死後の世界に安息を! その三
翌日もよく晴れていた。暖房で乾いていて外の冷たさも幸三郎には分からない。景色も変わらず桜の木も裸なのに、何がそんなに違うのだろうか。
食事もほとんど通ってはおらず、輸液ばかりが食事だった。もうこれから何か食べることも無理だろう。日に日に弱っていく自分の体を幸三郎は理解していた。
すると、昨日に引き続きノックが響くとあの坊さんが入って来た。既に驚きは無く、むしろ医師や看護士以外と話せることに少しだけ心が躍るほどだった。
「御免ください」
坊さんはそう言うとまた幸三郎のベッドの横に立った。
「こんにちは。何度もおいでになさって、ご足労をお掛けします」
「いえ。それよりも昨日の話は考えていただけたのでしょう。どうでしょうか、今からでも仏教を信じるというのは」
「変わっておりません。ただ、死後のことはお任せします。身寄りの無い老人でありますので」
「肉体の方はどうにでもなりましょう。しかし魂の方はどうにもなりません。私様としましては肉体の安息より魂の安息を望んでおります。なので、ニヴル・ヘルに落ちるのを避けたいのです」
「魂などと存在するか分からぬものの安息を望まれるというのですか。しかし、仮にそうだとしましても変えるつもりはございません。これが老人の最後の望みなのですから」
「そう思い、一つ提案をしようではありませんか」
また妙なことを言い出す坊さんだと幸三郎はじっと傘に隠れた顔を見た。
「お伺い致しましょう」
「仏教というものは神が沢山おりますものですから、どちらも信じていただければいいのです。つまりまず仏教を信じます。そして仏の身元へ行きます。そこであの本について信じます。そうすれば貴方は天国に行きながらもアースガルズを信ずることができるのでしょう。いや、今からどちらも信ずればいいのです。そうすれば必ずや極楽にいけることでしょう」
「平行的に信仰するというのことですか。そうすれば、極楽に行くのですね」
「まあニヴル・ヘルより楽な場所であるのは確かでしょう」
「でしたら、決してアースガルズ以外を信じるわけにはいきませんな……」
疲れた幸三郎はたまらずに横になった。ベッドの中で力を抜く。
「何故そこまで頑ななのだ。ただ他の宗教を信じるだけでニヴル・ヘルに行かなくて済むのだぞ、それに神々は別にお前がニヴル・ヘルに落ちようがどうでもいい。ならば、何故そこまで硬くななのだ」
「お帰りください。痛み止めが入って、今日はもう眠いので」
「……分かりました、また明日お伺いします」
そう言うと不機嫌そうに坊さんは部屋から出て行った。それからしばらくして幸三郎は静かな寝息を立て始めた。
「何なのだ、あいつは! まったく意味が分からん! 何故ニヴル・ヘルに落ちようと必死なのだ!」
「またあんた! 廊下では静かにしなさい!」
「ひぃ!」
また巨人のような形相の女性の看護士が叫ぶとロキは怯えた声を出して縮こまった。もしも漏らしていたらもっと酷いことになっただろう。
「駄目だったのか、悪神よ」
「ニヴル・ヘルに落ちようとしているようにも見えるではないか。まったく、何なのだ! もういっそのこと落としてしまえばいいのだ!」
「……悪神」
「あ……待て! 私様はまだ諦めていない! 誓いは絶対ではないか! まままままだだだだだだ……」
「頼む。もう時間は無いのだ。お前以外にあいつの信仰を失わせる者はいないのだ……」
「え、ああ……そうだな、うん……そうだ、例えばニヴル・ヘルに落ちなければ良いのか」
「何か考えがあるということか! 構わん。ならば、即時実行しろ!」
「え、ああ……まあな、うん。ならば形は変わるが、ニヴル・ヘルに落ちなければ私様が土下座しなくてもいいのだな」
「誓いは絶対だ。土下座はしてもらうが相当の返しはしよう」
「あ、ああ、そうか……」
まったくロキは調子が狂うようだった。だがタダで土下座はしたくない。ならば方向を変えるのも悪くはないのだろう。




