二次元の嫁暗殺計画 その八
織田政樹は明るい部屋のデスクで肩を回した。ペン入れも終わり、トーンも張った。普段と変わらない仕事であるとは思う。きっと今月は大丈夫だろう。
月間連載を一つ受け持っている政樹には、後がなかった。今連載中の漫画『ホワイトパワーガール』の連載以外に仕事がないのである。中学生の全年齢で健全な学園シミュレーションのゲームのスピンオフ作品を担当して以来、ひたすらにそればかりを描いている。
オリジナルの作品は、最初に新人賞を取ってから二作以外描いていない。どれも大してヒットしなかったのだ。もしも『ホワイトパワーガール』の担当に抜擢されなければ今頃別の職業をしていたか、首でも括っていたことだろう。
同時に『ホワイトパワーガール』が終わった後が怖い。その先に漫画で食べていけるのかわからない。そうなれば転職するか首を括るしかなくなるだろう。
くったりと椅子に腰をかけると、ふと脳裏に浮かぶのは『何故自分が漫画を描いているのだろう』という疑問だった。
政樹はお金が欲しい。誰よりも欲しいから漫画家になったのかもしれない。今のように儲からない可能性も高いことは知っていたし、長続きしないかもしれないと分かっていた。しかし、もしも一つヒットさえすれば莫大の金が入って来ることになるだろう。
それでも政樹に入って来るのは何ともいえないくらいの少ない賃金である。同業者はバイトも平行してやっているくらいだとも言う。だがそんなことはしたくない。いくらバイトをしても何億という金は入ってこないのである。
「あ……何やってんだろな……」
呟きは重くのしかかる。目の前には頑張るだけがとりえな『孤ノ島萌子』が描かれていた。ハイパージャンプで空を飛ぼうとする萌子が何時間もジャンプを続けるシーンだ。
「頑張ったって、どうにもなんねえんだよなあ……まったく……」
そのシーンが自己投影であることを政樹は分かっている。食堂で走らせるのも、空が飛べないのに飛ぼうとするのも自己投影だ。考えれば考えるほど、色々なことが重くなる。全作品キャラ人気投票でも100位以内に入ったころもない。
すると、インターホンが鳴った。
もう夜の10時を過ぎている。アシスタントはもう帰っている。担当からは何の連絡も無い。そうなると近所の人か。
珍しいなと思いながら政樹は玄関に近づき扉を開ける。
だがそこには、何とも変な幼い二人が立っていた。
「貴方が織田政樹か」
茶色い髪をした少女は政樹に尋ねた。小学生だろうか。それにしてもサングラスと黒いスーツを着ているのは、まるで何かのエージェントのようにしか見えない。
「そうだけど……ファンかい?」
口にして政樹は酷い違和感を覚えていた。こんなファンなどいるものだろうか。いや、そもそも自分の漫画にファンが訪ねに来るとは思えない。
「一つ、仕事をして欲しい。お前の漫画を終わらせるような仕事を……な」
「……いたずらなら、帰ってくれないか。疲れているんだ」
イラついて政樹はドアを閉めようとしたが、隙間にアタッシュケースが差し込まれた。この茶髪の少女も後ろの長く綺麗な金髪の少女も両手に同じものを持っている。
「これを見ても話をするつもりは無いのか」
それと共に、隙間から何か太い紙束が落ちたのが見えた。
「あ…………」
途端に政樹の背筋は凍り、抑えていた手を思わず離してしまった。
それは紛れもない札束だ。
テレビでしか見たことのない、100万円の帯がついた束だ!
開いたドアからは、二人の少女が構わず入って来る。そして土足で上がりこむと、ドタドタと仕事場に踏み込んだ。
「君達は…………」
漫画で読んだことのあるような光景が現実に起こるとこんなにも狼狽するものなのだろうか。同時に自分が殺されるのではないかという不安に政樹は襲われた。何故なら、この少女達は100万を持っているからだ。
「俺達が来た理由は一つ。貴様の書いている漫画の内容を変更してもらう。我々の渡す筋書き通りに漫画を描くのだ」
「な……そんなことは無理だ! 漫画家の一存で内容は変えることは出来ない!」
「もう話はつけてある。担当と編集は快くOKしてくれたよ。後は黙って首を縦に振ればいい」
「まさか! しかしどう書き直せば……」
「ブラギ、例の物を」
コードネームか、『ブラギ』と呼ばれた少女は一冊の大学ノートを政樹の前に投げた。恐る恐る政樹はそれを拾い、中身を読み始める。
「な……こんなのを描けというのか! そんなことをすれば……!」
「漫画家人生が終わるとでも? 担当と編集がOKを出しているのだぞ?」
「な、ならせめて確認をさせてくれ! あと、これを描いた後の仕事を……」
「黙って描くのだ。我々は急いでいる。果たした場合には貴様には相当の報酬を渡そう」
そう言うと、少女達は打ち合わせ用のテーブルにドンとアタッシュケースを置くと、中を開いた……
こんなものを見て絶句しない者はいるのだろうか。
そのアタッシュケースの中には、ぎっしりと紙幣が詰まっていたのだ!
「十億ある。貴様には、まるまるこれをやろう」
「う、うそだろ……だって、たかが漫画じゃないか……なぜ、それで……」
「貴様にとってはたかが漫画なのかもしれないが、貴様の漫画が世界を滅ぼそうとしているのだ。ならば、この程度の価値はある」
この少女達の言いたいことが政樹にはわからない。自分の漫画が世界を滅ぼすなどという意味も分からない。だが子供の冗談にしてはあまりにも前の札束は壮大だ。
「いつまでに描けばいいんだ」
「次回以降にまでにだ」
「あと数日しかないじゃないか! 不可能だ!」
「既にアシスタントの準備は終わっている……さあ描け! 貴様には描いて10億を手に入れるか、描かずに全てを失くすかの二つに一つしかないのだから!」
でたらめだ。
全てがでたらめだと政樹は思った。
しかし、もはや迷うことは許されない。逆に言えればこれはチャンスに他ならない。もしや本当に10億が手に入るのかもしれないのだから。
自分のデスクに座ると政樹は書き終わった原稿を避けた。そしてプロットのノートを眺めながらコマ回りの線を描き始めた。




