ネトゲは戦争に入りますか?その六
翌日からクランのアクティブが減ったことはおかしいことではないだろう。スルトの討伐は秀樹達の明白な目標であり、終着点のようなものだ。頂に立った先に何も無ければ立ち止まるのも当然だろう。
スルトの討伐は翌日大ニュースになるほどで、MMORPGの掲示板でも大騒ぎになった。幾らかのネットニュースに掲載され、『ヨトゥン・ヘイム』の運営や雑誌の取材、またネット生放送出演依頼の話までが秀樹の元に伝わって来た。スルト討伐の動画は海外の動画サイトでも話題になり、一週間もランキングに入るほどであった。
取材関連を秀樹は全て断ったが、動画はよく見ていた。というのは、秀樹は狩りやログインをしないで『ヨトゥン・ヘイム』の動画を見ることが増えたからである。何かが消えたことを秀樹は感じないわけにはいかなかった。
それでも動画を飽きずに見たのは、ロキが映っていたからなのかもしれない。いや、『さらまんど』も映っている。他にも沢山の名前が動画の中で蠢いている。終わりがけ10分を切り離したものだから、簡単にリピートが可能だった。秀樹は仕事のように動画を眺めた。
その日のログインも夕方を過ぎてからだった。入った途端にロキからの個人チャットが飛んできた。ロキのモチベーションは半端なく、スルト討伐の翌日の朝九時のフェンリルを狩りに行くほどだった。動画を秀樹が見ている間もロキは永遠と『ヨトゥン・ヘイム』をしていたのである。
「こんばんわです。今日は遅いですね。ドロップは宅配に送っておきましたから」
「ありがとう。駄目だな、あんまりやる気がしなくて」
「困りますよ、それではヴァルハラに行けませんから」
「けど、ついに9つの世界を支配したんだと思うと、燃え尽き症候群みたいになってね」
「はい?」
ふと秀樹は妙な違和感を覚えた。まるで何か食い違っているようなチャットの感触。VCではないので声は聞こえないが、しかし何かずれているのではと思うには十分なほどの直感。
「まるでまだ何かあるみたいだな。そういえば、次の定期メンテでスルトに修正が入るらしいね。これで絶対に倒せなくなる」
「もうその話はいいですよ。次はムスペル・ヘイムの街を制圧するっていうのはどうでしょうか」
「まあ、スルトよりは大分楽だろうけど……」
「後は『ダークサイト・オブ・ラグナロク』を解散に追い込むくらいに攻めるくらいですかね。消耗が回復するまではまだ時間が掛かりますから」
「……まだ、やるつもりなのか?」
「言ったじゃないですか。9つの世界を支配するほどのクランにするって。オーディンに一泡吹かせてやるって。まだどちらも果たしていませんよ」
初めて秀樹は、ロキの言葉に血の気が引くのを感じた。あのMMORPG界を揺るがすようなスルトの討伐も、彼女にとってはくだらないような一歩に過ぎないのだ。神話の狡猾なロキのように、彼女は先を見越していた。先を見すぎていた。
「そうか……まだまだなんだな……」
完全に何かが折れた音を秀樹は聞いた。糸が切れると、秀樹はロキが遠い存在に思えた。確かに彼女は一生ゲームだけをして暮らしていくことができる。まったく、秀樹とは違う存在なのだ。
「なあ、ロキ。将来のことって考えたことあるか」
「今言ったばっかじゃないですか」
「そうじゃない。現実のことだよ。ずっとゲームをしていくつもりなのか。あれくらいの資金があれば、企業とかも簡単だと思うぞ」
「んーまあ、あと一ヶ月生活費は持ちますし、まあ大丈夫ですよ」
「生活費なんてどうにでもなるんだろ。あれだけの預金があったら」
「何であの預金を生活費に使うんですか」
「何故って、当然じゃないか」
少しだけチャットに感覚が開いたが、何か悪いことをいったのだろうと秀樹は思った。当然それはあの多額の資金が原因なのだろう。
自分の発言がまずいと思った秀樹は、話題を変えようと思った。しかし良い言葉が浮かばない。話の流れは切る場所を間違えれば取り返しがつかないことになる。葛藤は悲しくも沈黙を選択させる。
「まあ確かに私様が使おうと姉は黙っているでしょうし、むしろ喜びさえするかもしれません。ですけど、絶対生活に使いません。大丈夫ですよ、一ヶ月くらいなら持ちますから」
「一ヶ月……ちょっと待って、生活費が一ヶ月分しかないの?」
「困ったら糞嫁にどうにかさせますから大丈夫ですよ」
「いや、駄目じゃないか。友達に生活費を出させるなんて。問題ないなら絶対にあの資金の一部を生活費当てた方がいいよ。大した額じゃないだろ?」
「冗談じゃありません。一銭たりともオーディンの世話になってやるものですか。私様はオーディンの手を借りるのは、オーディンを泣かす時だと決めているんです」
「だけど、それじゃ生活は……」
「そんなものはどうでもいいじゃないですか。もしも生活の糧にあいつの金を使う時は、私様は舌を切って首を括り、演説でもしながら切腹でもしてやりますから」
ああ、子供だ。
子供なのだと秀樹は思った。
まったくロキは現実の厳しさというものを知らないようだった。彼女は頑なに意地を張ろうとしているのだが、その意地は現実の苦労を前にしてどれほどの価値があるというのだろうか。
「雑談はこれくらいにしてボス行きましょう。そろそろロキの沸き時間ですからね」
「ああ、ボスロキの時間か。そうだな……行こうか」
しかしその後のボス狩りも秀樹は集中できなかった。何か焦燥みたいな感情があるのは確かで、その正体にも薄々気がついていた。一方のロキはまったく衰えようとはしない。
早めにログアウトして布団に入ると、秀樹はロキのことを思った。
ロキは子供だ。年齢はどうであれ、子供だ。
だがきっとロキは子供だから、あれほどの偉業に秀樹を巻き込んだのだ。確かにゲームだけのことで、つまらないことだといえばそうだ。だがそれでもロキの姿に秀樹は憧れていた。
だから秀樹は怖かった。憧れの彼女が現実に汚されることが。あっさりと舌を切ると言い張ったその虚勢が現実に飲まれて穢れることが……
秀樹の中で、何かが動き出して固まろうとしていた。