正義の味方はホームレス その五
あの事故のその後を尚武は知らない。ただ事件当日のジャンパーを着て歩いていても声をかけられないということは、やはり誰もジャンパー男の正体に気がついていないということなのだろう。
少し残念だという気持ちと共に尚武は確かに安心していた。怪力が露呈した場合、自分がどうなるかわからないからだ。ベルトが原因だと知られれば殺してでも奪いたいという者が現れてもおかしくは無い。決して知られるわけにはいかないだろう。
微かな不安を胸に真っ暗な夜道を歩く。
先に住居にしている高速道路がある。下は雨が防げるので大勢の仲間が住んでいた。段々と車の騒音が聞こえてくる。
「黒山尚武だな?」
突然、後ろから声をかけられ尚武は振り返った。
街頭の影になった場所、そこに立っているのは一人の不気味な少女だった。暗闇に同化したよう暗い瞳、まるで怪物のように跳ねたボサボサの長い黒髪。服は黒いコートだけが見えていた。
少女を見た途端に尚武は恐怖に襲われた。今すぐにでも逃げなくてはならないとさえ思った。だが動くことが出来なかった。自分の名前を知っているのだから。
「少し前に貴様は短いベルトを拾ったのだろう。だが、それは我々のものだ。人には過ぎた神器だ。お前自身分かっている筈だ。さあ、返すがよい」
「……このベルトか」
尚武のポケットのベルトが妙に重く感じた。彼女は間違いなくベルトの所持者だった。
「それはメギンギョルズだ。ゲームや漫画で聴いたことはあるだろう。だがこれを所持している以上、貴様には様々なイベントが起こってしまう。安定志向の貴様には好ましくない筈だ。さあ、返すのだ。そうでなければ、無理矢理奪うことになるだろう……」
両手を広げて少女は一歩ずつ近づく。そして奇妙な笑顔を尚武へと向けた。
「……ダメだ。渡すわけにはいかない!」
そう言うと尚武はポケットからベルトを取り出し、急いでつけるとファイティングポーズを取った。
「ほう……貴様、私様がロキだと聴いても楯突くつもりか?」
奇妙な笑顔を浮かべながら少女は立ち止まった。
「ロキだかメギンギョルドだが知らないが、お前にこれを渡してはならないような予感がする」
「それは気のせいだ。さあ、すぐに返すのだ!」
「断る! 奪い返したいのなら、力ずくで来い!」
「私様がロキだと分からぬのか?」
「ロキなど知らん! 聴いたこともないわ!」
「え……おま、RPGとかゲームとかで聴いたことくらいあるだろ?」
「一切その類のものはしたことがない。俺は映画や特撮しかわからん」
「は……聴いてないぞ、そんなことは! えっと……さあ、返すのだ!」
「断固断る!」
静寂が訪れた。まるで二人の間だけ時間が止まったようにさえ思えるほどだ。
「……運が良かったな。私様は、貴様を試したのだ」
「どういうことだ」
「つまり……ええっと……そういうことだ。決してメギンを装備した人間に勝てないというわけではない。それだけは言っておこう」
「そうだろうな。なんとなくだがお前は単なる子供ではないことは分かる」
「ならば問おうではないか。黒山尚武よ、お前はそのベルトをどう使うつもりなのだ?」
腰のベルトに尚武は触れた。何の変哲も無い、ただ凄まじい力を生むベルトだ。確かに自分なんかの手に余るものだし、他の人が使った方がどれだけ有効なのだろう。だが、それでも尚武の中には一つの答えが出ていた。
「正義の為に使う」
「……いい年をして、恥ずかしくは無いのか?」
「確かに私は、いい年をした、しかもホームレスだ。家族も金も無い。守る物一つ持っていない。だからこそ、このベルトは運命ではないかと思う。どうしようも無い自分に理由をつける、そういう物なのだと思っている」
「神が与えたというならそうだろう。しかし、これは単純に小人が脳筋幼女の屋敷を掃除していたときに間違えてゴミとして捨ててしまって、途中で気がつき発覚が怖くてミズガルズに捨てたものなのだ。単なる偶然を運命というのか」
「これ以上議論は不要だ。欲しいなら、奪え」
また二人の間の時間が止まった。
「ならば、こうしようではないか。貴様、このベルトを操り切れるとは思っていないのだろう。そして正義などどうすればいいかもわかるまい。ならば私様が貴様を助けてやろうではないか」
「助けるだと?」
「私様は悪の情報や人助けの情報を貴様に教えようではないか。将来起こることも含めてだ。貴様はそれを正義のヒーローとして助けるのだ。ならばどうだ?」
「……信用しろと言うのか?」
「まさか。ただ信用しろというのも無理な話だろう。しばらくお試しに無料で情報を提供しよう。それからもし貴様が私様の提案を受け入れるのなら誓ってもらおう。『必要なくなればベルトは返す』と」
少女の提案を尚武は信じられなかった。未来予知をすると宣言しているようなものだ。
「私様の提案を信じる必要はまだ無いだろう。だが信じるのならば、明日十五時くらいに三丁目のジャ〇コの信号前へ行くがいい。車が溝に引っかかるだろう。だが気をつけるがいい。隙があれば、私様はそのベルトを奪うことになるだろうからな……」
そういうと少女の姿はふと前から消えた。そして彼女に止まっていたのか、一匹の蝿が遠くへ飛んでいくのが尚武には見えた。
狐に摘まれた気分とはまさにこのことだろう。妄想だというほうがどれだけ信憑性があるのだろうか。
だが尚武は、明日三丁目のジャ〇コの信号前に行くことにした。




