名状し難き冒涜的なアースガルズの神様 その十
『コールの手帳
自分の正体に気がついたとき、深い闇が俺の前を覆っていた。
もしや自分はあの依頼を受けたとき、少女達に引き寄せられたのかもしれない。
知ることは罪だ。そして対価の贖いが必要になる。
ああ、少女の神を称える歌声が聞こえる
ああ、ミョルニルを引き摺る音が聞こえる
ああ、強固な像を切断する音が聞こえる
ああ、あの暗い瞳が深遠と混沌から俺を覗いている……』
少しの間だけコールは意識を失っていたらしい。頬を叩く痛みに意識が戻ると前にはヒデオの姿があった。その左右に覗き込むようにロビンとマドンナの姿がある。
「大丈夫か」
淡々とヒデオは訊ねた。起こすということはまだ見捨てられていないらしい。
「ああ……だがどうにかなりそうだ。まったく、あれは何なんだ」
「テュールだった……像と同じ姿だったが……あの眩暈は……」
それからロビンは黙ってしまった。誰もが既にこの調査がただのカルト教団を調べているのだということを忘れているのかもしれない。少なくともコールはこの調査が既に割りに合わないものだということを感じていた。
「ともかく、先に進まないわけにはいかない……既に、あの少女が何処かに行ったのだろう」
だがコールは引き返そうという気にはならなかった。いや、引き返すことができなかった。もはや調査などどうでも良かったのかもしれない。自分が何者なのかコールは知りたかった。何故自分は、あの言語を知っていたのか。答えが先にあるのかもしれないのだから……
「すぐにこの島から逃げるのだ」
突然の言葉に、皆は思わず声の方を見た。
そこには、皆の手さえ届く距離にあの少女が立っていた。その少女は暗い瞳で、コールを見ていた。
「すぐに逃げろ。地下にボートが用意してある」
何故コールに向けて言っているのか、すぐにコールは理解できた。彼女……ロキはあの不可解な言語で話していたのだ!
「どういうことなんだ。いつから、そこに居たんだ! お前は何者なんだ! 俺は……俺は、誰なんだ!」
「時間が無い。少女達は、生贄を求めている。アースガルズの神々は、お前達を生贄だと勘違いしている。私様が生贄を独占したと思い込んでいるのだ。彼女達は怒り狂っている……さあ逃げるが良い!」
「まだ何も答えていない! 俺は、何故その言葉が分かるんだ!」
「この言語はアースガルズの神にしか理解できない言葉だ。さあ、急ぐのだ!」
「それは……俺が、アースガルズの神だというのか……?」
「神の魂は転生することがある。ニヴル・ヘルを逃れる魂が! ああ、駄目だ! 奴らに見つかった……!」
ガチャリ、という金属音が響いた。そして嘔吐音らしい音が響いた。
音のする方向……あのテュールが通り過ぎた先をヒデオが見て、腰を抜かしそうになっているのを見た。同じくマドンナも先を見て、ついに彼女でさえ叫び声をあげた。そして釣られるように、コールもその禍々しい宇宙的な恐怖が待つ先を見た。
顔色が真っ青で、口からは胃酸の糸を伸ばす少女がそこに立っていた。手には光り輝くロングソードを持っている。彼女の服は床の汚物に汚れていた。そして血走った病的な瞳で先を見ていた。
おお、なんと名状し難い冒涜的な姿なのだ!
酷い眩暈がコールを襲い、ついにコールは叫びをあげた。
「逃げろ! 殺される!」
その言葉を合図に皆は逃げ道の方を見た。だがその先にいる筈のロキの姿が無い。なんてことだ! だが存在しない筈のロキが、存在しない筈の冒涜的な言語を叫んだではないか!
「さあ逃げろ! 生贄にされる前に! 来た道を戻り、すぐ見える階段を下りるのだ! 穢れた神の姿を見てはいけない! これ以上、魂を穢してはならない!」




