最後の謎
後日、田村洋介の嫌疑が晴らされたという報告を受けた。村田の証言は、かなり重要な証拠として取り上げられたらしい。見つけた側としては鼻が高い思いだったが、それで俺の身の回りで何かが変わったわけでもない。俺の成果を知るのは、俺を含めてあの場にいた五人だけなのだから。それに、俺自身そう大きな変化を望んではいなかったわけだし。
一方村田は、証言台に立ったということで、一躍話題になった。しかし、彼の小太り体型は女子高生の心を擽るものではないのだろう、注目は注目でも決して異性としては注目されなかったようだ。そう洲上が楽し気に話していた。
『全件送信ラブレター事件』も幕を下ろし、俺は義務感から解放され、のんびりとした平穏を取り戻していた。はずだった。
しかしやはり、心の中にわだかまりがあるのに気づく。正体は知っている。だが……。
学校から帰り、ベッドに寝転ぶ。携帯電話の画面に表示されている、連絡帳とにらめっこする。
直接本人に聞くのが早いが、しかしそれには乗り気じゃないな。だとしたら……。
一人の、ある人物に辿り着く。しかし、こいつに顔を合わせるのもな……。
悩んだ。はたして、これを解いたところで何もいいことはないだろう。だが。
俺にはわだかまりの正体がわかっていた。好奇心だ。やれやれ、情けないことに俺は奴の好奇心にあてられておかしくなってしまったらしい。
だが、と考え直す。
あいつの好奇心は、「あれが知りたい、これが知りたい」だ。俺の好奇心は飽くまでも、「俺の推理が正しかったのかを確かめたい」である。タイプが違うのだ。
あの悪戯事件が俺の好奇心を芽生えさせたのは紛れもない事実だろう。心の中でどう言い訳いようとも、事実は変わらない。
気づけば、電話をかけていた。アッ、と思うが、相手は電話に出ている。電話に出てるわ。もう遅い。
慌てて耳にあてる。
「いきなり悪いが、聞きたいことがあるんだ」
夜の九尾公園に、一人足を踏み込む。少し来るのが早かったか、約束した相手はまだ来ていないようだ。それどころか、公園内には俺の他に誰もいないようだ。この公園、こんなに淋しいところだったっけ。一人、ベンチに座る。
こんな夜中に、ここに来た理由はほかでもない。最後の手掛かりを得るために来たのだ。
春の夜というのは、不思議なものだ。なぜだか外に出たくなる。
春眠暁を覚えず、というが、あれはきっと、「春は昼寝をいっぱいして、夜に外にとびだそうよ」ということを言いたかったのではないかな。違うか。
気づけばもう五月だ。あれから早かった。もう一か月後には梅雨に入り、夏へと向かうのだろう。そうしたら今は静かなこの公園も、セミの鳴き尽くす、やかましい空間になるに違いない。それはそれで風情がある、かな。
夜中に一人で待つというのも、淋しいもんだな。こんなに淋しいものだとは思わなかった。早く来ないかな。でも、まだ心の準備はできてないな。
と思っていたら、来た。
白いワンピースが、夜に映える。ショートヘア娘のご登場だ。
「すまないな、こんな夜遅くに」
俺の挨拶を聞きながら、来るや否や、花菜は同じベンチに俺とは少し間を空けて座った。
「ううん、大丈夫。聞きたいことって?」
虚ろな声で、こっちを見もせずに尋ねる。そんなに顔を合わせるのが嫌か。こっちは気を遣って、電話でいいと言ったのに、公園で話そうと言い出したのはお前だぞ。
「ああ、そうだ。えっとな」
何を聞こうとしていたんだっけ。ああ、そうか。
「なんでもいいんだが、最近、山城のことで変わったことはなかったか」
「変わったこと?」
怪訝な顔をされる。
「ああ、いや、あいつの兄貴のことはもちろん知ってる。それ以外で、なにか」
首を傾げ、考えてる様子。
「かわったこと、最近変わった事」
「最近じゃなくてもいい。ここ一年で、何かないか」
相変わらず前を見ながら考える素振りをしていた彼女は、何か思いついたようだ。
「なんでもいいんなら」
自信なさそうに、花菜は切り出す。
「半年くらい前からかな、香水をつけるようになった」
ああ、思春期男子だな。俺はつけてないけど。
「他には」
再度の問いに、彼女はまた考え込む。
「んーーーーーーーーーーー、あ、」
何か思い出したらしい。
「結構前、三か月くらいまえかな。変なこと言い出したのよね」
「変なこと?」
変わった事でなく、変な事。
「うん、何だっけな、そうだ、『俺が陸上辞めることになったらごめん』とか」
思わず声を上げた。
「あいつ、辞めたのか」
あいつは陸上の特待生で高校に進んだ。それが陸上をやめるとなると、大変なことだ。
いやいや、と花菜は否定する。
「全然そんなことはないよ。最近はお兄さんのこともあって、休みがちだけど、続けてる。あの時のは、冗談じゃないかな」
それを聞いて、安心した。そして、俺は一つ、言葉の裏にあるものを見つけ出した。
「そうか、ありがとう。すまなかったな」
早く考えを纏めねば。帰ろうと思って立ち上がり、放ったその一言に、花菜は動揺していた。
「それだけ?」
ぱっと、一言。俺は振り返る。
「え」
花菜は歯を噛みしめ、ベンチの上で俯いている。
こいつは、何を言われると予想していたのだろう。わからない。分からないが、こいつのこれは、なんだ、失望?
