世界一安全な乗り物だから 一年後 その二
機長のジェームス=マリオはDD―1000型旅客機の飛行時間二千時間以上のベテランパイロットです。副操縦士のエゴン=マリオットは三ヶ月前に入社したばかりの新人パイロットでした。二人ともこのような異常事態は初めてです。訓練にも同様の例はありませんでした。
「今のは左に傾いていたな? 右方向に旋回を開始する。計器の変化に注意しろ。慎重に行くぞ」
異常な傾きは左側でした。原因も不明で計器も全て正常に見えますが、計器自体に異常がある可能性もあります。またどの機器に以上があるのか警告灯も一つついていません。もしもエンジンや尾翼に問題があれば操作した途端に墜落もありえます。機長は身長に判断しなければなりません。
「いいか。何か変わったら何でもいいから伝えるんだ。ともかく、問題の場所を確認しろ……」
そうジェームスは言うと、ゆっくりと右側に旋回を始めます。機体はゆっくりと右に傾き始めます。
「計器に問題は見つかりません」
少しの計器の狂いも見逃すわけにはいきません。しかし副操縦士は問題らしいところを見つけることができません。一見何の問題も無く旋回できているように見えます。
「大丈夫だ……ともかくこの旋回角度を維持する。問題があれば……」
機長が話しかけた途端、急に機体は凄まじい音と共に大きく右に傾きます。
この時の様子を機長のジェームス=マリオはこう言います。
「あの時、酷く大きな音がすると再び神々に押し付けられたように機体が大きく右に傾きました。その時とっさに墜落すると思いました。機体の設計上、垂直飛行に耐えられない可能性があったからです。また危険な角度に達したので急いで左に操縦桿を曲げるとすぐに元の角度へと戻りました。すぐ水平に戻しました」
「どういうことだ!! 今度は右に傾いたぞ!!」
悲痛な機長の叫びがコックピットに響きます。左側に問題がある筈が右側に問題が発生したのです。これはすなわち問題が単純なものではないことを示しています。原因がはっきりしないばかりか大きな音が響いたのも気がかりです。
「計器正常。燃料正常。エンジン全て正常。機内の気圧正常……まったく全てに問題が見られません」
副操縦士も問題を見つけることが出来ません。正常であることへの安堵と危険が内在していることへの恐怖が副操縦士の思考に渦巻きます。
「空港まで現状を維持。何かあればすぐに報告しろ。管制塔に現状の報告を」
「こちらオーディン航空302便。旋回に成功したが問題が特定出来ない。大きな音と共に今度は右に大きく傾いた」
『こちら管制塔。現状の方角を維持。どの滑走路を希望されますか』
「機長、二番の滑走路でいいですよね?」
「二番だ。そっちの方が長かった筈だ」
『こちら管制塔。了解。二番滑走路を開けます』
副操縦士と管制塔のやりとりで二番滑走路への着陸が決まります。
この合間のことを客席のミナミ=タチハラはこう語ります。
「あの旋回の時は覚えています。ほとんど機体は真横になりましたから。ついにその時が来たと一瞬思いましたが、すぐ立て直して安心しました。隣には同じ日本人の少女が乗っていましたが、彼女は大きく傾いた時に叫び声をあげていました。彼女のジーンズが黒く染まって……いえ、何でもありません」




