぱり俺の周りもみんなやってましたもん。あとでこいつ懲らしめちゃいましょうよ。昔からこいつ、生意気なんですよ」と言っていた。それに赤が何かを答えていたようだった。それに対して青は、こいつは俺に逆らえない、といった感じだったか。それに赤シャツが、はい、と返事をした。そのあとは、生意気そうなあの青が、黄色に対して、奢ってとせびっていたな。あとは黄色が、ピンチだとか言っていたな。それで青は、自分は今金があるから大丈夫だ、と。

「なるほどな。ところで、青シャツが言っていた、あのゲームとはなんだろうか」

「ああ、それなら、なんだったっけ、前に随分流行った、あのパズルゲームの」

「そう言ってたのか」

「うん、ちょっと前に」

そうか、そういえばこいつ、俺が来る前から連中の話を聞いていたのか」

「俺が来る前、奴らはなんて話してたんだ」

彼女は少し考えた。

「うーん、話の内容よりも、あの人たちの関係が面白くて……。そのゲームのことは話してたと思うけど」

どうやら忘れてしまったらしい。それは困った。

ふむ、ならば、さっきの会話から、答えを導き出さなければなるまい。

見たところ彼らはほとんど同じ世代だった。黄色が青より年上なのは確定としておこう。黄色と赤の歳関係はまだ分からない。黄色が敬語を使っている分、もしかしたら赤の方が年上かもしれない。だが、そう考えると青は赤の年上になり、おかしくなる。あ、でも、そうか。

「年下に敬語で話すのは、どんな条件が考えられる」

「うーん、初対面とか、会って日が浅いとか」

「それだと、あれだな。年下の方も、敬語で話すことになる」

「じゃあ、お互いに相手の歳を知らないとか」

俺は首を横に振る。

「二人きりの場合はそれが成り立つが、今は三人いて、しかも黄色と赤は昔からの知り合いのようだから、歳関係はすぐわかるだろ。仮に二人で嘘をついて年齢を偽っていたとしても、黄色が赤に敬語を使う意味がよく分からん」

「えー、じゃあ、なんだろ」

「赤は黄色の先輩で、黄色は青の先輩で、青は赤の先輩なんだ」

「それは分かるけど」

「でも今は、青は黄色の先輩なんだ」

「どういうこと?」

眉に皺を寄せて聞いてくる。

「恐らく、今あの三人は、共通の組織ないしそれに類するものに所属している」

「はあ」

「それで言うならば、恐らく今の上下関係は、青、赤、黄色の順で、青が一番偉いんだ。だが、昔は黄色は青の先輩だった。だからその慣例から、個人的な上下関係では、黄色の方が青より上なんだ。だからこんな関係になっている」

「ああ、なるほど!」

彼女はまたも手を打った。が、その後、首を傾げた。

「じゃあ、あの三人の関係は」

この問いには少し考えた。が、確実だと言えるのは。

「同じ職場、もしくは大学の関係だろうな」

「それじゃあなんだか、あやふやだよ」

どうやら不満らしい。

「と言われてもな」

「どうしてあんな関係になったんだろ」

つまり彼女は、経緯を知りたいらしい。なるほど、これは厄介だ。

ならば、少し考えてみよう。本業そっちのけ、同じ轍、嫌味、一年目……。一年目?

「赤は、何かを失敗した。他の人と同じことを失敗した、もしくは二回同じことを失敗したか。そしてそれを青は馬鹿にしているようだった。その馬鹿にしたような言葉に、黄色は、嫌味か、と言った。ということは、青は一度もそれに失敗しておらず、黄色は、赤と同じような失敗をしている」

「ふむふむ」

「それは恐らく、一年に一度行われるものだろう。黄色が、一年目、と言っていた。推測だから、確証はないが。そして仮に、同じ轍の意味を誤用の方でとらえ、その失敗した回数を、今の上下関係に当てはめてみると、少しわかりやすくなる」

「え、どういうこと?」

「一年に一度行われる『それ』を、青は一度も失敗しなかったから、上下関係的には一番上に、二回失敗した赤は、その次に、そして同じかそれ以上失敗した黄色は一番下になった。恐らく、彼らが所属する組織には、『それ』に成功しないと入れない。そして、どこの団体でも同じだろうが、入った順番が早いものが先輩と呼ばれる」

 「じゃあ、『それ』って」

 ごくり、と喉の鳴る音が耳に入る。

 俺は、恐らく、と前置きをして、続ける。

 「大学受験だ。青は、一年目、現役で、ある大学に合格した。赤は二浪して合格、黄色は少なくともそれ以上の年数で合格したんだ。そこで三人は、同じ部活かサークルに所属することになって、こんな関係が生まれたのかもしれん。」

 いろいろ考えると頭がこんがらがってきそうだ。俺は紙に横線を四本、それに直角に交差するような縦線を何本も引き、3×9のマス目の表のようなものを書いた。

 「この一マスを一年とする。三人を仮に、青は三年生、赤は二年生、黄色は一年生としよう。そうすると赤は二浪しているから……四年前に高校を卒業したことになる。それから考えると、青は現役合格だから四年前は、高校二年生だ。黄色を青の一年先輩だとして、今が仮に大学一年だから、ああ、三浪していることになる。この関係で行くなら、連中がしていた会話の全ての言葉に矛盾しない筈だ」

 彼女は俺の話を聞き、紙を見て、納得したようだった。

 「なるほど、大学受験で、先輩だった人が後輩になった……。恐ろしい話ね」

 と言って、何か疑問に思ったのか、続けた。

 「それにしても青の人、赤の人が年上なのに、よくあんな口の利き方ができるね。もし私だったら、たとえ相手が立場上後輩でも、年上だとわかったら、ため口なんて利けないと思う。まして、あんな上から目線から」

 「さっきの歳関係は仮のものだからな、実際にはわからんよ。それに、あの青い奴がそういう性格なだけかもしれないし」

 まさに十人十色、だ。

 「それにしても、何か、違和感が」

 俺は目を見開いた。こいつ、まだこの推理ゲームをさせるつもりか?