花菜をじっと見る。あの時の言葉が、脳裏によみがえる。
「私、拓人のこと、昔はすごいって思ってた」
前に聞いた、花菜の言葉だ。
ああ、駄目だ。これは言っちゃいけない。これを言うと俺は、戻れなくなる。それに、こいつのためにもよくない。こいつは、あいつのそばで支えてやらなければならないんだ。そして、俺にとっても良くないことなんだ。だから。
俺は呟く。
「この前の歌、お前らしくて、よかったよ。だから、
……頑張れよ」
花菜は顔を上げた。笑っている。笑顔だ。だが、とても悲しそうな笑顔だ。そのことに俺は、激しい罪悪感を覚えた。しかし、俺にはこうすることしか出来ない。
「ありがとう」
錆びた風鈴の鳴ったような声。小さくそれだけ言うと、花菜は立ち上がり、足早に去っていった。
悲しそうな後ろ姿だった。最後まで見送ることは、出来なかった。後悔の念は、あった。だが、それ以上に、俺は果たすべきことをしたという空虚な満足感が俺を慰めていた。
はたして、俺は、買わない側に逆戻りしたのだろうか。
花菜の歌を思い出す。あいつらしくて、明るくて、でも寂しくて。
なんでいちいち思い出してしまうんだろうな。
俺はベンチに座りなおした。春風が、俺を責めるように吹きつける。
いや、これでいいんだ、これで。
謎は解けた。どうやって、は分からないが、何故、ならわかる。確かめる方法は、もうない。いや、あるにはあるが、俺にはそれをすることが出来ない。
俺は確信していた。籔島殺害の犯人は、山城の兄だ。
籔島家と山城家は、親類だ。これは洲上に確かめたので間違いない。通夜の時、俺は後ろから聞こえる声に耳を傾けていた。その中の一つにヒントがあった。
「立て続けに身内の方が若いうちに亡くなるなんて」
日本全国で考えれば、人が死ぬのは珍しい話ではないかもしれない。だが、身内で、立て続けに若いうちに亡くなっているのは少し不自然だ。籔島さんは俺から見ればおじさんといった歳だが、あの女の人たちからすれば十分若いうちに入るのかもしれない。もしかして、山城の兄の前に亡くなったのは、籔島さんではないのか。そこに一抹の光を見た。だからピンときて洲上に確認をとった。ビンゴだった。それで俺は、籔島さんと山城兄弟に繋がりを確信した。
最初に怪しいと思い始めたのは、山城の兄の遺書だ。
『全て俺が悪かった。ごめんなさい』
何をそんなに思い詰めたのか。なぜ、自分が全て悪い、などと書いたのか。俺はこう考えた。山城の兄は、誰かをかばい全ての罪を被ろうとしたのだ。そして自殺した。この世から、自分という、重要な証拠を消すことによって、自分がかばった人物の罪を抹消しようとした。じゃあ、かばった人物とは、そしてその罪とは。
俺は、山城光一にあたりをつけた。俺が知る範囲で思いついたのはそいつしかいなかったからだ。だから花菜を呼び出し、証拠を得ようとした。あいつが教えてくれた二つの情報は、俺をある結論に導いてくれた。
「俺が陸上辞めることになったらごめん」
あれは恐らく、冗談じゃない。
あいつは、何か、陸上を辞めざるを得ないようなことになる罪を犯したんだ。しかしそれは殺人そのものじゃないと思う。花菜から話を聞く前はあいつが殺人を犯してしまったのではないかと考えていたが、それは外れていた。あいつは事件が起こる二か月も前からそんなことを言っていたようだから。じゃあ、それはなにか。
「半年くらい前からかな、香水をつけるようになった」
この言葉をそのままとれば、本当にただの、普通の変化だ。だが、あいつはなぜ香水をつけ始めたのか、と疑った。推測だが、何か、匂いを消すためだろう。
この二つを纏めると、見えて来る。
奴は何か陸上を辞めざるを得ない罪を負った。その罪は、匂いが関係するもの。
ならば、
「タバコだな」
俺のつぶやきは春の夜空に消えた。
あいつはタバコを吸い始めた。恐らく、半年ほど前。周りにばれないように匂いを誤魔化し、気を付けていたが、それがばれたんだ。籔島に。親戚だけあって、家で気を緩めているときに見つかったのだろう。その時籔島は何を言ったか。
