正義の味方はホームレス その一
アースガルズの宮殿から離れた深い森の奥、昼の光さえ届かないような忌まわしい場所がある。そこに好んで住まうものはいるのだろうか。
いや、たたずむ小さな家の中に明かりが見える。こんな陰険な場所に好んで住むのは、ニヴル・ヘルの亡霊や忌まわしい巨人を除けば一人しかいないのだろう。
淀んだ瞳と黒いぼさぼさの髪の少女ロキは漫画やゲームなどで散らかった部屋でフィギュアを眺めていた。ミズガルズのゲームセンターで取ったものである。
「ああ、やっぱいいわー『みこなー』いいわー。これならアイドルセンタートップ狙えるわ。しかし、このシリーズ来月も出るんだよなあ……手にいれるのに一万円かかったし、足りるのか?」
ロキの頭には幾らもの思考が廻っていた。手に入れるのに掛かった一万円も九千円近くがクレーンゲームに消えたもので、残りの千円はショップでの購入費である。その後すぐに500円の投資で同じ台の同じフィギュアが取られたことをロキは知らない。
「しかし、取った甲斐はあったな。最近のゲーセンのフィギュアってよく出来てんだよなあ。ただこのまま飾ると埃被るんだよなあ」
飾る場所をロキは考えて、しばらくしないうちに飽きてしまう。そうなると埃もどうでもよくなってしまう。ともかく他のフィギュアと共に木製本棚の一番上におくことにした。
同時に家のドアが強引に開けられる音が響いた。
ロキが振り返ると、そこには茶色髪の少女、トールが立っていた、いつもと同じジージャンとジーンズの短パンという格好であるが、すぐにロキはおかしいことに気がついた。いつも乗り回しているご自慢のモンスターバイクのエンジン音がしなかったのだ。いや、よく見れば背中のミョルニルも無い。初めて着たエリンヘリアルもこれではトールだと分からないだろう。
「何だ、脳筋幼女。私様に用事か。今日は徒歩のようだが私様の警戒がそれくらいで解けると思っているのか?」
「てめえ、ふざけんな……」
「……は?」
トールはトシトシと軽い足音を立てながらロキに近づいた。そして普段とは思えないほどの弱い力でロキの半袖の白シャツの襟を掴んだ。そして殺さんとばかりの凄まじい形相でロキを睨みつけた。
「の、ののののののののののききききききんしょ、しょしょしょしょうじょじょじょじょじょよ、は、はんままままままままもな、ななななななしししししにににに、わ、わわわわわわたたたたしししさ、さまをたたたたたたたたおおおおおおおひいいいいいいいい!!!」
「貴様……俺のベルトを何処に隠した?」
「べべべべべべべべべ……ベルトだと?」
ロキはふとトールの腰の辺りを見た。そこには確かにベルトがされているが見慣れたものではなく、どうやら小人が作り出したレプリカだとロキは気がついた。
「……メギンギョルズが無くなったのか」
「とぼけるんじゃねえぞ! てめえ以外に俺のベルトを隠す奴はいねえだろうが! 何処に売りやがった!」
「そんなわけないだろう。大体、ミズガルズであんなベルトが売れると思ってるのか。あんなの、ブック〇フのコーナーでも100円にもならぬわ」
「てめえ!」
拳をぐっと握るとトールはおもいっきり振り上げてロキの顔を殴った。もう一度、トールは思い切り殴りつける。痛々しい音が部屋に響いた。
「どうだ! これで少しは吐く気になっただろう!」
「……ぷ、くくくくく……ははははははははは!」
殴られてすぐ、ロキは笑いが収まらなくなり襟を捕まれたまま大声で笑った。あまりに意外な反応はまるで巨人の幻覚に惑わされたのではないかとさえ思った方が自然なのだろう。
「な、何がおかしい! てめえ!」
「まったく痛くないぞ、脳筋幼女! メギンギョルズはその力を二倍にも増幅させるが、まさかこんなにも弱体化するとは! 貴様など、今となっては単なる幼女だ! まったく、貴様の殴りなど弱々しい!」
「なんだと、もう一度言ってみろ!」
あまりの怒りにトールは再び拳を振り上げた。怒りによりまったく手加減は出来ない。そして拳はロキの頬へと吸い込まれる筈だった。
「…………な!」
しかし……おお、何てことだ!
