世界一安全な乗り物だから その二
三度の傾きとアナウンスでロキはこの飛行機に何かトラブルが起きたことが分かった。
(は……マジで? って、ちょっと待て。飛行機のトラブルって死亡フラグじゃねえか! マジか……冗談じゃない! 何故私様がこんな飛行機で死ななければならないのだ! いや、落ち着け……戦略家たる私様が取り乱したら駄目だろうが……)
P〇V〇TAの電源を落としながら、ロキは考える。黙って考えていたのは機内で騒げば刑務所へと送られるからだ。刑務所に送られれば死刑になるのだから生き残っても意味が無い。だから、静かに思考を廻らせる。
(落ち着くのだ……ともかく、ここにいる奴らはほぼ確実に全滅するに違いない。ならば、私様は一刻も早くこの場所から脱出しなければならないが……パラシュートなどあるまい。ならば、どうする……いや、そもそも私様にパラシュートなど必要なものか! 考えれば蝿にでも姿を変えて外に出ればよいではないか! そうすれば後は地上付近まで降りれば問題あるまい! まあ、通気口くらいはあるだろう。ともかくそこから脱出するのだ。脳筋幼女は……まあ、ニヴル・ヘルでも大丈夫だろ)
そう考えるとロキは席を立った。
アナウンスの後に隣の少女が立ち上がったことに美波は驚いた。あまりにも少女は取り乱すこともなく、まるで通常運転時にお手洗いへと向かうような自然さで立ち上がったのである。
「あの、君」
慌てて美波が話しかけると、少女は立ち止まった。ぼさぼさの黒い髪と濃い隈が非常に印象的だった。
「何なのだ。私様は急がねばならないのだ」
少女の言葉は日本語だった。やはり彼女は日本人だったのだろう。言葉が通じることに美波は胸を撫で下ろしながら続けた。
「この飛行機に何かあったみたいだから、シートベルトを締めて座っていましょうね」
「何かあったから立ち上がったのだ。フン……私様は外に出るのだから、放っておくがいい」
「外にって……どうやって?」
不快そうに少女は顔をしかめた。それから少し考えるように黙ると、それから一種の優越感に浸るような、表情を浮かべ、まるで死ぬ者を見下すように言い放った。
「当然通気口から蝿に姿を変えて出るのだ。ミズガルズの人間にはこのようなことは出来まい。私様は貴様とは違い、このまま生きて外へと出るのだ」
少女の言葉が最初、聞き間違えたのかもしれないと思った。しかしあまりにも自信に満ちた表情に、まったく心からそのように思っていると感じた。本当に少女は蝿に姿を変え、通気口から外へと出るつもりなのである。
「この飛行機が墜落する前に私様は行かなければならないのだ! せいぜい安全姿勢をとって座っているのだな!」
そう言って少女は本当にどこかの通気口へと歩き出そうとしていた。
「待って」
このまま行かせるのは危ない。
シートベルトを締めて座らせなければならない。
そう思いながら少女へと声をかけて考える。少女の声は自信に満ちていた。本当に少女は蝿になり外へと出るつもりなのだ。ならば、どうしたら座らせることが出来るというのか。
「何なのだ。貴様も連れて行って欲しいとでも言うのか? ふん……私様では自分以外の姿を変えることは出来ないのだ。諦めるがよい」
少女の言葉を聴きながら、美波は必死に少女の為に考える。そしてふと反射的に少女へと言った。
「蝿になって外に出ると死ぬよ。通気口はカッターみたいなプロペラがずっと回っているから吸い込まれてバラバラになるし、仮に出られても外は吹雪の地上よりも寒いから、一瞬で凍死するよ」
口にして馬鹿馬鹿しいと美波は思った。そもそも人は蝿になんてなれないから諦めろと言うべきだったに違いない。この言い方では、まるで本当に少女が蝿になれると肯定しているようではないか。
「え……あ……は?」
しかし、途端に少女の顔からは血の気が引き、暗い表情の顔からは既に死者を思わせるくらいに血の気が引いているのが分かった。
正しかったんだと、美波は自分の言葉が正解だと確信した。非現実的な想像が時より事実だと思い込んでしまうことが少女の時期にはある。創作にはそれくらいの力がある。それを否定したところで少女にしては現実なのだから、鼻で笑われてしまう。だから妄想的なことであっても本当だという視点で説得しなければならない。
これでも大丈夫だと言われたらお手上げだった。
しかし、美波の忠告は少女にはあまりにも効果的だった。
立ったまま少女は気を失っていた。
そしてそのジーンズが段々と黒く染まっているのが美波には分かった。
引き返すというアナウンスを聞いたトールは少し寒さに震えながら顔をしかめた。何か問題があったのだろうが、少しくらいのトラブルなら気にせずさっさと目的地に向かって欲しかった。
「まったく、軟弱な乗り物だ。俺のくしゃみで傾くばかりか、故障までするとはな……ともかく、着陸までシートベルトを締めないといけないのだったな……」
自分の部屋へと戻り、部屋に備え付けてある椅子へと座る。それからシートベルトを締め、様子を見に来た乗務員をひらひらと手を振り追い出す。すると、また鼻がムズムズして来るのをトールは感じた。
「まったく……しかし暖房をガンガンにつけても寒いな……あぁぁぁぁぁぁぁっくぅしゅゅゅゅゅゅん!!!!!」
飛び上がるようにトールは豪快なくしゃみをした。




