茶道部−1
「まさか、裕子先生が結婚してたなんて」
訪問者名簿の件が空振りに終わった事よりも、裕子先生の結婚の件の方がショックだったらしく、洲上は机にのめりこんだ。どうやらこいつの情報網も万能ではないらしい。こんなに重要なことを知らなかったとは。それにしてもなんで俺も去年まで気づかなかったかな。
しかし、問題はそこではない。五時間目に保健室に行ったものはいなかった。つまり、授業中に入れられた可能性は低い。ということは。
俺たちは二年三組の教室にいる。いつもなら俺のクラスである二組に行くところだが、そこにはまだ残っている生徒が何人かいた。あまり人には聞かれたくない話でもあるし、落ち着いて話がしたかった。そこで三組を覗くと、幸いにも誰もいなかったので、入っていた。
「洲上、推測だが」
そう切り出すと、洲上は顔を上げた。
「なんだい」
割かし元気そうな声だった。もうショックから立ち直ったのか。それとも、それほど受けていなかったのか。
「星原が怪しいと思う」
「どうして」
顔がぐっと近寄る。俺は顔を離す。
「あいつは、ああ、最初に会った時からそうだ。俺たちを見ると何故かどうしようもなく焦っていたようだった。昼休みの時みたいに、下手な誤魔化しをしてきた時もあった。
それに、あいつは元三組だ。俺たちが三組だったことを知っている。あいつが犯人だとすれば、辻褄が合う。あいつは悪戯の犯人が自分であることがばれやしないか、冷や冷やしてたんだ。
そして俺たちは茶道部に犯人がいるのではないかとあたりをつけていたが、それは決めつけだった。あいつはあの時、体育館裏で会った時、花に水をやろうとしていた。そう、あいつは園芸部だ。よく考えれば、あの花壇から体育館裏は、ちょっと顔を出せば見えなくもない。
そしてあいつは昼休み、昇降口で俺たちが見張っているのに気づいた。俺たちと話したあと、あいつはどこかに行くふりをして、どこか、俺たちに分からないところに隠れた。そして俺たちがいなくなったのを見計らって、あのラブレターを入れた。どうだ」
俺の話を、洲上はずっと腕を組んで聞いていた。少し考えると、彼は口を開いた。
「なるほどね。だけど、動機は?」
「知るか、そんなもの。どうせただの悪戯だ」
ああ、駄目だ。
「ふむ、そうかい。じゃあ、二週続けて、火曜日に悪戯がなかったのは?」
「え、園芸部も火曜は休みなのかもしれん」
言葉を返せば返すほど、俺の推測の杜撰さが浮き出てくる。
「花には一日一回は水をやるでしょ。それに、江田。あの日、体育館裏で星原さんと会った日、火曜日だったよね。彼女はあの日、如雨露を持っていた。水も入っていた。間違いなく、水やりをする気だったよ。星原さんがあそこにいるのに、犯行を行わないのはなぜだい」
「……っ」
「それに、昨日から犯行のペースが上がった理由もそれじゃわからないよ」
俺は、押し黙った。
痺れを切らしたように洲上は語る。
「江田。君は気づいていないかもしれないけど、傍目から見ていた俺には分かる。星原さんが君を見て焦ったようにしてたのは」
俺たちは話に熱中していた。だから、この教室に侵入してきた何者かの気配を、察知することが出来なかった。
「私のお話?」
突然降ってきた声。背後からだ。
思わず振り返ると、そこに星原祐紀、その人が立っていた。
呆然と、洲上と顔を見合わせる。奴も口をあんぐりと開けたまま、固まっている。
「い、いつからそこに」
それがやっと絞り出せた言葉だった。
星原はピンと立てた一本指を頬にあてた。
「んー、『星原が怪しいと思う』って江田君が言ったあたりかな」
ほとんど最初っからじゃないか。
どうしたものかと考えるが、何も対応策は浮かばない。星原はまくしたてる。
「ね、一体何の話をしてたの」
目線で洲上にSOSを出す。奴は首を横に振った。もうどう言っても誤魔化せないよ、諦めよう。のサインだった。
はあ、とため息一つ。俺は事件のあらましを星原に伝えた。
へえ、そんなことが、と聞いていた星原だったが、込み上げるようにクスクスと手の平を口に当てて笑い始めた。
「私、疑われてたんだね」
笑われていい気分はしない。星原だって、疑われていい気分はしないだろうに。
「だって、お前が、星原が怪しかったから」
その言葉に、星原は、えっと、と声を詰まらせた。
「じゃあ、身の潔白を証明せねばなりませんかね」
構えて言う彼女に、洲上はひらひらと手を振る。
「大丈夫だよ、さっき聞いてたと思うけど、俺が完膚なきまでに論破して差し上げたから」
ちくしょう、洲上の前ならまだいいが、よもや自分が糾弾した相手の前で恥を掻くとは。
悔しまぎれに、洲上に向き直り、睨む。
「じゃあ、お前は何か考えがあるのか」
というと、
「いや、俺じゃ分からないから江田に頼ってるんじゃないか」
へえ、そうですか。
恥を掻いたお陰で、なんだか居心地が悪い。今度は星原を、じろっと見る。