その拳はロキの頬に当たらず、悪神が左手をあげて受け止めてしまったではないか!
「き、貴様……! さては、俺のベルトを付けているな!」
「ぷ、くく、現実を見るがいい。私様はベルト一つつけていないぞ? 単純な話だ。今の貴様は単なる幼女で、肉体ならば私様の方が若干年上なのだ。筋力も素早さも私様の方が上なのだ! 今となっては、貴様など取るに足りぬわ!」
「な…………!」
拳を左手で掴んだまま襟を掴んでいるトールの手をロキは右手で強引に剥がした。まるでギャッラ・ホルンの音色を聴いたように瞼を広げ、トールは驚きと困惑を隠さなかった。
「さてさてさて、今となっては貴様など取るに足りぬ……ならば、これまでの仕返しをさせてもらおうか……!」
「悪神……! 俺に手を出してタダで済むと思ってんのか! 俺の命を奪えば、ラグナロクを告げる音を貴様が聞くことは無くなるぞ!」
「脳筋幼女……いや、単なる幼女よ。私様は一応アースガルズの神なのだ。命を奪うようなことをするわけがなかろう……だが、恨みはしっかりと晴らさせてもらおう!」
そう言うと、トールの前からロキの姿が消えた。そして次の瞬間にはロキはまるで蛇のように背中からトールにのしかかり、脚で脚を取った。普段のトールならば、簡単に引き剥がすことが出来たのだろう。
「くお……!」
だが単なる幼女となったトールがこの重さに耐えられるわけではなかった。このままロキを下敷きにするように倒れてしまい、身動きが取れなくなった。
「貴様、悪神! 何をするつもりだ!」
「決まっているだろが……こうするのだ!」
「……………ひい!」
何と邪悪な攻撃だ!
まるでミズガルズの大蛇が海底を這うかのように、ロキは容赦なく後ろからトールの胸に両手を当てたではないか! しかし大丈夫だ。模写説明はしているがトールとロキの顔から胴体にかけては凄まじい閃光が覆っている。その点読者には厳しいが運営には優しい。
「や、やめろ! ななななな、なにをする!」
「何をって、行動の通りだ。好き放題してやろうではないか!」
「やめろって! お、俺にはそんな趣味は無い! 離せ! いや、もういい殺せ! 殺してくれ!」
「女騎士みたいなことを言ったところで、やめるオークがいるものか! ……ん、ちょっと待て、何故感触があるのだ……おかしいではないか」
「ちょ……本当に、やめ……」
「ま、待て! どういうことだ! 私様の方が年上の筈だ! 何故貴様はまな板ではないのだ! おかしいだろ! 何故この攻撃が有効なのだ!」
「もういい! 殺せ、本当に殺してくれええええええええええええ!!」
ロキが離れた後、二人は背中を向けて放心状態に陥っていた。
「俺は……メギンギョルズがなかったら、単なる幼女、ウフフフフフフ…………」
「イズンの林檎は成長を止める♪ 巨人の血に関係なく止めてしまう♪ 無いことがステータス? 何それ、おいしーの?」
何てことだ!
二人の神々はラグナロクの前に魂がニヴル・ヘルに旅立ってしまったではないか!
「ただの幼女はもう家に帰ろう……ぐずん……ぐすん……」
本当にミズガルズの幼女になってしまったかのようにトールは弱々しく立ち上がると、トボトボと歩いて外へと出て行った。
「何てことだ♪ 何てことだ♪ 脳筋幼女はメギンギョルズを無くしても♪ 私様に勝つと言うのか……ミョルニルが無くとも……」
ふとロキは歌を止める。そしてトールの去った後の扉を見て、それから無事な部屋を見て、最後にまったく痛みの残っていない自分の頬に触れて呟いた。
「……つまらん」




