世界一安全な乗り物だから その四
「ちょ、な……何をやっているのだ! 何故また速度をあげているのだ! もう駄目ではないか! 何故私様がニヴル・ヘルに行かなければならないのだ! 嫌だ! 冗談ではない! マジで! ひいいいいいいいいいいいああああああああああああ!」
着陸の直前、機体が再び傾くと同時に上昇する感覚にロキは叫んだ。無事に降りられるという希望からの転落にロキは完全に正気を失っていた。緊張で静かな機内にロキの絶望的な叫び声が響いた。もしもそれが日本語ではなく英語だったのならロキに対する罵声はもっと多くなっていたことだろう。
『お客様にご連絡します。当機は安全の為に着陸を再び行います。乗務員の指示に従い、どうかお静かにされ、指示されました安全姿勢を維持されますようにお願い致します』
「そんな分かりきった気休めに私様が騙されると思っているのか! もう駄目ではないか! 何が安全姿勢だ! しかし外に出るのも叶わないではないか! 何が安全な乗り物だ! これでは巨大な処刑装置ではないか!」
放送で流れた機長の言葉が、ロキには銃殺される死刑を大人しくさせる為に語りかける嘘であるかのように思えた。機長は自分がニヴル・ヘルのあの亡者の屋敷に招待されていることを既に知っているのだ。だから覚悟しているので落ち着いていることだろう。その代わり乗客には散々生存を期待させ、突然落とすつもりに違いなかった。
「嫌だ、嫌なのだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……むぐっ」
「大丈夫だよ。騒がずに落ち着いて座っていましょうね」
すると、ロキの口に突然手が当てられ、口を閉じさせられた。ロキの口より大分大きな掌に憚られ、もごもごとしたロキの叫び声のほかには淡々としたエンジン音ばかりが目立つようになった。
「ごめんね。こうしないと会話も出来ないから。大丈夫。ちゃんと着陸できるよ」
「むぐふううううううううう! はふうううううううううう!」
「手を離してあげてもいいけど、着陸するまで静かにするって誓える?」
「ふぐっ!」
ああ……何という事だ!
手が離される為には静かにすると誓わないといけないとは! この状況ではたとえどんなに屈強な巨人でさえも叫ばずにはいられないのだろうというのに!
しかし、他に選択肢はあるのだかろうか?
口と鼻を押さえられているのだから、誓わなければ墜落前にニヴル・ヘルに落ちることになるのだろう。
少し躊躇いながらロキは頷いた。それからゆっくり手が離されると静かに、今度はブツブツと恐怖と不安と自らの不幸をロキは呟き続けた。