「学校にばらすぞ」
恐らく冗談で言ったんじゃないかと思う。籔島の性格は知らないが、身内の、しかも高々喫煙だ、そう本気で告発しようとしていたわけではないだろう。もしかしたらとんでもない堅物だったのかもしれないが、まあそれは今は関係ない。とにかく、山城はそれを恐れた。
そして彼は、仲のいい兄貴に相談したのだろう。そして兄は……。
「光一は、うちの希望であり、スターだから」
彼の言葉を思い出す。彼は、弟が将来、陸上選手として有名になると信じて疑わなかった。だから、その障壁となるであろう籔島を放ってはおけなかっただろう。だから、口封じのために殺した。そして弟の罪を闇に葬るために、自分すらも葬った。全ては、弟のため。
山城は、悲しんでいるだろう。悲しむどころじゃない、自分の無力さに絶望しているだろう。彼は通夜中、一回も顔を上げてその面を見せることはなかった。それが全てを物語っている。
あいつがこれから立ち直れるかどうか。兄の行き過ぎた献身が実を結ぶかどうか、それはわからない。だが、周りの力が必要なのは確実だろう。だからこそ花菜は、あいつの傍で支える必要があるんだ。
俺のこの推理はほとんど想像上のものでしかない。当たっているという確証もないし、寧ろ、外れていて欲しいという思いすらある。だが、それを確かめるということは、俺にはできない。他人の心を再び引き裂くような行動をするほどの馬鹿正直さは、俺はもう捨て去ったはずだ。
俺は、あの時の花菜の、山城は事件当時に現場近くにいた、という旨の話をずっと気にかけていた。最初はただの間もたせだと思っていたが、今思えば、違う。
あれはきっと、彼女からのSOSだったんだ。彼女は知っていたのか、それとも何かを感じていたのだろう。それを伝えたかったに違いない。中学一年の時、数学のプリントの行方を推理した俺を、頼って。
数学のプリントか、懐かしいな。あのときは本当に運が良かった。
中学一年の冬頃、たしか週末だったか、数学の宿題を出された。そして月曜の朝、教室後ろの棚の上に提出しなければならなかった。それをまとめて、係が先生の元に持っていくのだ。
花菜はプリントを提出していたが、名前を書き忘れていないか気になって、提出されたプリントの束を漁った。だが、見つからない。
俺はそのとき、その宿題をすっかり忘れていたので、朝から急いで取り掛かっていた。
みんなが花菜のプリントを探すが、見つからない。それは教室内で、ちょっとした騒ぎになった。
俺はやっと宿題を仕上げて棚に向かい、提出ついでに束を確認した。
「たしかに、ないな」
「でしょ!どこいったんだろ」
花菜は慌てている。俺は少し考えた。
たしかその頃、兎に角寒い時期で、窓はすべて閉まっていた。
「風で飛ぶことはないな。なら、人為的なものだ」
「ジンイテキ?」
中一の頃の花菜は、あまり難しい言葉を知らなかった。
「誰かが持って行ったのかな」
「え、何のために?」
花菜の頭上に、?マークが浮かんだ。
「たぶん、宿題を写すためにそいつはお前のプリントを借りてたんだと思う」
「てことは、教室の中にあるのかな」
「いや、みんなが騒ぎ出したもんだから、ここに置いとくのはまずいと思うだろう。たぶん、教室の外だ。探しに行こう」
こうして俺含め、みんなが探しに出る。しかし見つからず、朝のホームルームの時間が来るので、仕方なく教室に帰る。
「なかったね」
「まあ、簡単にみつからないことはわかってたさ。それに」
俺はそう言うと、プリントの束を漁った。
「やっぱり」
その中に、花菜のプリントが入っていた。俺はそのプリントみんなに見えるように掲げた。そして俺の推理を展開させる。
「みんなが探しに出てる間、誰もいない教室に犯人がこっそり戻って来ていれたんだろ。犯人は分からないけど、戻ってきたなら、いいだろ?」
俺の言葉に、花菜は頷いた。
事件が解決したことに皆が安心し、朝のホームルームを無事に迎えた。
あの時は、本当に運が良かっただけなんだが。