「お前は、何か考えはないのか」
「んー、そうだね……」
少し考え、
「ただの悪戯ならともかく、何か意味があるというのなら」
星原は近くの椅子を引き、俺たちの輪に加わる。輪というより、三角形だが。
「悪戯、今は便宜上そう呼ぼうかな、その悪戯そのものは手段であって、他の何かを成しえるための、何というか……」
考えはまとまっていないようだが、言いたいことは何か伝わった。つまり、悪戯自体に意味はないのだ。これは前から考えていたことだが。
これ自体は手段であり、か。
先ほど論じた、「星原犯人説」は、俺だって別に信じ切っていたわけではなかった。だが、何か話して、心を整理しようと考えていたのだ。
しかし、未だ考えは中空に浮いたままだ。何か、まだ手掛かりが欲しいものだ。
手掛かり?あ、そういえば。
「洲上、明日だったっけか」
俺が尋ねると、洲上は頷く。
「うん、明日の昼休みだよ」
星原は、俺と彼を交互にキョロキョロと見回した。
「何が、明日なの?」
彼女の疑問に、洲上が答える。
「明日、茶道部の子たちに話を聞きに行く予定なんだ」
その瞬間、星原の顔が一気にパッと、突然スイッチが入ったように明るくなった。
「つまり、事情聴取なんだね?」
それを聞くと、なんだか警察になったような気分だ。意味的には合っているのだろうが、そう言ってしまうと、前に洲上が言っていた、「疑い」の元に行動していると思われてもおかしくないな。俺たちは真実を知るためにこんなことをしているのに。
いや、俺が知りたいわけじゃないな、洲上の好奇心を満たすためだ。
「まあ、そうなるのはなるんだけど」
洲上も同じことを考えたらしく、珍しく言い淀んでいる。星原はどうにも物事を素直に表そうとする性格のようだ。虎姫とやらよりも、こいつの方が場合によっては相当厄介かも知れんな。
「とりあえず、今は手詰まりなんだ。明日聞きに――――」
「私も行きたい」
言い終わらないうちに、一言浴びせられる。
「茶道部のところにか」
「うん、ここまで聞いてて参加しないのももったいないと思うし」
そう言ってにこやかに笑い、言葉を継ぐ。
「それに、興味もあるし」
ああ、こいつも洲上と同じ人種か。そういえば、四方田公園での一件でこのことは垣間見えていたような気がするな。これは本当に厄介だ。何が厄介かと言われれば、自他ともに人間ハシビロコウと認めるこの俺の近辺に、こんな厄介ごとを持ってくるような人種が二人もいるというこの事実そのものが厄介ごとなのである。
何か些細な事でもタスクを負うことを面倒だと思うほどに俺は面倒くさがりであるが、今こうしてラブレターの謎を解くために奔走している。これは俺の性質と矛盾しているのではないかと、最近思い始めていた。見返りがあるなら、動く。そんな人間に俺は変化しているのではなかろうか。姉貴に五千円渡されて往復一時間の道のりを歩いたのもそうだし、奢られたから今考えている謎を解こうとしている。
もしかしたら、と思い返せば、春休みの祈りが天に届き、俺の性格を突き動かしてくれたのではないか、という考えに至る。未だ、動くこと自体は面倒だ。でもリターンがあるならば仕方なく動くようではある。俺は、賽銭がなくとも天は願いを叶えてくれるものだということを実証した、数少ない成功者なのではなかろうか。
しかし、最近、リターンもなしに動かされたことがあった。四方田公園での『三竦み人間関係事件(今考えた)』だ。あのときは彼女の名前も知らなかったが、星原に否応なく考えさせられたような気がする。もしかしたら。
洲上と談笑を交わしている星原を横目でちらりと見る。
こいつは洲上以上に、厄介な人間なのではなかろうか?
「というわけで、星原さんも仲間入りだね」
というわけで洲上が言い出す。どうやらそういう運びで決まったらしい。
星原は嬉しそうに頷いている。
洲上は、俺の方を見た。
「そういうことで、異論はないかい?」
「したいというのなら断るわけにもいかんだろ。それに、考える頭は多い方がいいだろうしな」
「江田も大賛成みたい」
大が付く程賛成したつもりはない。まったくオーバーに言いやがる。
「じゃあ、明日、どこに来ればいいかな」
「そうだね、茶室のところに集合ってことにしてるけど」
それは俺も聞いてなかった。
「あんなところで話すのか」
「一応現場を見といた方がいいと思って」
確かに、そうか。手掛かりは多い方がいいな。
翌日の昼休み、俺が教室棟から北棟へ行くために渡り廊下を通っていると、後ろから名前を呼ばれた。振り返る。
「早かったね」
洲上だった。後ろには、星原もいる。そういえばこいつらは、同じクラスだったか。来るのが一緒になるのも当然だな。
「ああ、珍しく急いだ」
「昨日だって急いでたじゃないか」
そうだったか。忘れた。
「こんにちは、江田君」
星原のご丁寧なごあいさつ。
「ああ」
とだけ、答えた。




