ブリージンガンメイ特価二十万円その三
「どういうことだ!」
都会の明かりで染まった夜空の下、アキバの屋上でロキはイヤホンへと手を当てながら画面の中に写る二人を見ていた。おかしいと、悪神は毒つく。最初の登場人物はもっと少なかった筈だ。しかし、何故そこに立っているのは後半に現れた幸代という中年を超えたような女なのだ!
「おかしいだろ! 何故よりにもよって幸代なのだ! 何故真美を選ばなかった! 確かに真美は暗い性格だし、積極性は無かった! しかし、選ぶなら間違いなく他の誰よりも真美だった筈だ! 何で真美を選ばずに幸代なのだ! おかしい! こんな結果、私様の望んだ結果ではない!」
アキバスタイルの服が汚れるのも構わずにロキはグルグルとコンクリートの屋上を転がった。
「先週まで一番いい雰囲気だったではないのか! どうしてだ! 何故この私様の望んだ通りにならないのだ! あああああああああああ!」
悲痛なロキの叫びは都会の夜空にかき消される。しかしどれだけの叫びをあげたところで事実は変わらない。刻んだ時はどう足掻いても止まることはない。ただ一直線にラグナロクへと進むばかりなのである……
「ふんぬっ!」
「ふごふぉ!」
しかしその腹に突然のナックルを決めたのは、まさにトールである。自慢のミョルニルを使わなかったのは一つこの少女が母親の義姉妹に当たるからなのだろう。だが命を奪わない一撃が強くないわけではない。その衝撃はロキの体を貫通し、下のビルを揺らして耐震用の設備の丈夫さを証明し、幾らもの貴重なフィギュアが床に落とせば壊れる儚いものであるということを示した。
「うげおぉぉぉぉぉぉ……こいつ本気で殴りやがった……今にうげぇぇぇぇぇぇ」
ロキの口からは神話レベルの色をした吐瀉物があふれ出ていた。その汚らしい音はニヴル・ヘルで罰を受ける罪人の叫びに似ていることだろう。
「馬鹿か、貴様は。まったく戻る気配が無く、母上に言われて来たらこの様か。何が『今夜成果が結実する』だ。貴様が見せたかったのは、こんなものなのか」
「この私様を貴様扱いするとはなあ、まったく偉くなったぐぼげえええええええ」
「吐くのか喋るのかどちらかにしろ」
「うぐぉ……筋肉幼女には分かるまい。この大人の恋愛物語をなぁ……揺れ動く感情と社会の間に取り持つ感情と欲望のドラマをなぁ……やはり駄目だな。もうこの話は小人に編集させてブルーレイのBOXにさせている。発売日にはこの私様のサイン入りでたったの二十万だ。それを全部見てから感想を言うのだな……」
「小人に仕事をさせているのは知っている。自分の全裸をフォトショップで加工させたこともな。それで最初の方は蚤になってスマフォを弄ったり、私立探偵になったりと頑張ったそうじゃないか」
「私様のスパイスがこの物語に深さを与えたのだ。これが無ければ、この物語はこんなにすばらしい味を出さなかった……が、何故幸代なのだ! 何故だ! この私様の策略が何故うまくいかなかったのだ!」
「貴様の策略が巧くいったのか失敗に終わったのか、我々にはすっごくどうでもいいことだ。さてロキよ。一つお前は忘れていたことがあるのではないか」
「忘れていることだと!? やはり、あの交差点で美波と加奈子を合わせたところか!」
「ブリージンガンメイじゃい!」
今度の腹パンの衝撃は天空へと響き、雲ひとつ無い夜の空を一直線に飛んで行き、丁度航行していた人工衛星の軌道を大きく逸らせて宇宙の果てへの航路を取らせることになった。いずれその経路は、月を食らうハティの通り道と被ることになるのだろう。
「さて、それで、ブリージンガンメイの件はどうしたのだ?」
腹から手を抜かずにトールは尋ねた。今彼女の拳にはロキの着るアキバスタイルの服装の感触が伝わっていることだろう。
「……私様が、本当に考えていなかったとでも?」
だがロキは趣旨を忘れはいなかった。続けてロキは、話を続けた。
「仕方が無いではないか。私様のような幼女では、働くこともままならない。化けてかどわかすにも今の人間社会は神さえ殺すことも容易だ。蝿になって銀行に潜り、金を盗むにも蝿では金を持てない。何処かに盗みに入るにも、どこにもセ〇ムが入っていたり、金庫があったりと無理だ。働くにしても時間は限られている。ならば、一番の近道はまさにこのBDBOXを神々に売ることだった。しかし、手遅れであることは、私様は知っていたよ」
「ああ。手遅れだった。母上も全部見ていたよ」
「それでも誓いを立ててしまったのだから仕方が無いのだ! 少なくとも金さえあればなんとかなる筈だ……例え、例え……」
ロキは軽く拳を握った。そしてその屈辱に耐えるように奥歯を噛んで、言った。
「例え、気がついた時にはブリージンガンメイが売れてしまっていたとしても……!」
ロキは思い出す。フォトショップを小人に加工させてから一週間後、今度は映像の画質をあげようと小人のそばに行ったときにブリージンガンメイはどうしたのかと訊かれたことを。まさか売れていないと思いつつも行ったら、つい先日売れてしまったことを。だからこそ行方を捜し終えた際にスムーズに取り戻すことの出来るように資金を貯めようと思ったことを。気がつけば、ずっと真美を応援していて画面の前で悲しみと感動の涙を流していたことを。
「自業自得だな。方法など幾らでもあった筈だ。たとえば、我が母上に頼めばすぐに供物を用意したことだろうに」
「オーディンの手を借りるのは、オーディンを泣かす時だと決めているのだ」
「その無為なプライドで宝物を一つ紛失したこと、後悔はしておらぬのだな」
「後悔などしてやるつもりはない」
「そうか……まあいい、そういうだろうということも母上は見通していたよ」
そこで初めてトールは拳を納めるとロキから離れた。途端にロキはそこに膝をつき、また一度嘔吐した。
「されロキよ。様子を伺うことの他にもう一つ賜っていることがある。貴様にこれを見せて、貴様にこの所有権を渡し、同時にこの所有権を私へと戻すことだ」
「何が私だ。ぶっきらぼうに俺俺言ってろ、この暴力幼女」
「その減らず口を利けないようにラグナロクより前にお前の子供の住まうニヴル・ヘルに送ってやろうか? いかんな、母上も見ておられるのだ……では確かに貴様にはこれを見せてこれの所有権を渡し、この所有権を私へと返してもらおうか」
トールはそのジーンズのポケットから荒っぽくそれを取り出した。
「な……それ、ブリージンガンメイじゃん!」
「貴様の行動が途中より脱線していることなどお見通しよ。だから私がポケットマネーをはたいて買ってやった……勘違いするな! 俺は、フレイアが泣くところを見たくなかったのだ! しかしそれが母上にばれた。だから、この命を受けたのだ……確かにブリージンガンメイ、取り戻したことを承った。これにて失礼する!」
その一斉と共にトールはビルの屋上へと続く扉を壊して去って行った。それから降りた彼女は路駐している自慢のバイクに乗ってアースガルズへと戻ることだろう。
残されたロキは呆然とその先を見ていたが、それから立ち上がり、汚物と砂で汚れた白っぽく色の抜けたジーンズを払うと、両手を天にあげて叫んだ。
「やった! やったぞおおおおおおおおおおおお!」
確かにロキは誓いを果たしたのである。当然その影はオーディンの過保護があったことなど、すっかり忘れてしまっていることだろう。