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アースガルズの私様  作者: 富良野義正
少年よ、甘い夏の思い出に
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少年よ、甘い夏の思い出に その一

 退屈は神さえも殺すことをロキは良く知っている。だからこそ退屈を紛らわすネタがあればすぐにでも実行する。それでもこの人間だらけのミズガルズに滞在することは好きなわけではない。旅行などせず家に引きこもりゲームや漫画を読んだ方が景色やら観光名所を見るより面白いに決まっているからだ。地蔵やら誰かの墓やらタワーやらを見たところでそれだけではないか。


 しかし今のロキは旅行鞄を持ち、黒いTシャツを着て紅いスカートまで履いている。カタカタと鳴る電車の窓の外を、まるで遠くにある桃源郷を眺めるように見ているではないか。


 この少女が何を思っているのか、この列車に乗った者は知らないわけではない。現に無関心な一般市民に紛れる痩せた男達は、自分達が痴漢で捕まり署へ連れて行かれることを恐れながらもロキを見ている。彼らにしては、リアル少女が堂々とこんなことをしていることに敬意と美と自分に近いものを感じているのである。


 まさにロキはコスプレをしているのだ。この黒い服と紅いスカートは朝のアニメ『フォトンガールズ』の主人公『星元ほしもと あかね』の格好なのだ。髪が長くぼさぼさの黒髪であるのと隈のある暗い瞳は似ても似つかないが十分にファンだと分かる。おまけに主人公と同じくらいの少女がしているのだということが更に高感度をあげているのだ。


 ほとんど主人公のような髪型や姿にロキならば変えることが可能だ。だがそうしないのはロキなりにコスプレを楽しんでいるからだろう。それにコミケにいるようなクオリティの高いコスプレイヤーよりも汚れていた方にロキが好感を持っているのは、まさに痩せた男達の思考に近いのかもしれない。


「ああ……夏休み。綺麗な山、輝く川……いっぱい、いっぱい遊んじゃおう」


 棒読みのように呟き、ロキは微笑む。似つかわしくない呟きも微笑みも星元 茜の台詞である。声が小さいのは一人旅故の羞恥心からだろう。


 既に電車は一時間くらい田舎道を進む。それも終わり目的の駅に着くと幾らかの人々が降りていく。そこにロキも続く。


 外の日差しが強く、ロキは逃げるように影へと入る。イドンのリンゴのおかげで日焼けをすることはない。だがロキは明るい場所は嫌いなのである。汗も出ないわけではない。


 無人の駅には駅長一人居ない。近くでガヤガヤと話す同じ巡礼者とは別にルートを確認する。行くまでのルートである。普通では一番遠いので最後に到着する場所だが、主人公が最初に行った神社に向かう。原作の順序とは大切なのである。


 日当ひなたを避けて明るすぎる道を進み、ついにロキは神社の入り口に着く。暗い森に囲まれた日掛けの暗い道は、むしろロキにとっては好みの道である。トールなどは嫌がるのだろうなと思いながら進んでいくと、ついには神社がみえる。想像していたよりも古く汚れて暗い神社だ。しかし原作とほとんど同じ風景にロキの心は弾んでいく。


「いいところ、いいところ。神様に祈っちゃお。楽しい夏休みになりますように」


 まるで呪文でも唱えるようにロキは口にする。当然それも星元 茜の台詞である。だが先には進まない筈だ。何故なら後ろから話しかけられないといけないからだ。


「こんなところで何してんだ」


 と……



 驚いてロキは振り返る。その声がもしも大人の声ならばもっと別の感情が浮かんだのかもしれない。しかし今あるのは純粋な驚きだ。


 それは主人公の友達『水森 あやね』とは似つかわしくなく、アキバスタイルの大きな子供でもない。黒い肌で白いシャツとハーフパンツを履いた、まさに田舎の少年である。


 偶然か、とロキは思う。だが同時に『フォトンガール』のファンであれば試されているに違いない。こういうときの対処法は知っている。とりあえず続ければいい。次も同じ台詞を言う確立とは非常に低い。


「神様にお願いしてたの。だって、いい場所だったから」


 次に水森 あやねはこう言うのだ。


「ふうん。こんな寂れたところで、変なやつ」


 間違いないとロキは思った。この少年は『フォトンガール』を見ているのである。しかもここまで正確に台詞を言えるということは大分ファンに違いない。東洋のこの国ではアニメの英才教育はこんな田舎にまで浸透しているのだろう。


「お前、なんて言うんだ」


 これは台詞が違う。だがここでもロキは試されている。まったくも迷わずロキは答える。


「私、星元 茜。小学5年生。あなたは?」

氏神うじがみ 健太けんた。同じ五年」

「じゃあ、健太君って呼んでいい? 私様のことも茜って呼んでいいから」

「いやだよ、名前で呼ぶなんて。星元だっけ、変な奴だな。私に様をつけるなんて」

「それは癖だから、どうしても言っちゃうの。けど、いいよ健太君。私様のこと、星元って呼んでね」


 ロキはこの意識の高さに関心する。劇中でも最後にこの街を離れるまであやねは星元と呼び、最後に街へ帰るときに茜と呼ぶのである。この少年は茜を茜と呼ぶ誘惑に打ち勝っているのだ。


 だがロキにもプライドはある。こうなればとことん演じて健太を降参させなければならない。策略家として演技でも負けるわけにはいかないのである。


「ねえねえ、健太君。この街のこと、少しずつ案内してよ。いいかな?」

「ん……お前、この町初めてなのか」

「今日来たばっかり。だから、川とか見たいな」

「川なら二つあるけど、来たばかりならあっちかな。流れの強くない方」

「そっち。案内してもらってもいい」

「まあいいぜ。用事も済ませたことだし」


 健太はくるりと振り返るとたったと階段を下りていった。ロキもその後を続く。そうだ、最初二つの川のうち流れが緩やかな方に行くのである。

歩きながら鞄をしょい直し、不快なほど明るい陽射しを浴びながら考える。

これは都合のいい案内人を手に入れたのだと。




 田舎に来た同い年の星下と分かれた健太は家に帰るとパタパタと台所へと向かった。暑かったからアイスが食べたかった。箱に入ったソーダのアイスを手に取ると、トントンとまな板の音が聞こえる。


「こら、健太。手を洗ってからにしなさい」

「分かったよ。取るだけ取るだけ。今日は案内してたから早く食べたいの」

「案内? 最近観光客が多いけど、ついていったらダメって言ってるでしょ」

「違うって。同い年の子がだったよ。お母さんが言うのって、もっと大きな人でしょ」

「あら、どこの子かしら。訊いた事のある苗字だった?」

「ううん。まったくないのだった」

「そう。なら分からないわね。お嫁に行った広瀬さんの娘さんかしら。けど、健太より小さかったわよね」

「知らない子だって」


 健太は暑さに耐え切れなくなり、話を切り上げて廊下に出る。こういうときのお母さんとの会話は好きではない。健太にとって、自分は子供ではないのである。


 蝉の鳴き声を訊きながら健太は明日のことを思う。

 明日も星元の案内する約束をしたのだから……

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