たしかに青の、赤に対する言い方はひどいもんだったが。『こいつは俺に逆らえませんよ』とか言っていたか。

 「それほど上下関係が厳しいところなのかな」

 彼女はそう続けた。

 俺は、それに異を唱えた。

 「それならば昔の先輩だったとしても、黄色が青に敬語で話さないのはおかしいな」

 それに、だ。俺はさっき書いた表を見た。よく考えれば、赤が青より年上なのは確定してるな。というか、赤と黄色は同い年、黄色はその一つ下というこの年齢関係か、黄色、赤、青の歳順の他は、辻褄が合わなくなるな。まあ、どちらが正しいかは、特に考察する必要もないだろう。

 「そうか、赤には、青に逆らえない事情があるんだ」

 思えば、赤は年下のはずの青に対して随分下手に出ていた気がする。言動的にも、絶対に逆らうようなことはしていない。

 「というと?」

 彼女はこちらを見つめた。なんだかそう見られると、気恥ずかしいな。

 「赤は何か、後ろ暗いことがあるんだ。そしてその秘密を、青は知っている。それは恐らく、黄色は知らないことなんだ。赤が青に逆らえないと聞いたとき、黄色は戸惑っていた。そして……そうか」

 俺は一つの推論に、辿り着いた。

 「どうしたの」

 「赤は、ずっと気が気でないようだったな。つまり秘密は、黄色には知られたくない、もしくは、そうだ、知られてはいけない秘密なんだ」

 「知られてはいけない?」

 「ああ、そして黄色は、今は金がないと言っていたな。油断した、と。使いすぎたという説もなくはないが、恐らく彼は、油断して、盗まれたんだ」

 「まさか」

 ここまで来たら彼女も感づいたようだ。

 「青は、黄色に、奢ってとせがんでいた。奴はなんだかどうにも、黄色が金をあまり持っていないのを、見透かしている気がしてならない。青は、それを言ったあと、冗談だと言っていた。そして、自分が奢ると言い出した。あの三人の中では立場上、青が一番上の先輩にあたるから、そうなるのがまあ、妥当と言えば妥当だ。最初から自分が奢るつもりだったのに、青は冗談を言ったんだ」

 「お金を盗まれたことを、知ってるんだね」

 「そうだ。黄色は恐らく、盗まれたことを青や赤には今まで話してなかったんだ。彼の言葉からしてそれがわかる。だが、青はそれを知っていた。赤は、黄色に対して後ろめたい事実がある。つまり、だ。率直に言えば、赤が盗んだんだ。その事実を青はどうやってか知らないが、知ることになった。いや、もしかしたら、青が赤に盗ませたのかもしれない。懐が温かいというのは、それを暗に表現したかったのかもしれないな。黄色にばれないような表現で。『な、健二』と赤に語り掛けていたのも、そういう意味でのことかもしれない」

 我ながら、突拍子もないような推測だ。正解かと言えば怪しいとは言え、否定はできないはずだ。

 彼女は納得しながらも、悲しそうな表情を見せた。

 「立場を利用して、お金を盗ませる、そんなひどいことを……」

 あの三人は、人混みに紛れてどこに行ったのかも分からなくなっていた。もはやもう一度探すこともできないだろう。四方田公園には、人が多すぎる。

 彼女は、ぺこりと頭を下げた。

 「ありがとう、気になってたこと、わかったよ」

礼を言いながらも、表情は暗い。

 「まあ、あれは推測だ。何も真実と決まったわけじゃない。気にするな」

 「うん、ありがとう」

 もう一度礼を言うと、彼女は、こちらに背を向け、とぼとぼと歩き出した。

……もう少し、幸せな推論を導ければよかったな。

 俺も、もう帰ろうかな。元来た方向、彼女とは逆の方に歩き出す。そこでふと、思った。

 後ろを見て、彼女を探す。が、もうすでに見える範囲にはいなくなっているようだった。

 そういえば、名前を聞いてなかった。顔見知りなのは間違いない。あっちも俺の顔を知っているようだったから。

 「まあ、いいか」

 どうせ名前を知っても、今後、深く関わりがあるわけでもあるまい。そう思い、帰路についた。

 四方田公園に隣接するように、大きめの神社が建っている。帰り道の途中にあるので、立ち寄った。公園ほどではないが、いつもよりはまあまあ人は多い。

 賽銭箱に近づき、財布を確認する。小銭入れを開けると、何も入っていなかった。

 あれ、もしかして、俺も黄色シャツの男のように、盗まれたのか?

 慌てて札入れの方を見る。札はあった。五千円札が、堂々と顔を見せている。

 ああ、そういえば、俺は姉貴から五千円をもらう前、三百円しか持っていなかった。そして出店でたい焼きを買ったから、その三百円はなくなり、残りは五千円になったんだ。

 そう考えると、少しでも盗みを疑った自分が恥ずかしいな。

 見回して、自販機を探そうと思ったが、自販機では五千円は使えないことに気づいた。つまり、こいつを崩すことはできない。

 五千円札を見つめた。はて、ここでこいつを賽銭にしてやるか、悩んだ。

 悩んだ結果、俺は札を財布にしまった。何も賽銭箱に入れず、顔の前で二回、両手を叩き合わせる。

 来年度こそは、我が人生に何か良きことが起こりますように。


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